「できるようになってから、では永遠に解決しない」内戦、飢饉にあえぐ遠い国への使命感
今年2月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻は日本に住む僕らにも大きな衝撃を与えた。「21世紀にもなってまだこんな侵略戦争が起きるのか」。そう感じた人は多いのではないか。
しかしこれが世界の現実だ。紛争、内戦が続くのはウクライナだけではない。たとえばアフリカ大陸東北端に位置する人口約1500万人の国・ソマリアがそうだ。
ソマリアでは1980年代後半に勃発した内戦により国土が分断され、長く無政府状態が続いた。2012年に正式に政府が発足するが、約10年が経った今もその影響力はまだまだ限定的。イスラム過激派による攻撃や自爆テロなどが中部と南部を中心に各地で続いているという。
こうしたテロを世界からなくす、紛争を解決して平和な世界を実現する--。そんな途方もないミッションに本気で取り組んでいるのがNPO法人アクセプト・インターナショナルだ。
代表の永井陽右さんは、早稲田大学1年生だった2011年にソマリアの問題解決と向き合うことを決意。スキルも経験も語学力も資金もない中、当初は手探りで始めた活動だった。
現在は現地政府とも連携し、いわゆるテロ組織からの投降の促進や、投降兵や逮捕者への脱過激派・社会復帰支援で一定の成果を挙げている。まだまだ若い組織でありながらイエメン、ケニア、インドネシアにも活動範囲を広げる「テロ・紛争解決のプロ」集団だ。
それにしても、永井さんが自国から何千キロと離れた場所に住む人々の問題を自分ごととして捉え、取りつく島すらないように思える問題の解決に人生を捧げるのはなぜだろう。平和そのものに見える日本国内にだって解決すべき社会課題は山積みであるはずなのに。
人の命は短い。一生のうちにできることは限られている。その限られた自分の生を何に、どれくらい費やすのかについて、僕らはどのように考えればいいだろうか。
今そこにある危機
── 日本人からすると馴染みがない、ソマリアの今を教えてください。
ソマリアは日本の1.8倍ほどの面積があり、長い海岸線を持つとても美しい国です。しかし一方で1980年代後半から内戦が始まり、91年に無政府状態に突入した不安定さもあります。それからは日本で言うところの戦国時代。覇権をめぐり、さまざまな勢力が武力衝突を繰り返していきました。
その中で頭角を現したのがイスラム原理主義系の勢力でした。一度は他勢力を制圧しかけるところまでいき、アメリカやエチオピアの介入によりプッシュバックされたのですが、その残派が今では最も強い紛争アクター、つまり当事者になりました。
「アル・シャバブ」という名前はどこかで聞いたことがあるのでは? アル・カイダ系列で、世界でももっともアクティブなイスラム系のテロ組織の一つです。丁寧に表現すると、暴力的過激主義組織と言い、アフリカ大陸では最も人を殺している組織でもあります。
政府自体は2012年末に連邦制として正式に成立したのですが、アル・シャバブとの戦いは今に至るまで続いています。また、ソマリア国内にはそれ以外にもさまざまな武装勢力が存在し、紛争解決の道はいまだ途上にあります。
そんなベースがある中で、そこに追い打ちをかけるように今、ここ40年で最悪の大干ばつが起きています。
── 干ばつ、ですか。
東アフリカのこの辺りではしばしば、大規模な干ばつとそれに伴う飢饉(ききん)が起こります。1980年代には隣国エチオピアで大飢饉が起きました。有名なチャリティーソング『We Are The World』はその時にできた曲です。
ソマリアでは1991-92年、2011年に飢饉が起きていて、2011年の飢饉では約26万人が亡くなりました。当時大学1年だった自分がソマリアに関わろうと思ったきっかけも、この未曾有の飢饉です。それ以来の飢饉が来月にも宣言されるのではないかと言われています。現在の予想としては、670万人が食料危機に直面、220万人が緊急事態、そして30万人が飢饉状態に陥るとされています。
