スマホも食べ物も土からできている。土壌学者に聞いた「非」再生可能な土の未来
最近、「土」を触ったのはいつでしょうか?
とりわけ都市部に暮らす人々の多くにとって、日常の中で土と接する機会は稀でしょう。かくいう筆者(横浜在住)も、日々のなぐさめに育てている観葉植物の世話をするとき以外は、ほとんど土には触れません。
思い返せば、川崎出身の自分でさえ、小さな頃は公園や近所の野山で土や泥にまみれることもしょっちゅう。学校の授業でも畑仕事をしばしば体験していましたが、気づけば土はとても遠い存在になってしまいました。
......しかし、実はこの土、わたしたちが生きていく上で「なくてはならない」そうなのです。
例えば、実は毎日の食べ物の95%は土からとれたものだとか。もし地球上から土がなくなったら、ほとんど何も食べられなくなってしまいます。それから毎日何時間も触っているそのスマホの材料も、実は土からできているといいます。
さらに、土の取り合いが戦争に発展することもあり、昨今厳しい状況に置かれているウクライナは、歴史上そうした争いが繰り返された地域でもあるとのこと。
こうした知られざる真実を教えてくれたのは、「土の研究者」である藤井一至さんです。
藤井さんの専門は「土壌学」や「生態学」。インドネシア・タイの熱帯雨林からカナダ極北の永久凍土、さらに日本各地へとスコップ片手に飛び回り、土と地球の成り立ちや持続的な利用方法を研究しています。研究成果をかみ砕いて説明した2冊の著書──その名も『大地の五億年』『土 地球最後のナゾ』──は話題を呼び、『土 地球最後のナゾ』は河合隼雄学芸賞も受賞しました。
一体、土はわたしたちにとってどれほど大切なものであり、今どのような状況に置かれているのでしょうか?
また、これからも地球の資源である土の恩恵を享受し続けていくためには、どうすればいいのでしょうか?
「私はいつも、『水』にかなり嫉妬しているんです」。そんな藤井さんの一言から、インタビューは始まりました。
何度も戦争のタネになってきた、重要資源「土」
私はいつも、水にはかなり嫉妬しているんです。
── え、どういうことですか?
水と土ってよく対にして並べられるんですが、水は身近で直接口にするものだから、その大切さがわかりやすいじゃないですか。災害などで水が止まってしまうと、トイレやお風呂が使えなくなって大変ですし、夏に水が飲めなくなったら命にかかわります。
── たしかに、土と比べて「水が大事」というのはだいぶ実感しやすいですね。
でも、本当は土も同じくらい大事なんです。例えば、私たちが食べているもののほとんどは土経由でできていて、だいたい食べ物の95%くらい。海経由は残りの5%だけです(世界平均)。私たちはほとんどの栄養分を、土からとっているというわけです。
それから実は、スマートフォンの材料も土からできている。高性能にして軽量なボディを可能にしているアルミニウムの材料はボーキサイトですが、それは熱帯地域の「オキシソル(ラトソル)」という赤土の化石です。コンクリートや窓ガラスは砂からできていて、身近なものの多くが土からできているんです。
── 食べ物からスマホ、コンクリートまで......土なしには、わたしたちの生活は成り立たなさそうですね。
そうなんです。最悪のケースでは、土をめぐって戦争が引き起こされることもあります。例えば、今まさに戦禍にあるウクライナには、地球上で最も肥沃と言われる「チェルノーゼム」という黒土の約3割が集中しています。この土があるから、ウクライナは「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほどの小麦の大産地となっており、世界の食糧庫としての役割を担えているんです。
そして、この魅力的な土壌があるために、ロシアやドイツといった大国の標的になり続けてきました。第二次世界大戦の時、ドイツ軍がウクライナのチェルノーゼムを貨車に積んで持ち帰ろうとしたというエピソードも残されています。かつてヨーロッパ諸国が植民地戦争を繰り広げていたのも市場だけでなく、その支配先の土でとれる食糧を求めていた面が大きい。日本がかつて満州に植民したのも、そこに広がるチェルノーゼムが肥沃だったためです。
── なんと。土は戦争を引き起こしてしまうほど、重要な資源だったのですね。
土は「非再生可能」な資源。ゆっくりと、でも確実に失われている
世界の肥沃な土は、平等に分配されていません。今、世界にある畑の面積を合わせると約15億ヘクタールになるのですが、面積1ヘクタールの畑で平均10人分の食料を生産できるので、単純計算すると150億人は暮らせるということになります。しかし、実際には世界人口80億人のうち1割の8億人が飢餓に苦しんでいると言われています。
