マシンガンズ・滝沢秀一が語る、捨てられる輪島塗の救出を通じた能登の復興支援
能登半島地震から約2年が経とうとする2025年12月上旬。
日本中のごみ削減のために活動する「一般社団法人ごみプロジェクト」の代表理事で、漫才コンビ「マシンガンズ」として活動する滝沢秀一さんは、4回目となる能登訪問から東京に戻ってきた。
地震による家屋の倒壊によって、行き場のなくなった輪島塗を引き取り、次の使い手へとつなぐ。それを目的のひとつに訪れた、3日間の能登滞在。
輪島塗の職人さんや問屋さん、地元のシェフやおばあちゃん、高校生。現地の人たちとの交流を経て、滝沢さんが最も心に思ったのは、「心のケアというか、何かそういうことと共に、復興っていうのはあるんだろうな」ということだった。
そして、持ち主の生きた証である輪島塗を、最後まで誰かの役に立つ形で使い切ることも、心のケアにつながっていくという考えを明かしてくれた。
物理的な復旧から心の復興へ。能登が新たなフェーズを迎えつつある今、滝沢さんが見て、聞いた現地の声をヒントに、これからの支援のあり方を考えたい。
被災地で求められる「心のケア」
── 継続的に能登に足を運ばれている滝沢さんですが、今回の訪問で、能登の様子はどのように変わっているように感じられましたか?
僕が能登に行ったのは、今回で4回目でした。発災直後から数ヶ月経って初めて行ったときは、もう何もかもが崩れている状況で。それが時間が経つごとに、公費解体(大規模な災害により甚大な被害を受けた家屋を、市町村が所有者に代わって撤去・解体すること)なども始まり、今ではもうほとんどが更地のような形になっています。
復旧的なことで言えば、崖崩れした場所もコンクリートで固められたりと、ようやくなんとかなってきたのかなという印象です。でも一番のポイントである、これから始まる復興については、心のケアが必要とされている。それを今回、地元の人と会って、交流させていただいて、痛感しました。
── 心のケア、ですか。
能登のことはニュースでも日に日に発信が少なくなっていて、「忘れ去られてしまっている」と感じていらっしゃる方も多い。そういった中で、能登をなんとか復興しようという人たちは、外からきた僕らに対して、「心のケアをしてくれたらうれしい」と口を揃えて言うんです。
それは何か、特別なことを求めているんじゃなくて、ちょっとした楽しみが生きがいになるんだということ。たとえば、能登のおばあちゃんたちは、更地になった場所に「お花を植えたい」とか「桜の木を植えたい」って気持ちがあって、地元の人に手伝ってもらいながらそれをやっています。2024年9月の豪雨による被害もありましたが、おばあちゃんたちは、「何にもなくなったけども、来年、桜が咲くの楽しみやね」って言っているんですよね。僕らに対しても、こうやって来てくれて発信してくれるだけでも本当にうれしいと言ってくれ、ちょっとお笑いをやっただけでも、すごく喜んでくれました。
そんな姿から、思ったんです。やっぱり人間って、エンターテインメントじゃないけど、楽しみなことがあったり、遊んだりしないと、健康に生きていけない。屋根が落ちたところに新しくつくったり、食べ物に困っている状況のところに届けたりとか、ただ元に戻すことだけが復興じゃなくて、心のケアというか、何かそういうことと共に、復興っていうのはあるんだろうな、って。僕たちがやる「お笑い」というものも、誰かの心のケアになり、それがまたひとつの復興支援となれるかもしれない。今回、地元の方々と触れ合う中で、強くそう感じました。
取り残された輪島塗と、持ち主の「生きてきた証」という想い
── 現地ではどのように過ごされたのでしょうか。
3日間でたくさんの人に会って、いろんなところに行かせていただきました。地域のラジオに出演したり、能登高校の総合的な学習の時間に参加して、ごみ清掃活動の意見交換をしたり、小水力発電で地域の電力を賄う実験を進める「春蘭の里(しゅんらんのさと)」という農村を見学したり。
1日目の夜から2日目にかけては、能登の伝統工芸である「輪島塗」に関わることをしていました。
家屋の倒壊によって、行き場のなくなったあらゆるモノが、まだまだ使える状態にも関わらず、まとめて廃棄されてしまうという現実があります。能登で言えば、多くの家庭にある「輪島塗」も、そのひとつです。欠けたり、泥を被ったりした輪島塗を僕らで引き取って、現地の方々にヒアリングさせていただきながら救出できる道を模索する。それがこの3日間でやりたかったことのひとつでした。
段ボール10箱分ほどの輪島塗を現地で引き取って、そのうち5分の2くらいの修復すれば使えそうなものは、200年以上輪島塗に携わられる「輪島キリモト」の職人さんに引き渡しました。残りの5分の3ほどは、今回能登へ一緒に行った後輩芸人の「お片付けブラザーズ」柴田賢佑と落合隆治がトラックで東京に持って帰っています。
── 輪島塗を救出したいという想いを、いつ頃から持っていたのでしょうか。
1度目に能登に行ったときからです。発災後、「震災におけるごみ問題」に対して、自分に何ができるのだろうかと考えながら訪れたときに、被災した輪島塗に出会いました。潰れた家屋に取り残された輪島塗の存在を知って、「ああ、こういったものまで捨てられちゃうのは、もったいないな」と思ったんです。
また、現地に足を運んだことで、そこに住んでいた方々としても、大切にしてきたモノが取り残されている状況に心を痛めていると知りました。「のと古材レスキュープロジェクト」という活動があるのですが、そこの方々からは、「解体された民家からレスキューした古材で写真フレームをつくって、住んでいた方に渡したら、すごく喜んでくれた」という話も聞いています。
「使えるものだったら誰かに使ってほしい」「自分が生きてきた証として、残っていってほしい」。そういった想いがあることも知り、輪島塗をなんとか廃棄される前に引き取って、救出したいと考えるようになったんです。
破損した輪島塗に向ける、「弔い」の想い
── 引き取った輪島塗は、これからどうしていきたいと考えていますか?