こうした状況の一つの原因がウクライナ危機の余波です。物価が上がり、主食級のものも手に入りづらくなった。特に窮地にいる人々には買えないくらいに値段が高騰してしまっています。また、国際的な支援の大きな割合がウクライナに割かれるぶん、支援も集まりにくくなっています。
── 干ばつ下の生活とはどのようなものでしょうか。
ソマリアは世界で一番ラクダの多い国と言われています。都市部を除くと、今もラクダやヤギと共に生きる遊牧民のような生活を送っている人がたくさんいる国です。
干ばつになると何がまずいかといえば、まず家畜が死んでしまいます。水がなくて干上がってしまう。本気を出せば草を食べているだけでも相当長い期間生きられるラクダですが、水がなければその草も軒並み枯れるので。そうすると、動物の肉を食べることもできなければ、それを売って現金化する手段もなくなってしまいます。遊牧民にとってはシンプルに命の危機です。
そういう人たちが今、国内避難民キャンプに続々と避難しています。
飢饉というと、空腹で死んでしまうことを想像するかと思います。もちろんそういう人もいますが、実際には極度の栄養失調やそれに伴う感染症などが死因になる場合が多いです。そのため、5歳以下の子供や、乳児を抱えた母親などから死んでいくことになります。実際の現場で対面する死者の多くはこうした人々です。
支援のリアル
── 避難民のキャンプでは政府が炊き出しをするなどして支援することになる?
長引く紛争などにより極めて脆弱な国であることから、現地政府だけでどうにかするのは難しいですね。海外からの支援がないとどうにもならないのが実情です。
地理的・気候的な条件の近いケニアやエチオピアでなぜ飢饉が起きないのかといえば、各政府がある程度準備できたり、早期対応できるからです。悲しいですが、ソマリアは危機に対してのキャパシティがまだまだ不足していると思います。
そうなるとやはり、頼みの綱は諸外国からの支援や、国際協力の王道の一つである緊急人道支援活動ということになります。そういう団体が現地団体と連携しつつ、手分けしてキャンプを設営したり、食べ物や水、医療品などを手配したりします。そのコーディネーションはおおむね国連などが行うとともに、必要な物資の支援を先進諸国に呼びかけるわけです。
── アクセプト・インターナショナルとしても緊急支援を表明していますね。
緊急人道支援は私たちのようなテロ・紛争解決系と比べて圧倒的に担い手が多いです。支援金やODAも多く集まる分野なので、紛争解決が本分である我々がやる必要はないと言えばないです。
緊急人道支援系の人たちには投降促進や投降兵などの脱過激化などはできないわけですし。「必要だが、ほかの多くの人にやれないこと」に専念するというのはひとつの道理ですよね。
けれども今回、自分たちはそうは考えませんでした。僕らが普段活動している一つはソマリア中部の最前線エリアです。30キロ先はアル・シャバブのテリトリーで、その中間では今も戦闘が起きています。また、まさに今ミリタリーオペレーションが展開されており、非常にクリティカルな情勢になっている場所です。
大干ばつはソマリア全土で起きていますが、紛争が激しい中部と南部は特に厳しい情勢です。中部ソマリアでも飢饉状態に陥る人口が予測されていること、そしてなによりソマリアへの支援がそもそも足りておらず、うまく連携し対応しなければならない。だったらそこにリーチできる我々が、小規模であっても取り組むのは筋ではないか。そのように考えて1か月ほどで急遽準備をして、8月中旬から現地政府や現地NGOなどと連携し緊急支援を始めたところです。
── 具体的にはどのような支援を?
