800通りの悩みから生まれた''お直し''サービス。身体の不自由な人にも洋服の自由を
人間は、毎日必ず服を着て過ごします。それは、今日の社会生活を送るうえで欠かせないことであり、さまざまな選択肢のなかから自分の好みの服を選んで着ることは、ひとつの喜びにもなりえます。
しかし、身体に不自由がある人たちにとってはどうでしょうか。それぞれが持つ障がいやケガ、病気、装着している器具に合わせての服選びは、とても難しいもの。自分が「着たい服」ではなく、限られた選択肢のなかから「着られる服」を選ぶしかないケースが多く、健常者と平等にひらかれてるとは言い難い現状があります。
そんななか、2022年3月にひとつのサービスが誕生しました。その名も『キヤスク』。
一人ひとりの身体の不自由に合わせて、既製服を"着やすく"するためのお直しの依頼ができるオンラインサービスです。
依頼から服の受け取りまで、すべてオンラインで完結できるのが特徴。ユーザーが依頼したいお直しのメニューとキャスト(=お直しスタッフ)を選び、個別のチャットで細かい部分を打ち合わせ。キャストのもとに匿名で洋服が送られ、お直しが完了したらユーザーに返送する仕組みになっています。
現在、『キヤスク』には12名のキャスト(=お直しスタッフ)が在籍しており、そのうちの8名は障がいのあるお子さんがいて、独学でお直しをしてきたお母さんたち。残りの4名もプロとして裁縫や仕立てをしてきた経験を持つ女性たちです。
2021年5月に行われたクラウドファンディングを通して、自分の技術を役立てたいと集まってくれたのだそう。技術と心の両面からユーザーの悩みに寄り添い、ニーズを汲み取ったお直しをしてくれます。
この『キヤスク』を立ち上げたのは、株式会社コワードローブの代表・前田哲平(まえだ てっぺい)さん。
千葉県にある自宅兼事務所で運営し、お直しを必要としている方たちと、キャストと呼ばれるお直しスタッフを結ぶ役割をしています。
実は前田さんはもともと、大手アパレル企業であるユニクロ(株式会社ファーストリテイリング)出身。20年勤めたのちに独立し、この『キヤスク』を一人で創業しました。
「着たい服を着る日常を、すべての人に。」と掲げて活動する前田さんですが、もともと家族や近しい友人に身体障がいを持つ当事者がいたわけではなかったと言います。
そんな前田さんが、長年勤めた愛着のある会社を辞めてまで、この事業を始めることにした理由は何なのか。身体の不自由な方たちを取り巻く服事情や『キヤスク』立ち上げまでの歩み、そして前田さんが思い描く未来について伺っていきます。
着やすいだけでなく、見た目もできるだけそのままに。
── 恥ずかしながら、障がいを持つ方たちが洋服に対する困難を抱えているということ自体、このサービスを通じて初めてきちんと意識しました。
そうですよね。僕自身も、身近に障がいを持つ人や、介護の必要なおじいちゃんおばあちゃんがいる環境で育ってたわけではないので、最初はイメージが湧きませんでした。
まずは、『キヤスク』でお直ししたサンプル服を持ってきたので、ぜひ見てみてください。こちらはTシャツです。
── おお、Tシャツの前がカーディガンみたいに開いている!
