「あなたのままでいい」白黒の人生を変えた「理解」ではなく「認める」こと #豊かな未来を創る人

「性別ないです」ーー。Twitterのプロフィール欄でそのように記しているモデル・井手上漠さん。身体と戸籍は男性。でも心は男性でもあり、女性でもある。そんな漠さんは、島根県・隠岐の島で生まれ育ち、高校生のときにジュノン・スーパーボーイ・コンテストで「かわいすぎるジュノンボーイ」として注目を集めました。現在は性別を超えて、メディア出演やSNSでの発信、フォトエッセイの刊行、ファッションブランドのプロデュースなど、活動の場を広げています。

性別という枠組みから自由となった漠さんは今、多様な生き方が許される社会を作るために「理解」は要らないと話します。一人ひとりが固有の存在として、それぞれの道を胸をはって生きていくために、私たちはどう在るべきか伺いました。

井手上 漠(いでがみ・ばく)

2003年1月20日、島根県隠岐郡海士町に男性として生まれる。2018年、高校1年生で第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストにてDDセルフプロデュース賞を受賞。以降、『行列のできる法律相談所』やサカナクションのミュージックビデオ『モス』等、数多くのメディアに出演するほか、モデルとして多数のファッション誌・美容誌で活躍する。Instagram@baaaakuuuu 、Twitter@i_baku2020

「制度」よりも先に変えるのは「人」

── 性別に捉われず、自分らしさを表現しようという動きが近年広がっています。洋服やコスメ、ランドセルなど、世の中で扱われる商品を見ても、「ジェンダーレス」という概念が少しずつ浸透してきたことを感じます。漠さん自身も「ジェンダーレスモデル」という肩書きで紹介されている場面をしばしば目にしますが、改めて自分の性をどのように捉えているか教えていただけますか。

わかりやすく言うとするなら、私自身はLGBTQの「Q(クエスチョニング)」に近い気がします。自分の性や好きになる対象の性が定まっていないし、わからない。ただ、その自分もこの先変化していくかもしれないですよね。性別という型に自分を当てはめずに、「私は漠です」と答えるのが自分にとっては自然です。

今は、「性別がない」ことは超お得だと感じています。男性でもなく女性でもない私は、その日の気分によって、かっこいい自分にも可愛い自分にもなれる。メンズ服もレディース服も楽しめます。どちらにも縛られずに選べることって、すごく楽しい。自分を枠にはめこむことなく生きていることを、自分でも誇りに思えます。生まれ変わってもまた自分でいたいな、と心から思えるようになりました。

一方当事者として、性別に捉われず一人ひとりが自分らしく生きられる社会を実現するために、何ができるのだろうと日々考え続けています。そして考えれば考えるほど、難しいなとあらためて感じています。

── どういうところが難しいと?

ジェンダー平等を実現させるということ、それはつまり人の価値観を変えることですよね。それってすごく難しくて時間がかかることだと思うんです。

例えば、性別の悩みを抱える生徒に対して、「○○ちゃん」か「○○くん」か、呼び方をどうすべきか、学校の先生から質問されたことがあるんですね。社会で当たり前に使われてきた男女の敬称も、当事者によっては苦痛を伴うこともあります。

でも、何によって自尊心を傷つけられるかは本人の声を聞いてみないとわからないじゃないですか。つまり、今マイノリティといわれている人たちの生の声をもっと聞かなければならないわけですが、声をあげにくい世の中であることは事実です。

だからこそ私は、制度を変えるよりも、まず人の価値観を変えることが先だと思っています。制度だけ変えたところで、ジェンダー平等は根づかないと思います。

例えば、私は高校生のときに、当時通っていた学校の制服制度を変える運動に参加しました。男女で分けられていた制服を、生徒が自由に選んで着られるようにしたのです。でもそれはたまたま私の通っていた学校では、性別への違和感を口に出せる生徒が多くいたということも大きいと思っていて。それが仮に、個人の性自認をうまく公表できないような雰囲気の学校で、制度だけ変えてもどうでしょう。おそらく今までと違う制服をポジティブに着られる子は、とても少ないと思う。だから人の価値観が変わらなければ、制度を変えたところで使えないと思うんです。

