防災は挨拶から始まる。''東京一危険''なエリアの芸術祭「すみだ向島EXPO」が照らす日常
火事や地震、あるいは不意の怪我や病気で身動きが取れなくなった時。助けを求められる身近な人の顔が、すぐに思い浮かぶでしょうか。東京都内のアパートで一人暮らしをしている筆者は、隣人の顔や名前さえ知らず、いざというときに声をかける自信が持てません。
2020年の国勢調査によれば、日本の総世帯に占める単身世帯の割合は38%にのぼります。1980年から比べてほぼ倍の値となり、しかもその数値は依然として増加中。単身者でも生活しやすい環境は、その便利さの一方で、住民同士のコミュニケーションを希薄にしているのかもしれません。親しく付き合うご近所を表す「向こう三軒両隣」という言葉も、いまや現実味の薄い表現になりました。
そんな昔ながらの近所付き合いを探して訪れたのは、スカイツリーの開業を機に開発が進む、東京都墨田区の京島エリア。戦前に建てられた木造家屋や、複数の住居が壁一枚を隔てて連なる長屋が今でも残り、そこに住む人同士による距離の近いコミュニケーションが続いています。
京島は関東大震災の被害が少なく、震災を逃れた親戚や知り合いを頼って多くの人が集まった地域。人口増加に伴い急増した木造長屋の多くは、東京大空襲もくぐり抜け、今でも情緒ある姿を残しています。
他方、老朽化した木造住宅が密集することは、災害発生時のリスクにもつながります。大きな火事や地震によって広範囲が危険に晒されることから、この一帯は「東京で最も危険な地域」と呼ばれることもあるのだとか。
こうした課題に対し、行政による道路の拡幅や、長屋の取り壊しと転居者を受け入れるための集合住宅の建設などが行われてきました。大手デベロッパーも、土地の買い上げや大規模なマンションの建設などを進めています。こうした都市開発が、安全で住みやすいまちづくりに繋がることは間違いありません。
しかしその一方で、トップダウンの整備や開発によって、歴史ある土地や建物が消え、育まれてきた文化が変わってしまうこともまた事実。積み重なった歴史が同時にはらむ魅力と課題は、一朝一夕に折り合いをつけられるものではありません。
目の前にあるリスクと日常の狭間で、それでも暮らしの在り方を考え続けるために、この街ではアートやデザインの力が用いられています。地域住民やアーティスト、建築家やクリエイターが一緒になり、長期間にわたって街の未来を考えるイベント型の取り組みは、なんと20年以上にわたる歴史を持っています。
そんな流れを引き継ぐ芸術祭「すみだ向島EXPO」を主催する後藤大輝(ごとうだいき)さんは、この街の魅力に惹かれ、京島に住み続けることを決めた一人。「地図上では見えないこの街の課題に、鍼治療のように取り組んできた背景がある」と語る後藤さんとともに京島の街を歩いてみると、私たちが防災と共に考えるべき、変わりゆく日常の姿が浮かびあがってきました。
魅力とリスクが隣り合う街で
後藤さんは「すみだ向島EXPO」の実行委員長を務めながら、普段は「暇と梅爺株式会社」の代表として、このエリアにある古い建物の管理や貸出を行っています。そこで目指しているのは、意欲ある事業者や国内外のアーティストと物件を引き合わせることで、古い建物を価値ある暮らしの場に変え、街に新たな関係性を育んでいくこと。仕事柄、日頃から地域住民や大家さん達とも交流の深い後藤さんに、この街の歴史について伺います。
── 今日はよろしくお願いします。取材前に街を歩いてみると、古い建物があちこちに並び、しかも現役で使われているので驚きました。
後藤
長屋や古い建物のある街並みには、何ともいえない魅力がありますよね。東京でこんなに長屋が残っているのは、この周辺ぐらいです。
── 新陳代謝の早い東京の中で、開発から免れてきたんですね。
後藤
そうなんです。他方で、京島エリアが抱える発災時のリスクの高さは、古くから危険視されていました。1980年代には墨田区による市街地整備計画が始まり、大型のコミュニティ住宅の建設や路地の拡幅といった事業が進んでいたようです。
こうした街の課題と魅力の両面を踏まえたまちづくりのプランを提案するため、当時京島に住んでいた外国人留学生と都市計画の専門家などが中心となり、1998年に「向島国際デザインワークショップ」が開催されました。海外から学生や研究者が集まり、地域住民とコミュニケーションを取りながら、半月ほどかけて街へのプランを提案したそうです。
── 行政に任せるだけでなく、住民が自発的なアクションを起こしたのですね。海外から参加者が集まったことにも、この地域の魅力と特殊性がうかがえます。