はい。「前開き」というメニューで、かぶるタイプのTシャツやスウェットなどの前中心部分を裁断し、開け閉めができるようにするお直しです。
わたしたちは普段無意識にやっていますけど、かぶるタイプの服って片方の腕は簡単に通せても、逆の腕は曲げないと通せないんですよ。だから腕が曲がりにくい方の場合、着替えるのにものすごく時間がかかってしまう。そこで前開きにすることで、片方ずつ袖を通せて着やすくなります。
── なるほど。レストランで上着を着させてもらうような感じで、Tシャツが着れるようになるんですね。
たとえば、気管切開(※)をしている方も、首部分に通している管がかぶるときに外れてしまう心配がないので、この前開きのお直しをよく利用していただいています。
あとは、すでに前開きのシャツだとしてもボタンを一つひとつ留めるのが難しい方もいらっしゃいます。そういう方には、「ボタン留めをマジックテープ留めに変更 」するお直しを用意しています。
── これも便利ですね。ただでさえ、ボタンを留めるのって細かい作業で手間取りますし。
そうなんですよね。指先が不自由な方だけでなく、知的障がいなどで細かい作業が苦手な方でも着やすいようにお直ししています。ご本人が着替えをするときもそうですし、誰かが着せる場合でも、一回一回ボタンを留めないといけないのは時間がかかりますから。
── よく見たら、もともとあったボタンをまた上から縫い付けてあるんですね。マジックテープで閉じたら、本当に通常のシャツと見分けがつかない......。
お客様は「この洋服を着たい」と思って買っているのに、お直しをした結果、結局全然違う見た目になってしまったら意味がないと思うんです。だから、できるだけお直ししたことがわからないように心掛けています。
パンツのメニューもいくつかあります。寝たきりで膝や股関節が曲がりにくい方でも履きやすくするお直しや、車椅子などで座っている時間が長い方のために、パンツのお尻部分を柔らかい布で縫い直した「褥瘡(じょくそう※)対策」などですね。
股上が浅いパンツだと、座っているときに背中が見えやすくなってしまって気になるという方向けに、褥瘡対策とセットで股上を深くすることもできます。
もともとスキニーパンツのスタイルが好きだったけれど、車いす生活になってからは背中が出てしまうので避けていたという女性が以前このメニューを実際にご利用されて、喜んでいただけましたね。
徹底したヒアリングから生まれたメニュー
── 実際に見せていただいて、なるほどと感じることばかりです。当事者の方たちのニーズをきちんと把握していないと、このメニューは作れないですよね。
もともと『キヤスク』を始めるにあたって、当事者の方やそのご家族など、3年間で800人以上の方にお話を聞かせていただいたんです。自分の目で見て、聞いてきたことをベースにメニューに落とし込んでいきました。
キャストの方たちの中にも、お子さんのお直しをしてきた方たちがいらっしゃるので、ユーザー目線でアドバイスをいただいたものもあります。
あとは、車いすユーザーの友人に一般的なお直し屋さんで実際に注文してもらって、不自由に感じたことをヒアリングしたり。それと真逆のことをやれば使いやすいサービスになるのかなと思って。
── それ、面白いですね。一般的なお直し屋さんだとそもそもメニューにないし、受けてもらえたとしてもオーダーメイド扱いで料金がかさんでしまいそう。
はい。もちろん場所によるとは思いますが、一着につき平均5000〜6000円はかかります。さらに一般的なメニュー表だと「〇〇円〜」という価格表示が多いですよね。そうなると怖くて注文しづらいし、そもそも普段着のお直しにそんなにお金をかけられないじゃないですか。
だから『キヤスク』ではできるだけ手頃で明確な料金設定にして、お客様が金額をイメージできるようにしました。同じメニューでも悩みは一人ひとり違うので、細かい部分に関しては、キャストとの個別の打ち合わせでお聞きしてできるだけ希望に合うように対応します。
── 良心的......。
材料やお直しの手法はキャストごとに情報公開していますが、お客様によっては、「これを使って欲しい」と可愛らしいキャラクターの布を同梱される方もいらっしゃいますね。
── ご相談すれば、自分らしくカスタマイズすることもできるんですね。ちなみに素朴な疑問ですが、『キヤスク』がお手頃な価格で提供できているのはなぜですか?
まず一つは、店舗を持たないぶん家賃がかからないから。僕もキャストの皆さんも自宅から参加しています。
もう一つは、身体の不自由な方向けのお直しに特化しているぶん、キャストに求められる技術の範囲も限られているから。一般的なお直し屋さんが高いのは、高級品も含めたあらゆるおしゃれリメイクに対応できるスタッフの技術料なんですよね。
その点『キヤスク』は普段着を着やすくすることが目的ですし、基本的にキャストはメニューにあるお直しが一つでもできればOK。担当したぶんだけお支払いする形なので、そのあたりの技術料や人件費が抑えられて、今の価格でできています。
── ご家族の介護や介助があってフルタイムで働けないキャストの方たちにとっても、自分のできる範囲で参加できるのはいいですね。
着たい服を自由に選べないのって、おかしい。
── ここからは『キヤスク』立ち上げまでについてお聞きしていきたいのですが、前田さんはユニクロ(株式会社ファーストリテイリング)出身だと伺っています。もともとアパレルに興味を持ったきっかけは?
