能登に50回通う杉山美紗が、マーメイドショーを''10年続ける''理由
元アーティスティックスイミング日本代表で、現在は『シルク・ドゥ・ソレイユ』のパフォーマーとして活動する杉山美紗さん。2024年1月の能登半島地震の発災後、現地での子どもたちへのスポーツアクティビティや重機を使った作業、豪雨後の泥かきなどに携わり、これまでに50回以上、能登へ足を運んできました。
2025年8月には、石川県七尾市にある「のとじま水族館」で自ら主催・主演を務めるマーメイドショーを実現。自身のInstagramでは「能登復興の10年を、共に歩む」とつづり、長期にわたって能登に関わり続ける意思を表明しています。
しかし、被災地のために何かしたいと思っても、それぞれの暮らしがあるなかで、関わりを長く続けていくことは決して簡単ではありません。現地へ行けないことや、十分な支援ができないことに、もどかしさを感じる人もいるでしょう。
杉山さんはどのような思いで能登と関わり、自分にできることを重ねてきたのでしょうか。支援を無理なく続けるための考え方や、「何もできていない」と感じる人へ伝えたいことを聞きました。
杉山美沙(すぎやま・みさ)
神奈川県出身。8歳の頃からアーティスティックスイミングを始め、11歳で一貫指導強化指定選手に。17歳でジュニア日本代表、19歳で日本代表入りを果たし、世界選手権やワールドカップに出場する。2014年に現役を引退。2015年にラスベガスへと移住し、かねてから夢として掲げていた『シルク・ドゥ・ソレイユ』のパフォーマーとして、7年間ステージに立つ。2021年に『シルク・ドゥ・ソレイユ』を引退。現在は日本を拠点に、水中モデルとして短編映画やミュージックビデオに出演するなど、表現活動を行う。また、社会貢献活動、スポーツイベントや講演会への登壇など、幅広い領域で活動を展開。『シルク・ドゥ・ソレイユ』からオファーを受け、現在4年半ぶりにパフォーマーとして復帰している。
すべてを手放して帰国。「私にも何かできることはないかな」
──まず、社会貢献活動に関わるようになったきっかけから教えてください。
杉山
災害支援をはじめとする活動に取り組み始めたのは、アスリートの社会貢献を支援・推進する日本財団のプロジェクト「HEROs」を知ったことがきっかけです。
当時は、大好きな祖母が寝たきりになって介護が必要になったことや、自分自身のキャリアを見つめ直したいという思いなど、さまざまなことが重なった時期でした。それまで7年間出演していたシルク・ドゥ・ソレイユを離れ、家や車も手放して、「一度すべてをゼロにしてみよう」とアメリカから日本へ帰ってきたんです。
そんなときに「HEROs AWARD(ヒーローズアワード)」(※1)へ出席する機会をいただき、アスリートの方々がさまざまな社会課題に取り組んでいることを知りました。「私にも何かできることはないかな」と考え、HEROsの活動に参加するようになったのが、社会課題に関わり始めたきっかけです。
杉山
その後は、元バレーボール日本代表の益子直美さんが主催する「監督が怒ってはいけない大会」(※2)や、秋田豪雨の災害復興支援など、さまざまな活動に参加させていただきました。
──能登の震災が起きる前に、秋田豪雨の災害復興支援にも参加されたんですね。
杉山
「監督が怒ってはいけない大会」の秋田大会へ参加することが決まった直前に、豪雨災害が発生したんです。HEROsの方から「せっかく秋田へ行くので、被災地を視察しませんか」と声をかけていただいたのですが、私は「視察ではなく、ボランティアがしたいです」とお願いしました。大会のために前泊する予定だったので、朝から作業に参加させてもらうことになりました。
私たちが担当したのは、泥かきに使われた土嚢を解体し、プラスチック製の袋と土に分ける作業です。学生ボランティアの方々に交じり、鎌のような道具で袋を切って、中の土を出していきました。
そのとき、すぐ近くに重機があるのを見て、「重機を使えたらいいですよね」と話したことが、翌年に重機のオペレーター資格を取ることにもつながりました。
スポーツアクティビティから泥かきまで。そのときどきに、能登でできることを
──そうした経験から、能登での支援にはどのようにつながっていったのでしょうか。
杉山
2023年末に「HEROs災害復興支援チーム」が立ち上がり、「私も参加したいです」と手を挙げた直後に、能登半島地震が発生しました。
能登を初めて訪れたのは2024年2月下旬で、当時は道路の一部が崩落し、ガードレールだけが斜面に垂れ下がっている場所もありました。能登半島内には宿泊できる場所がほとんどなかったので、金沢を朝4時台に出発して学校を回り、夜10時頃に戻るような日々でした。
──当初は、どのような活動をしていたのですか?
