クマはなぜ「里」に降りるのか。野生動物との共存は「森と人の暮らし」の再構築から始まる #豊かな未来を創る人
近年、全国各地でクマの出没や人身被害が相次ぎ、社会問題となっている。特に令和7年度は記録的な大量出没が見られ、多くの地域で住民に不安が広がった。その背景には、気候変動や凶作といった短期的な要因だけでなく、日本の森林環境の変化、そして地方の過疎化という深く複雑な構造的問題が横たわっている。
長岡技術科学大学で野生動物管理工学を研究し、自身が代表を務める法人で鳥獣害対策の社会実装に取り組む山本麻希さんは「獣害対策をしていくには、森と人の暮らしのどちらも環境整備することが大切だ」と説く。研究者でありながら現場主義を貫き、自ら狩猟免許を持ち山に入る山本さんに、クマ大量出没のメカニズム、多様な野生動物の脅威、そして我々人間が向き合うべき「地域社会の在り方」について聞いた。
山本麻希
長岡技術科学大学准教授。専門は野生生物管理、獣害対策。東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了、総合研究大学院大学大学院数物科学研究科博士課程修了。博士(理学)。学術研究とともに、行政や自治体と協力して獣害対策の支援を行う株式会社うぃるこ、新潟県長岡市を拠点に里山再生・森林整備・地域資源活用・CSR連携・持続可能な農村づくりを推進する株式会社未来里山技術機構(NEST)の代表を務める。
科学と現場の架け橋として
山本さんは、長岡技術科学大学において、大型鳥獣類を対象とした行動生態学と管理工学を専門としている。野生動物の生態を深く知ることが適切な管理につながるという信念のもと、動物の体にセンサーを取り付けて行動を記録する「バイオロギング」という手法や、ドローン、ICTなどの工学技術を駆使した対策手法の開発を行っている。
また「大学で研究した結果をスピード感を持って社会実装したい」という思いから、NPO活動などを経て、鳥獣害対策の現場指揮、地域住民への啓発を行う株式会社うぃるこを設立。さらに、未来里山技術機構(NEST)を立ち上げ、獣害対策と持続可能な森林管理、地域経済の活性化をセットにした、包括的な地域創生事業を展開している。
山本さんの活動の根底にあるのは「野生動物と人間の共存」という信念。単に動物を駆除すればよいという考えではない。生態学的な知見に基づき、適切な工学技術を開発・導入し、それを運用できる地域の人材を育てることこそが鍵だと考え、様々な活動を行う。
新潟県におけるクマ大量出没。その複合的な要因
2025年、全国的にクマの出没がニュースとなったが、山本さんが拠点を置く新潟県もまた、深刻な状況に見舞われた。山本さんによれば、この大量出没は「起こるべくして起こった」という。
直接的な引き金となったのは、ブナの凶作である。専門家たちの間では、夏の時点で山に実がないことが確認されており、「今年は出る」と予測されていた。新潟県では過去、ブナの凶作と連動してクマの出没が増加してきた歴史がある。2025年は、ブナが大凶作だった。
https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/466144.pdf
https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/443400.pdf
しかし、問題は単年の凶作だけに留まらない。より深刻なのは、長期的なクマの分布と行動の変化である。山本さんは、まずクマという動物の生物学的な特性を指摘する。
「クマは体重に対する大脳比率が非常に高く、とても学習能力の高い、かなり頭の良い動物なんです」
過去の凶作のたびに、本来は人を避けて奥山で暮らしていたクマたちが里に降りてきた。その際、彼らは成功体験を得てしまったのだ。
「降りてきた時に、『柿がおいしかったな』とか『あそこに行けば餌があるな』と、良い思いをしてしまっている。そうすると、餌が少しでも不足するとすぐに降りてくるようになり、やがて山へ帰らずに、人里の近くで暮らす個体も出てくるわけです」
中山間地域の過疎化が事態をさらに悪化させた。里山の手入れがされず、奥山と人里の間が密林化したことで、「帰らなくていい状況」が生まれてしまったのだ。その結果、数十年の時を経て、事態は新たなフェーズに入ったと山本さんは警鐘を鳴らす。
「今や里山どころか、民家の裏山に定住して繁殖する個体が定着してしまいました。彼らは人間の里近くで生まれ育ち、奥山の暮らしを知らない世代なのです」
