すべての命には存在意義がある。人と「害虫」が共生するための棲み分けとは? #豊かな未来を創る人

オフィスや飲食店において、ゴキブリやネズミなどのいわゆる「害虫・害獣」の駆除を担う会社を営んできた岡部美楠子さん。殺虫剤などを使っての駆除を続けるうちに、そもそもそれらの生き物たちを発生させない「予防」の観点に目が向くようになったと言います。そこで2018年に新たに立ち上げた会社が8thCAL(エシカル)。駆除をする前にできる、害虫・害獣予防のコンサルティングや教育・啓発活動などに力を入れています。

人間の都合で命を奪われる生き物たちの存在意義とは? 人間がすべての命や自然と共生していくための道とは? 小さな生き物たちと対峙してきた岡部さんが抱えた葛藤と気づき、そこから踏み出した一歩を伺いました。


岡部美楠子(おかべ・みなこ)

東京都出身。1960年に創業した害虫駆除を柱とするシェル商事を営む父のもとに生まれる。武蔵野美術大学で照明デザインを学んだ後、民間2社に勤める。その後2008年にシェル商事に入社し、2010年に事業継承。2014年に事業構想大学院大学に入学し、修士課程修了。2018年に、環境コンサルテーション・啓蒙・研修・予防商品開発を目的とした8thCALを設立。 啓蒙活動としての「害蟲展」を主催する。

駆除だけではなく「予防」へ

── シェル商事と8thCAL、都市衛生にまつわる2つの会社の代表をされています。それぞれの取り組みについて教えてください。

もともと私の父が60年以上前に立ち上げたのが、シェル商事という会社です。オフィスや店舗における、ネズミやゴキブリなどの害虫・害獣駆除を軸に、水・空気の浄化、食品衛生など、都市衛生管理業務を請け負ってきました。

2010年に父が他界し、私がこの会社を引き継いでいく中で、駆除をするだけではなく、そもそもそれらが発生しない仕組みづくりが必要だと感じるようになりました。そこで2018年に、「予防」の観点で8thCALを立ち上げたんです。

8thCALでは、虫の早期発見ツールの開発や、虫の生態や対策を学べるe-ラーニングコンテンツの提供、害虫・害獣の侵入を防ぐ建物の設計コンサルティングなど、予防にまつわるサービスを行っています。


啓蒙・教育事業として、ホテル・宿泊施設事業者向けに行ったトコジラミ対策セミナー。

── シェル商事での事業を行っていく中で、対処から予防へと視点がシフトしていったのですね。

もちろん日々起きる衛生トラブルについては、これからもシェル商事で的確に処理をするプロとしてのスキルは必要だと考えています。ですが、これからはより長期的な視点を持って、その前段でできることを8thCALで模索していく。そこで得た知見やスキルを、シェル商事の事業にも落とし込んでいく。そうやって事業を回しながら私たちが目指しているのは、人と自然がきちんと共生できる都市環境づくりです。

8thCALでは「啓蒙」「教育」「予防」、シェル商事では「早期発見」「施工」の分野に取り組む。

── 「人と自然の共生」というのは?

私たちのビジネスは、いわゆる「害虫・害獣」と呼ばれる生き物や土壌、水、空気などの自然に関わっています。そしてときに生き物の命をコントロールして成り立っているとも言えます。

でも、立ち止まって考えると、人間も彼らと同じ自然の一部なのです。環境への負荷もゼロとはいえない殺虫剤という手段をできる限り使うことなく、命や自然に配慮のある選択をしていきたい。駆除から予防にシフトしていくことで、人とあらゆる生き物が互いの生活を犯すことなく共生できる方法を模索する。それが持続可能な未来にとって大切だと考えています。

そのために、一つのキーとなる考え方が「棲み分け」。つまり、生き物と人間が活動するエリアを分けるということです。本来、自然の中で暮らしていた生き物たちにとって、都市が住みにくい空間になれば、繁殖も抑制できるはず。そうやって、ゆるやかな境界線をデザインしていく必要があると思っています。


