「能登人のアイデンティティは、震災前から変わってない」1棟のシェアハウスから始まるまちづくり
2025年12月6日。能登町に1棟のシェアハウスがオープンした。
休眠預金活用事業の助成を受けた合同プロジェクトによるもので、手がけたのは、地元の不動産会社である能登不動産だ。
能登不動産の代表は、消防団や商工会の一員でもある玉地正幸さん。能登半島地震の発生直後から、避難誘導や怪我人の搬送、地区の被害状況確認、住まいを失った人たちの相談窓口となるなど、能登の日常を取り戻すために走り続けてきた。
多くの物件が被災し、住める場所が大幅に減少した能登半島。そんな中、玉地さんが構想し始めたのが、「被災して売ることのできない物件で、シェアハウスやゲストハウスをつくること」だった。
なぜ、シェアハウスやゲストハウスだったのか。理由を聞いていくと、玉地さん自身の、「震災前から変わらない能登の人たち」に対する、想いがあった。
「能登の人たちは、外から来た人を受け入れる土壌があり、みんなでワイワイするのが好き」
「能登人(のとじん)のアイデンティティは、震災の前と後で、何も変わってない」
「能登の本質を守っていけるまちづくりをしていきたい」
住まいを含め、たくさんのものを奪った大地震。それでも失われなかった、能登の人たちの「らしさ」。
それを守り、帰ってきやすく安心して住めるまちにしていきたいと、玉地さんは描いている。
被災して売れない物件から、シェアハウスやゲストハウスを構想
── 能登半島地震によって、「住まい」はどのような被害を受けたのでしょうか。
建物ごと潰れてしまう「全壊」や、主要部分が大きく損壊する「半壊」という被害がたくさんありました(奥能登豪雨被害も合わせ、全壊・半壊は、25,631棟)。そのため、市町村が所有者に代わって解体・撤去する公費解体という形を選択された方が、本当に多くいらっしゃいます。
半壊未満の家は「準半壊」と言うんですけど、その準半壊になってしまったお家も非常に多かった。準半壊と言えど、人が住める状態に戻すには、相当な修繕費がかかります。公費解体の対象ではなく、半壊とは受けられる支援額も異なるため、居住者はなんとか半壊としてもらいたくて検査を受けるのですが、何度も通らず、放置するしかない状況もあります。
また、不動産の売買・賃貸として使えるはずだった物件も潰れてしまったりして、全体として「人が住める状態の家」が非常に減ってしまったんです。
── 多くの建物が被災したなか、能登不動産としてどのように動かれたのでしょうか。
私自身は地元の消防団員でもあるので、地震発生当日の1月1日と、翌日の2日は、避難誘導や怪我人の搬送、安否確認、被害状況の調査をしていたんです。3日からは、能登不動産が扱っているアパートや貸家の被害確認をしていきました。具体的には、建物がちゃんと建っているかどうかを確認したり、水道の元栓を閉めに回ったり。そのようなことをしながら、入居者の方が無事かどうか安否確認もしていました。
私自身も家が地震による土砂崩れで潰れてしまい、従業員も津波による被害で床上浸水していて仕事もままらない状況だったのですが、みんな被災したので、みんなで力を合わせてできることをやっていました。ただ、それでもどうにもならないこともあって......。
地震発生の数日後から、本当にたくさんの地域の方々から問い合わせが来たんです。「住むところがないからなんとかしてほしい」と。能登半島は、各自治体に不動産屋さんが1つか2つしかないので、家を失った方々も、藁にもすがる想いで私たちに頼るしかない。なんとかして紹介できる物件がないか、私たちも必死に探しました。けれど、想定していた以上に使える家が少なくて、紹介したくてもできず、非常に心が痛みました。無力感を感じていましたね。
家を失った方々の相談を受けながら、私たちは次第に、「どうしても売買・賃貸できないような物件を、何かに有効活用できないか」と考えるようになりました。たとえば、シェアハウスやゲストハウス、あるいは、テナントなどとして運営していけないか、と。
被災した建物を修繕してなんとか活用していく道を考え始めたんです。
守り続けたい「能登人のアイデンティティ」
── そうして2025年12月には、1棟目のシェアハウスを開業されました。売ることができない物件の活用方法として、「シェアハウスやゲストハウスに」と考えたのは、どんな理由からですか?