後藤
その後も毎年のように、アートやデザイン、まちづくりをテーマとしたイベントが開催されました。空き家の活用が進んだことで、アーティストの移住も増えていきます。
僕自身も2008年に映画制作のために京島に移住したのですが、街の人と接したり、彼らの生活を見たりしているうちに「ここで歳を取っても良いな」と思えてからこの地に根を下ろしました。
後藤
そんななか、街の風景を象徴する、30軒が軒を突き合わす長屋が2019年に取り壊されてしまいました。老朽化という理由ではありましたが、建物と一緒に大事な価値を失うようにも感じたんです。この出来事がきっかけとなり、2020年の「すみだ向島EXPO」の開催へと繋がっていきました。
── この街に惹かれて住民になった後藤さん自身が、街の風景や文化を守るために旗振り役となったのですね。防災と繋がるデザインやアートのイベントには、20年以上もの歴史があることもわかりました。
京島と防災には、切っても切れない長い歴史があるようです。古くからこの場所で暮らす人々は、街が抱えるリスクをどのように考えているのでしょうか。街の歴史と魅力、そして課題について、住民の声を聞いてみました。
10年後には土地ごと風景が変わるかもしれない
まずは金属加工業を営んでいる、高垣和雄さん・勝利さん親子を訪ねました。
通りに面した1階の扉を開けて作業場に入ると、壁に貼られていたのは荒川の氾濫を想定したハザードマップ。複数人が集まる場所では、こうした地図が貼られていることが珍しくないそうです。
── この街は災害リスクが高いと言われていますが、防災について何か取り組んでいることはありますか?
和雄
基本的には自分達で気をつけることしかできないけれど、災害時には町内会で助け合うシステムがあるの。年に一回は消火訓練もやっていて、いざと言うときには、すごく役に立つわけよ。
立退きの問題もあるけれど、消防車が入れるように、道路拡張の工事も進んでいるみたいね。区は家の耐震補強にも補助金を出してくれているんだけど、この地域はまだまだギリギリで生活している人たちがたくさんいるから、ありがたいことだよね。
勝利
この地域は、本当に年寄りが多いんですよ。古い家がたくさんあって、80-90代の人たちが一人や二人で暮らしている。だから10年や20年もしたら、土地を持っている人たちが亡くなって、入り組んだ道も新しくなって。街の景色は全く違ったものになっていくんじゃないかと思っています。
── 歴史ある街の風景が、暮らす人の年齢層やハード面から変わりつつあるのですね。この街の良さは、どこにあると思いますか?
和雄
私にとっては、人の良さかな。向こう三軒両隣で助け合う文化が残っていると思う。扉を開ければ隣の家が見えて、顔を合わせて「おはよう」「こんにちは」と挨拶ができるし、掃除をすれば「ありがとう」と言ってもらえるの。
近所のパン屋さんはモーニングをやっているんだけど、あそこにいくと色々な人が入ってくるわけ。年寄りから若い人まで、いろんな人が来てああだこうだ喋れる場所があるっていうのは、いいことだと思うな。
和雄
後藤さんが若い人を紹介してくれるのも、ありがたいよね。後藤さんが管理している家に住む美大生とよく話すんだけど、そういうのも一つのエネルギーになっているわけ。年寄りには年寄りの、若い人には若い人の価値があるから、それをお互いに尊重できるような街を作っていきたいって思ってるよ。
勝利
自分は40年間この街で暮らしてきて、江戸っ子気質のようなところがあるんですけど。20年後には、東京のそれぞれの街の文化がもう少しミックスされて、この街もそれを受け入れざるを得なくなるかもしれませんね。それでも若い子たちと楽しく、気持ちは老いずにやっていきたいです。
壁に貼られたハザードマップが象徴するように、災害のリスクやそれに対する備えは、高垣さん親子にとって当たり前の日常として息づいているようでした。町内会や自治体での取り組みが続く一方で、住民の年齢層が変わっていくことも紛れもない事実。新しく住む人と、古くからの住民がいかにコミュニケーションをとっていくかは、この街での暮らしを考える一つのポイントになりそうです。
開けっぱなしの玄関から見えるもの
続いて訪れたのは、60年ほど前からこの街に暮らす大谷さんのご自宅。建設業者として一緒に働いていた大家さんに紹介されて以来、三代にわたる長い付き合いを持ちながら、この家に住み続けています。大家さんと居住者の関係性が濃いことも、京島エリアの特徴です。
── 今日はこの街と防災についてお話を伺いに来ました。もし大きな災害が起きた場合、どのように対応されますか?