命の共生のための「棲み分け」

── 「棲み分け」の観点で、実際にどのような取り組みをしているのでしょうか。

8thCALでは、例えば飲食店を新たに作る際に、設計事務所と連携してコンサルティングを行っています。生き物の習性を熟知した上で、彼らの寄ってこない水はけの良い角度にキッチンを作る、通り道となる隙間を塞いで密閉性の高い建物を作るなど、建物の構造段階から提案する。そもそも建物自体に生き物が入ってこない仕組みを作るのです。

そして今後は、一つの建物だけではなく、街全体のマネジメントにも力をいれていきたいです。例えば海外ではネズミのベイトボックスというものが、街のいたるところに設置してあるんです。これは毒餌を入れた箱を置いておくことによって、そのエリアに来ると危ないと学習させて、ネズミがいなくなるようにするのです。


── 海外においては、街全体で生き物をブロックする考え方が浸透しているということですね。

そうですね。一方、日本では建築物衛生法という法律に則って、エリアではなく、建物ごとに衛生管理をしていくのが基本の考え方です。この法律は厚生労働省の管轄ですが、建物の外にベイトボックスを置くとなると、国土交通省の管轄になってくる。そうした縦割りの壁があることも現状です。今後は私たちが実証実験なども行いながら、自治体や行政とも連携して仕組みづくりをしていきたいです。

そのためには、目の前の事業や顧客だけを見ているだけでは足りなくて。まず世界でどのような研究が段階的に進んでいるのかを知る。そしてそれがどのくらい信頼できて、何を取り入れていけるのかを自ら判断できなければならない。ですので、できる限り海外視察や学会発表などの場に足を運ぶことで、多方向から物事を捉え、最適解を見い出すための視座を持たねばと考えています。


2022年にアメリカで開催された、ペストコントロールのカンファレンスに参加した岡部さん。

父の仕事が「恥ずかしかった」

── 駆除業務を担うお父さまの事業を継ぐきっかけは、何だったのでしょうか。

幼い頃は、父の仕事を継ぐとは考えていませんでした。むしろ小学生の頃は、ゴキブリを退治する父の仕事に対して、どこか「恥ずかしい」という感情を抱いていたんです。そして、それを自分の中でなかったことにしていました。

武蔵野美術大学で学び、靴の製造卸販売の会社に就職。毎月のように出張でヨーロッパを飛び回りながら、靴のデザインや買いつけなど、忙しく仕事をしていました。そこから4年後にメガネの製造卸販売会社に転職。その頃、父はパーキンソン病と大腸がんによって、闘病生活を送っていました。

ある日、母から「最後の家族旅行になるかもしれない」と言われて、父の会社の社員旅行に参加したんです。すると、そこには楽しそうにはしゃぐ社員の人たちと、それを嬉しそうに眺める父の姿がありました。それを見たときに、父が人生をかけて守ってきたものを守らないといけないと感じたんです。

それから2008年にシェル商事に入社して、2年間現場の仕事に従事した後、代表取締役社長に就任。その半年後、父は84歳で他界しました。


シェル商事の30周年式典での父と岡部さん。

── 既存の事業を継承しながら、「予防」というご自身なりの新たな方針を立てたきっかけは?

社長に就任して4年経った頃に、ビジネスを学ぶ大学院に通ったことが大きかったですね。それまでは旧態依然としていた社内のシステムを刷新しながら、がむしゃらに会社を回すことに必死でした。でもここで改めて、私がこの事業に取り組む意味と向き合い、初めて自分の本当の想いに気づいたのです。

まず最初に大学院で担当教授から尋ねられたのは、「なんで岡部さんがシェル商事という会社を継ぐの?」という質問でした。それに対して「私、一人っ子だったので......」と答えると、その教授が「そうじゃなくて、岡部さんという人間がその会社をする意義って何だろう?」と。

そんな問答を繰り返して、自分の考えや想いと向き合っていくうちに「ああ、私は小さい頃に覚えた『恥ずかしい』という感情に、どこかで蓋をしていたんだな」ということにも気づきました。


── その感情の蓋を開けてみて、何を感じましたか?

