LINEヤフー サストモ

豊かな未来のきっかけを届ける

豊かな未来のきっかけを届ける

自分が「ひきこもり」とは思っていなかった――約40年間の自宅生活から就労した男性を変えた「縁」 #老いる社会

東京スカイツリーでの国近斉さん(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
東京スカイツリーでの国近斉さん(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)

高齢の親が中高年ひきこもりを支える問題が「8050問題」と呼ばれて久しい。長期化に伴い、「9060問題」へと移行し、親の死に直面する人も増えてきた。山口県で暮らす国近斉さんは、高校中退後、約40年間の「ひきこもり」の後、55歳で社会との接点を取り戻した。62歳になった今、ハウスクリーニングの仕事をし、居住地の自治会で地域のための活動も行っている。国近さんはなぜ40年間ひきこもっていたのか。その間、何を感じ、考えて生きてきたのだろう。(取材・文:篠藤ゆり/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

つまずくきっかけは、偏差値の高い高校への進学

提供:NPO法人ふらっとコミュニティ
厚生労働省のひきこもり支援セミナーに元当事者として参加した際の国近斉さん(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)

Zoomの映像に映し出された国近さんの家は、部屋も台所もきれいに片づき、両親の遺骨のそばには花が生けられ、丁寧な暮らしぶりがうかがえる。インタビューに答える際は、ときどき穏やかな微笑を浮かべ、自分の気持ちを正確に伝えようとじっくり言葉を選ぶ。その様子はもしかしたら、一般的に「ひきこもり」という言葉から連想されるイメージとは違っているかもしれない。

国近さんを取り上げたドキュメンタリー「国近さんの日記 ひきこもり40年 それから...」(yab山口朝日放送)は大きな反響を呼び、YouTubeの動画は150万回以上、再生された。「勇気をもらった」という、ひきこもり当事者や家族の声も多い。

家にいるようになったのは、偏差値の高い高校に入ったのがきっかけだった。

「中学時代に仲がよかった友人から誘われて、なんとなくその学校を受けて。なんで僕なんかが、宇部で一番いい高校に入れたのか不思議だけど、友人は落ちたのに僕はたまたま受かっちゃった。でも、入ったら学業についていけなくなったんです。そのうち『どうしよう』と思いながら家を出てぐるぐる町を歩いて、学校に行かずに家に戻るようになって――。両親は外で働いていたから、しばらく気づかなかったみたいだけど、学校から言われて知ったんでしょうね。『どうして行かないのか』『家で何をしてるんだ』と言われましたよ」

高校2年のとき、学校からの勧告で中退することに。その後しばらく、アルバイトをした。

「父も学歴がないし、それほど学校が好きじゃなかったみたいだから、僕の学校のことは諦めたのかな。一緒に高校受験をした友だちが心配してくれたのか、新聞配達をやろうと誘ってくれて。約2年、がんばりました。でも、その友人が大学進学のために山口県を出ることになったら、新聞配達を続ける気力がなくなっちゃった。その後、親戚のおじさんが宇部の造船所で働くことになり、誘ってくれたので働いたんですけど、おじさんが親方とけんかしてやめるとき、僕もやめちゃった。ほんの数カ月でした。こんなキツイ仕事はいやだと思ったし」

それ以降、国近さんは仕事をせずに家にいるようになる。そんな国近さんのことを、両親は厳しく責めたりはしなかった。

「こう言ったら反発を買うかもしれないけれど、仕事を探そうという気はまったくなかったですね。家にいてテレビを見たり、掃除や片づけをしたりしていました。根っから、掃除が好きでしたから。僕は小さい頃から体が弱かったし、父も母も『3人仲よく普通に暮らせたらそれでいい』くらいに思っていたのかもしれません。だから、なにも言わなかった。それは、ありがたかったなぁ」

自宅で家事を担当、近所の人の目が気になった

浅草寺での国近斉さん
浅草寺での国近斉さん(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)

25歳ごろ、母親が軽い脳梗塞で入院。退院後、料理は引き続き母親が担当したが、買い物を含めてそれ以外の家事はほぼ国近さんが担当するようになった。

当時、未婚の女性が就労せずに親の家で暮らしている場合、「家事手伝い」と呼ばれることもあったが、男性の場合、肩身が狭かった。国近さんもまわりの目を気にし、精神的に追い詰められていった。

「家事はもともと好きだから、苦になりません。お金にはならないけれど、やりだしたらきりがない。もし女の子に生まれていたら、もっと堂々としていられただろうけれど、男の場合はそうはいかないから。若い男が家でごそごそやっているのを、近所の人たちはどう思うかな、なんてことを考えましたねぇ。他人の目が、すごく気になりました」

やがて母親は、高血圧や乳がんなど、次々と病気を繰り返すようになる。家事に加えて通院の付き添いやケアなども、国近さんが行った。

「自分の年齢が高くなるにつれてすごく焦るようになりましたし、不安でいっぱいでした。仕事もしていないし、父や母に養われているようなもんですからねぇ。父や母がいなくなったら、どうしたらいいのか。このままいくと、明日の生活にも困るようになるんじゃないかと、しょっちゅう思っていました」

両親の死で天涯孤独に

浅草寺での国近斉さん
提供:NPO法人ふらっとコミュニティ

国近さんが40代後半になったとき、母親が亡くなる。その3年後、今度は父親が血液のがんで急逝した。

「母親はずっと具合が悪くて、いつ亡くなってもおかしくないという感じだったから。悲しかったけれど、仕方がないな、なんて思っていました。でも、父が亡くなったときは、本当にショックでした。頼る親戚も友だちもほとんどいない。まさに天涯孤独になってしまったわけですから。不安もどんどん大きくなっていきました。少ないけれど、父はお金を残してくれたんで、それをちょこちょこ切り崩すみたいにして生きていくしかない。しばらくは生きていけるけど、それがなくなったらどうしたらいいのか。もう、どうでもいいや、と思ったり。日によっては、なんとかなるかなぁ、という気持ちになったり――」

