西川貴教が語るサステナビリティの本質──「思いやり」がなければ続かない
この記事、ざっくりいうと?
- 思いやりの心がサステナビリティの本質。滋賀県と琵琶湖の文化風土が原点
- 来場するだけで環境保全に参加できる。押し付けない取り組みで17年継続
- 名称変更もみんなが楽しめる形を追求。田舎の祭りとして地域と共に歩む
アーティストが主体となって大規模フェスを企画することが、まだまだ珍しかった2000年代後半──。西川貴教さんが地元・滋賀県で立ち上げたのが、今では10万人規模の大型イベントとなった「イナズマロック フェス」だ。
同イベントが2009年の初開催から一貫して掲げてきたのは、音楽を通じた「環境保全」と「地域振興」。
滋賀ふるさと観光大使でもある西川さんに、音楽を通じたサステナブルな取り組みを続ける想いを聞くと、琵琶湖と生活を共にする文化に育まれた「思いやりの心」が、原動力にあることが見えてきた。
「誰かが、ほかの誰かを思いやる。本来はそれが、環境や社会に対するアクションの根幹にあるものだと思うんです」
分断が深まる現代。西川さんの「押し付けずに、みんなが楽しめる形を目指す」姿勢が、私たちに問いかける。環境保全も、地域振興も、どんな取り組みも、根っこに「思いやり」がなければ、多様な人たちと一緒に続けていくことはできないのだと。
「思いやり」が環境意識の根幹──滋賀の風土に育まれた精神
── イナズマロック フェスは初開催の2009年から環境保全と地域振興を掲げていますが、西川さんの環境への意識は、どのように育まれていったのでしょうか。
特別なきっかけがあるわけではなく、育った環境だと思っています。滋賀県は1980年に琵琶湖条例が施行されるなど、昔から環境教育が盛んです。毎年、琵琶湖周辺を一斉清掃する行事が行われていますし、僕も学校で、使い終わった天ぷら廃油から石鹸をつくって、みんなで手洗い場に並べた記憶があります。
そういった意識が育まれた理由は、やっぱり、琵琶湖の恵みを日常的に享受しながら、生活や産業が成り立ってきたことにあると思うんです。
琵琶湖にはいくつも漁港が存在していて、漁師さんたちが昔から、漁場を守るために率先して清掃活動を行ってきた歴史がある。また、琵琶湖の中には沖島という島があり、日本で唯一、湖の中で人が生活している島なんです。自分たちの生活と自然の恵みが直結している環境だから、自然と、環境を守ることが生活を守ることだと考えられてきたんじゃないかなと感じています。
── スローガンである「水の未来に、声を上げろ。」の裏には、琵琶湖だけでなく、それと直結する人々の生活を守りたい想いがあったんですね。
湖北の地域に根付く「カバタ」という湧水文化があるのも、大きいかもしれません。比良山系に降った雪や雨が伏流水となり、各家庭からきれいな水がコンコンと湧き出てくるのですが、これが今も、生活のいろんな場面に利用されているんです。
水の湧き出す桶が各家庭に3つあって、ひとつ目は飲み水に、ふたつ目は料理、野菜洗い、洗顔などに使われます。みっつ目の桶では鯉が飼われていて、料理の残飯などを食べてくれる。そして、鯉によって浄化された水が小川に入り、琵琶湖に流れて行くという仕組みです。
これは、思いやりの文化なんですよね。「みんなが隣の家の人や、自分よりも川下で暮らす人たちのことを思いやって生活している」ということ。近江商人によって広められた「三方よし」しかり、思いやりの心が滋賀県民の美徳だと思います。
「もっと、みんなが楽しめるイベントにするため」17年目の決断
── 西川さんの環境意識も、滋賀県の歴史や風土によって育まれてきた思いやりの心から、生まれている。
そう思っています。誰かが、ほかの誰かを思いやる。本来はそれが、環境や社会に対するアクションの根幹にあるものだと思うんです。
グローバリゼーションが加速する現代においても、忘れてはいけないこと。自分たちの文化をただ押し付けるだけの思考になっていないか。環境保全の取り組みにおいても、「これをやりなさい」「世の中はこう言ってるんだから」と押し付ける前に、その土地で脈々と続いてきた文化や暮らしがあることを理解するのが、まずは大切なんです。
我々に対する「ロックフェスを名乗るな」という声もそうですが、社会が急速に変わっていくなかで、そこにいる人たちのことを思いやる気持ちが欠けていると感じることが、特に最近は多い。
── イナズマロック フェスは17回目を最後に名称変更することを発表されていました。
名称変更は、出演するアーティストも含め、もっとみんなが楽しめるイベントであってほしいという願いから決断しました。
SNSの普及によって、受け取りたくない情報も入ってくるようになり、多種多様なアーティストにご出演いただけることになっても、発表になったタイミングで「これがロック?」「ロックフェスなんて名乗るな」といったコメントがついたりする。それが僕としては、アーティストにも、彼らのファンに対しても申し訳なくて。我々が進んで負担をかけない努力をしていくことが、一番続けやすい方法かなと考えた結果です。
また、近年のデフレからインフレへの急激な変化も、運営の大きな課題となっています。チケット代は適正な運営状態を維持できる価格設定にしていますが、お客さんには値段だけ上がっているように映ってしまうこともある。地域事業者の負担も増えており、先んじて対策を講じていく変革の意志も込めて、名称を変更しようと思いました。
「子どもたちに、不便さを負担に思ってほしくない」──地域振興の活動の原点
── これまで、「烏丸半島の公共トイレの改修」や「イナズマロック フェスをイメージしたマンホールの設置」など、イベント期間中だけでない地域貢献をされており、故郷への想いを感じます。地域の声はどのように拾い上げていますか?