その感情を直視した上で、改めて父の仕事に目を向けてみると、決してそれが「恥ずかしい」ものではなかったと気づいたんです。

父が銀座にオフィスを構えて創業した1960年を調べてみると、今は綺麗な東京駅付近も、当時はまだ道路が土の状態で、その中に近代的なビルが次々と建っていく最中だった。そうした環境下では、やはり害虫・害獣の駆除が、人々の暮らしを清潔に守るという目的に対して有効であり、必要な手段だったのだなと。さらに、その一方で思ったことは、手段は時代に応じて変えていくべきなのではということでした。

というのも、私たち業者が用いる殺虫剤というのは、建築物衛生法の規定によって1970年から何度か薬品の成分が変わっているのです。けれど、その都度生き物は薬品に対する耐性をつけていく。つまりいくら薬品を変えても、一定数生き残る者が現れて、追いかけっこになってしまう。にもかかわらず、殺虫剤という手段をこれ以上使い続けるのは賢くないと感じるようになりました。

そして、人間はクリエイティブで倫理的な考え方ができる生き物であるはずなのに、「殺す」というサイクルからいつまでも脱出できないのはなぜなのだろう。そんな疑問も生まれてきました。


── それまで社会的に認められてきた、生き物の殺生に疑問が生まれてきたと。

はい。それは私自身、いくつもの生き物の命に対峙してきたからかもしれません。駆除の現場では、虫もネズミも苦しんで死んでいくのです。例えば、ネズミを駆除する方法の一つとして、粘着板によるトラップを仕掛けて捕まえるものがあります。苦しそうにもがくお母さんネズミ。そのそばでまだわずかに動いている小さなネズミの子どもたち。それを回収して処分しなくてはなりません。生き物の命をゴミにして捨てる。それは命に対してとても失礼ではないか。そんな葛藤が自分の中で膨らんでいきました。

これは一体誰が幸せになる仕事なのか。依頼主は幸せになれたとしても、生き物やそれを実行するわれわれはどうか。そんな自問自答を繰り返すうちに、駆除という業務を担いながらも、「命を奪いたいわけではない」という、自分の本当の気持ちにもはっきりと気づきました。

命を粗末に扱うことなく、私たち人間も安全かつ快適に暮らせる環境づくりを模索すること。それこそ、この家に生まれた私がこの会社を営む意義であり、自分の使命なのだと思い至りました。

そこに気づいてようやく、「人と自然が共存できる、都市衛生の未来を創造する」という、事業ミッションを新たに言語化できたのです。そしてそれを自分の言葉で社員みんなに伝えることができました。父が大切にしてきた事業への想いを受け継ぎながら、次の未来に向けた、自分なりの一歩を踏み出せた気がします。


すべての命の存在意義を問い直す

── 私たち人間も、他の生き物と同様に自然の一部。そう考えると、そもそも「害虫・害獣」という言葉が、誰にとってのものであるのか? という問いが生まれてきます。

はい。私は、あくまで人間のエゴから生まれた言葉であるようにも感じます。例えば、多くの人が忌み嫌うゴキブリ。彼らは本来森に住んでいて、生態系の中では「分解者」といわれる役割を果たしています。倒木や動物の死骸などを食べて土に還すおかげで、植物たちが元気に育つことができる。彼らがいることで、命が巡っていくのです。ところが、「不潔」「気持ち悪い」という私たち人間にとっての理由だけで、「害虫」と呼んで命を奪う。それは、生態系の循環を壊すことにもつながっています。

── 生態系全体を俯瞰する視座を持つ。その上で「人間」だけではなく、「地球に暮らす私たち」として、主語を転換して物事を捉えることが大切だと感じました。と同時に、これまでそうした視点を持って日常を過ごしてこなかったなと......。