さらに、山本さんが新潟県における大量出没の最大の原因として挙げるのが、森林環境の劇的な悪化、具体的には「ナラ枯れ」である。
「新潟県ではカシノナガキクイムシが媒介する伝染病によって木が枯れる『ナラ枯れ』が発生しており、県の調査によると2002年から2010年にかけて大蔓延しました。多い年には5万本から10万本にも及び、全県に被害が広がったのです」
森林面積の多くを広葉樹が占める新潟県において、その被害は甚大だ。この喪失が、クマの生態に致命的な影響を与えた。本来、クマは高標高のブナが凶作の際には、より低標高にあるナラ(ドングリ)を食べて飢えをしのいでいたからだ。
「かつては里山のナラが、クマたちの『セーフティーネット』として機能していました。しかし、ナラ枯れによってそのセーフティーネットがごっそりと消滅してしまったのです」
食べるものを失ったクマは、生きるために集落へと溢れ出すしかなかった。2006年以降、クマの大量出没が常態化してしまった背景には、このナラ枯れによる餌資源の枯渇が深く関係している。
動物行動研究への回帰。山本さんの原点と使命
山本さんが長岡技術科学大学で研究をするようになったのも、新潟でのクマの大量出没がきっかけだった。
幼少期から無類の動物好きで、実家では多くの保護犬や猫と暮らしていた山本さん。大学院ではペンギンなどの潜水行動を記録する研究に没頭し、博士号を取得した。しかし当時は「野生動物管理」が職業として成立していない時代。「仕事にならない」と研究者の道を一度断念し、高校教師として働いていた。
転機は2006年。新潟県でクマが大量出没し、およそ500頭ものクマが捕殺されたニュースを目にしたことだった。
「隣の長野県では科学的な管理が行われているのに、新潟ではあまりに多くのクマが殺されている。生態学者として『絶滅してしまうのではないか』と愕然としました」
このままではいけない──。山本さんは当時関わりのあった長岡技術科学大学に直談判し、「一番クマが出ているこの地域で、科学的見地から意見できる人間が必要だ」と訴えた。その熱意と実績が評価され、工学系の大学に生態学のポストが作られるという異例の形で、山本さんは再び研究の世界へ戻ることになった。新潟のクマ問題がなければ、現在の山本さんの活動は存在しなかったかもしれない。
クマ対策の未来図。「順応的管理」と「ゾーニング」
長年の研究と現場経験を経て、山本さんは今後の新潟県のクマ対策について、科学的データに基づいた「順応的管理」と、徹底した「ゾーニング」の必要性を提唱している。
まず課題となるのが、個体数管理の指標だ。野生動物の管理計画を立てる際、しばしば「何頭いるか」という推定生息数が議論の土台となる。しかし、広大な山林を移動する野生動物の正確な数を把握することは、科学的に極めて難易度が高い。そこで山本さんが推奨するのが、絶対数そのものではなく「トレンド(増減傾向)」を重視するアプローチだ。
「正確な生息数を出すことは非常に難しく、推計にはどうしても大きな誤差が含まれます。そこで重要になるのが、『増えているか、減っているか』というトレンドを見ることです。新潟県では県内120箇所に自動撮影カメラを設置し、そこに写る頻度を指標として活用しています」
カメラに写る頻度が上がっていれば「増えている」と判断して捕獲圧を強め、下がっていれば緩める。このデータを元に、柔軟に対応を変えていく「順応的管理」こそが、不確実性の高い自然界に向き合うための現実的な手法という。
さらに山本さんは、対症療法的な管理だけでなく、根本的な環境整備の重要性を説く。ナラ枯れで傷んだ森を再生させることだ。しかし、そこには「時間」という壁が存在する。
「ナラの森を更新させるには、一度木を伐採して光を入れ、育林しなければなりません。それには30年という長い歳月がかかります。ですが、クマに対して森が戻るまで30年待ってくれとは言えません」
森が回復するまでの過渡期、そして人里にクマが定着しつつある現在において、どう共存を図るか。そこで不可欠となるのが、人とクマの生活圏を分ける「ゾーニング」という考え方だ。緩衝帯をどの程度の広さで設けるかは、地形や地域の実情によって異なり、専門家の間でも議論があるところだ。しかし、山本さんは「メスグマの行動圏」を一つの基準として考えるべきだと指摘する。
