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家族4人で電気代は月4千円。「世界一脱炭素に熱い」アナリストのエネルギー自給自足生活#豊かな未来を創る人

    

サストモ編集部

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「世界で一番脱炭素に熱い男」というキャッチフレーズで活動するエネルギーアナリストの前田雄大さん。脱炭素領域のコンサルタントとして働きながら、全国各地での講演活動や自治体におけるアドバイザー業務など、日本における新たな脱炭素の取り組みを推進しています。

20代の頃、外務省の職員として気候変動を担当したときに、脱炭素は経済や外交に直結すると実感した前田さん。エネルギー自立をすることこそ、世界で日本が生き残るために不可欠な手段だと強調します。

6年前に移住した群馬県みなかみ町では、太陽光パネルとEV(電気自動車)を使って、電気を自給自足する生活を送っています。遊びの一環のように、家で生み出した電気のやりくりについて語る前田さん。本来脱炭素というのは、個人の暮らしに身近なものであり、面白くて役に立つものだとも話します。「実験場」と語るみなかみでの生活を見せてもらいながら、脱炭素にかける思いやこの先注力していくことについて話を聞きました。

1984年、千葉県生まれ。2007年、東京大学経済学部を卒業し、外務省入省。開発協力、原子力、大臣官房業務などを経て、2017年から気候変動を担当。G20大阪サミットの成功に貢献。パリ協定に基づく成長戦略をはじめとする各種国家戦略の調整も担当。2020年から株式会社AfterFITに入社し、脱炭素メディア「EnergyShift」やYoutubeチャンネル「エナシフTV」で情報発信を行う。2022年より株式会社シグマクシスに参画。企業の脱炭素支援などを手掛ける一方で、山形県米沢市、群馬県みなかみ町などの脱炭素専門アドバイザーとして活動。プライベートでは2018年に群馬県みなかみ町に移住し、エネルギーの自給自足や農業を実践している。著書は『60分でわかる!カーボンニュートラル超入門』(技術評論社)。

自給した電力をゲーム感覚で使う

── 今日はみなかみ町のご自宅で取材させていただき、ありがとうございます。ここに向かう途中で前田さんの家の屋根を見上げると、ずらりと太陽光パネルが並んでいました。

うちには3箇所に太陽光パネルがあるんです。この家と駐車場、それから隣にあるもう一棟の家、それぞれの屋根に太陽光パネルを載せていて、自宅の電力を賄う用と売電用とに分けて使っています。そこから得た収入は、家のローンの支払いにも充てているんです。

それぞれの太陽光パネルは蓄電池に接続されていて、チャージャーを通してEV(電気自動車)に給電できる仕組みです。夜間などは日中EVに溜めておいた電気も使いながら、足りないときは必要に応じて電力会社の電気を使ったりもしています。

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自宅の屋根一面に太陽光パネルが載っている。
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駐車場の屋根に設置された太陽光パネル。電気を自給することは、災害大国の日本では特に重要だと前田さんは語る。

── ちなみにひと月の電気代は?(※取材は6月下旬)

先月は4,000円でした。

── 安い...!家の電気代と、いわば車の燃料費込みということですよね。

そうなんですよ。今は自給する電気の量に対して、蓄電できる量が足りないので、現状使っているEVをもう少し大容量のものに切り替える予定です。そうするともっと電気代を抑えられると思います。

うちではHEMS(ホームエネルギーマネジメントシステム)を入れていて、今この瞬間使われている電気が、太陽光からなのかEVからなのか、どの部屋で何kW使っているのか、可視化されているんですよ。

なのでモニターを見て、「これだけ電気が余ってるなら、洗濯機を回そう!今だー!」と、ゲーム感覚で電気を使っています。自分で電気を作ってやりくりするって面白いですよ。それをみなさんに知ってほしいですし、この家を実験場にして、暮らしにおける脱炭素の可能性を探っていきたいですね。

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HEMSで可視化された数値を確認しながら家電を使う。電力会社から電気を購入している状態なのか、反対に家の太陽光パネルから生まれた余剰の電気を販売している状態なのかも、その時々でわかるようになっている

脱炭素でエネルギー自立と地方創生を

──  まさにライフワークとなっている脱炭素の取り組み。こうしたプライベートでの実践に対して、現在仕事ではどのような展開をされているのですか。

仕事では、おもに3つの動きをしています。まず1つ目は、企業のGXコンサルティングです。今僕はコンサル企業の社員として、企業の脱炭素化支援や、脱炭素商品や事業開発を行う企業の中長期的な戦略立案、脱炭素に向けた町づくりのインフラ構築支援などをチームで行っています。

