「権力は必ず腐敗する」──2期8年で退任した元最年少市長・東修平の信念とこれから #豊かな未来を創る人
「市民中心のまちづくり」を掲げ、2017年、当時最年少の28歳で大阪府・四條畷市(しじょうなわて)の市長となった東修平さん。財政難や人口減といった課題に直面していた同市の市政改革を行い、11年ぶりの人口の社会増を実現するとともに、31年ぶりの財政構造の健全化を達成しました。
公約を一定果たした後「権力は必ず腐敗する」という信念のもと、2期8年の任期満了をもって市長職を後にし、自身の後継候補を全国から公募するという日本初の試みを行いました。その後、「地方から国を良くする」という思いは変わらず、国の構造改革に挑戦するため、2025年に無所属で参議院選挙に立候補。当選には至らなかったものの、次なる挑戦を見据えています。そんな東さんのこれまでの歩みと、より良い社会をつくるための取り組み、情熱を伺いました。
東修平(あずま・しゅうへい)
四條畷高校・京都大学工学部卒業、同大学院修士課程(原子核工学)を修了後、外務省に入省。野村総研インドを経て、28歳で四條畷市長に初当選。「市民中心のまちづくり」を掲げ、対話を重視した市政運営を行う。公約を一定果たしたことから、権力は腐敗するという考えのもと、2期8年にて退任を決断。全国公募により後継者を募り、バトンを繋いだ。
「今すぐにやらなければ」市長選立候補のきっかけ
── 東さんは28歳という若さで四條畷市長選挙に出て、当時最年少の市長となりました。それまでどのようなキャリアを積み、なぜ立候補されたのですか?
キャリアの最初、新卒では外務省に入り、他国との貿易に関する協定などを扱う部署で働いていました。そこで、人生の師として心から慕っている上司に出会ったのですが、1年目の終わり頃に急逝され、「人はいつか死ぬ」という現実を目の当たりにしたのです。
いつ死ぬか分からないのなら、今からできる精一杯で国に貢献したい。その時に頭に浮かんだのが、将来、地元である四條畷市で市長になることでした。当時は国が「地方創生」という方針を掲げた直後で、地域が変わる事例を作ることで国を良くしていくことが必要なのではないか、と考えたからです。そして、入省から1年半で外務省を飛び出しました。
政治のことはよくわからないながらも、市長は組織や財政の運営を担う"経営者"だと捉えました。そこで、まずは経営の視点を学べる環境で成長したいと考え、立ち上げから間もない野村総合研究所のインド拠点に転職しました。
しかし、それから1か月ほど経った頃に、父の末期がんが発覚したのです。その時、はっとしました。「地域から国を変えたい」という思いがあるのに、経験を積むことに時間をかけようとしているではないかと。人はいつか死ぬ。そして、それがいつ訪れるかはわからないのだから、やらなければならないと思ったことは今すぐにやろうと心に決めました。
父の見舞いで大阪へ戻る頻度が増える中、知人などから「最近、四條畷市に活気がない気がする」という声を耳にするようになっていました。そこで何気なく市の統計情報を調べてみて知ったのが、四條畷が置かれる厳しい状況でした。
周辺の地域と比べて、子どもや働く世代の人口が大きく減少し、財政も悪化。全国の813市区を対象に、工業生産・所得・税収などの8指標をもとに経済状態の水準を算出した「活力度」では、四條畷市は2016年に812位と、全国ワースト2位になっていました。
その原因を調べてわかったのが、過去に財政状況が大きく悪化したことにより、長期間にわたって削減を主体とした財政運営が行われてきたということ。その結果、住民サービスが相対的に低下し、人口流出につながっていたのです。財政の悪化、住民サービスの低下、人口流出という負の連鎖が起きていました。
しかし、そのような状況にもかかわらず、現職市長の地盤が盤石であるため、次の市長選では他に誰も立候補せず「無投票再選になる」と言われていました。選挙は、民主主義において最も重要で基本的な機会です。市民の皆さんがまちの将来について考える貴重な機会であり、自分たちのまちをどうしたいのかを意思表示できる機会でもあります。そのような大切な場を失うことはあってはならないと思いました。
はたから見れば無謀なチャレンジですが、誰かがやらなければ選挙が行われない。父の死のタイミングが重なったこともあり、「今やらなければ」との思いから立候補を決めました。そして、現職市長との一騎打ちの戦いとなりましたが、多くの方々にご支援をいただき、当選することができました。
権力は必ず腐敗する――四條畷の未来を次世代へ託す選択
── 四條畷市長を務めていた当時、どんなことを目指して市政に取り組んでいたのですか?