そうですね。少なくとも社会において「害虫・害獣」に対する一方的な認識が根づいている背景には、メディアの影響もあるのではと私は感じています。

例えば春になると、「スズメバチの巣を駆除する達人!」といったような特集がテレビなどで取り上げられますよね。ですが先ほどと同様、スズメバチにも地球上における存在意義というものがあるのです。肉食の彼らが完全にいなくなってしまうと、今度は他の昆虫が大量発生して農作物に被害が出る可能性も。これはあくまで人間にとっての利益を考えた場合ですが、要は生態系のバランスが崩れてしまう。だから、彼らが単に駆逐されれば良いという話ではないのです。

その視点があれば、例えば駆除だけではなく、スズメバチに攻撃されないようにする対策や、巣ごと別の場所に移動させるという選択肢などを、一緒に提示することもできるのではと思います。

やはり私たちは、いわゆるヒーローを作りたい傾向があるようにも感じます。「スズメバチは悪者で、ミツバチは花粉を運んでくれるから正義の味方」。そうしたわかりやすい価値観に飛びつくことは楽ですが、すべての物事には多面性がある。一つの側面にしか光を当てないことで思考停止に陥り、どこかに歪が生まれていってしまうのではないでしょうか。


未来の懸念に対して動かないのは怠慢

── あらゆる視点に立って物事に目を向けることは、ときに面倒ですが、それを放棄せずに考え続けることこそ、人間が育むべき知性なのだと感じました。「害虫」という概念に問いを投げかける一つのアクションとして、近年8thCALでは「害蟲展」というアート展を主催されていますね。

はい。「害虫・害獣」と呼ばれる生き物を作家たちがアート作品として表現することによって、それぞれの命の存在意義をみなさんと問い直したい。そう考えて始めた企画です。「棲み分け」の考え方を社会に実装するきっかけになればと思っています。2023年で4回目を迎えましたが、少しずつ一緒に考える仲間が増えてきた実感があります。

特に、家庭用殺虫剤などを販売する老舗メーカー「KINCHO(大日本除虫菊株式会社)」さんが協賛してくださったことは嬉しかったですね。共に生き物の命に向き合うビジネスをする企業と、同じ想いや課題感を持ってアクションができた手ごたえを感じました。

ほかにも毎年必ず見に来てくれる幼い男の子がいるんです。東京での展覧会に来てくれたと思ったら、同じ会期内に開催した大阪にもわざわざ来てくれて。その男の子も想いを共有できる仲間だと、私は感じています。年齢や立場を問わず、そうやって命の価値や共生について、誰もが自分ごととして考えられる社会を創っていきたいです。


2023年に行われた「害蟲展」の様子。「害虫・害獣」といわれる生き物たちの美しい側面や有益な側面、生命の循環などに焦点を当てて制作された作品が公募・展示された。

── 都市衛生事業を続けて13年。この先思い描く社会を創っていくにあたって、岡部さんを突き動かすのはどんな想いですか。

未来を今より少しでも良くしたいという強い想いでしょうか。私には小学生になる二人の子どもがいるのですが、平日は出張も多く、一緒にいられる時間は朝くらい。それでもなお私が取り組まなくてはいけないこととは、未来を良くすること以外にないのではと思っています。

子どもたちに出会い、命がこれほどにも尊く愛おしいものなのかと教わりました。彼らはもちろん、この先彼らと関わってくれる人たち、そして彼らの子どもたち。そんな大切な人たちが生きる未来に少しでも懸念があるのなら、それに対するアプローチをしないのはすごく怠慢だなと思うんです。一人の親としても、一人の人としても。

人間は、他の生き物や自然との関わりなくして生きられない。だからこそ、私たち人間の未来、そして地球に生きるすべての生き物や自然の未来、双方にとって何が最善の手段なのか。この先もあらゆる視点に立って物事を考えることから目を背けずに、行動し続けたいです。


  • 取材・文木村和歌菜

    写真西田優太

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