もちろん、そこには食料の再分配の機能不全という政治的な要因もありますが、そもそも土の肥沃さに地域ごとで大きな差があるんです。例えば、世界平均では、面積1ヘクタールあたり収穫できる穀物はだいたい毎年3トン。日本はかなり恵まれていて、1ヘクタールあたり米が毎年5トンとれますが、アフリカの畑では穀物が1トンもとれない場所がザラにあります。
生産力にこんなにも幅があるから、ある地域ではフードロス問題が騒がれる一方、別の地域では飢餓で苦しむことになってしまう。親きょうだいを選べないのと同じで、生まれてきた場所の土は選べませんからね。
── 選べないからこそ、土をめぐる争いが起きてしまうのですね。土がどんどん悪くなっているという話も聞きます。
たまにメディアで「2050年までに地球の土の90%がなくなる」といったセンセーショナルなデータが出されることがありますが、これは最新研究で否定されています。でも、それは決して、土がずっと豊富にあるということは意味しません。
確実な研究結果として、世界の畑の面積のうち16%は、100年のうちに肥沃な表土30cmを失うというデータが出ています。ちょっと地味な数字ですが、 実際、土はゆっくり劣化します。それだけに、取り返しがつかなくなるんです。世界人口は増えているのに肥沃な土が減ってしまうと、世界的な食料危機になりかねません。
── 「なんだ、たったの30cmか」と思う人もいそうです。
いや、大きいですよ。土ができるのには、とても時間がかかるんです。土は主に、粘土と砂、そして動植物の遺体が分解・変質したもの(腐植)が混ざって出来上がります。まず、岩が風化して砂と粘土になるには、数千年から数万年かかる。死んだ動植物は、数年経つと微生物に分解されてほとんどが二酸化炭素に戻ってしまうので、実際に土になるのはごく数パーセントだけです。
── 想像していた以上の年月がかかるんですね。
結局、平均すると日本で1cmの厚みの土ができるには100年、1mの土ができるのには1万年かかります。
一方で、耕した土が雨や風に流されてなくなってしまう「侵食」は、酷いケースだと10年で1cmの厚みの土が失われます。つまり、1cmの土ができるのに100年から1,000年かかるのに対して、土を耕すと10年で1cmくらい平気でなくなってしまう。それから私たちは、畑から収穫したものを食べて排泄した後、トイレから下水道に流していますよね。その分だけ、栄養分は畑の土から失われる勘定になります。
── だんだん深刻さがわかってきました。減るスピードの方が圧倒的なのですね。
基本的に土ができるスピードよりも、私たちが土から栄養分を奪ったり、あるいは土から栄養分が流れてしまったりする速度のほうが圧倒的に速いんです。去年は作物が100とれた土が、今年は90になり、10年経つと気づけば60くらいになりうる......にもかかわらず、短期的にはわかりづらいから、土の問題は難しい。ゆっくりだけれど、真綿で首を絞めるように状況が悪くなる。土は「非再生可能な資源(non-renewable resource)」なんです。
「白菜1個1,800円」の世界も他人事じゃない?
── 日本でも、少しずつ土が失われているのでしょうか?
日本も例外ではないです。ただ、日本は他の国々と比べると、すごく恵まれています。雨がある程度降るので、乾いた土と比べて風でピューピュー土が飛んでいくことは少ないですし、火山灰がミネラルを供給してくれる。植物の生育も盛んなので、土壌中の有機物の材料になって、フカフカにしてくれる。これってすごいことなんです。
例えば、北米のプレーリー地帯の土は肥沃なチェルノーゼムですが、大規模にトラクターで耕した結果、100年で肥沃な黒い土の層の厚みが半分になってしまったといわれています。日本の火山灰土壌(黒ぼく土)や水田土壌ではそこまでの侵食は起きていません。
とはいえ、中長期的には土が失われていくのは、日本だって同じです。それから現在も、海外の土に食糧の多くを依存しているわけです。カロリーベースだと、食糧自給率は約37%と言われています。北海道産の牛乳を飲んでいるつもりでも、そのエサのトウモロコシの多くは輸入したもので、国産の野菜だって化学肥料のほとんどを外国から輸入しています。それらが外国の都合で輸入できなくなったら、安定した食糧生産は難しくなります。
── 実際、最近の日本で危機的な状況に陥ったことはあるのでしょうか?
