「3人のTOKIOでこれから何する?」国分太一がTOKIO-BAで伝える森の循環

株式会社TOKIOが2022年にはじめた「TOKIO-BA(トキオバ)」。福島県の南部に位置する西郷村(にしごうむら)に東京ドーム2個分の広大な土地を購入し、「みんなで一緒に遊ぶ場」を作るプロジェクトだ。


大きな芝生の広場と森、畑などからなるTOKIO-BA

TOKIOといえば、『ザ! 鉄腕! DASH!!(以下、鉄腕DASH)』の印象が強い人も多いだろう。TOKIOがデビューしてわずか1年後の1995年にスタートしたテレビ番組で、2000年に始まった企画「DASH村」は番組の看板企画に。メディア出演やライブ活動を日々忙しく行うTOKIOの5人が、村づくりに汗を流すさまは大きな話題を呼んだ。

その後、2011年の震災により福島にあったDASH村が避難区域になるという試練を経ながら、「DASH島」や「DASH海岸」など、その領域は農業に止まらず漁業や林業へと広がり続けている。芸能界の第一線でエンターテイメントを届ける存在でありながら、第一次産業の面白さを伝えるTOKIOは、まさに唯一無二の「第一次産業アイドル」といえるだろう。

そんな彼らが株式会社TOKIOの設立、そしてTOKIO-BAへと至ったのは、メンバー脱退を経て「3人のTOKIOでこれから何をする?」と考え抜いた結果だったという。

「人生の先輩たちから教わったことを、次の世代へ」という想いが込められたTOKIO-BAとは、一体どのような場所なのか。TOKIO-BA社長を務める国分太一さんに話を聞いた。

先輩たちとの出会いが、TOKIO-BAへと導いてくれた

いまや、テレビ番組では後輩たちに農業や漁業の知識を教える側となったTOKIO。だが、当然ながら、そんな彼らも最初から第一次産業のプロだったわけではない。

「数千人、数万人のお客さんを前にライブをやった翌日に、山奥で鍬を持って畑にいる。正直、はじめはメンタルがついていかない瞬間もありましたよ。『なんでこんなことやんなきゃいけないんだ?』って。

でも、そんな僕たちに、DASH村を手伝ってくれていた福島のじいちゃん、ばあちゃんたちは正面から向き合ってくれたんです。『鍬の持ち方はこうだ』『田植えはこうやるんだ』とイチから教えてくれた。

なかでも一番お世話になった(三瓶)明雄さんは、もう達人ですよね。縄を手で揉んで『パンッ!』と引っ張るだけで切って、『縄を切るのにハサミなんかいらねえんだ』って(笑)。その姿を見てたら、『かっこいいな、この人たち』という思いが湧いてきたんです」

自然と向き合う村づくりは、けして最初から「楽しい」ばかりではなかった。しかし福島の人たちの教えを受けながら、汗を流して取り組むうち、その気持ちは変化していった。

「『夏野菜』って言いますけど、もし育てるのを失敗したら、次にチャンスがくるのは来年なんですよ。米づくりもそう。そこで、『これは真剣に向き合わないと面白くないな』と燃えていったんです。そこから、だんだんと面白くなっていきましたね」


いっぽう、仕事だけでなくプライベートな「遊び」の面でも、先輩たちが新しい世界へといざなってくれた、と国分さんは話す。

「こんなに自然を好きになる前は、東京の街で遊ぶことも大好きでした。ある夜、プールバーでビリヤードを教えてくれてたおじさんが『お前、このビリヤード台はどこのかわかるか?』って言うんです。『え、台なんてどこだってよくないですか?』と答えたら『これはBRUNSWICKってすごく有名な台なんだ。そんなことも知らないで遊んでるのか』って」

それは、いわばビリヤードというカルチャーへのいざないだった。ビリヤード台ひとつにも歴史やストーリーがあり、知れば知るほど奥深い世界が広がっている。そんな風に、遊び上手なひとまわり上の先輩たちに、国分さんはさまざまなカルチャーを教えてもらった。