2つ目は、脱炭素にまつわる発信活動です。自治体や地方銀行、商工会、経営者協会、青年会議所などから依頼を受けて、月2~3回全国各地で最新の脱炭素に関する講演会を行っています。

そして3つ目は、自治体のアドバイザー業務です。現在4つの自治体で、全国の成功事例を紹介しながら、脱炭素に向けた町づくりの助言や提案をしています。

──  企業や自治体の課題解決や社会のリテラシーの底上げなど、多方面から脱炭素社会の実現に向けて動いておられます。こうした活動の軸となっているのは、どんな思いでしょうか。

まずは、この国がエネルギー自立をしてほしいという切実な思いです。近年も、ウクライナで起きた戦争によって、化石燃料の価格が高騰して電気代が上がるなどのニュースがありました。これってつまりは、日本がエネルギーをコントロールするレバーを自分で握れていないということ。国の外で何か起きたときにまともに影響を受けてしまう日本の脆弱性について、外交官だった頃から大きな問題意識を抱いてきました。

一方世界では、例えば中国はもはや「CO2を減らす」ではなく「エネルギー自立をする」という明確な文脈で脱炭素を進めています。再生可能エネルギーや蓄電池など、サプライチェーンを含めて圧倒的に世界を支配しつつある。欧米はそれを脅威と捉えて、関税率を上げたり経済安全保障戦略を練ったりといった、リアクションを取っている。つまりいかにうまくエネルギー転換できるかが、世界の覇権争いで生き残れるかに関わっているのです。

日本がエネルギー自立をすれば、化石燃料を輸入して海外に流出していた10兆円以上のお金が国内で回るようになり、大きな経済波及効果が期待できます。また、他国への依存が減れば、安全保障上の脅威も下がる。そうした意味で、エネルギー自立は日本にとって非常に重要だといえます。

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──  エネルギー自立は経済や外交とダイレクトに結びついていると。

はい、まさに。そしてもう一つは、脱炭素をツールに地方を強くしたいという思いです。もともと外交官時代に各国を見て回ったときに、強い国というのは、地方が強いと実感する機会が何度もあったんです。特にアメリカに赴任した時に50州を車で巡ったのですが、どの地方都市もそれぞれ独自に発展を遂げていました。

つい先日も、中国の深圳(しんせん)に出張したのですが、やはりものすごく勢いがあって驚きました。40年以上前は単なる漁村だった地域が国の経済特区に指定されて成長を続け、今では世界の大手IT企業やスタートアップ企業が集まる、"中国のシリコンバレー"といわれるような都市になっているんです。一極集中ではなく、各地に発展した都市があってこそ、国家の足腰が支えられるのだと改めて感じさせられました。

それに対して日本は、各地で急速に過疎化が進み、地域経済の衰退化が続いています。国全体の成長を底上げしていくためにも、今必要なのは地方を強くすることであり、脱炭素はそのためのカギになると思います。

──  脱炭素で地方を強くするというのは、具体的にどういうことですか?

脱炭素の主力となる再生可能エネルギーを、地方で積極的に展開していくということです。というのも、再生可能エネルギーは、都市部よりも地方の方が圧倒的に有利なんです。

東京のような都市部では、太陽光パネルを設置しても、ビルやマンションによって影ができるから非効率です。一方で地方は、日光を遮る高い建物が少なく空き地も多い。太陽光パネルを設置するのには適地なんです。

それから山の尾根や海沿いの地域は、強い風が吹くので風力発電にも向いています。地方では、都市部にはない地熱発電の可能性や、畜産業や農業を利用したバイオマス発電の可能性も考えられる。それらの新たなインフラを整えていくことが、地方が潤うきっかけにつながる。その土地ならではの強みを見極めて適切に活かせば、地方にはあらゆる可能性が眠っています。

医者から死ぬ確率を聞いて一番怖かったこと

──  脱炭素を通したエネルギー自立と地方創生。どちらも前田さんが目指す先は、国を良くしたいということです。その大義を抱くきっかけは何だったのでしょうか。

一つ大きかったのは、大学時代の出来事です。当時の僕はアメリカンフットボールのU19日本代表選手に選ばれるなど、スポーツに没頭していました。そんな大学生活が終わる頃、脊髄に腫瘍があるとわかり手術をすることになったんです。