2022年初頭に、大手ハンバーガーチェーンがフライドポテトの販売を一部休止していましたよね。フライドポテトの材料のジャガイモの多くは、実はアメリカ・アイダホ州で作られているのですが、天候不順などで充分に収穫できなかった。私たちは毎日、食物がどこ由来かあまり考えずに口にしていて、いざ供給が止まって初めて、いかに外国の土に依存していたのかを思い知らされます。
他にも、北海道産のバターが値上がりすることがありますよね。あれもカナダの天候不順で飼料が届かなくなることが影響していたりします。チェルノーゼムは肥沃な土でも、水がないと砂漠同然になってしまうからです。
── ふだんはあまり気づかないけれど、実は日本で食べているものの多くが、海外の土からの影響を受けていると。「仮に」の話ですが、食料自給率がもっと下がってゼロに近くなってしまったら、どんな暮らしを送ることになるのでしょう?
カナダの北極圏には永久凍土しかなくて、農業が行えない地域をイメージするといいかもしれません。「ツンドラ地帯」と呼ばれる、よぼよぼの木と草しか生えていない景観の中、一軒だけポツンとスーパーが建っています。そこに並んでいる野菜や肉は全部輸入品で、南アフリカやフロリダなど遠くから運ばれてきたものばかり。ぜんぜん美味しくなさそうな、いつ届いたのかもわからない白菜が1個1,800円したり、すごい乾燥してしまったオレンジが1個500円もして。でも、どうしても食べたくなったらそれを買わざるを得ない。
── 恐ろしい世界ですね......。
これは永久凍土地帯に限った話ではありません。輸入食品に依存するシンガポールだって似たリスクを抱えています。農業をほとんどしていないと、食品の価格を自国でコントロールできません。
SDGsはたしかに有効、でも万能じゃない
── 冒頭で「水に嫉妬している」とありましたが、藤井さんは土の情報発信で気を付けていることは何でしょうか。
私が「土は大事です」と熱血講義をするよりも、「永久凍土地帯で売られる1,800円の萎れたハクサイ」、「消えたフライドポテト」のほうが土の大切さを実感できると思いますので、伝え方には気を付けています。
日本で農業メインで暮らしている人は国民の1%くらいしかいません。でも、農業の未来を左右する消費活動や選挙っていうのは、残り99%の人の意思が大きく影響したりする。だからこそ、「土ってなんだろう」、「農業ってなんだろう」、「どんな問題が存在するのか?」ということをうまく伝えていく必要があります。
── SDGsは有効なツールとなるでしょうか?
環境に見向きもしなかったビジネスマンの中に突如として「温暖化」や「生物多様性」を語る人が多くなったのは、SDGsの効果です。土の問題は、ぱっと挙げるだけでも、「1.貧困をなくそう」、「2.飢餓をゼロに」、「13.気候変動に具体的な対策を」、「15.陸の豊かさを守ろう」と強く関係しています。SDGsは綺麗事にすぎないと否定する考えもありますが、生活や仕事が自然と距離があるような人たちにも、SDGsは土の重要性を理解してもらう共通言語にはなっています。以前は、土が大事だといっても、土オタクだと一蹴されていました。そういう意味では、SDGsには意味があると思います。
......ただ、私はSDGsの無力さも痛感しています。
── と、いいますと?