杉山
体育館が避難所になり、体を動かす場所を失っていた子どもたちに向けて、スポーツアクティビティを行いました。
杉山
当時は水道やガスも十分に復旧しておらず、私自身、「スポーツよりも、がれきの撤去などをした方がいいのではないか」と迷いもありました。でも、避難所では周囲に気を使い、大きな声を出せずにいた子どもたちが、体を動かして久しぶりに声を上げて笑ったんです。その笑顔を見た大人たちにも笑顔が広がっていきました。
もちろんインフラは人の命に関わる重要なものなのですが、人間が人間らしく生きるためにはスポーツやエンターテインメントも必要なんだと実感して。これはアスリートだからこそできる支援なのかもしれないと感じていました。
──スポーツやエンターテインメント関連の支援では、能登島小学校で新しいプールの完成を祝うパフォーマンスも行ったんですよね。
杉山
支援活動で能登島小学校を訪れた際、校長先生から「新しく造ったプールが地震でも壊れず、夏には使えそうです」と聞いたんです。その場で「お祝いに泳ぎに来ます。個人でも来ます」とお伝えしました。
その後、HEROsの活動として実施できることになり、金沢スイミングクラブ小立野にもお声がけして。当日は私のソロと、私の友人で同クラブのコーチを務める榎本紀葉(えのもとのりは)さんとのデュエット、選手たちのチーム演技、全員が参加するフィナーレを披露しました。
杉山
当日は能登島小学校の児童や保護者の方がたくさん観に来てくださって、皆さん喜んでくれました。小学校の皆さんに喜んでもらいたいという気持ちで行ったものだったので、それだけで大成功だったなと思っています。
──能登では、エンターテインメント以外の支援にも携わってきたのでしょうか。
杉山
はい。重機を使った作業にも参加しましたし、2024年9月の奥能登豪雨後には、家屋の泥かきも行いました。
実は水害が起きた日、私は能登半島地震で被災した地域を盛り上げるための「スズフェス」というイベントの前日準備で、ちょうど能登にいたんです。会場の珠洲市へ向かう途中で激しい雨に見舞われ、これ以上進むのは危ないと引き返したのですが、その付近では崖崩れも起きていました。地震では被害を免れたのに、豪雨で被災した家もあったんです。
地震直後の作業には専門的な知識が必要なことも多く、一般のボランティアの方がお手伝いできることは限られています。でも、水害後の泥かきや家財の運び出しは、初めてでも比較的参加しやすい作業なんですよね。泥が減っていく様子が目に見えるので、作業する側も手応えを感じられて、私も張り切って取り組んでいました。
特に私はアーティスティックスイミングをしていたので体が柔らかく、床下に潜って、手だけでなく脚も使って泥をかき出していたんです。それで現地の方から「床下のカマジイ」という名前をいただいて(笑)。
そんなふうに、そのときどきで自分にできることを重ねているうちに、これまで能登を訪れた回数は50回以上になりました。実家より能登へ"帰っている"くらいです。
水の中で能登への恩返しを。1年かけて実現したマーメイドショー
──先ほど能登島小学校でのパフォーマンスのお話がありましたが、その経験が、のとじま水族館のマーメイドショーにもつながっていったのでしょうか。
杉山
そうなんです。小学校でパフォーマンスをするために何度か能登島へ行ったとき、「能登島には水族館があるんですよ」と聞いて。メインの展示だったジンベエザメが、地震の影響で亡くなってしまったという話も聞いて、それは行くしかないと。
というのも、ちょうどその頃、ご縁があってマーメイドの泳ぎ方やショーのつくり方を勉強していてたので、「ステージと会場さえあれば、自分にもできる」とわかってきたタイミングだったんです。
──ただ、「やりたい」と思っても、水族館で実際にショーを開くまでには、かなり高いハードルがありそうです。
杉山
そうですね。当時は、のとじま水族館自体がまだ全面的に再開しておらず、イベントを開催できるような状況ではありませんでした。それでも、石川県出身の方に会うたびに「のとじま水族館につながりはありませんか」と聞いて、本当に泥臭く、いろいろな方に声をかけていました。
ただ、県の施設なので、やっぱり最初の入り口がなかなか険しくて。最終的にはHEROsの方が、「杉山さんは約50回能登に通って、継続して活動している人です」と説明してくださったことが信用につながり、着想から約1年で実現することができました。
──開催が決まってからも、準備はかなり大変だったのではないですか?