手術前日、医師から言われたのは、手術中に死ぬ確率があるということでした。首の動脈に腫瘍が癒着しているため、剥がすときに出血すると即死だと。それから、下半身不随になる確率についても説明を受けました。

その話を聞いて、20代前半だった僕が一番怖かったことは、やはり死ぬことでした。手術台で麻酔をして目を閉じる瞬間が、人生の最後になるかもしれない。手術を迎える前日、病院のベッドの上でさまざまな考えが頭の中を巡りました。

自分の人生にはやり残したことがたくさんあるなと。結婚もできなかった。子どもの顔も見られなかった。そう考えていくと、人生の最後に一番したかったことは何だろう?と。そこで気づいたのは、家族やアメフトの仲間、恩師などこれまで自分に関わってくれた人たちに、せめて恩返しをしたかったという思いでした。もしも手術から生きて帰れたとしたら、その人たちに必ず恩返しをしようと決めました。

そしてその手段を考えたときに、一人ひとりではなく、日本という国全体を良くしていけば、自分の大切な人たち全員を笑顔にすることができる。それこそが大きな恩返しになるだろうと、直感で思ったのです。

手術は成功でした。僕は日本を良くする手段として外務省で働くことにしました。

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──  外務省に入ってから、どのような経緯で脱炭素というテーマに注力するようになったのでしょうか。

外務省で働き始め、発展途上国の開発支援や原子力外交、官房業務などに携わりました。2015年にパリ協定が採択され、世界中で脱炭素の機運が高まる中、2017年に外務省における気候変動の総括を担当する辞令が出ました。

そもそも気候変動というのは、長い間本気で取り組む国はあまりなかった。それは「環境保全」と「経済成長」が相反するものだったからです。ですが2010年代に入ってから、太陽光発電のコストが大幅に下がる技術革新が起きました。そこから各国がドミノをひっくり返すように、一斉に再生可能エネルギーを導入する方向に舵をきり始めたのです。ところが、日本だけは従来の化石燃料ありきの体制から脱却できず、世界の動きに大幅な遅れをとってしまった。このままではこの国が取り残されていくのではと、大きな危機感を抱きました。

そんな中、2019年に開催されたのがG20大阪サミットでした。僕は気候変動部分の首脳宣言の草案や各国間の調整を担当しました。各国の立場や利害がまったく異なる分野であるだけに非常に難易度の高い調整となりましたが、20か国すべての合意を取りつけて、首脳宣言の採択に漕ぎ着けることができました。

「環境を守ろう」という崇高な目標の裏にある、各国の真の思惑を読み解く。その過程を経て、改めてこれから脱炭素というテーマは世界においてものすごく大きなテーマになるだろうと確信しました。脱炭素に成功した国から権力を獲得していき、世界の勢力図も大きく変わるだろうと。

社会において、電気やエネルギーを使わないセクターはない。世界経済はすべてエネルギーによって回っていると考えたときに、これは人生をかけるに値するテーマだと思ったんです。

──  そこから外務省を退職。再生可能エネルギーによる発電や保守運用、電力小売り事業などを手掛けるベンチャー企業へと転職されました。新たなフィールドに移った理由は?

行政から一歩出て、さまざまな人の心に火をつけて変化を起こしていきたいと思ったんです。というのも行政ができることを例えると「橋を作ること」なんです。でも、その橋を渡りたいという人がいなければ意味がない。つまり脱炭素を推進する枠組みを作っても、そこに乗っかりたいと思う人がいなければ意味がないわけです。だからこそ、まずは脱炭素について多くの人に関心を持ってもらいたいと考えました。

再生可能エネルギーを扱う事業会社に転職し、脱炭素メディアの編集長として記事配信をしたり、「脱炭素Youtuber」 として動画配信を行ったりしました。より広い範囲の人たちが脱炭素に向けての行動を起こすきっかけとなる知識を提供できたらと考えたのです。

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テンポ良く勢いのあるトークで、Youtubeチャンネル「エナシフTV」に出演する前田さん(2021年配信時)写真提供/しろくま電力

──  そこから2年後に、現在のコンサルティング企業に移られます。

発信をするうちに、「うちの会社でどうやって脱炭素を実現できるのか教えてほしい」といった問い合わせがたくさん届くようになったんです。当時社内にコンサル部門はなかったので、すでにチャネルのある場所で取り組んでみようと、今の環境に籍を移しました。