「タレントさんでいうと、(木梨)憲武さんとか、ヒロミさんとか。そういう遊びの達人に若い頃は憧れて、追いかけてました。でも、あるとき『このままでいいのかな?』と気づいたんです。この人たちがいなくなったら、俺たちは何なんだろうと。ただ享受するだけじゃなく、そろそろカルチャーを作る側に立たなきゃいけないんじゃないか、と思ったんです」

いつまでも教わる側でいるのではなく、いずれは次の世代へ伝える立場へ。そんな危機感は、農業をはじめとする第一次産業においても感じるようになっていた。

「福島のじいちゃんやばあちゃんが当たり前にやっていたことも、誰かが伝えないと失われてしまう。その役割を背負うタイミングは間違いなく来てるのかな、と思います。自分が感じてきた先輩たちの『かっこよさ』を次の世代へ伝える、って感じなのかな。福島のじいちゃんやばあちゃんの『生きる力』は尋常じゃなかったので、あのエネルギーを皆さんにも共有したい、と思ったんです」


TOKIO-BAの畑「ヤサイBAたけ」は、城島茂さんの担当。畑の看板も城島さん直筆。TOKIO-BAに集まるファンたちとともに野菜作りを行い、野菜は地元の直売所で販売されることも

3人になった「第二の人生」で、新しい挑戦をすると決めた

「元々は5人だったTOKIOが3人になったとき、『TOKIOとしてこれからどうするか?』を城島さん、松岡さんと話し合いました。3人のまま、何となく続けていく道もあったと思います。でも、やっぱり僕らTOKIOは色んなことにチャレンジしてきたグループだし、そのスピードを緩める必要はないんじゃないか、という結論になりました」

元々、アウトドア好きだった国分さん。「思いっきり遊べるアウトドアのフィールドが欲しい」という思いに、先輩たちからの学びを下の世代に渡すという夢も合わさり、「TOKIO-BA」の構想が生まれた。

DASH村をきっかけに、福島とは深い縁のあるTOKIO。東日本大震災の後も、福島県産の農林水産物のPRに尽力するなど、福島へ心を寄せ続けてきた。だからこそ、新しいフィールドづくりにおいても「TOKIOは福島からはじめないとダメでしょう」という想いがあったという。福島で候補地を探すなかで、この西郷村の土地と出合い、2022年にTOKIO-BAはオープンした。

「はじめて3人で土地の見学に来たときは、とてもワクワクしました。僕たち自身、3人で会社を設立したとき、TOKIOとしての『第二の人生』がはじまったと思ったんです。なので、TOKIO-BAのテーマも第二の人生を楽しむ』。この広いフィールドには、そのテーマがいろんなところに散りばめられています。

例えばTOKIO-BAの看板は、廃校になった福島の学校にあった黒板を再活用しています。TOKIO-BAのロゴを入れ、ここに来た人たちを出迎える、大事な役割を担ってもらいました」


看板に描かれた「僕らは地球の1ピースを手に入れた」も、TOKIO-BAで大切にしている言葉だ

「また、TOKIO-BAのシンボルツリーも廃校になった学校から譲り受け、移植したものです。誰にも見られなくなった木に、もう一度ここで主役になってほしい、という想いが込められているんです」


写真左奥に写るのが、TOKIO-BAのシンボルツリー「neighbor tree(ネイバーツリー)」

アイドルとして走り続けてきた3人が手に入れた、TOKIO-BAという自由なフィールド。人生の先輩たちからの学びを、彼らは一体どのようにしてTOKIO-BAで伝えようとしているのだろうか?

