日本でただ一人の職人も──相撲を支える手仕事をどう受け継ぐか #つなぐ伝統
日本の国技であり、1500年以上の歴史を持つ「相撲」。2025年12月28日には、大相撲を主催する日本相撲協会も設立100周年を迎える。力士同士がぶつかり合うダイナミックな取組が注目される一方で、その舞台を支えているのは、何世代にもわたり受け継がれてきた職人たちの手仕事だ。
中でも、関取が大相撲本場所で締めるまわし「締込(しめこみ)」の手織り工房と、本場所の土俵を製作している会社は、 日本にそれぞれ1軒ずつしかない。長年、熟練の勘と経験によって支えられてきたこれらの技術は、現在、次の担い手がなかなか見つからない状況にある。
そこで今回、国内唯一の手織り締込職人である「おび弘」の石井一信さんと、土俵の俵を製作する「わらむ」の酒井裕司さんに取材。華やかな土俵を陰で支える2人の職人に、その技術と課題について聞いた。(取材・文:吉野舞/編集:友光だんご、Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/撮影:山元裕人)
日本でただ一人、手織りで締込を織る職人
「まわし」は力士が土俵上で着用する腰帯のことであり、十両以上の関取に昇進した際、力士が本場所で締める絹製のまわしを「締込」と呼ぶ。
相撲では土俵上は女人禁制とされてきた背景から、締込づくりは"男性職人"のみが継いできた技術である。そんな中、現在締込を手がけるのは日本で3社のみ。さらに手織り職人は滋賀県長浜市に工場のある「株式会社おび弘」(本社・京都市)の石井一信さん(63)ただ一人だ。この「おび弘」はまわしの工房ではなく、本業は西陣織である。
石井さんは55歳まで「おび弘」の本社で商品企画などを担当していたが、長浜の山門(やまかど)工場に勤めていた「おび弘」の手織り職人2代目が高齢のため引退すると聞き、10年前からその技を引き継ぐことになった。突然のバトンだったが、石井さんに迷いはなかったという。
「もともと、手で何かをつくるのが好きでしたし、締込職人の技を間近で見て、『こんな世界もあるんだ』と惹かれていたんです。それに、誰かがやらないと、約100年間も続いている技術が途絶えてしまう。そう思うと、自分が引き継ぐ以外の選択肢はありませんでした」
現在、石井さんが手で織っている締込は年間6本ほどで、化粧まわしも機械織りで年間20本ほど製作している。締込の場合、本場所の番付が決まると力士から問屋経由で注文が入り、サイズや色などの希望が伝えられて、その情報をもとに1本ずつ織り進めていく。
「締込1本の長さは普通の力士で20尺(約7.6メートル)。約1週間、朝5時から夕方まで織り続けて、ようやく1本が仕上がります。しかも私は、あくまでも西陣織の工場長が本職。工場に在籍する8人の職人が使う西陣織り機のメンテナンスや糸の準備がメインの仕事で、締込を織ることができるのは空いた時間。また、相撲の本場所は奇数月に行われるため、偶数月に織らないといけないんです。その期間は毎日、やることが多いですね」
手織りにおける糸の張り具合は湿度や気温によって変わってくるため、同じように織っているつもりでも、その日のちょっとした力の入り方ひとつで、表情がまったく変わってしまう。その繊細さこそが機械織りとは違う手織りの魅力であり、力士にとってまわしの締め心地にも直結すると石井さんは語る。
「手織りのまわしは柔らかい糸やコシのある糸など、いろんな質感の糸を組み合わせて硬さや弾力を調整できるので、仕上がりは力士ごとに吟味して微調整できるんですよ。その力加減こそが締込職人の勘が光る部分で、手織りの難しさであり、面白さでもありますね」
担い手不在の技をどう守る? 技術継承のリアルな課題
石井さんは、継ぐ人が見つからない現状についても言及する。
「この地域に限った話ですが、織物はもともと、主婦が生活の合間の副業として行うケースが中心で、外に働きに出ていた男性が技術に触れる機会は少なかったんです。そのうえ締込は特殊な織りで、副業として行われることもほぼなかったため、技術が十分に継承されず、担い手が途絶えていったのではないでしょうか。だけど、一番は収入面だと思います。締込は帯の手織り技術の延長にあるので、まずは帯の織り方を学ばないといけない。そうすると、一人前になるまでにはどうしても数年はかかってしまうんです。
それにうちは出来高制でもあるため、技術が安定するまでは十分な収入を得るのが難しい。なので、誰でも気軽に誘える世界ではないんです」
しかし、石井さんが最後の一人になっても手織りを続けるのは、一本の締込が力士のもとに届く"報われる瞬間"があるからだ。
「締込は、力士にとって相撲人生を背負う一本なんです。世界に一つとして同じものはないし、力士が土俵に立つ瞬間に身につけるものだから、作り手としても、できる限りの技を注ぎ込みたい。そう思えるから、どんなに忙しくてもこの仕事を続けられるんでしょうね。それに、私が織った締込を締めた力士が勝つと、やっぱり嬉しいんです」