「クマ、特にメスの行動圏はだいたい直径3キロから5キロメートルくらいと言われています。つまり、集落から5キロ以内の裏山にメスが定着してしまうと、その集落はすっぽりと生活圏に入ってしまうことになります」
もしその距離感でメスが定着し、子供を産んでしまうと、その子グマは最初から人を恐れない「新世代グマ」として育ってしまう。そのため山本さんは、単に草を刈ればいいという話ではなく、個体の性質を見極めた厳しい管理が必要だと訴える。
「集落の近くを行き来しているだけの『通りすがり』の個体であれば、追い払いや電気柵で対応できます。しかし、集落周辺の裏山に定着してしまった個体に関しては、住民の安全を守るために、厳しく山へ押し返すか、場合によっては捕獲して排除する必要があります。ここに関しては、『かわいそう』という愛護の視点だけでは、地域住民の暮らしは守れません」
人と野生動物、双方が不幸にならないための境界線を引くこと。その覚悟を山本さんはこう表現する。
「動物たちは決して『悪者』ではないということです。クマだって、人を襲いたくて降りてきているわけじゃありません。お腹が空いて、生きるために必死で餌を探しているだけなんです。それでも、里に定着してしまったクマに対しては、残念ながら心を鬼にして管理しなければなりません。でも、排除して終わりではないんです。同時に長い時間をかけて奥山の環境を整え、クマが本来帰るべき場所を作ってあげる。この個体管理と環境整備の両輪を回していくことこそが、私たち人間に求められている責任なんです」
クマだけではない。迫りくる多種多様な脅威
日本の野生動物問題はクマだけに留まらない。山本さんは、シカ、イノシシ、アライグマ、サルといった動物たちもまた、それぞれ異なる形で脅威となっていることを指摘する。
「シカは一度減ったかと思われましたが、再び増加傾向にあり、被害が減らない状況にあります。また、イノシシも豚熱で一時的に減少したが、繁殖力が高くすでに個体数が回復しつつあります」
特にシカについて、山本さんはその「食性の広さ(可塑性)」に恐怖を感じているという。
「シカは餌がなくなると、それまで食べられなかったものを食べるようになるんです。例えばシカが嫌いなマムシグサのような、針がいっぱいで毒のある植物でさえも食べてしまう事例が出ています。最後は本当に森を全部食い尽くすまで増えてしまう動物なんです」
森の下草を食い尽くされると、土壌が露出し、土石流などの災害を引き起こす原因となる。日本の森林生態系を根底から破壊しかねない存在として警戒している。
また、次に山本さんが警鐘を鳴らすのが、特定外来生物のアライグマだ。1970年代に放送されたテレビアニメブームでペットとして輸入されたが、その実態は愛らしいイメージとは程遠いという。
「非常に凶暴で、ペットとして全く不向きで、飼いきれなくなった人たちが放してしまった結果、爆発的に広がりました」
アライグマは雑食で繁殖力が高く、日本の在来生態系に壊滅的な打撃を与える。タヌキやアナグマを駆逐し、絶滅危惧種であるサンショウウオやカエルなどの両生類を根こそぎ捕食してしまう。
「彼らは木登りがとても得意なので、フクロウやサギ類の巣を襲って、一晩でコロニーを全滅させてしまうこともあります。彼らに罪はないですが、生態系からの根絶を目指さないと、日本の自然が大変なことになります」
技術はあるが担い手がいない。根本課題は「人の不在」
これら全ての獣害問題に通底する根本的な課題について、山本さんは「獣害対策の技術自体は、もうすでに確立されているんです。問題は、それを実行する『人』が地域にいないこと。これに尽きます」と話す。
例えば、イノシシ対策の電気柵。正しく設置すれば被害は防げるという。しかし、電気柵は一度設置して終わりではない。伸びた雑草が電線に触れると、そこから電気が地面に逃げる漏電が起きて電圧が下がり、動物を撃退できなくなってしまう。つまり、効果を維持し続けるには、柵の下の草を刈り続けるという、地道なメンテナンスが欠かせない。山本さんは、現場の実情をこう嘆く。
「電気柵を張れば止まるのは分かっています。でも、誰がその下の草刈りをするのでしょうか。管理をするための労働力が、もう農村には残っていないんです。80歳のおじいちゃん、おばあちゃんに、急斜面で草刈りをしろなんて言えませんから。最大の問題は、日本の人口が異常なまでに都市部に一極集中してしまっていることです。地方に人がいなくなり、山の手入れをする人が消えた。その空白地帯に野生動物が進出しているのが現状です」
