人に見られるのはしんどい。でもAIなら? AIの目の安心感とその先にあるもの
「人に見られるのはしんどいけど、AIなら平気」。ファッション診断サービスの現場では、利用者からそんな声が聞かれるという。人の目は避けたいのに、AIの目は自分から取り入れたい。そんな人の心理は、どこから来ているのだろうか。人の目、AIの目、そして自分の目。それぞれの役割と、付き合い方を考えてみる。
社会に浸透する「AIの目」
「あなたに似合う色は――」「あなたの顔タイプは――」。今や、AIによる見た目の診断は身近なサービスの中にも広がりつつある。
最近は大手コスメブランドが「AIパーソナルカラー診断」や「AI顔タイプ診断」を提供していたり、ファッション通販サイトが「AI骨格診断」を提供していたり、AIによる外見診断のサービスが普及している。
また、そうした外見診断専用のサービスでなくとも、似合う髪型やメイク、服装を生成AIに助言を求める使い方もある。過去には、生成AIに顔の採点をしてもらうプロンプトがSNSで話題になったこともあり、AIに自分の外見を診断してもらった経験がある人は少なくないだろう。
以前までであれば、似合うコスメや色、今日の服が変でないかなどの相談は、美容部員やショップ店員、あるいは友達といった「人」が担ってきたものだ。いま、その相談相手のひとつとして、AIが加わり始めている。
「盛り」から辿る、ルッキズム疲れの裏側
なぜ、人ではなくAIなのか。若者たちがこれまで「見られること」とどう向き合ってきたのかがヒントになるかもしれない。
メディア環境学者で、著書『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』といった「見られること」に関する発信と研究を進めてきた久保友香氏は、若者の「盛り」文化の研究を通じて、テクノロジーの観点から外見を捉えてきた一人だ。久保氏は「盛り」を、「仮想世界で、物理世界とは違う外見を作り出すこと」と定義する。
久保氏によれば、「盛り」の文化は時代とともに移り変わってきた。はじまりは、1990年代後半から発展したプリクラで「顔」を盛る時代。次に、カメラ付き携帯電話の登場によって「目」を盛る時代へ。スマートフォンとSNSの普及で写真の共有が盛んになった2010年代には、自分を含む「シーン」を盛る時代が訪れた。そして2020年代からは、VLOGのような長尺の記録を通じて「ライフスタイル」を盛る時代が始まっていると見る。
この変遷は、盛る対象の変化であると同時に、「見せる相手」の拡大でもあった。仲間内で交換して見せ合うプリクラから、スマートフォンとSNSの時代のいま、投稿は価値観を共有しない不特定多数へと届くようになった。
ところが、近年はこの歴史が反転し始めているような動きがある。実際、「BeReal」や「setlog」など、親しい相手に写真や動画を共有することを前提にしたアプリも人気を集めている。この背景を久保氏はこう話す。
「その背景のひとつにルッキズムへの疲れがあると思います。SNSがなかった時代にも、プリクラやガラケーを通じて、仮想世界の外見だけを見せ合うつながりはありました。ただ、当時は、使う道具がコミュニティを定め、その道具を使っている人同士には価値観の共有がありました。しかし、スマホやSNSは誰もが使うため、価値観や倫理観のまったく異なる人ともつながるようになりました。仮想世界で外見を見せること自体は同じですが、コミュニケーションの構造が変わったのです。それまでは、価値観を共有している人同士だからこそ見える化粧や加工の細かな差異を評価しあっていましたが、SNSでは、より一般的な基準で外見が評価されるようになりました」
拡張された世界のなかで、価値観の異なる相手から"普通"の基準によって外見だけで評価されるように感じる。その居心地の悪さが、AIに相談する安心感とつながっている可能性があると久保氏は見る。
「近年のAIサービスでは倫理的に問題のある回答をしない設計が徹底されています。さらに、ユーザの価値観に合わせて回答をパーソナライズする設計も進んでいます。だから、もはやAIによる評価は、SNSでの不特定多数からの評価に比べれば、仲の良い友達に見てもらう感覚に近くなっているのではないでしょうか」
「気軽な評価」の陰に潜むリスク
なぜ人は、自分の見た目の評価をAIに委ねるのかを別の角度から捉えるのが、技術哲学者で、著書『麦とTwitter』などで情報技術が人々のコミュニケーションにどのような影響を与えるかを論じている名古屋大学准教授の久木田水生氏だ。そもそも人が「自分の見た目を良くしたい」と思う背景について、久木田氏は「自己呈示(セルフ・プレゼンテーション)」という社会学の概念を用いて説明する。自己呈示とは、他者に望ましい印象をもたせるために、言動や外見を意図的に調整して自己を伝えることを意味する。
「目の前の相手や、組織や社会的な場面にうまくフィットするように自分の役割を演じる。それがうまくいけば、その環境で受け入れられたり、協力関係が得られたり、評価が上がったりします。だからこそ、外見を通じたアピールは自己呈示の重要な手段のひとつなのです」
社会で生きていくうえで、円滑な人間関係を築くことは大きな意味を持つ。だからこそ人は「良く見られたい」と感じる。そして重要だからこそ、その評価を受けることにはストレスが伴う。もしうまく自己呈示できなければ、利益を損なったり、心が傷ついたりするリスクがあるからだ。このことが、AIに評価を委ねる心理と関わっているのかもしれないと久木田氏は指摘する。
「人に評価される場合、その結果が人間関係がうまくいくかに直結します。でも自分が使うAIの評価では失うものや損をすることはありませんし、実際の人間関係の準備にもなります」