「私の場合は、学ランを着ることがそれほど嫌ではありませんでしたが、『身体が女だからといってスカートをはくのは苦痛』と語る友人の声を聞いた時、声をあげたいと思いました」

── では、人の価値観を変えるためにどんなことができるのでしょうか。

身近にできることは、今のところ2つあると考えています。一つは、やはりこの先の未来を作る子どもたちに丁寧に伝えていくこと。

子どもは不思議に感じたことをすぐ口にするじゃないですか。実際、私も島で暮らしていたときは、「男なのになんでメイクしてるの?」「男なのになんでスカートはいてるの?」と真っ直ぐに質問されることがよくありました。そんなとき、適当にあしらうのではなく、子どもだからこそ丁寧に答えていました。「男だからスカート履いちゃいけないという決まりはないんだよ。好きな服来た方が楽しいじゃん!」と。

子どもの価値観を形作るのは大人です。大人が子どもに何を伝えるかが、とても大切だと思います。ですから、大人に向けて発信するときは、その先にいる子どもを想像しながら言葉を届けることを私は心がけています。

私の幼い頃も、可愛い服を着たり、プリキュアのおもちゃで遊んだりすると、祖父母にすごく叱られた覚えがあります。「女の子はピンクで、男の子はブルー」みたいな。そんな固定化された価値観も、子どもの頃に存在しなければ、次の世代に引き継がれることもない。

そうやって時代が回っていくことを考えると、人の価値観が変化して、ジェンダー平等が実現するのは、5年後、10年後になるだろうと感じています。長い道のりですが、その頃には「LGBTQ? まだそんなこと言ってるの?」と話せる世の中になっていてほしい。そうすれば、あらゆる制度を変えることなんて、きっと簡単だと思うんですよ。

母校の講演会に招かれ、高校生の頃に取り組んだ制服制度の改革について生徒たちに語った。

そしてもう一つ大切なのは、「理解」することではなく、「認める」気持ちを一人ひとりが持つことだと思います。

── 「理解」と「認める」は違うと?

はい。理解するということは、少し間違えると危険なことでもあると思うんです。本当にどん底に追い詰められ、辛い経験をしている人からすれば、寄り添って「理解します」と言われても「分からないくせに」と感じると思う。やはり究極は、その人と同じ生い立ちで、同じものを見ないと、その言葉はかけられない。理解するって、する側もされる側も、結構重たいこと。だから、私は認めるだけで良いんだと思うんです。

よく「当事者にカミングアウトされた時、どのような言葉をかけてあげれば良いでしょうか」という質問をいただきます。私は、空気のように「そうなんだ」という一言をかけるだけで良いと思います。当事者は、その言葉だけを待っていると思うんですね。その人が考えていることや好きなこと、まずはそれをただ認めようとすることが必要だと感じます。

カテゴライズできないことへの恐怖

── そもそも漠さんが、自身の性別と向き合うようになったのは、いつ頃だったのでしょう?

3歳の頃に見た光景がすべての始まりでした。親戚の結婚式で、花嫁のウエディングドレス姿に圧倒されたんです。世の中に、こんなに純白で美しいものがあったのかと、私は大興奮で。そこからキラキラしたものや可愛いものを好むようになりました。

でも、そこで「女の子になりたい」という意識が生まれたわけではないんです。私はただ可愛いものが大好きで、おままごとや人形遊びに夢中だった。すると、たまたま一緒に遊ぶのが女の子たちだった。そんな感覚なんです。

── 性別というものにフォーカスしていたわけでなく、純粋に自分が好きなこと、したいことに目を向け、邁進していたのですね。

そうですね。でも小学5年生になると状況は変わりました。身体の成長に伴い、学校で男女の区別が始まったんです。例えば体育の着替えに使う教室は、男女別々。それまで私はいつも女の子と一緒だったのに、初めて男の子だけの空間にぽつんと置かれ、浮いた存在になりました。

戸惑う私に対して、同級生たちは冷たくトゲのある視線とともに「気持ち悪くない?」という言葉を向けるようになりました。そこで初めて「私っておかしいのかな?」と思うように。周囲の視線に対する恐怖と孤独感で心が支配されるようになっていったのです。

それを振り払おうと、私は自分らしくて気に入っていた長い髪の毛を、母にお願いしてバッサリ切りました。それからは、いわゆる「男の子」の像に合わせようと必死でした。"男の子っぽい"服を着たり、野球やゲームなど"男の子っぽい"会話をしたり。とにかく、周りに合わせておけば正解な気がしたんです。世の中の「普通」を目指すことが自分を守る盾になると思っていました。

── そこから周囲の反応は変わりましたか?