杉山
主催と主演の両方をやっていたので、実はものすごく大変でした。それまでイベントをつくる側の経験はなく、どちらかというとアスリートやアーティストとして、依頼を受ける側だったので、もう何から始めたらいいのかもわからなくて。
クラウドファンディングもチャリティーオークションも初めてですし、水中スピーカーや音響をどうするのかも考えなければいけない。しかも「あれもやりたい、これもやりたい」とアイデアがどんどん出てきて、収拾がつかなくなっていました(笑)。
ショーは4日間、1日2回の計8回行ったのですが、毎回「次はここを変えよう」と改善を重ねて、最後のほうになって、ようやくいい形になってきたかなという感じでした。主催する側を経験したことで、普段お仕事をくださる方や、裏側で動いている方へのリスペクトもすごく増えましたね。
──そんな苦労を重ねても、水族館でショーを実現したかったのは、どんな思いからだったのでしょうか。
杉山
それまで能登で行っていたスポーツアクティビティは、私にとって「水がない場所で、アーティスティックスイミングの経験を使って何ができるだろう」と、できないところからひねり出していくような活動だったんです。それも自分の引き出しが増えてよかったのですが、やっぱり私が一番長くやってきたのは水の中でのパフォーマンスです。
水族館でのショーなら、ようやく本領を発揮できる。これまで自分が培ってきたものを使って、能登に恩返しができると思いました。実際にお客さまもすごく喜んでくださって、「能登のためにありがとうございます」「また来てください」と声をかけていただきました。
でも、私にとって特に印象に残っているのは、のとじま水族館で働く皆さんとのつながりが強くなったことです。最初は、突然現れた、よくわからない人間が「マーメイドショーをやりたい」と言っているわけですから、「この人、どこまで本気なんだよ」と思われていたはずなんです。
そんな中で、最後に水族館の方から「(水槽の水温は高くても18度くらいなのに)一言も寒いと言わずにやっていた。その根性を見て、やっぱりプロなんだと思いました」と言っていただいて。お客さまに喜んでいただけたことはもちろんですが、一番近くで一緒につくってくださった方々との間に、信頼関係が生まれたことが何よりうれしかったです。
「今は自分の番じゃない」でもいい。能登に無理なく、心を寄せ続ける
──2024年1月の能登半島地震から約2年半が経ちました。能登では、これからどのような支援が必要になると感じていますか。
杉山
金沢から能登までの道も、地震からしばらくは車で走るとガッタンガッタンと揺れるくらい被害も大きかったのですが、少しずつきれいになってきました。道路の補修や公費解体も進み、「復旧」という意味では前に進んでいる部分も多いと思います。
ただ、建物が解体されて何もなくなると、すごく寂しくもなるんですよね。これから「復興」のフェーズに入っていくなかで、今だからこそ、スポーツやエンターテインメントが必要になる部分もあるのではないかと思っています。
マーメイドショーも、能登の方に楽しんでいただくのはもちろん、全国から能登へ来てもらうきっかけになればと思っていました。実際に、「能登に初めて来ました」「ごはんがおいしかったです」「海がきれいですね」と言ってくださる方も多かったんです。
「支援に行かなければ」と硬く考えなくても、「マーメイドショーを見たい」「また能登の牡蠣を食べたい」と思って来てもらう。それで能登を感じて、少しでも心を寄せてもらえたら、私はそれでいいと思っています。
──Instagramの投稿で「能登復興の10年を、共に歩む」という文章があったのも印象的でした。
杉山
能登の復興には10年かかるともいわれているので、マーメイドショーも10年続けると決めています。私自身がずっと出演するかはわかりませんが、ショー自体は残していきたいと思っています。
これは、「私にとって能登は大事な場所です」という思いを、能登の皆さんに伝える一つの方法でもあります。
ただ、10年続けること自体が目的になってはいけないとも思っていて。私は、ただの「マーメイドショーをやりたい人」にはなりたくないんです。本質的な復興とは何なのか、ショーを続けることが現地にとってどんな意味を持つのかを、その都度考えていきたいです。
──とはいえ、それぞれの暮らしと支援を両立しながら、長く続けていくのはなかなか難しいですよね。
杉山
そうですね。でも、私自身も「続けなきゃいけない」と思ってしまったら、きっと苦しくなって、続かなくなってしまうと思います。
だから、あまりストイックになりすぎず、自分なりの楽しみを見つけることも大事なのかなと思っています。マーメイドショーも、10年間で自分がどう成長するのか、一緒につくる方々との関係がどう変化していくのか。そういう楽しみを見つけられたら、自然と続けていける気がしています。
──最近も熊本で大きな地震が起こりましたが、災害のニュースを見て、「何かしたいけれど、自分には何もできていない」と、もどかしさを感じる人もいると思います。そうした方々に伝えたいことはありますか。
杉山
「できていない」と思わなくていいと思うんです。「そっか、今は自分の番じゃないんだ」くらいの感覚でいい。今できることだけをやればいいと思っています。
現地へ行けなくても、寄付の情報をSNSでシェアすることはできますし、被害が落ち着いてから、旅行に行くこともできます。自分や子どもが楽しむために、いまの能登を訪れることにも、十分に意味があると思うんです。
私自身、泥かきやマーメイドショーをして、「人のためにいいことをしている」という感覚はあまりありません。自分が元気で、動ける体と時間があるから、今持っているものを使っているだけなんです。むしろ、現地の方との出会いや経験を通じて、私の方がたくさんのものをもらっています。
いつ、どこで、自分が助けてもらう側になるかはわかりません。だから、「困ったときはお互いさま」という気持ちを、みんなが少しずつ持てたらいいなと思っています。
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取材・執筆佐々木ののか
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