大谷
よく安全な場所に避難してくださいだなんて、テレビで言うじゃない。でもこの辺だと、学校くらいまでしか行けないよね。地震や水害が来たって、もうしょうがないと思うかな。
── 大谷さんは地域の消防団にも所属していたと伺いました。
大谷
大雨で自分の家が大変なときでも、消防団で他のとこに行かなきゃいけないことがあったな(笑)。町内会も参加してたけど、あれは近所付き合いとはちょっと違うんだよな。結局、役員なんてやりたい人はいないんだから、仕方ないからくじ引きで決めようって言ったら、俺が当たっちゃったこともあるよ。
昔の暮らしについて伺うと、「家に帰ってきたら、20人くらい近所の子供が集まっていたこともあったよ」「味噌や醤油をお互いで借りたり貸したりしてたけど、そういうのが今はなくなっちゃったよな」と、他の家庭との交流が当たり前だった光景を振り返ってくれました。
家の玄関は朝6時から開けっぱなし。その扉の開け口から、近所の子供が遊びに来たり、滞在中の外国人アーティストと挨拶を交わすことも少なくありません。
2021年には、大谷さんの家の真向かいにある「三軒長屋旧邸」の中庭に、竹製の櫓(やぐら)が建てられました。制作者であるアーティストが事前に大谷さん宅に挨拶に来てから交流が生まれ、大谷さんも櫓に何度か遊びに行ったそう。
── 街に住む人やイベントに訪れる人達と、よくお話しされているんですね。
大谷
そうね、家を開けているから、ご近所さんがよく遊びにきてくれるよ。でもやっぱり、最近は同世代のご近所さんが亡くなったりね。お葬式も最近は大きくやらないから、後から聞くことが多いんだよね。
でも本来、人間っていうのは、増えるほど楽しいんだよね。減っていくのは寂しいんだよ。一人でいたって、やっぱり良いことは考えないから。大勢いれば、俺も会話ができるわけよ。
小学生の子が遊びに来て、うちでお菓子食べたりしてくれるのも楽しいしさ。若い人や外国の人がいて、喋れるのも楽しいよ。
近所付き合いが減っていく寂しさを感じながらも、若い人やイベントを通じたアーティストとの交流を楽しんでいる大谷さん。街の歴史や、町内会の在り方についても真っ直ぐに伝えてくれました。
「すみだ向島EXPO」は街との最初の挨拶
住民の構成や街の風景が変わっていく中で、後藤さんの管理する物件や「すみだ向島EXPO」を通じた交流が、高垣さん親子や大谷さんに喜ばれていることが印象的でした。世間に開かれた活動でありながら、その場所に住む住民たちがエネルギーをもらっているようにも感じられます。
改めて、防災から始まった芸術祭のあり方について後藤さんに伺います。
── 近所付き合いは街の良さでもありますが、そうした交流が失われつつあるという声がありました。「すみだ向島EXPO」のようなイベントを通じて、新しい人を招いて交流を生み出そうという狙いがあるのでしょうか。
後藤
そうですね。新しくこの街に来る人たちが、もともと住んでいる人たちと繋がれないことには、個人的にもったいなさを感じていました。この街ならではの距離感をお互いに体験することで、街の課題や在り方を考えることができると思ったんです。
ただ、イベントに出展するアーティストやクリエイターの方は、もともと繋がりのある人がほとんどです。イベントに合わせて、全くの外部から人を招聘するようなことはあまりありません。一度きりではなく、街に関わり続けてほしいからです。
新しい人との出会いは絶対的に欲しいし、価値があるとは思っています。ただし、その出会い方にはこだわりを持っていたい。たとえば、やたらと観光客が押しかけるようになってしまえば、ただ消費される街になりかねないですから。
── 街に関わる人を、ある程度は選ぶということでしょうか。
後藤
明確に選ぶことはしませんが、こういう人に来てほしいという感覚はあります。町内会がしっかり役目を持っているので、そこに入らなかったり、挨拶をしないような人間は基本的に街としても歓迎しないでしょう。実際に、こうした雰囲気が合わず、別の場所に転居していく人たちもいました。ある意味で、ゆるいフィルターが存在しているんです。
後藤
「すみだ向島EXPO」はこの街に興味を持つ人への最初の挨拶であり、相性を確かめるフィルターとも言えます。同時に、イベントを準備する住民の中でも、大事にするものや価値観の違いが明らかになって、住み分けが生まれていく機会でもあるんです。