確かに自分を偽ることで、否定的な言葉は減りました。でもその代償に、心から楽しめる瞬間はなくなりました。今、当時の日々を振り返っても、白黒でしか思い出せないんです。例えば、美味しいご飯を食べても、美味しいと感じない。周りの子たちは毎日何を楽しみに何のために生きているんだろう? 本気でそんな疑問を抱いていました。生きている実感がなかったですね。

男子グループの中で過ごす違和感。その原因を知るヒントとなったのが、テレビで観た「性同一性障害」という言葉でした。自分には「障害」があるの? とショックを受けた反面、性別に違和感を持つという点ではすごく自分に似たものを感じ、ホッとしました。一方で、書かれている事例と自分は違うな、と感じる部分もたくさんありました。

それから、学校の図書館でLGBTQについての本を読み、自分というものを知ろうとしたんです。でも、どれだけ調べても完全に一致しているカテゴリーは見つけられない。それが、何より怖かったですね。だって事例がないということは、この先も一人で悩みを抱えていくしかないのだと。もう自分は生きていてはいけない人間なのかなと思いました。

── その恐怖や孤独は、いつまで続きましたか?

中学2年生の頃までです。いつもと変わらない夕食後の時間、母が私に話しかけてきたんです。「漠って男の子が好きなの?」ーー。いきなり核心をついた質問を投げかけられ、私は絶句しました。

母が、LGBTQの本を調べていることは少し気づいていたのですが、まさか直接質問されるなんて思ってもみなかったのです。母が自分を知ろうとしてくれている嬉しさを感じながらも、理解されなかったらという不安や恐怖もあり、感情がごちゃごちゃに。体が痺れて金縛りのような状態になり、涙が止まらなくなりました。

そして私はそこで、自分のことを打ち明けようと思った。人生で初めてした大きな決断でした。恋愛対象が分からないこと、分からない自分が怖くて悩んできたこと、「普通」であることに応えられない自分がすごく嫌いなことーー。すべて包み隠さず母に話しました。

私が話している間、母はずっとうんうんと頷くだけでした。そしてすべて話し終えた後に、「そっか」とひと言。その後「漠は漠のままでいいよ」とだけ言って話を終えたのです。翌朝、母はいつもとまったく変わらない態度で接してくれました。

── ただ「認める」。それをお母さんが漠さんにしてくれたのですね。

そうです。おそらくわが子の初めて知る姿がたくさんあり、母の中でも戸惑いや葛藤はあったと思います。でも目の前にいる私のすべてをただ認め、肯定しようとしてくれた。「漠は漠のままでいいよ」というひと言が、私の人生を変えてくれました。

うちは母子家庭なので、私が生まれた時から、母と姉と私の三人家族。心から信頼する母が、自分を肯定してくれたのだから自分は無敵だと思えたんです。そこから一気に周囲の視線が怖くなくなり、これからは自分が本当に好きなことを好きなだけやってやろうと思いました。学校から帰ると、大好きだった美容やメイクを夢中で研究するように。少しずつ人生が色づいていきました。

自分を開示することで自己肯定できた

── それでは、母に打ち明けたことを機に、「男」「女」「LGBTQ」というカテゴリから完全に自由になれたということでしょうか。

いいえ、何かに自分をカテゴライズする必要はないと心から思えるようになったのは、もう少し後。芸能の活動を始めてからのことですね。

それまでは、やはり自分を何かの枠組みに当てはめたいという気持ちもあれば、そうでない気持ちもあり、ずっと葛藤が続いていたのが正直なところです。やはり段階を踏んで、自分の在り方を肯定できたのだと思います。

── 自分が長く付き合ってきた価値観というのは、いきなり切り離せるものではなく、少しずつ更新していく作業が必要だったわけですね。

はい。一つ目のきっかけは、中学3年生のときに国語の先生の勧めで出場した弁論大会です。そこで初めてこれまでの葛藤を人に話す機会をいただいたんです。自分という人間について他者に開示することで初めて、同級生たちも私を認めて応援してくれるようになりました。東京で開催された全国大会で文部科学大臣賞を受賞できたとき、自分の生き方は間違っていなかったんだと心から思えました。