不安を忘れていられるのは、本を読んだり、音楽を聴いたりしているとき。本は図書館で借り、CDは自分で買ったものが数枚ある。

「山口百恵や岩崎宏美、太田裕美など昔のアイドルが好きで、CDを持っています。年をとるにつれ、ポール・サイモンやビリー・ジョエルなど昔のアメリカ音楽が好きになり、引っ張り出しては聴くようになりました。たまにはシャンソンも聴きますし、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いたりもします」

本で印象的だったのは、井伏鱒二の短編小説『山椒魚』。成長しすぎて自分のすみかである岩穴から出られなくなった山椒魚の話だ。主人公の山椒魚は、一時は外で自由に動き回るミズスマシやカエルを感動の目で眺めるが、あるときから目をそむけ、まぶたを閉じて孤独に泣く。

やがて国近さんは、徐々に体調を崩していく。

「頭もくらくらするし、体がしびれるし......。どこか悪くなっちゃったのかなと思って、近所の脳神経の病院でMRIを撮ってもらったら、どっこも悪くないと言われて。それで思ったんです。誰とも接触せず一人でじっとしているのがいけないのかな、って。もしかしたら精神科に行ったほうがいいかなぁ、とか......」

一歩踏み出しNPOに参加

(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
提供:NPO法人ふらっとコミュニティ

ちょうどそのタイミングで、たまたま宇部市の広報誌で見つけたのが、NPO法人 ふらっとコミュニティの案内だった。

「ちょっと変わった生活はしているけれど、自分が『ひきこもり』だなんて、思ったことなかったし。最初はそういうところに行くのも不安でね。なかなか決心つかなかったけれど、まぁ行ってみるかと思って、重い足取りで出かけたんです」

話を聞いてくれたのが、NPO法人ふらっとコミュニティの理事長でもある山口大学大学院医学系研究科教授(現・山口大学名誉教授)の山根俊恵さんだった。それまでの生活について一通り話すと、翌週また来るようにと言われた。

「『木曜日のこの時間にまた来てくださいね』って言われたので、そうかと思って次の週から行くようになったんです。それから週に1回通うようになり、いろいろイベントがあると、他の曜日にも行ったりするようになりました」

ふらっとコミュニティでは、卓球などの軽い運動や、木工など、さまざまなプログラムがある。そうした経験を通して、徐々に人と接する時間が増えていった。

「通っている人のなかには、病気で生活が困難な人もいるし、ひきこもりの人もいるし、いろいろなんです。徐々に、その人たちががんばっているから、僕もがんばろうと思えるようになりました」

ついに就労「体が動く限り働きたい」

(提供:NPO法人ふらっとコミュニティ)
提供:NPO法人ふらっとコミュニティ

通い始めて2年目に、山根さんから「働いてみませんか」と勧められる。人とあまりかかわらない仕事を希望し、好きな掃除を生かせるという理由で、パートタイムでハウスクリーニングの仕事を始めることになった。

「ずっと仕事をしてこなかったので、大変なこともありますよ。やんなっちゃうときもあるし。でも、やっぱりお金をいただけるというのは大きいです。お給料と言われてもピンとこなかったけれど、毎月お金をいただけたら、やっぱり元気が出ます。おかげさまで、両親に供える花も前より頻繁に買えます」

国近さんはNPO法人と出会う1年ほど前から、その時々に感じたことや思ったことを書き留めている。最初は広告の裏などに書いていたが、日記帳を買ってそこに書くようになり、今もその習慣を続けている。

「もう8年くらい続いているから、生活の一部になっているのかなぁ。その日にあったことを、ちょこっと書いたり、気持ちを書いたり......。う~ん、書くと少しは、気持ちが落ち着くのかなぁ......」

目下の悩みは、仕事に追われ、読書の時間や音楽を聴く時間がないことだ。

「僕の場合、たまたま広報誌を見て、ふらっとコミュニティを知ることができたのは運がよかったと思います。家の近くにそういう施設があったことも、幸運かもしれないし。やっぱり誰かの助けがないと、なかなか一歩踏み出せないですから。もしここに来られなかったらどうなっちゃったかな、なんて、ふと思うことがあります。4月23日で63歳になりますが、体が動くうちは働いとかんとね。生活保護とかもあるけれど、やっぱり自分で働いてお金をいただくのがいい。働けるようになったのは本当に不思議だし、これも縁なのかなぁ」

元記事はこちら

国近斉(くにちか・ひとし)

1962年、山口県生まれ。約40年間、自宅の家事などをして過ごす。両親の死後、55歳のときにNPO法人ふらっとコミュニティに連絡して通うようになり、現在はハウスクリーニングの仕事をしている。

#老いる社会」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。2025年、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上となります。また、さまざまなインフラが老朽化し、仕組みが制度疲労を起こすなど、日本社会全体が「老い」に向かっています。生じる課題にどう立ち向かえばよいのか、解説や事例を通じ、ユーザーとともに考えます。

\ さっそくアクションしよう /

ひとりでも多くの人に、地球環境や持続可能性について知ってもらうことが、豊かな未来をつくることにつながります。

  • facebookでシェアする
  • X(旧Twitter)でポストする
  • LINEで送る
  • noteに書く

ABOUT US

サストモは、未来に関心を持つすべての人へ、サステナビリティに関するニュースやアイデアを届けるプロジェクトです。メディア、ビジネス、テクノロジーなどを通じて、だれかの声を社会の力に変えていきます。

TOP