── 自分達がどういう場所で暮らしていて、どういう人に来てほしいか。そして、これからどのように暮らしていきたいか。防災への課題意識から生まれたイベントだからこそ、日常の在り方を住民自身が考える場としても機能しているのですね。
日常のコミュニケーションが防災につながっていく
── 住民の方々が、街の魅力を自分の言葉でしっかり語っていることも印象的でした。
後藤
街の中には語り部になれるような人たちがたくさんいます。その人たちに共通しているのは、やはり普段から人と喋っていること。上っ面の言葉ではなくて、話題も広いし、挨拶ひとつをとっても、この街には深さがあるんです。初めの頃は新参者を警戒するような様子でも、次第にユーモアを交えたり、心配をかけるようになったり。こうした日常のコミュニケーションのレベルの高さが、この街の魅力だと感じています。
── そうした普段からの交流は、防災という観点でも機能するのでしょうか?
後藤
この街では引退のない熟練の仕事をしながら、街のこともすることが当たり前です。80代ぐらいになっても、街の行事や災害が起きたときには、スーパーマンのように動き出す人がたくさんいるんです。普段何をしているかわからないような人も、地震が起きた時に家を回って確認したりするんですよ。
── 隣人の顔もわからない状態では、なかなかそういった対応は難しいですよね。
後藤
京島は災害の見本市みたいな場所ですけど、街の人が日々顔を合わせてコミュニケーションしているからこそ「災害が起きても住民が動ける街」になっているのだと思います。
後藤さんのお話を伺った後、改めて街を眺めてみると、建物の軒先や路地のあちこちで、人々が語らう様子が目に入ってきました。人が住む住居でありながら、公共空間に溶け出しているような建物の多さとその密度が、この街の歴史と文化を築いてきたのでしょう。そして、そこから生まれる人付き合いの深さは、住民にとっても街の魅力として認識されていました。
災害について尋ねて返ってきたのは、過度に恐れるでも悲観するでもない、どこか泰然とした言葉たち。災害のリスクが常にそばにあることを理解した上で、何かが起きたときにどう動くべきか。街で日々を一緒に過ごす人たちと共に、できることを淡々とこなしていくような姿勢が根付いているようでした。
おわりに
"東京一危険"とまで呼ばれる、災害リスクの高い京島エリア。長い歴史が残した木造住宅や長屋は、解決せねばならない課題と共に、代えがたい魅力や文化も育んでいます。その二つを両立することは容易ではありませんが、住民が主体となる新しいまちづくりを通じ、20年以上にも渡って解決のための手段が探られてきました。
そうした取り組みの根底にあるのは、リスクと共にある日常への眼差し。失われつつある昔ながらの関係性を、これから自分達はどうしていきたいのか。どのような人たちと、どのように付き合っていきたいのか。何もしなければ、トップダウンのアプローチによって簡単に消え去ってしまう日常の在り方を、イベントを契機に考え、住民同士で議論を深めていくことこそが、災害時にも簡単には崩れない柔軟な関係の構築に繋がっているようです。
災害が起きないようにすることは重要ですが、災害が起きた後でも助け合える関係を育むことも、同じくらい大切です。まずは近所の人に挨拶をしてみることが、私たちができる防災へのアクションなのかもしれません。
【すみだ向島EXPO 2022 開催概要】
開催期間:2022年10月1日(土)〜10月31日(月)
定休日:火・水曜
開催エリア:東京都墨田区京島・八広・文花 ほか
総合受付:京島駅(〒131-0046 東京都墨田区京島3丁目50-12)
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公式SNS
Twitter: @nagaya_art
Instagram: @sumida_expo
Facebook: https://www.facebook.com/sumidaexpo2022
取材・執筆淺野義弘
Twitter: @asanoQm
Facebook: yoshihiro.asano.3954
取材・編集山口奈々子Twitter: @nnk_dendoushi
Instagram: @nnk0107
撮影村上大輔Instagram: daisuke_murakami
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