二つ目のきっかけは、高校1年生のときに出場したジュノン・スーパーボーイ・コンテストです。これも幼い頃から通っていた島の診療所の先生の勧めで応募しました。どうせすぐに落ちるだろうから、偽りのない姿で参加しよう。そう考えて普段通りの写真で、エントリーしたのです。そうするとファイナリストにまで選んでいただくことができました。

選考の過程では、SNSで応援してくれる人の声や、自分と似た悩みを持つ人の生の声に触れ、自分らしく生きようとする私の存在が誰かの救いになれたことを初めて知りました。自分が発信することは誰かを肯定することにつながるのではないか。そう考えて、芸能の仕事を始めました。

自分らしさは「好き」から滲み出る

── さまざまな葛藤を経た今、漠さんは自分らしさを見失うことってないのでしょうか? 性別や年齢を問わず、自分を社会の価値観に合わせてモヤモヤを抱える人は少なくないように思います。自分らしさを大切にし続けることは、多くの人にとって、やはり容易いことではない気もします。

うーん、ないですね。なんでしょう、好きなことを続けているからでしょうか。やっぱり私は自分らしさは好きなこととつながっていると思っています。

私が白黒の人生から抜け出せたのも、好きなことを誰にも遠慮することなく始めたことが大きなきっかけだった。美容について考える時間がすごく幸せで、その時間が一日の中にあるだけで、学校での様子も明るくなったねと周りからもいわれて。「メイク教えてよ」「お肌のお手入れについて教えてよ」と、話しかけてくれる仲間がすごく増えたんです。

好きなことをすることで、自分の内側からキラキラしたものがどんどん溢れていった。それに周りも反応してくれたのかなと、今は思います。自分らしさというのは、そんな風に「好き」から滲み出ていくものなんじゃないかと。人に言うのは恥ずかしくて打ち明けられない趣味でも良い。それを自分の中で大切にして、開花させていくことは可能だと思うんです。

特に学生の頃は、「将来の夢」を聞かれる事があると思います。「夢は何?」「将来したいことは?」と。そんな風に考えると、難しいのは当然。私は質問の仕方を変えれば良いのにといつも思います。「好きなことは何?」「趣味は何?」と。

例えば絵を描くことが好きなら、今はもうあり得ないほど職業がたくさんあるじゃないですか。漫画家にもなれるだろうし、ネット上で自分の絵を出品して評価してもらうような仕事も生み出せるだろうし。「夢」というと、自分が知っている範囲でないと選べないけれど、「好きなこと」を考えてみると、たくさんの未来が広がっていくと思うんです。

闘うのではなく笑っている姿を見せたい

── 漠さんにとって性別とは何なんだろう? ということを最後に改めて聞きたくなりました。

私自身、さまざまなメディアや講演会で発信していますが、正直性別なんかどうでも良いと思っているところもあるんです。というか、この先ジェンダー平等が実現した社会では、性別が何であるかは大した問題ではなくなっていると思います。

もちろん自分が男性や女性であること、あるいはゲイやレズビアンであることに誇りを持つことはとても素敵なことだと心から思っています。一方で、人からジェンダーを一方的に決められ定義づけられることにはノーと言いたい。自分の性をどう認識するかは、自分の中で決めて良いと思っています。一人ひとりの自由な生き方が尊重される世の中になるために、例えそれが米粒みたいに小さくても、私の今の活動が誰かの心を少しでも動かせるものになれば良いと思っています。

といっても、拳を振り上げて「ジェンダー平等を実現するぞー!おー!」みたいなスタンスで活動をしたいわけでは決してないです(笑)。それって時代にそぐわないと思いますし、何より当事者を傷つけてしまうこともあると思う。

私は性別のないアイコンとして世の中にいて、ただ心から笑っている姿を見せるだけで良いと思っています。それを見た人が、「この人素敵だな」とか「この人が笑っているなら自分も前に進めるかもしれない」と思ってもらえたら。私がなりたいのはそんな存在です。

  • 取材・文木村和歌菜

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