政治は想いのバトンリレー。うねりは変える力になる#豊かな未来を創る人
シリーズ「#豊かな未来を創る人」では、未来を創るために活動する人を紹介しています。今回から3回に渡ってこの国の未来を担う国会議員を紹介していきます。
今回紹介するのは、2016年に初当選、現在二期目の参議院議員・伊藤孝恵さん(愛知県選挙区)です。超党派ママパパ議員連盟の立ち上げなど、子どもの未来に関する活動に力を入れています。
伊藤孝恵
国民民主党
昭和50年6月30日生まれ、名古屋市出身/犬山市在住 ○荻須学園ひまわり幼稚園、犬山市立犬山北小学校、私立金城学院中学校、金城学院高等学校、金城学院大学文学部国文学科卒業 ○平成10年 テレビ大阪入社。営業局を経て報道スポーツ局に配属。大阪府警記者クラブで事件事故を取材する傍らドキュメンタリー番組を制作。若年無業者(ニート)問題を提起した番組で第1回TXNドキュメンタリー大賞受賞 ○平成18年 資生堂を経てリクルート入社。マーケティング局でマスメディアの買い付けや結婚情報誌等のCMを制作 ○平成28年7月 同社在職育休中に公募から出馬、初当選。日本初の育休中の国政出馬には当時、多くの批判的な声が寄せられた ○現在2期目、党副幹事長、子ども・子育て・若者政策調査会長、超党派ママパパ議員連盟事務局長、生殖補助医療の在り方を考える議員連盟事務局長
立ち上がる母としての人生を生きたい
伊藤さんが政治家になると決めたのは、生まれたばかりの次女の耳に先天性の障害があるとわかったことがきっかけでした。子どもの未来を案じて眠れぬ夜を過ごす中、衝動的な決断だったといいます。
「あの夜のことを論理的に説明することは今でも難しいのですが、当時、本当に寝ていませんでした。次女の障害についての不安のみならず、産後うつもあったのだと思います。私たちが窓から飛び降りてしまった方が、家族は幸せなのではと考えるほど思いつめていました。そんなとき、民主党(当時)の公募サイトで、玉木雄一郎衆議院議員をはじめ若い政治家たちが『納得のいかない法律や制度を変えていくのが政治家という仕事。政治家は子どもたちの未来をつくることができる』と言っているのを見て、涙が止まらなくなりました。泣きながら、一晩で、一気に応募書類を書き上げたのが、全ての始まりです」
障害児者をとりまく社会の冷たさを実感したことが、伊藤さんを追い詰めていた一因でもありました。
「それまでは、障害のある人を守るためのものだと思っていた法律が、実は裏側から見ると、学ぶ場所や働く場所、生きる場所を制限するものになっていると感じることがありました。私は子どもたちより先にこの世を去ります。その時、彼女たちが生きるのはどういう日本なのか。障害のある人はどう学び、どう働き、どう生きるのか。支える家族は。そんなことを考えたとき、日本の社会や法律は、あまりにも冷たいように感じました。競争社会の中で勝者と敗者が分けられ、全て自己責任と片付けられる社会。弱いのは努力不足、敗者は淘汰されても仕方がないと、強者が堂々と言い放つ社会。ここに子どもたちを残して死ぬわけにはいかない、と」
冷たい社会を変えることを、伊藤さんは選びました。
「世の中は障害者に優しくない、みんな綺麗事ばかり言っていると愚痴って生きるより、だったらそれを変えてやると立ち上がる、母としての人生を生きたかった。だから公募に手をあげました」
企画を通すための仲間作り
これまで様々な子育てに関する政策立案を行ってきた伊藤さん。2018年には党派を超えて子ども子育て政策を推進する議員連盟を立ち上げました。
