自然に学ぶ、利尻の魅力。雪山に惹かれた青年が離島のガイドになるまで
北海道最北の市・稚内からフェリーで約1時間半の場所に位置する利尻島。
ここでしか育たない植物も数多く存在し、その姿をひと目見ようと多くの旅行者が訪れる。また島の中心にそびえ立つ「利尻山」は、世界でも珍しい四方を海に囲まれた山として「バックカントリーの聖地」とも称されている。
そんな利尻島に魅せられた一人が、室田雄飛さんだ。
室田さんは北海道の洞爺出身。江別市にある酪農学園大学を卒業後、環境省のアクティブレンジャーとして利尻島へ移住。来島して4年目を迎える2021年春には、SUPツアーやレンタル自転車を中心とするアクティビティ事業「RISHIRI ACTIVITY」を立ち上げた。
「自分は自然の中にお邪魔させてもらってる。だから共存を大切にしたい」
そう語る彼が目指すのは、アウトドアを入り口に自然の見方を伝える「自然ガイド」という存在。その歩みの背景には「スノーボードやスケートボードで培った経験」と「自然の楽しさを教えてくれた周囲の存在」が強く影響しているという。
彼はなぜ利尻島に移り住み、アクティビティ事業を立ち上げるに至ったのか。その経緯やルーツについてお話を伺った。
外の人間だからこそ伝えられる島の魅力
──室田さんは北海道の洞爺湖温泉出身なんですよね。どういった経緯で利尻島へ移住したのでしょうか?
きっかけは、環境省の「アクティブレンジャー」に就いたことでした。あまり聞き慣れない方も多いと思いますが、レンジャーとは全国にある国立公園の管理や野生動物の保護、環境保全などに携わる仕事です。
レンジャーには「レンジャー(保護管)」と「アクティブレンジャー(保護官補佐)」の2種類があり、僕が属していた後者はいわば現場担当。利尻島の登山道整備を主に、国立公園のパトロールや、調査における調整業務を行っていました。
──アクティブレンジャーになるのは難しいんですか?
環境省のHPに書かれている国立公園ごとの募集条件に合致すれば、基本的には誰でも応募できます。僕のように新卒で入る方もいれば、定年退職してから入る方もいて、年齢層はかなり幅広かったですね。
──数ある国立公園の中で、どうして利尻に?
島のシンボルでもある「利尻山」の存在が大きいですね。大学時代、バックカントリー(*1)にハマっていて、仲間内で「利尻山を滑ったら本物」と半ば伝説的な場所として語られていたんです。
僕もいつか滑ってみたいと思っていた矢先、ちょうど卒業の時期にアクティブレンジャーの募集がかかって。憧れの土地にいながら働けるなんて一石二鳥だと思って、すぐに応募しました。
──最初はただ「利尻山を滑ってみたい」という気持ちが強かったんですね。実際に訪れてみてどうでしたか?
早々に利尻山を滑る夢が叶って、実は一年目でやり尽くした気持ちになっていたんですよね。ただ、島の住人との繋がりができたこともあり、3年の任期を終えて「じゃあね」というのは寂しかった。
それに利尻の自然を知れば知るほど課題も見えてきて、僕がこの島にできることはまだあるように感じたんです。
──課題と言いますと?
利尻には「環境教育」を受ける場が少なかったんですよね。島民でも利尻山に登ったことがない人は多いですし、島の子どもたちも外ではあまり遊ばない。でもそれってただ遊び方を知らないだけだと思うんです。
外から来た僕が言うのはおこがましいけれど、逆に言えば僕のような利尻の自然に魅せられた島外の人が「利尻ってこんなにすごいんだよ!」と言うことで伝わることもあるんじゃないかって。
アクティブレンジャーとして環境教育に携われる地域もあるのですが、利尻を管轄する宗谷管内ではまだ方針が定まっていなかった。じゃあ自分でやろうということで「RISHIRI ACTIVITY」を立ち上げて、今に至ります。
──卒業と同時に移り住んだ土地で4年目に起業。苦労はなかったですか?
実は事業を立ち上げる前はお金が25万円くらいしかなかったんですよ。でも利尻町への定住移住をサポートしているツギノバの大久保さんに「利尻で活動したいと」相談したら、起業・創業について色々とサポートしてくれて。
その後もツギノバと連携しながら、ワーケーションで島に訪れた方へのガイドツアーを考えさせてもらったり、そういった助けのおかげで夢物語がかたちになって、ようやく1シーズンを終えられた感じですね。
自然のおもしろさを教えてくれた大人たちと横乗りカルチャー
──室田さんは、幼い頃から自然に慣れ親しんでいたんですか?
そうですね。地元の洞爺湖温泉には国立公園があって、幼少期はほぼ毎日外で走り回ってました。そこで働いていたアクティブレンジャーのお兄さんにいろんな遊びを教わったのは今でも印象に残ってます。
それこそ僕が幼稚園の時には、地元の有珠山が噴火して、その噴石で家に穴が空いたこともあって。そういった土地柄もあってか、小学校の授業に火山の勉強が組み込まれてました。
あとは家族が大のアウトドア好きで、洞爺湖の湖底清掃や外来種防除といった環境保全活動をしていたんですよね。それを間近で見ていたことも大きいと思います。
──「自然が身近すぎて愛着を持てない」ということはなかった?