私がずっと研究をしてきたインドネシアには、熱帯雨林がろくに残っていません。森を切り拓いた人々は、焼畑をするのではなく、毎年土を耕します。すると、薄い(3cmほど)の肥沃な黒い土が3年もするとなくなってしまい、粘土層だけが残ります。そうしたら、そこは放棄され、また別の熱帯雨林を切り拓く......そういうことが起きてしまっている。熱帯雨林の減少は、木材(ラワン材)の伐採だけではなく、現地の人たちの必死な生活の中で起こるんです。木材も土もなくなると、最後に石炭採掘に手を出します。
世界で一番石炭を輸出しているインドネシアの東カリマンタン州では、石炭を掘ると一緒に硫黄(硫化鉄)が出てきて、それが空気に触れると強酸性になっちゃうんです。もう植物は生えないし、硫酸水の流れ込んだ池で子どもたちが無邪気に泳いでいたりする。学校にも病院にも満足に通えない子どもたちはSDGsの「S」の字も知りません。
一方で、SDGsのバッジをつけた先進国の人々は石炭や木材を途上国から輸入して脱炭素ビジネスをしていたりする。私の調査地を見る限り、陸も水も貧困も飢餓もピンチなので、SDGsのどれか一つの項目だけを解決しても生活は改善しません。むしろ、SDGsのリストには登場しない「土と持続的に付き合う」ことが生活改善には必要で、それができれば、SDGsの要素も自然と満たしていることが多いです。
── SDGsのメディアとしては、とても耳が痛いお話ですね......。
もちろん、私も正解はわからないです。SDGs自体の設計が悪いわけではなくて、使う側がSDGsをただの免罪符にしない知恵を求められているということだと思います。
まずは毎日の食べ物から、土に思いを巡らせてみる
── 安易に単純化できないことは分かってきましたが、農業に携わっているわけではない、いち生活者のわたしたちに何かできることはあるのでしょうか?
旅行や毎日の消費活動も土とつながっています。例えば、旅先で景色を楽しむついでに、土にも目を向けてみると、食事も楽しくなります。北海道や信州で蕎麦が美味しいのはなぜだろう?と考えると、火山灰土壌(黒ぼく土)に適応した蕎麦が栽培されてきた歴史や風土まで感じることができます。●●牛が有名なのは、水田にしにくい土地が多かったのかな?と思いを巡らせることもできます。
お店で買う食品についても、「北海道のジャガイモに付着した土は黒いけれど、長崎のジャガイモに付着した土は赤い」というふうに、土や気候による味の違いがわかってくると、一味違ってきそうです。コンビニ弁当でも何でも、毎日食べているものが、どこでとれたものなのかを考えてみると、自分の好みは●●県産の●●だな、というように推しの野菜や推しの土が見つかるかもしれません。そんなことを考えるだけでも、日々の食事や料理が楽しくなるのではないでしょうか。
── さらに一歩踏み込んで、「土を触ってみたい」と思ったら?
何でもいいから栽培してみましょう。例えば、プチトマトなどはプランターで比較的簡単に育てられます。自分の中の自給率をちょっとでも高めてみる。正直、私は赤字です。でも、土が一気に身近になりますし、とれたての野菜には土の中の微生物が関わって作り出す成分が多く含まれていたりして、風味豊かです。
家庭菜園を少しやったぐらいでは自己満足にすぎないかもしれません。でも、土は空気や水と違って、一人一人の所有物や私有地であることが多いので、国どうしの取り決めや国の法律・政策よりも、一人一人が土を手入れすることで改善していくしか仕方のないものなんです。まずはプランター、足元の土から見つめ直す積み重ねが大きな力になるのだと思います。
おわりに
藤井さんへの取材を終えて、筆者は少し反省しました。
冒頭に「気づけば土はとても遠い存在になっていた」と書きましたが、実のところ、全くそんなことはなかったのです。
日々の食事の大半は、土からとれた食材で構成されていましたし、スマホやコンクリート、窓ガラスだって、土と切っても切り離せなかった。
というか、よくよく考えてみたら、「日々のなぐさめに育てている観葉植物の世話をするとき以外は、ほとんど土には触らない」というのも嘘でした。豚汁を作ろうとスーパーで買ってきたゴボウは土まみれですし、スニーカーの汚れを取るときは土を払っている。
どんなに離れたと思っても、わたしたちの暮らしとは切っても切り離せない、それが土という存在なのです。
そんなありふれた土にもかかわらず、いやありふれた土だからこそ──「非再生可能な資源」だということには驚かされました。あらゆるモノが「再生可能」に寄っていく時代に、これだけ身近で重要な資源が「再生可能」ではないなんて、思いもしませんでした。
筆者のような農業とは直接関係のない仕事をしている人が、すぐに大きなインパクトをもたらすことは難しいかもしれません。でも、土の成り立ちと同じように、長い目で見れば、何かいい影響が及ぼせるかもしれない。
藤井さんの言うように、まずは土に思いを巡らせ、プチトマトを育てるところから、始めてみようと思います。
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取材・文小池真幸
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取材・編集山口奈々子Twitter: @nnk_dendoushi