いや、実はもともと洋服には全然興味がなくて。
── え! すみません、てっきりもともと服に特別な思いがあったのかと......。
特になかったですね。僕自身、別におしゃれでもないですし(笑)。大学卒業後はUターンして地元・福岡の銀行に入社しましたが、働くうちになんとなく未来が見えてしまって。2年目で転職活動を始めたときにファーストリテイリングに出会いました。
たしかに服自体には関心がなかったけれど、誰にとっても身近なものを扱っているというところに親近感を感じたんです。
── 人間に欠かせない「衣食住」の一つですもんね。そのなかで、障がいを持つ方たちの服事情に触れたきっかけは何だったのでしょうか。
4年ほど前、聴覚障がいを持つ同僚と何気ない会話をしていたときに、ふと「友達に障がいを持っている人がたくさんいるけれど、みんな着る服がないって困っているんですよ」と言われたんです。それを聞いて、単純にイメージができなかったんですよね。
ユニクロでは「MADE FOR ALL」というコンセプトであらゆる人々のための服作りをやっていましたし、僕はそれに誇りを感じていたけれど、まだ十分にリーチできていない人がいるという事実に驚いたというか。
どんな実態があるのかきちんと理解したいと思って、同僚のツテで当事者の方たちに話を聞き始めたのがきっかけです。まさか、最終的に800人以上に話を聞くとは自分でも思っていませんでしたけど(笑)。
── 改めてすごい数。プライベートの時間をつかって、それだけ多くの方のお話を聞き続けたのはなぜですか?
まずお話を聞くなかで気づいたのが、皆さん「着る服がない」わけではなく「我慢して着ている」ということ。好みではないけれど大きいサイズのものを着たり、着にくいものを無理やり着ていたり。「着やすさ」で選ばないといけないぶん、一般の人に比べて服の選択肢も圧倒的に少ない。
そういうお話を聞けば聞くほど、身体が不自由なだけで、本当に着たい服が着れずに諦めている人たちがたくさんいることに、疑問を持つようになったんです。「それっておかしいよな」って。
── 言われてみれば、洋服は人間の社会生活において等しく必要不可欠なものなのに、選択肢の数が明らかに少ない状況はおかしいですね......。
そうなんです。そこで当初は、ユニクロで障がいを持つ人向けの洋服を何種類か作って販売することがゴールかなと考えていました。でもそれを大手メーカーでやろうとすると、通常の服に比べて生産数が少ないぶん、値段が高くなってしまう。また、一人ひとりの細かいニーズをカバーするのは難しいから、種類も限られる。「だったら多少我慢しても通常のユニクロの服を着る」という意見が多かったんです。
実際、そうすることで選択肢の幅を多少広げられたとしても、結局は限られた選択肢から選ぶことになるだけで、「着たい服を着る」という根本的な解決にはならないなと気づきました。僕がやりたいのは、障がいの有無も関係なく、みんなが着たい服を自由に選べる日常をつくることだなって。
── なるほど。ヒアリングの段階では、「理解したい」という気持ちだったとおっしゃっていました。そこから自分自身で解決したいと思うくらい、自分事にできたのはなぜだったんでしょう。
変な表現かもしれませんが「意外と一緒だな」と思ったんですよ。実際に話を聞いていろんな困りごとを知る一方で、もちろん困難の程度の差はあるけれど、誰しも服の着にくさを感じることはあるよなって。
たとえば、背が低いと丈の長さに困ったり、腕が長くて袖が足りなかったりしますよね。だからこそ、自分には到底解決できないような特別な課題というわけではないんじゃないかと思えたというか。
── 「意外と一緒」。何となくわかる気がします。
そこで、いい解決方法を探すために思い切って会社を辞めました。
── ええ! まだ方法も見つかっていないタイミングで。
はい。まだ誰もやっていないけれど、絶対いい方法はあるはずだなって。それに今後の人生の時間の使い方を考えたら、退路を断って本気で挑戦したいと思ったんです。もちろん、かなり悩みましたけどね(笑)。
── その段階では『キヤスク』の構想もまだなかったんですか?