現在石井さんが一人で担っている技術を、今後どう継承していくべきなのか。その未来についても聞いてみた。
「今のところ、締込は男性職人が織るものとされていますが、これからの時代は若い人が織ってもいいんじゃないか、と個人的には思っています。私自身も、年齢的に続けられるのはあと10年ほど。その間に、手先が器用な人や伝統文化に興味のある人などにバトンタッチできたらいいですね」
力士の足元を支える"奇跡のわら"
相撲を手仕事で支える職人は、石井さんだけではない。長野県飯島町にある「株式会社わらむ」の酒井裕司さん(50)もその一人だ。2018年から、年6回の大相撲本場所で使われる土俵用の「俵」を、「わらむ」在籍の8人の職人とともに、わらの栽培から俵づくりまで一貫して手がけている。
酒井さんは日本相撲協会から依頼があるまで俵をつくった経験はなく、全くの未経験からの挑戦だったという。
「もともとは食肉加工の仕事をしていたんですけど、町おこしの企画で米俵づくりに関わったことがきっかけで、わら細工の仕事を始めました。それを知った相撲協会の人から『俵職人が高齢で続けられなくなり、後継者を探している。担い手がいなければ土俵がつくれなくなるかもしれない』と連絡が入り、引き受けることになったんです」
土俵の俵づくりも締込と同様、古くから男性が担ってきた技であり、継承のハードルが高い手仕事だ。土俵の俵づくりは一般的な米俵の編み方と違っているとはいえ、まずは米俵づくりの基礎を身につけるところから始まる。米俵の編み方を理解していなければ、わらの扱い方や縄の締め具合などの感覚がつかめないのだ。酒井さんも実際に、わら細工の職人さんに約2年間弟子入りし、経験を積んだ。
さらに、土俵は神様の宿る場所とされているため、本場所のたびに一から作り直されており、当然、その材料となるわらも毎回新しいものが必要になる。
「土俵には工房と同じ地域の長野県上伊那(かみいな)のみで栽培される『白毛もち米』の稲わらを使っています。平均160kgほどある幕内力士の体を支えるには、通常の稲わらではどうしても耐えきれないので、農家さんに特別に土俵用のわらを栽培してもらっているんです」
「わらむ」の工房があるのは、中央アルプスと南アルプスに挟まれた飯島町。この地域は山々に囲まれているため、風の影響を受けにくく、苗が倒れずにまっすぐ育つ。ただ白毛もち米は収穫量が少なく手間もかかるため、栽培する農家は地域でもわずか数軒だけだ。それでもこの米文化が残っているのは、「まさに奇跡」だと酒井さんは話す。
「相撲と白毛もち米が生まれたのは、どちらも同じ時期の約1500年前。現在のような円形の土俵が確立されたのは江戸時代ですが、同じ歴史を歩んできたと考えると、当時の土俵にも今みたいに白毛もち米の稲わらが使われていたのかもしれませんね。そう思うと、この土地で相撲の俵づくりに携われていることに、不思議な縁のようなものを感じるんです」
土俵の裏には、多くの職人技があふれている
しかし、土俵で使われるわらは今、大きな課題に直面している。白毛もち米は昔から希少な品種であり、現代の効率的な農業に向かないため栽培農家が限られている。その希少性から、土俵に適したわらを安定して手に入れることは年々難しくなっているのだ。
現在は農家に協力してもらいながら、酒井さん自身も田植えや稲刈りなどに参加し、必要なわらを確保している。
一方で、今、⽇本のわら職⼈は50人ほどで、90代がほとんどだという。こうした状況の中で、酒井さんはわらづくりに携わる仲間を増やす必要性も感じている。その一環として、わら細工の担い手を育てるため、定期的に「わら道場」と名づけたワークショップを全国で開催。わらに触れたことがない人でも参加でき、基本的な編み方から俵づくりの工程までを教わることができる場だ。
「実際にわらを編んでみると、『こんなに手間がかかるんですね!』と驚かれることも多いです。わらに触れる人が増えれば、いつかは土俵の俵づくりに興味を持ってくれる人も出てくるかもしれない。そうした未来の担い手づくりも、大事な仕事のひとつだと思っています」
酒井さんは相撲に関わるようになってから、相撲の"裏側"にある膨大な手仕事にも気づくようになったと取材の最後に語ってくれた。
「昔はテレビで相撲を見ていても、取組の結果だけが気になっていました。ですが、土俵の陰には髷(まげ)を結う床山や力士用の鬢(びん)付け油職人、大相撲の関取や行司が衣服などを入れるのに使う葛籠(つづら)をつくる職人など、たくさんの職人技がある。自分が相撲に関わるようになってから、そうした存在があって相撲が成り立っていることに気づきました。いまや私もその一部なので、これからも日本にしかない技術を受け継いでいきたいです」