私が市長として果たした役割は、「文化を作ること」だったと思っています。ここで言う文化は、音楽や芸術といった話ではなく、まちの風土のようなものです。行政サービスが市民のためのものであることを前提としながら、市民の皆さんが主体者となってまちを良くしていく。そんな文化を作ることを、初めて市長選に出た時からビジョンとして掲げ、「市民中心のまちづくり」と名づけていました。
そして、それを実現するために「日本一前向きな市役所」になることを目指し、「市民のために自ら考え、自走できる組織」をミッションとして取り組んでいました。中でも力を入れていたのが、働き方改革です。ただ、それは単に残業を減らしたり有給を取ったりすることではなく、本質は「いかに市民にとって価値ある業務に集中し、市民に向き合える時間を作るか」だと考えていました。そのために、セミナーや研修を通じてまずは職員のマインドセットを変えるところから始め、制度を作ったり、抜本的な人事改革をしたり、既存事業を「そもそも必要か」と撤退も念頭に見直したりしました。
そうして、行政としてすべきことを見つめ直しながら市民にとって本当に価値のあることに取り組んできた結果として、市民から選んでいただけるまち、いろいろな取り組みが生まれるまちとして、芽が出てきたと感じています。
── その後、2期8年市長を務めたのち、なぜ退任を決めたのでしょうか?
公約を一定達成したから、というのが大きな理由です。歴史が証明しているように、どんなに優れたリーダーでも権力は必ず腐敗するものだと考えています。その前提に立った時に、どこかで区切りが必要だと思っていたのです。
31年ぶりに財政構造の健全化も達成され、これからは四條畷の新たな魅力を拓くために新規事業を立ち上げるなど、未来への投資が必要になってきている段階でした。変化のタイミングである今、次のリーダーにバトンを託すべきだと考え、退任を決めました。
市政から国政へ、次なるキャリアへの挑戦
── その後、日本中から自身の後継者となる市長候補を公募して退任され、2025年の参議院選挙では無所属で立候補されましたが、なぜそのような挑戦をされたのですか?
市長を退任した時は、参議院選挙に出ることは考えていませんでした。ただ、次の挑戦を考える中で、市長の時から持っていた「地方から国を良くする」という考えはかわらず、今度は国のルールや仕組みを変える立場に挑戦したいと考えたことから、立候補することを決めました。
四條畷市では、一地方自治体として一定の成果を出すことができました。しかし、自治体の努力だけでは超えられない「国という壁」が存在します。市長には大きな権限があり、条例を変えたり、予算の措置を行えますが、法律は変えられないのです。
例えば、少子高齢化に伴う年金や医療の問題。人口動態が制度設計時と大きく変わっているにもかかわらず、国は巨大すぎて機動的に制度を変えることができず、その歪みが現場である自治体に押し寄せているのが現状です。
また、本来であれば地域ごとに課題や目指す姿は異なるはずです。教育に特化するまちもあれば、産業振興に力を入れるまちもあるといった多様性こそが、今の時代には必要だと考えています 。それにもかかわらず、現在は中央政府が一挙一動まで指示するような集権的な構造になっています。
権限と財源を地方に移し、内政は自治体に任せる。そうすることで、国は外交や安全保障、金融政策といった本来の役割に集中できるはず。こうした意思決定の構造そのものを変えるために、任期が6年あり長期的な視点で国政を担える「良識の府」である参議院議員選挙への挑戦を決意しました。
── 今回の選挙では当選とはなりませんでしたが、国政選挙に挑戦したことをどう捉えていますか?