完全にはありませんでしたね。最終的に「お直し」という方法に辿り着いたのは、退職後に引き続き情報収集をするなかで出会ったある親子がきっかけです。
肢体不自由のお子さんが、着やすい服ではなく着たい服を着られるよう、独学でお直しを習得し、さらにそのお直し技術を他に困っている人にも提供する活動をされているお母さんとの出会いがありました。
ここから「『既製服をお直しする』というサービスを手が届きやすい形で広められれば、たくさんの人に同じ選択肢を提供できるんじゃないか」とヒントをもらいました。それからヒアリングを重ね、今の『キヤスク』の形をつくっていったんです。
服は大事。でも、"たかが服"でもある。
── 今の『キヤスク』の仕組みを見ると、もっとシステマティックにすることもできたと思うんです。それでも、ユーザーとキャストの一対一のコミュニケーションにこだわった理由って?
そうですね、うーん......なんでだろうなあ。自分の中にそれ以外に選択肢がなかったというか......。なんでだろう。
── すみません、悩ましい質問をしてしまって。
いえいえ。ただ注文する人と作業する人というふうにはしたくなくて......あ、そうだ。
どういうサービスにしたいかを考えたときに、近所に裁縫が得意なおばちゃんがいて、その人に「こういうところが着にくいんだけど、直せないかな?」って服を持って相談しにいくような距離感のサービスにしたいなと思ったんです。悩みを気軽に相談できて、かつ自分に合った方法で直してくれるような。
だから、むしろシステマティックにはしたくなかったんだなと今改めて気づきました。
── 今まで誰にも相談できなかったユーザーからすると、一人ひとりに向き合ってもらえる感覚が重要なのかもしれないですね。サービス開始から数ヶ月経ちますが、反響はいかがですか?
今は少しずつ注文が増えているところです。立ち上げのときに『キヤスク』の情報をまとめた冊子をつくって、ご協力いただいた方や全国の施設などに配布したんです。なかにはSNSでシェアしてくださる方もいて、そこからじわじわと広がっている感じですね。クチコミでご注文いただくことが多いです。
今後は、地域や日常生活にもっと入り込んでいく予定です。個人のお客様だけでなく、特別支援学校や病院などからも定期的に注文を受けられたら、キャストの皆さんにお願いできるお仕事も増えますし。
あと一つのゴールとして考えているのは、『キヤスク』の拠点が全国各地にあって、すべてお客様の住んでいるエリア内で完結できる状態にすること。今は洋服の配送料をお客様にご負担いただいていますが、近所にお直しスタッフがいる状況をつくれれば、その負担も減らすことができます。より手軽に使っていただくためにも、拠点を増やしていけたらいいなと思っています。
── そうなれば、より"近所のおばちゃん"のイメージに近づきますね。
そうですね。ただ、無理をして急成長や急拡大を狙うつもりは全然ないんです。使っていただいたお客様から嬉しい感想を聞くたびに思うのは、細々とでもいいからとにかく続けることが一番大事だなって。
『キヤスク』を必要とする方は、この先も永久に存在するはずなんですよ。障がいを持って産まれるケースだけじゃなくて、事故などで後天的に身体が不自由になるかもしれないし、年を取って寝たきりになってしまうかもしれない。
そうなったときに、洋服のことだったらとりあえず『キヤスク』があるから安心だなって思ってもらいたい。そのためには、とにかくサービスをなくしちゃダメだなって。
── たしかに、自分や大切な人の身体がいつ不自由になるかはわからないですし、無関係な人なんていないなと感じました。最後に、もともと服に興味がなかったとおっしゃっていた前田さんですが、『キヤスク』の事業を通して、服に対する思いに何か変化はありましたか?
そうですね。困っている方たちの現状を知って改めて、自分が着たい服を着るというのは、心豊かに生活する上では絶対に必要なことだなと思うようになりました。そういう意味では、やっぱり服の力って大きいなと。でも一方で、"たかが服"とも思うんです。
── たかが服。
裁縫が苦手だけどどこにも頼めなくて、身体障がいを持つ子どものために試行錯誤しながら何時間もかけてお直ししているお母さんたちが実際にいます。洋服以上にやらないといけない大変なことがたくさんあるのに、たかが服のためにそんなに時間をかけるのってもったいないじゃないですか。
たしかに着たい服を着るのは大事なことだけど、そのために苦労しなきゃいけないほどのものではないというか。だから、両方の気持ちがありますね。せめて洋服に関しては『キヤスク』に頼ってもらうことで、苦労せずにすんでほしい。そのためにも、もっと知ってもらうための努力はしていきたいなと思っています。
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取材・執筆むらやまあき
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