地震によって家がなくなり、地元を離れざるを得なくなってしまった方が多くいらっしゃいます。そういった方々が帰って来れる場所としての選択肢をつくりたいという思いが、まずはありました。
また、今回生まれたシェアハウスは木造の建物を修繕してつくられているのですが、「こうやって再建できる例もあるんだ」と、準半壊になった家を諦めてしまっている方に少しでも希望を持ってもらえたら、という気持ちもありました。
それから、地元の人たちに向けてはもちろん、能登に来たいと思ってくださる方々にとっても、横のつながりを持てる場があればいいなと思っていまして。
能登は食べ物もおいしいですし、里山・里海の景色も素晴らしいですけど、外から来てくれた人たちは、地元の方と交流したり、お祭りなど、一緒に町の行事に参加されたりして、「能登、いいな。あったかいな」と愛してくださることが、とても多い。日本で失われつつある原風景のようなものが残っている地域なんだろうなと感じさせられますし、それはほかでもない能登の人たちによって守られてきたもの。だから私としては、能登の一番の魅力は人だと思うんです。
そういったことから、震災後も地域の方々と外から来られた方々との交流拠点となれる場所をつくれたら、という思いがありました。
── 能登の人たちのどんな姿に触れて、「能登いいな。あったかいな」のように言ってもらえることが多いのでしょうか。
能登の人たちにとっては当たり前のことだと思うんですけど、たぶん、肩肘張らずに、普段着のまんま生活できているというのが、いいんだと思います。地震によって大変な思いをされた方が本当にたくさんいらっしゃいますが、だからと言って、ピリピリしたりすることもない。そういうふうに人が人を思いやりながら、カッコつけないで生きている人たちを見て、いいなと思ってくださる方が多いのかもしれません。
それから、懐が深く、外から来た人を受け入れる土壌があるというのも、能登の魅力だと思います。まだ復旧がままならない中でも、外から人が来たら、食べ物はないけどお酒はあるから飲んでいきなよって、できることでおもてなしをしたり。
能登の人はそうやって、みんなで、ワイワイするのが好きなんです。それは「よばれ」という文化からも言えることで、各家庭がお客さんを呼んでみんなでホームパーティをするようなことを、ずっと昔から続けています。だから能登のみなさん、一番やりたいことは「震災で中止になった祭りを再開させたい」なんですよね。家がなくなっても、祭りには参加したいって。
つまり、能登人のアイデンティティって、震災の前と後で、何も変わっていないんです。それは、これからも変えなくていいし、変わらなくていいと思っています。
目指すのは「帰ってきやすく、安心して住めるまちづくり」
── シェアハウスやゲストハウスというのは、能登のアイデンティティや原風景を、これからの未来にもつないでいきたいという想いにつながっているんですね。
そうですね。やっぱり日常が大事。能登不動産としては、能登を離れざるを得なくなった方々、あるいは、能登を訪れて「いいな」と思ってくださった方々が、帰ってきやすいまちづくりをしていきたいなと思っています。
私は能登町の復興推進委員会にも入っているのですが、いろんな会議に出て話を聞いていても、やはりみなさん、派手な施設や大きな箱物はいらないという話をされます。人を呼び込みたいからと、綺麗なニュータウンのようにしてしまうのではなく、教育や子育て、防災など、暮らしのインフラを充実させることに力を入れながら、能登の本質を大切にしたまちづくりをしていくことが、復興へと歩んでいく中でも大切なことだと思っています。
── 今後、どのような取り組みをしていきたいと考えていますか?
まずは、シェアハウスやゲストハウスの数を、もっと増やしていきたいです。それは外から来てくださる方のためだけではなく、地元の方々のためにも。やはり、町の不動産屋さんとしては、地元の人たちの生活を守ることが役目だと思っているので、安心して住めるまちづくりに携わり続けていきたい。
具体的には、被災による修繕費がかかる住宅の扱いに悩まれている方の相談窓口というのはこれからも続けつつ、高齢者世帯向けのシェアハウスや、夫婦など複数人世帯用のシェアハウスをつくっていけたらなと考えています。能登は大きな家が多いですから。
能登半島は、過疎化も高齢化も進んでいる地域ですけど、そういったところで大きな空き物件などを活用して複数人世帯向けのシェアハウスをつくることで、日本社会全体が抱える課題に対して、何かを発信していけるんじゃないかと思っています。住まいの形って、まだいろいろとあるので。"能登モデル"を生み出していけたらいいなと、考えているところです。
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取材・文
小山内彩希
X(旧Twitter):@mk__1008
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編集
大川卓也
X(旧Twitter):@Quishin
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