近年、この流れを変えるべく、地方自治体では「地域おこし協力隊」などの制度を活用し、外部からの人材導入や関係人口の創出に力を入れている。しかし、山本さんは現場を見てきた人間として、そこにある厳しい現実を指摘せずにはいられない。
「協力隊の3年が終わった後、どうやって生活していくのか。田舎で暮らすには、やりがいだけではダメなんです。家族を養えるだけの経済基盤がなければ、優秀な若者はまた都会へと流出してしまう」
地域に産業がなく、仕事がない。この「稼げない」という現実こそが、獣害対策の担い手不足を招き、結果として野生動物との境界線を崩壊させている。
「動物がいなかった時代」の呪縛からの脱却
「稼げる仕事」として鳥獣対策を確立するためには、日本の社会システムそのものをアップデートする必要がある。山本さんは、欧米との決定的な違いをこう説明する。
「欧米では、ワイルドライフ・マネジメント(野生動物管理)が社会システムの中に組み込まれている国もあります。例えばイギリスでは、土地所有者(貴族などが多い)が、そこに住む生き物も管理する責務を負うという考え方になっています。ドイツでは、フォレスターという日本と同じような森林を管理するプロフェッショナルの職業の方がおり、彼らは森の管理とともにそこに住むシカの個体数も管理する役割を担っているようです。そしてアメリカ合衆国では、州の野生生物担当機関が管理の中心を担い、調査・モニタリング等の科学的データに基づいて施策を進めます。州機関が比較的安定した資金基盤を持つことが、専門人材の雇用や科学に基づく管理を支える構造になっています」
ひるがえって、日本はどうか。山本さんがかつて「そんな職はない」と言われたように、日本社会には野生動物管理を職業として遇する文化が存在しなかった。
「日本には明治期以降、禿山になるまで木を切り、動物を獲り尽くしてしまった『野生動物があまりいなかった時代』が長く続きました。そのため、昭和40年代から取られた保護偏重の政策が続いていました。その後、1999年に科学的データに基づく順応的管理が導入されたり、2014年に『鳥獣保護管理法』へ改正されたりと、制度のアップデートは行われてきましたが、管理へと舵を切るのがあまりにも遅すぎたように感じています。結果として、今の自然環境の変化に対して、社会の仕組みが追いついていないんです」
森が戻り、動物が増えた現代において、科学的に「管理する」専門家が必要不可欠だ。一方で、獣害対策だけで生活することは現実的に難しい。そこで 山本さんは未来里山技術機構(NEST)で、森林管理や森の恵みを活用した地方創生業務を行い、地域経済を回すことを目指している。
「森を整備し、そこから得られる木材で収益を上げつつ、森を育てる『育林』の価値に賛同してくれる企業からのスポンサーシップも募る。そうして得た資金で、森を守る専門家を雇う。さらに、そのプロセス自体をスタディツアーとして都市部の住民に販売し、学びの場を提供する。そうやって、獣害対策をしながら、地域で稼げる状況を作りたいと考えています」
現場を知り、共存への一歩を
この春、山本さんは大きな決断を下す。長年勤めた長岡技術科学大学を退職し、自身が立ち上げた事業による地域活性化に、活動の軸足を移す。
「私は新潟のクマ問題がきっかけで、大学にポストを作ってもらってここに来ました。そして今、そのクマ問題を本格的に解決するために、大学を出ていくんです。結局、地域で経済が回らないと人は戻らないし、獣害もなくなりません。現場に出て、ビジネスを作って、獣害対策プラスアルファ、農業プラスアルファのように、地域で食べられる仕組みを作っていきたいい。森と人の暮らしを守るためには、私が実業でやりきらないといけないと思ったんです」
クマの大量出没は、我々に突きつけられた警告である。それは単に「動物が増えた」という話ではない。人間が森を利用しなくなり、地域社会から人が消え、自然と人間の境界線が崩壊したことの証左だ。しかし、その危機感は都市部の人には実感が持ちづらいものかもしれない。山本さんは、ぜひ現場を見てほしいと話す。
「ニュースを見て『クマがかわいそう』と言うだけでなく、ぜひ現場に来て見てほしいんです。インターネットやAIで得られる知識は断片的です。実際に里山に足を運び、荒れた森を見て、畑を荒らされて途方に暮れるお年寄りの話を聞くこと。あるいは、対策に汗を流す人々と触れ合うこと。現場に来て、地域の人と話をしてみてほしい。そのリアルな体験こそが、野生動物との真の共存とは何かを考える出発点になります」