現在のコンサル業務や講演会での発信、アドバイザー業務などのさまざまな取り組みを通して、とにかく全国に実変化の種まきをして、あちこちで同時多発的に開花させていきたい。その思いは変わりません。実際に、僕が今アドバイザーをしている山形県の米沢市では、バイオガス発電のインフラ構築を着々と進めています。

現在、太陽光発電を中心に推進している米沢市は、米沢牛を代表とする畜産業が盛んなためバイオガス発電も行える環境があります。畜産業で出た糞尿と、学校の給食センターや地元スーパーなどで出た食品残渣を混ぜて発酵させて、そこから出たガスを使って電気を作る。さらに、その過程で出た堆肥液肥は農業に活用する。その流れにおけるさまざまなセクターの方々に声をかけて、地域の経済性が成り立つ新たなモデルを作っているところです。

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さまざまな種類の金太郎飴を作っていく

──  脱炭素社会に向けた直近の日本の動きについては、どのようなことを感じますか。

昨年の秋くらいから、少しずつ社会の風向きが変わってきたような実感があります。というのも、企業がファッションではない形で、脱炭素に向き合わなくてはいけない時期にきているなと。例えば、大手メーカーが自分たちの企業の脱炭素に加えて、関連するサプライヤーにも脱炭素要求をするようになってきている。そうすると、脱炭素製品を作っている企業にとっては、ビジネスチャンスにもなるわけで。日本でも、少しずつ脱炭素のドミノ倒しが始まっているという実感があります。

──  そうした社会の変化の中で、前田さん自身が今後力を入れたいことは?

一つは、脱炭素を実現させるために、各セクターをつなげる役割を担うことです。やはり脱炭素というのは、いろいろな組み合わせで成り立っています。例えば発電と蓄電をセットに考えると、太陽光発電はEVと組み合わせた方が効果的に使えるんです。

ですが電力セクターは電気をどう売るか、車セクターは車をどう売るかということだけに目を向けてきた。そこに僕のような人間が入って、両者をつなぐ視座を手渡す。そうすることで、各セクターの連携を最適化して、利益を最大化することができると考えています。

そしてもう一つは、なるべく多くのパターンの脱炭素にまつわる成功事例を作っていくこと。それをパッケージ化すれば、さまざまな地域でそのまま応用できる。いわば、いろいろな種類の金太郎飴を作っていくことも自分の使命だと考えています。

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アドバイザー業務を行っている山形県米沢市の資源循環モデル。太陽光をはじめ、バイオガスやバイオマス、風力など、さまざまな再生可能エネルギーの取り組みを行っていて、その中で電力・熱・資源も地域内で循環している

──  最後に今の活動の先にどんな未来を思い描いているか教えてください。

エネルギーをみなさんにとってもっと身近なものにしたいです。ゲーム感覚で楽しめるくらいになれば、それを実感した人たちが勝手にイノベーションを起こしていくと思っています。そのためには、やはりいかに面白さや役立つことを伝えられるかだなと。

実は2社目で編集長としてYoutubeチャンネルを運営していたときは、開設から1年でチャンネル登録者数が4万人になったんです。多くの人が興味を持ってくれた要因として、当時同じ職場にいた雑誌の元編集長の言葉があります。それは「人を惹きつけるのは、面白いか役に立つかだけだ」という言葉です。これを聞いたとき、僕は本当にその通りだなと思った。単に「脱炭素を目指すべき」と言っても、仕事などで関わりがある人にしか振り向いてもらえない。いかに面白くて役立つ側面を提示できるかなんです。

米沢市で脱炭素による町づくりに着手した当初、「脱炭素」という言葉自体を知らない方も多くいらっしゃいました。そこで僕は「お宅の電気代を下げませんか?」という提案から始めてみたんです。その結果、アンケートに答えた約2100世帯のうち約900世帯が、「脱炭素をしたい」と回答。やはり、いかにこのテーマをそれぞれの生活に身近に落とし込めるかが大切だと実感しました。

僕自身、「地球を守りたい」という思いはもちろんありますが、そこを起点に活動をスタートさせた専門家ではありません。脱炭素はチャンスにあふれているのを伝えたいというのが起点です。僕は脱炭素の面白くて役立つ側面を知っている。それを入口にして、多くの人を巻き込んでいった結果、自ずとCO2が減らせる、サステナブルな社会になる、という流れが作れたら最高だなと。そのためにも、まずは僕自身がこのみなかみの地でエネルギー自給自足の日常を思いきり楽しみたいと思います。

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  • 取材・文木村和歌菜

    撮影荒井勇紀

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