正直なところ、選挙には本当に自分の全てを賭けていて、終わってからは「明日生きていけるようにする」ことに比重が寄るほどの大きな挑戦でした。でも、「挑戦したこと自体に意義がある」のような言い方は、私にとって結果を出せなかったことへの慰めでしかないので、そういう総括はしたくないと思っています。
必要な挑戦だと心から信じていましたし、当然勝つつもりでした。一方で、良い戦略を立て切れなかったことや、十分な体制を築けなかったことも含めて、挑戦するに際して力量不足でしたし、自らへの過信もあったんじゃないかと感じています。
ただ、SNSなども含めてあらゆる打ち手をやったとは思っているので、そこから得たものはありました。それが他の方の選挙や、次の何かしらの挑戦に生きるかもしれないとは思います。
自分たちがまちの担い手である意識を
── 大きなリスクを負ってまで、なぜ「政治」という切り口を選んで挑戦し続けているのですか?
「仕組み」や「構造」に着目して考える癖があるからだと思います。ありがたいことに、小学校から何らかのリーダーを任せてもらうことが多かったので、「どうすればこの組織で、それぞれの人が笑顔でいられるか」と常に考える癖がついていて。それに加えて、私は物理工学を学んでいたので、構造そのものへの関心も強く持っています。この2つが組み合わさった結果なのかもしれません。
社会を良くするためには、事業会社やNPO・NGOなどのさまざまな手段がありますが、私はそもそもそういう取り組みをする人が増えやすい社会や、そういうことに取り組まなくても良い社会を作ることの方に関心があるんです。ですから、社会の根本となる構造の部分からアプローチができる政治という手段を選択をしています。
── より良い社会をつくるために、選挙へ行くこと以外にも一般市民にできることはあるのでしょうか?
当たり前でありながら抜け落ちがちなのが、「主権者は市民である」という大前提なんです。それは、「不満やおかしいと思うことがあるなら、それを変えるのも主権者である自分たちである」という認識につながります。この意識を日頃から持っていてほしいと思います。
例えば、ゴミ捨て場がカラスに荒らされたとします。その時に「市役所が注意喚起してよ」と考えるのか、「自治会でネットを買って対策しよう」と考えるのかで、まちは劇的に変わります。行政の人が何かの対応に時間を取られるということは、その分ほかの仕事の時間を失っているということでもありますから、「自分たちがまちの担い手であり、主権者であり、行動者である」という感覚を常日頃から持っていられたら、社会はもっと良くなると思うのです。
常に実践者として、誰もが平穏に暮らせる社会を目指して
── 今後はどんなことに取り組みたいと考えていますか?
今も構造の改革は必ず必要だと考えているので、そういう思いを持って、まずは自分たちのまちを良くすることに挑戦する人をサポートしたいと考えています。例えば、自治体の首長を目指している人や、自治体運営をする中でどういう改革をしようか悩んでいる人。そういう人へ、私の経験をシェアしたいです。
ただ、情報の発信者にとどまるという考えはなく、絶えず実践者でありたいと思っています。人生の中でいつ、何に基点を置くかは、その時々の社会の状況を見て「どこに身を置くと、一番社会の役に立てるか」を考えて決めていきたいですね。
── そうして活動を続ける先、最終的にどういう社会になってほしいと思いますか?
川の水が流れるように、政治を意識しなくても平穏に暮らせる。その中で、生まれた環境や育った環境に関係なく、やってみたいことに挑戦できて、常に生命の危機にさらされていない。そういう社会が理想です。そこでの政治の役割は、平穏で平和な日々が存在できる環境を整えるということに尽きる。私はそう考えています。
-
取材・編集
安藤 憧果