「野党の新米議員ができることなんてわずかかもしれません。でも、私に巻き込まれてくれる人が、党派を超えて案外いたんです(笑)。企業で働いてきた実感からすれば、企画が通らない理由は二つしかない。企画の筋が悪いか、企画の通し方の筋が悪いか。超党派ママパパ議員連盟には、ママパパ以外も含めて現在100人弱が参加しています。議連に寄せられた様々な声を共有し、議員はそれを自党に持ち帰って、私では入れない会議、会えない人に話をしてきてくれます。議員同士は仲が悪いのかとよく聞かれますが、連帯だってあるんです。世の中は課題に溢れています。しかし半径3メートル以内で動いていても、それらの課題は解決に向かいません。一人で言っているうちは残念ながら"愚痴"なんです。でも二人で言えば意見になるし、三人で言えば兆しになる。大勢で言えばうねりになって、そのうねりは、同質性が高く、硬直化している今の政治を動かす力になります」
実際に制定された法律や制度にも、考えを反映させることは可能だったといいます。
「野党議員に政策実現はできないと言われるたび、すごく悲しくなります。
我が国には2021年に孤独・孤立担当大臣が誕生しましたが、私は孤独・孤立政策を2019年に立案しています。我々が2021年に出した議員立法をほぼ踏襲した法案が今国会で成立予定です。ヤングケアラー支援も2019年から活動を始め、国会では20回質問しました。ずっと伴走してくれた官僚らの尽力もあって今、法制化の動きも生まれています。政治は想いのバトンリレーです。一番初めに問題提起した人がいて、それを粘り強く国会内で問い続けた人がいて、最後にゴールテープを切る人がいる。でも、私はゴールテープを切りたいのではなく、政策実現をしたいからここで働いています。こんなことはたまらない、変えて欲しいという声を預かり、それを解決するためにやっているので、ゴールテープを切るのが自分でなくても気になりません。いいじゃないですか。何かを変えたい、なんとかしたいという想いの総和が政策を動かし、社会をより良いものにしていっている。そう考えるのは、とても気持ちのいいことです」
24時間戦えなくても、代弁者になれる
政治の可能性を感じる一方で、女性が議員として働く上での難しさも感じてきた伊藤さん。「少子化のすべての理由が永田町に凝縮されている」と感じるほど、子育てをしながら政治活動や選挙活動をすることへのバッシングがあったといいます。
「2016年当時、乳幼児を二人育てながら働く女性議員は一人もいませんでした。次女が保育園に入れず、執務室がキッズスペース化していたときには、1500件以上のクレームがあり、有権者のみならず身内からもバッシングされました。子どもは日本の宝だ、社会みんなで育てようと街頭演説していた議員からも嫌味を言われました」
伊藤さんは、愛知県政150年の歴史の中で、初めて二期目の壁を突破した女性国会議員。女性議員が増えない背景には、「女のくせに政治なんて、母親のくせに選挙なんて」といった旧態依然としたジェンダー意識や、24時間365日、家族を顧みずに朝から晩まで働くことが求められる文化などがあるといいます。伊藤さんは、2022年の参議院選挙では、子育て世代の前例になるような選挙に挑戦しました。
「次世代のママたちに贈る選挙をやってみたんです。『マイクが使える8時から20時までは一生懸命活動するけど、20時になったら母に戻ります』と宣言して、実際に子供たちとご飯を食べて、お風呂に入って、川の字で眠る生活をしました。落選しそうなくせに何やっているんだと怒られましたが、譲りませんでした。選挙が日常の延長線上でできないものであり続ける以上、育児や介護の当事者は挑戦すら叶わないということになる。それを変えたいんです」
そしてそれは、子どもたちの中にある政治や選挙へのネガティブな印象を拭いたいという願いでもありました。
「1回目の選挙であまりにもひどいことがいっぱいあって、子どもたちは、選挙はママを苦しめる怖いものという印象を持っていました。それを上書きしたかったから、絶対に子ども達の前では笑う、楽しくやるぞと決めていました。嬉しかったのが、友人たちが、政治家の『支援』はできないけど『推し活』ならできる。『決起集会』には行きにくいけど『ファンミーティング』だと思って行く、と言って子どもを連れて参加してくれたことです。おかげさまで、我が家の子ども達は今や、選挙を色んな友達に会える楽しいものだと認識しています」