目指すは遊びながら学ぶ「エデュテイメント」

TOKIO-BAのフィールドには、自然との距離を縮めるアイデアがあちこちに散りばめられている。森の中に設置された、松ぼっくりを使った的当てゲームでは、弾となる松ぼっくり集めに夢中になる子どもの姿が。


森の一角には、「森の合唱エリア」と書かれた看板が。看板の文章を読み、耳を澄ませると、森の中には木々のざわめきや鳥の声で溢れていることに気がつく。自然について学ぶための工夫ですね、と言うと、国分さんはこう答えてくれた。

「『教育』って感じでもないんですよね。やっぱり、僕はエンターテイメントの人間なので。『鉄腕DASH』でいろんな知識を身につけさせてもらいましたけど、学んでるつもりは全然なかったんですよ。好奇心のほうが勝って『楽しい!』と思ってたら、知識も得ていた。これって、エンターテイメントのすごいところだと思うんです。

だから、僕のやりたいのは『エデュケーション(教育)』と『エンターテイメント』を足した『エデュテイメント』みたいなこと。ここで遊んだ子供が、将来、自然の循環や環境について触れた時に『これ、TOKIO-BAで聞いたことある!』ってなってほしいんです」


「森の落としものBOX」と名付けられた木箱。意識しないと見落としてしまうような小枝も、「森の落としもの」と名前が付くことで、拾い集める楽しみが生まれる
TOKIO-BAでは企業の社員研修を受け入れ、鳥小屋をつくるワークショップを開催したことも

「失敗か成功か、みたいなゴールって、実はそんなに重要じゃない。そこに向かう道中が一番大切なんじゃないかと思うんですよ。楽しそうだからやってみて、途中で方向転換しても、学べることはあるじゃないですか。失敗だって楽しめるんですよね。

だから、TOKIO-BAはあえて開発途中でオープンして、2年経った今でも完成してません。来るたびに変化を楽しんでほしいし、何よりTOKIO-BAを皆さんの『自分ごと』にしてほしいからなんです」


TOKIO-BAに関わる人たちは『BA-ddy(バディ)』と呼ばれる。森の中には、BA-ddy一人ひとりが趣向を凝らした生地をパッチワークして作られた鯉のぼりが

取材当日、もう10回近くTOKIO-BAに来ているという親子連れと話す機会があった。最初はTOKIOファンの娘に連れられて来た、という父親は、「水路の溝掘りを一緒にやったので、スタッフの方とは娘よりも私のほうが仲良しですね」と笑いながら話してくれた。

TOKIO-BAでは毎週日曜日をオープン日として開放し、畑仕事や森の開拓など、さまざまな作業に一般の人も参加できる(※)。また公式アプリで日々の動きを発信しながら、TOKIO-BAのイベントや企画に関するアイデアを募る「井戸BAた会議」も行われている。

毎月、生配信される「井戸BAた会議」では、国分さんとイベントを振り返ったり、実施予定のイベント案を考えたりと、TOKIO-BAづくりに参加できる。毎週日曜日のオープン日の作業についても、事前に公式アプリで告知される(※オープン日の作業内容は時季によって異なる)

「TOKIO-BAは僕たちTOKIOだけのものじゃなく、BA-ddyの皆さんのものでもあると思ってます。こんな広い土地はとても僕たちだけの力じゃ開拓できないから、皆さんの力が必要。だからこそ、作業のたびにBA-ddyを集めて、みんなで一緒に手を動かすようにしています。

やっぱり自分で手を動かすのが、一番自分ごとにする方法だと思うんですよね。そこで僕が福島のじいちゃんやばあちゃんたちから教わった知恵や技術も自然と伝わっていけばいいと思うし、この土地の自然を守って、後世に伝えることにも繋がると思うんです」


TOKIO-BAは一般の方だけでなく、さまざまな領域の専門家を巻き込む場所にも。ツリーハウスの制作にあたっては、樹木医の先生や、フラワーショップのオーナー・奥村一繁さんの協力があった
名古屋でフラワーショップ「deja-vu」を営む奥村一繁さん。ツリーハウスを作りたいと思っていた国分さんと、ツリーハウスビルダーの資格を持つ奥村さんが、たまたまテレビ番組で出会い意気投合。奥村さんがTOKIO-BAのツリーハウスのデザイン・制作を担当することになった