僕が引き取った輪島塗は、破損していたりしてどうしても使えない状態になっているので、このまま売っていくことはできない。そうなったときにちょっと思ったのは、能登は今、更地になった場所の雑草問題もあるんですけど、刈り取られた植物と組み合わせて売っていくことはできないかってこと。
最近、東京のお花屋さんでススキが1,450円で売られているのを見て、けっこういい値段ではありつつも、飾り方がよくて芸術的に見えたりもしたんです。そこから、たとえば輪島塗のうつわを花瓶のようにして使ったり、ススキをちゃぶ台に乗せてみたりしたら、たとえ破損していても芸術的になるかも......なんて想像したりしました。
もちろん、従来とは異なる売り方をしたいときには、職人さんたちの想いに反しないように、コミュニケーションを取りながら進めていくことが大切です。その上で、僕としては、どうしても捨てられるしかない状況の輪島塗に対して、仕方ないとするのではなく、最後まで誰かの役に立つ道を探したいと思っています。モノって人に使われてこそ生きるものだから、最後まで役に立って捨てられてほしいんです。
それは輪島塗に対してだけでなく、洋服や、食品、いろんな資源に対しても、ごみ清掃員として13年間活動する中で、常々思っていること。もちろん、どんなものでも、最終的には資源にならないものとして燃やさないといけないけど、その燃やされる手前の、最後の最後、誰かの役に立って捨てられてほしいな、と。
たとえば使い古した洋服を捨てるときにも、ただ捨てるんじゃなくて、台拭きとして使ってから捨てるとか。そうすると、わざわざキッチンペーパーを購入する必要はなくなって、その分、ゴミも減ります。そうやって最後まで誰かの役に立つようにと使う姿勢は、言ってみれば、モノに対する「弔い」みたいなことだと思うんです。
能登に移住されて銭湯を営んでいる方がいるんですけど、解体された家屋に使われていた木材をボイラーに入れて、燃料にしています。それもただ燃やしているんじゃなくて、「今日は〇〇家の木で、明日は〇〇家の木で」というふうに、ちゃんと分けて入れているんです。そんなふうに、敬意を持って最後まで使われ、弔われることは、持ち主の心のケアにまでつながっていくんじゃないかと思っています。
「能登に来て、おいしいものを食べて、賑わってくれたら、それが一番いい」
── 「能登の復興の力になりたい」と願う人たちに対して、これからどんなアクションが求められるか、最後にお聞きしたいです。
地震によって本当にたくさんの人が住まいを失いましたが、その人たちの多くは、家は建て直さないって言うんです。ここには仕事がないし、人も来ないからって。これまでもゆっくりと過疎化が進んでいたけど、震災によって一気に、地域社会が続いていく未来が見えなくなったということでもある。大きな災害というのは、ずっと地方都市が抱えていた課題を露わにするという側面があるんです。
だからこそ、能登の方々は今、人を呼び込んで、仕事をつくっていこうとしている。本当の復興は、ここからなんですよね。キリモトの職人さんも、職人の仕事をつくっていかないといけないと話されていて、輪島塗の販路ばかりを考えていた僕は、非常にハッとさせられました。
そんな中、地元の人たちが口を揃えて言うのは、「知ってもらって、旅行に来てもらいたい」ということ。瓦礫の撤去や泥かきなどの肉体労働は終わりつつあるので、能登に来て、おいしいもの食べて、賑わってくれたら、それが一番いいって。
僕は、能登のスーパーにも何箇所か行っているんですけど、驚いたのは、ちっちゃい野菜が東京の値段と比較すると随分と安く売られていること。それはつまり、立派なものは大都市に送られているってことなんですよね。特に東京は、全国各地からおいしいものが集まっているけど、それは能登も含め、地方の恩恵によって成り立っているということなんです。
だから、普段自分たちが支えられている存在が困っているときこそ、助け合いじゃないけど、何かアクションを起こせればいいなと思っています。僕なんかは、ごみのプロとして活動しているから、自分の得意なことで能登の力になれないかなと思っていろいろとやらせていただいています。一人ひとりが、自分の得意なことでやれることがある。それが、これからの能登の、復興の支えになっていくと思います。
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取材・文
小山内彩希
X(旧Twitter):@mk__1008
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編集
大川卓也
X(旧Twitter):@Quishin
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