子連れ選挙に関しては公職選挙法に抵触する懸念もあるため、伊藤さんは自身の選挙での13の実例を元に国会で質疑。総務省は各都道府県の選挙管理委員会に対して見解を通知すると共に、これまでは"自治体判断"であった「政治活動や選挙活動が保育園や学童の入所要件にあたる」旨の画期的な答弁を、3月23日の予算委員会で岸田総理から得ました。
「選挙中は嫌がらせやポリティカルハラスメントもあります。これから政治家を目指す人に、そういうものに耐えて選挙に出てくれなんて言いたくありません。私がここまでの批判は全部受けて、基準をつくっておくので、これからの人には、さらにここからジャンプしていってもらえたらと思います」
未来の生きやすさをつくるのが今
子どもたちのため「まだここにない政策」の実現を目指して奮闘を続ける伊藤さん。最後に、残したい未来について聞きました。
「子どもたちには、他人の価値観の中を生きないでほしいと思っています。他人が望む自分とか、誰かからかっこいいと思われる自分を目指すのではなく、自分自身が、誰と、どこで、何をして生きていきたいかを自分のモノサシにしてほしい。生きることは、時に苦しく、面倒くさくもあるけど、晴れ渡る空の下を、上を向いて歩き、沢山の人たちに愛され、抱きしめられながら、ゆっくり大人になっていってほしいと、切に願っています。そしてそれができない子どもたちには一目散にかけよっていって、政策立案していくのが今の私の仕事です。未来の生きやすさを作るのが今、この国の未来の当たり前を作るのが国会です」
少子化対策の議論にも、改めるべきところがあると伊藤さんは考えています。
「多くの人は、『少子化対策』なんて求めていません。求めているのは徹底的な子ども子育て支援です。一人ひとりが子を産み育てられると思える給与の確保と徹底的に支援を充実した結果、出生数に好影響をもたらす"可能性がある"のです」
政策を練り上げる政治家や官僚の働き方にも、構造的な問題があるといいます。
「政治家の子どもの多くは地元で暮らしています。そうでなければ有権者が許さないと言うのです。週末に地元に帰っても、公務や政務で帰宅は深夜。子どもとゆっくり過ごすことなどない、若しくは、あったとしてもどこか憚られるような気持ちがある、というのは世代を超えた議員あるあるです。子育て実感がある者がアイデアを出した方が、より現実に即した政策になるであろうに現実は、子育て中の若手議員は選挙地盤が脆弱で、子どもといる時間はない。官僚もブラック霞が関と言われるような、国会議員や国会情勢に左右される働き方で、フィールドワークや子育てもままならない」
この状況を変えるために、伊藤さんは「違和感」を置いてみることが大切だといいます。
「永田町という場所はとても不機嫌な街で、みんなすぐ機嫌を損ねる政治家にビクビクしています。そんな場所に、違和感を明るく置いてみる。たとえば執務室をキッズスペース化したとき、いろんな人たちに怒られましたが、6年経った今では与党議員のお孫さんが遊びに来るほどになりました。最初はバッシングの的だったキッズスペースですが、時に謝ったり、時に開き直ったりして、周りに慣れてもらった。そして今、そこにあるのが「当たり前」になった。この6年の道程を称して「変化」と呼ぶと思うんです。キッズスペースが炎上した時は、えらいこっちゃと急いでしまおうかと思いましたが、よく考えたら、私が退散してしまったら、また私と同じスタートライン、振り出しから始めなきゃいけない人が次世代に生まれるだけ。世襲議員や、団体を代表している議員でもない私は何にも縛られないし、何でもできる。前例主義を逆手にとって、前例をどんどん作っていけば、次世代の人たちが生きやすくなる。未来の生きやすさを今作っているんだと考えれば、それはそれはやりがいのある仕事です」
3月の特集では伊藤さんの他にも「デジタル活用」「サステナビリティ」というキーワードを掲げて奮闘する2名の議員をご紹介します。ぜひご覧ください。