中部エリアには10個の国内避難民キャンプがあります。僕らはそのうち設営されて日が浅く、まだ支援が十分に入っていない二つのキャンプが目下のメインターゲットです。この二つのキャンプには場所柄アル・シャバブから逃げてきた人も多数います。加えて、キャンプまで来れない前線付近の三つの村でも支援を展開しています。
具体的には、政府と連携して水と食べ物と医療品を届けることを行っています。食料は特に脆弱な乳幼児やその母親が必要とするものを中心に。医師や看護師を雇って検診を行い、それに基づいて必要な医療品も届けています。
また先ほども触れたように、直接の死因は極度の急性栄養失調や感染症ということが多いです。なので「水は沸騰させないとダメ」「必ず手洗いをしよう」といった情報をポスターにして掲示し、感染症予防の啓発も行っています。
── この状況とテロ組織との関係は。たとえば支援物資が奪われるといったことも?
アル・シャバブの支配領域では一般住民を脅して兵として徴集するといったことを日常的に行っています。また、今回の干ばつに際してもその延長で家畜の徴収も多数報告されています。うちのキャンプにもそうした行為から必死に逃げてきた人たちが結構な数で混ざっています。
また、その支配領域にも水や食料がなくて苦しんでいる住民はいるわけです。苦しんでいる以上、人道的にその人々にもリーチしなければならないのですが、そこにリーチするためにはアル・シャバブと取引する必要も出てきます。そういうかたちで直接・間接にアル・シャバブに金や物資が回ることが過去に何度もありました。
我々からすると大きなジレンマです。緊急人道支援系の団体からすれば「やるしかない」という判断になるでしょうが、紛争解決系からするとそう簡単なものではありません。近年では国連安保理の元に、ソマリアやアフガニスタンなどにおいて、制裁対象となっているテロ組織と人道支援の取引は一応容認されつつあります。しかし同時に、紛争解決的アプローチが取られなければならないとも言えます。
何が良くて、何が悪いのか。答えのない問いに向き合わなければならない苦しさがあります。
限られた人生、どの問題解決に捧ぐべきか
── お話にもあったように、干ばつの支援は本業ではないわけですよね。永井さんたちのリソースも決して潤沢であるはずがない中、あえて「やらない」という選択肢はなかったのでしょうか?
もともとは「緊急人道支援の団体に任せて、我々は我々の果たすべき役割を」と僕らも言っていました。けれどもさまざまな理由で支援は遅々として進みませんし、加えてソマリアではセキュリティ(警護)の課題が大きくあります。特に中部の前線を得意とする私たちとして、自分たちがやるべきことは本当にないのかと考え直しました。
そうして議論した結果、上述したような緊急対応を今すぐやろうとなったのです。現地NGOにまるっと委託するのではなく、日本人も現場で仕事をし、ご寄付を軸に活動しているが故の高い機動性を発揮できる。だからこそ、現場に一番近いアクターとして、今こそやろうと決めました。
振り返れば、自分が「ソマリアをなんとかするぞ」と思ったきっかけが2011年の飢饉でした。再び起きた大干ばつと迫りくる飢饉を前に、傍観することはできなかったというのもあります。
── 飢饉も紛争も平和な日本に住む多くの人にとっては人ごとというのが正直なところです。そこまで遠くに目を向けずとも、人生を捧げるに値する問題はあるようにも思える。限られた人生でどの問題の解決に身を捧ぐのかについて、永井さんはどう考えていますか?