やっぱり家族を始め、アクティブレンジャーのお兄さんや学校の先生といった身近な存在が「自然のおもしろさ」を教えてくれたのが大きかったと思います。
高校を卒業して酪農学園大学に進学したのも、洞爺湖で調査活動をしていた人たちとの出会いでした。
──調査活動をしていた人たちとの出会い。
当時、「鹿の歩く先には何があるんだろう」ということに興味があって、山に入って鹿を追いかけて遊んでいたんです。
ある日、鹿を追いかけていたら、フィールドワーク中の酪農学園大学の教授と出会って、タンクトップにつなぎ姿の僕を見るなり「君みたいな子が大学に来たらおもしろい」と言ってくれて。
それまでは進学とか一切考えておらず、すでに就職先が決まっていたんですけど、そう言われたら俄然興味が出てきて。この大学に行きたいと方向転換しました。
進学した後は、主に外来種の駆除や、国立公園のあり方、動物や自然との共生について勉強をしていました。学者肌ではなかったので、研究にのめり込むというより、相変わらずフィールドワークを楽しんでいましたね。
僕のガイド人生の目標となる矢吹全(やぶきぜん)さんと出会えたのも、大学時代の洞爺湖中島のシカの個体数調査がきっかけでした。
──矢吹さんはどういった方なんですか?
ニセコの倶知安で『Forestrek』という自然ガイドをしていて、当時の自分に自然の見方を教えてくれた方です。自然の美しさに感動し、見る楽しさに気づき、知る喜びを味わう。そんなツアーに気づけば夢中になっている。その人との出会いは、人生の分岐点の一つでしたね。
──アウトドア好きなご家族、アクティブレンジャーのお兄さん、大学の教授、そして矢吹さんとの出会いが今に繋がっているんですね。「ガイド」という仕事はいつから意識されたのでしょうか?
大学3年には漠然とガイドへの憧れはありました。とはいえ当時はスノーボードとスケボーに明け暮れていて、将来のことはほぼ考えてなくて(笑)。でもこの2つから学んだことも多かったですね。
──スケボーとスノボーから学んだこと。
僕の中には「自然」と「横乗り」という2つの軸があるんです。前者は自分たちを遊ばせてくれている自然への感謝の気持ち。後者は一つのカルチャーを媒介に年齢や性別関係なく繋がれることの尊さ。
その2つには共通して、リスペクト(敬意)を持つことがカッコイイという価値観があります。実際自分の周りには「山にお邪魔させてもらってる」という考えの人が多いですし、どんなに上手くてスキルが高くてもこの考えを忘れてはいけないと思っています。そういった意味でも、僕にとって大きな行動指針になってますね。
自然の魅力を「楽しく」伝えたい
RISHIRI ACTIVITYのプロモーションムービー
──普段のガイドにもそういった考えは活かされるんでしょうか?
そうですね。「RISHIRI ACTIVITY」としてお客さんを案内する時も、ただアクティビティを楽しんでもらうだけではなくて、自然を見る目が養われるようなツアーを意識しています。
例えば利尻島では、山に降った雨や雪解け水が伏流水となって、海底から湧き水として湧いています。それが昆布の栄養になって、ウニがついて、猟師さんが獲る、という「一つのサイクル」がある。
こういったことをツアー中に知ってもらうことで、いつもの生活に戻ったときも「この川はどこから来たんだろう?」とか身近な自然に素朴な疑問を持ってもらえるかもしれない。そういう考えを持つ人が増えたら最高ですよね。
──人と自然の関わりを伝えたいんですね。
そうですね。ただ、それをゴリ押ししちゃうと説教っぽくなっちゃうので、アクティビティを入り口にして、その中に2割程度自然ガイドの要素を混ぜることを今は意識しています。
今後はガイドの要素を少しずつ増やして、島の内外問わず、利尻の自然の魅力を伝えていきたいです。2021年シーズンに実施したSUPツアーでは参加者全体のうち半分が島民で、そのことがすごくうれしくて。
──室田さんは自分やお客さんの「楽しい」を一貫して大切にされていますよね。最終的な目標はありますか?
やっぱり矢吹さんのような「人を導く自然ガイド」になりたいですね。幼い頃、周りの大人たちが自然の見方を教えてくれたおかげで、今の自分がある。そこで得た経験を次の世代にも渡していきたいです。
それから、同じフィーリングを持った仲間を島内外に増やしたい気持ちもあります。だからこそまずは体験を通して、「楽しそう」と感じてもらう。そのポジティブな輪が波紋のように広がっていけば、もっと多くの人に島の魅力が伝わると思うんです。
おわりに
彼と出会った最初の印象は「ナイスガイ」だ。
北海道・洞爺湖温泉で生まれ育ち、雄大な有珠山の麓で幼少期を過ごした彼が「自然」に目覚めたのは自明のことだろう。そんな彼の世界をさらに押し広げたのは、「周囲の大人たちの存在」と「横乗りカルチャー」との出会いだった。
昨今はSDGsを始めとして、国が主導となって環境について学ぶ機会も増えてきた。環境保全を前提としたあり方や議論が求められ、社会変化の兆しも少しづつ感じるようになった。
しかしその一方で、「美しい」「楽しい」といったポジティブな感情が人を動かす瞬間は間違いなくある。カルチャーを媒介に、偏見なく一つの価値観を認めるという体験は、これからSGDsを進めていく上で大切な鍵になるだろう。
「人を導くガイドになりたい」そう語る彼の表情は晴れ晴れしい。そのあまりの眩しさに、思わずこちらも笑みが溢れる。
離島のナイスガイは自然へのリスペクトを胸に、今日も利尻島の魅力を伝えている。
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取材長谷川琢也
Twitter: @hasetaku
Facebook: hasetaku
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取材・編集日向コイケ
Twitter: @hygkik
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構成佐々木ののか
Twitter: @sasakinonoka
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取材協力利尻町定住移住支援センターツギノバ