一方で久木田氏は、AIに委ねるリスクにも言及する。ひとつは、「AIが美しさを評価するとき、その基準はそもそも誰が作ったのか」という、AIの"客観性"だ。たとえば、顔の魅力度を採点するAIであれば、人間による評価を学習して作られるのが標準だろう。大量の顔画像を人に見せ、それぞれの魅力度を採点したデータをAIに学習させている。つまり、そこで判断される「魅力」とは、あらゆる人の価値観ではなく、採点した人たちの価値観によるものなのだ。AIの評価は、そうした人間の偏りをはらんでいるという。また学習の際に使用する画像のデータセットに年齢や人種などの偏りがある場合、データセットに含まれないカテゴリーの人々についての評価はいい加減なものになるだろう。
もうひとつのリスクとして挙げるのが、「予言の自己成就」だ。これも社会学の言葉で、根拠のないこと、思い込みなどでも、それを信じて行動すると、その状況が現実になってしまうことを指す。
「たとえばAIに低い点をつけられたら、自分の見た目がその程度だと思い込んで自信を無くし、その後の振る舞いまで変わってしまう。すると人付き合いにも消極的になって孤立し、ますます消極的になってさらに孤立する。そんなスパイラルに陥ってしまうかもしれません」
AIと人の役割。人は最後の「迷い」を引き受ける
人の目とAIの目は、評価を受ける側にとって何が違うのか。ファッションの領域で、人の目とAIの目、どちらの評価も提供するのが、ファッション相談アプリ「coordimate(コーディメイト)」だ。
coordimateでは、コーディネート写真を投稿すると、ファッション好きの一般男女が率直なコメントを返す「人の目」の提案と、バランスや配色、シルエットから定量的に採点する「AIの目」の提案、その両方を受けられる。共同創業者の佐藤瑠生氏は、パーソナルカラー診断や男性向けスタイリングの資格を持ち、百貨店のスタイリストとしても活動するなど、自身も「人の目」として診断する実践者だ。佐藤氏がまず語るのは、「人に相談すること」そのもののハードルの高さだ。
「当初はAI診断を導入しておらず、人間が服装に対するコメントをつけるのが主な機能でした。しかし実際に運用を始めると、『いきなり人に相談をすること』にはハードルがあることが見えてきたんです。そのハードルは、大きく3つに分類されます。まずは、センスがないと思われてないかなど、服装への評価が自分自身への評価に直結するように感じてしまう心理的なハードル。そして、自分のことを知らない見ず知らずの人のコメントはなかなか信頼できず、相談がしにくくなるという、相手との関係性のハードル。さらに、ファッションのリテラシーが不足していて何を相談していいか分からない、というハードルです」
そこで、まずは気軽に評価を受けられるように、AI診断を開発したという。一方で、「AI診断が優れていて、人の目が優れていないわけではありません。それぞれ役割が違うのです」と佐藤氏は話す。
「AIの役割は、人に相談するための入口です。AIの採点なら、自分のセンスがどう思われるかを気にしなくていいですし、採点結果はどこが問題かを言葉にして返してくれます。何を相談していいか分からなかった人も、結果を手に『AIにこう診断されたんですが』と、人に聞けるようになります。実際、AI診断は、AIだけで完結するためのものではなく、人とのコミュニケーションを始めるためのきっかけとして活用されています」
では、人の目にしかできないこととは。佐藤氏が挙げるのは「決断」の後押しだ。
「相談の先には、服を買ったり、服装を変えたりするといった『行動』があります。実は、お客様の悩みで多いのは、AとBの服を比較して迷っているというよりは、『決めるのが怖い』というものなんです。最終的な決断はあくまでも自分の責任になるので、なかなかふんぎりがつかないんですね。AIに相談して悩みや迷いが軽くなったとしても、最終的な決断にAIは責任を持ちません。でも、人であれば責任が伴い、それがお客様の責任も分散させることになります。AIは、定量的な評価に基づいて客観的な提案をしてくれる。そして最後に『これでいこう』と思える最後の一押しを人がすることが、それぞれの役割なのだと思います」
「AIか人か」ではない。安心して気軽に相談できるAI。それでも最後に残る「迷い」を引き受けるのが人。それぞれの大切な役割だ。
「自分の目」を手放さない
「AIになら採点されてもいい」。その声は、価値観の異なる他者から評価され続ける社会から、安心で安全な場所へ逃れたいという切実な願いの表れなのかもしれない。
しかし、その"安心・安全"にすべてを委ねてしまって良いのだろうか。久木田氏は「AIによる評価の範囲は、個人にとどまらない可能性がある」と懸念を口にする。人は自分の感覚だけでなく、「他者がそれをどう評価しているか」という社会的な評価も重んじる。そのため、AIから「魅力的ではない」とされた人のことを、周囲の人までもが魅力的でないと思い始めるかもしれないのだ。
この懸念は、評価される側だけではなく、裏を返せば、私たちが他者を見るときに「自分の感性」ではなく「AIの基準」に沿い始めることでもある。何を美しいと思い、何に惹かれるのかという、自分の目や感性、経験によってされていたはずの評価までも、AIの基準へと寄ってしまう可能性があるのだ。
AIの目と人の目、それぞれの役割に頼りながらも、最後は自分で見て、感じて、評価する。そんな「自分の目」をどう持ち続けるか、AIの目を借りながらも、自分がどう感じるかを手放さない。その距離感を、私たちは少しずつ探っていくことになりそうだ。
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取材・文
安藤ショウカ