現場で拾い上げることが多いですね。地域の方々との継続的な関わりのなかで、知ることがたくさんある。
たとえば、最近は外来魚や外来雑草のリスクが注目されていますが、僕が琵琶湖一斉清掃に参加するなかで、「それらを回収する車が足りていない」と漁師さんから聞いていました。それを少しでも解消したいと、琵琶湖の周りを走る回収車を、イナズマロック フェスで集まった寄付金から寄贈させていただきました。
イベント中だけでない取り組みをするのは、地域振興を考えるうえで、一度きりではなく通年を通して訪れていただくのが重要だからです。2015年からイナズマロック フェスへの出店をかけたイナズマフードGPという前哨戦を開催したり、商業施設で催し物を行ったりなど、どんどん派生イベントが増えています。
── フェスを通じてこういった取り組みを続けられるのは、どのような想いから?
地域振興を掲げて開催することになったきっかけは、2008年に当時の滋賀県知事だった嘉田由紀子さん(現在は日本維新の会所属の参議院議員)と、県の広報誌で対談したことからでした。当時はうちの甥っ子や姪っ子がまだ幼く、「田舎ならではの情報の少なさや遅さみたいな不便な状況を、子どもたちに負担に思ってほしくない。もっと滋賀県としてできることがあるんじゃないですか」と、熱っぽくお伝えしたんです。
僕が地元にいた頃はレコードショップが近くになくて、電気屋さんの一角に少しだけCDが置いてあるような環境でした。情報収集はみんなで雑誌を一冊ずつ買い集めて、それを回し読みしていましたね。そんな体験が、子どもたちへの想いにつながっているんだと思います。
また、滋賀は近畿地方においてベッドタウンで、京都や大阪のように目的となる場所が少ない。自分が目的となる場所をつくることで、人の流れを逆転させたいという気持ちもありました。
イナズマ式「押し付けないサステナブルな取り組み」──"田舎の祭り"を続けていくために
── 来場者を巻き込んだ取り組みも積極的にされており、シャトルバスや電力の利用で排出されるCO2を相殺する「カーボンオフセット」もそのひとつ。お客さんと一緒に取り組める形にするうえで、何を大切にしていますか?
楽しい場に来るだけで環境保全につながる取り組みに参加できる、というふうな、自然な参加方法にすることですね。「これをやってください」と押し付ける形にならないように、心がけています。
僕はよく、海外の美術館や博物館を巡るのですが、入場料の一部が建物の修繕費になっていると明記されたチケットを、けっこう見ていて。すごく自然だし、目立つのが苦手な日本人の気質にも合っているんじゃないかと、印象に残っています。
今年から、船で会場にアクセスできる交通手段を試験的に導入しましたが、まさに、楽しみながら自然と環境に意識が向く形になっていると思います。湖西側からいらっしゃる方にとっては移動時間の短縮になりつつ、船を利用していただくことで、琵琶湖の現状を知っていただくこともできる。
── 思いやること、押し付けないこと。音楽を通じた環境保全と地域振興を続けてきたイナズマロック フェスの根っこに、その心が一貫してあったことが、西川さんのお話からうかがえました。
おかげさまで、今年もたくさんの方にお越しいただき、ご来場いただいたみなさんも、我々も、満足度の高かったイベントをつくることができたと感じています。
イナズマにご出演いただくアーティストは、ロックバンドからアイドル、お笑いまで多種多様で、たしかにロックフェスと言うには幅が広く、捉えどころのない印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。でも、イナズマが開催当初から目指しているのは、「田舎の町でやっているお祭り」なんです。
自治体とも、地域の方々とも、「ひとつのことに捉われず、みんなが喜んでくれることをみんなで楽しんで、何かあったら全員で解決する気持ちでやっていこう」という気持ちを共有してきたから、続けてこれた。名称は変わっても、地元の方々を中心に、参加するみんなが楽しめる形を目指していくことは、これからも変わりません。
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取材・文
小山内彩希
X(旧Twitter):@mk__1008
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取材・文
大川卓也
X(旧Twitter):@Quishin
Facebook:takuya.ohkawa.9