大学生のころは「人権というものに形式上であれ賛同している以上、我々には助ける責任があるのだ」と本気で思っていました。
その時点ではスキルも経験も語学力も資金もありませんでしたが、興味のある・なしや、できる・できないはどうでもいいと思った。カントもびっくりのコスモポリタニズムを根っこに持って「だからやるのである」などと言っていました。
その思いは今も変わらず持っていますが、一方で大人になって、みんなそれぞれ日々やらなければならないことに向き合っているのだと今では理解しています。決してうまく行くことばかりではない毎日に、ニヒルに構えてもしょうがないとも思います。
そういう諸々がある中で今思うのは「助けられるのであれば助けるべきでは」ということです。さまざまな事情があって「今は難しい」と言っている人に無理強いしても仕方がない。権利の本質は自由であり、一人ひとり助けない権利があります。ただ「できるのであれば、是非ともしようではないか」と思うわけです。
そして自分にはその意識があります。微々たるものかもしれないけれど「自分たちなら、届く」と思っている。今も緊急支援キャンペーンを実施していますが、多くの方々から温かで気高いご寄付を託されている。そうして託された想いとともに、「きっとやれる、きっとやる」と思い動いています。
── 逆説的ですが、「自分たちにはできる」という自信や状況を手にできたのは、若かりしころにできる・できないを無視して身を投じたからこそとも言えるのではないですか? 最初から「できるのであればしよう」と考えていたのでは、今の状況は永遠になかったかもしれない。
そう思います。もともと全大人から「無理だ」と言われる中、その反発心から始めた活動です。まずやるべきだと決意し、飛び込み、走りながらできることを増やしてここまで来ました。実際にやり始めて見えてくることもあれば、めきめきとできることが増えてくる面もある。それは実感するところです。
今の若い人はやけにクールで、すぐに「私にできることなんてない」と考えがちではないでしょうか。でも、我々が難しい紛争地で取り組んでいる問題などは、そもそも誰にも解決できない問題です。できる・できないで判断していては永遠に解決には向かわない。
そう考えれば結局、やるかやらないかなのではないでしょうか。できる人はそもそもいない。得意な人もそういない。解決の教科書もない。その上で「さて、自分は?」という話なのでしょう。
背負っているものが日々、自分に問いかける
実際、できることが限られているというのは事実だろうと思います。1か月半とか2か月の緊急支援パッケージに加え、中期でのレジリエンスの強化などを同時並行で実施していますが、今後どのように何を行うかというのは、私たちの予算状況やほかのアクターとの連携次第ではあります。
また、対症療法でなく、根本へのアプローチの重要性を痛感します。その究極がテロと紛争の解決でしょうね。だからこそ、そこへのアプローチも同時に強化して行っているのです。
誰もこの危機に対する解決策を持っていない。一方で目の前の危機は進行している。だからこそ、施策に関しては徹底的に論理的に考えて実行することはもとより、難題に向き合う気概も非常に重要なのだと私は思います。
── 愚問ですが、そうやって一度身を投じた問題の解決を途中で止めるという選択についてはどう思いますか? たとえば今いるメンバーの一人が「辞めたいです」と言ってきたら?
無理強いしたってしょうがないですから、普通に受け止めます。人生色々ありますし、タイミングというものもあるでしょう。だからこそ、自分は絶対的支柱としてどうにか姿勢を見せようと思うのです。
この11年で現場で亡くなった仲間もたくさんいます。本当に色々なものを背負っているし、背負わせてもらっている。それは自分にとって誇りでもあり、だからこそ強いというのはあるかもしれません。「ああ、疲れたし、もう止めよう」とはなりにくいです。
また、大人になってよく考えますが、アクセプト・インターナショナルという組織自体にあまり意味はありません。組織というよりも、多くの人々の想いの集合体なのです。一人ひとりのメンバーは当たり前に大切ですが、それにとらわれすぎることなく、アクセプト・インターナショナルの名のもとにあるレガシーを紡いでいくことのほうが大切だと感じます。
── では、解決したと思える日まで、自分が問題だと思う問題に向き合い続ける?
まあ、なんだかんだやるんじゃないですか。「くそ、くそ」と言いながらも。
こんなことを言っていて、数年後あたりにぱたっとやめていたら笑えないので、その時は「吐いた唾飲むんじゃねーぞ!」とか突っついてください(笑)。 引き続き前線のプロとして、しっかりと使命を果たしていきたいと思います。
公式twitter: accept_int
-
取材・文鈴木陸夫
Twitter: kincsem629
取材・編集山口奈々子Twitter: @nnk_dendoushi