自力温泉、サウナ、タイニーハウス。やりたいことは一生続く

2周年イベントでは、国分さんから今後のTOKIO-BAの構想が発表された。サウナやキャンプ場、カフェ、タイニーハウスの宿などを今後増やしていくという壮大な内容だ。なかでも目を引いたのは、自分たちの力で温泉を掘るという「自力(じりき)温泉」だ。


「ここには地元の人も遊びに来るんですけど、ある時、地元のおじいさんがボソッと教えてくれたんです。『ここ、温泉出るぞって。そしたらやるしかないじゃないですか(笑)。

お金を払って、温泉を掘ってもらうのは簡単だと思うんです。でも、自分たちで掘るほうが絶対面白いし、たぶん挑戦した人もいない。そんな風にTOKIO-BAでは『世界で初めてのこと』をやりたいから、自力温泉はチャレンジしたいんですよね」


そんな国分さんだが、イベント中、会場内を歩きまわり、気さくに来場者との会話に応じる姿に驚いた。そのことを伝えると、こんな答えが返ってきた。

「若い頃とは、ちょっと距離感も違うかもしれないですね。エンターテイメントど真ん中のアイドルには、ファンの方々との『いい距離感』ってあると思うんです。いい意味で、雲の上の存在であるような。

でも、TOKIO-BAはみんなで作る場なので。来た人の感想はすごく気になるし、アイデアが欲しいから、自然と近い距離感で接してるのかもしれないですね」

なにより国分さん自身がこのフィールドを「自分ごと」として捉え、だからこそ周りの人たちを巻き込み、「自分ごと」の輪を広げている。TOKIO-BAは「TOKIO-WA(輪)」でもあり、みんなで作りたい、と国分さんは取材中に繰り返し語っていた。

「この場所に来ることで、自然に触れるきっかけにもなりますよね。都会で育った子どもは、自然との距離が遠くなってしまっているかもしれない。でも、TOKIO-BAの森に来て、最初は鳥の声に気づかなくても、『今の鳴き声聞こえた? どう思った?』と質問すれば、子どもたちのアンテナはどんどん感度がよくなって、どんどん反応し始めるんです。

すると自然と、身につけたことを今度は他の人に伝え始める。そんな風に、なんでも循環していくといいなあ、と思うんですよね」


「あの船は『もりのふね まある』って名前なんですけど、後ろの木々が傾いてるから、森の中に前に進んでるように見えません? 『森の中で海を感じられたら面白いな』と思って、『まある』を作りました。

実は、森と海ってすごく関係が深いんですよね。山の土に含まれた栄養分が地下水や雨を通じて海へ流れ出ることで、海が豊かになる。山がないと海は育たないから、漁師さんたちは山に一番、感謝してるって聞いたことがあって。『まある』には、そんなストーリーも込めてます。

他にもいろんな伝えたいことがTOKIO-BAに込められてますが、まずは遊びに来て欲しいですね。森はすごく面白いし、気持ちいいので。今だって、西陽が木と木の隙間から差し込んでて、すごく最高な時間。時間によっても変わるから、もう全然飽きないですよね」


最後に「中にいて気持ちよく感じる森は、自然の循環のバランスがとれた『いい森』らしいですよ」と国分さんに伝えると、嬉しそうに「いい森認定、ありがとうございます!」と返してくれた。

第一次産業の中でも、「林業」は特に自分ごとになりづらいように思う。自由に入ることのできる森は減り、森の魅力を感じられる機会も少なくなっている。だからこそ、TOKIO-BAのように気軽に入り、手を動かすことのできる森はとても貴重だ。国分さんが先輩たちから教わった「大事なこと」の継承の輪は、このTOKIO-BAで確実に繋がりはじめていた。



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