3時間かけても「来たいから来る」子どもたち。自由に試遊錯誤できる、山中のフリースクール

東京では珍しく雪が降り、多摩地域を中心に数センチの積雪を記録した2023年2月初旬。まだ道中にところどころ雪が残るなか「東京の山奥で活動するフリースクールがある」という話をきっかけに、東京都西多摩郡檜原村(ひのはらむら)へ向かった。


森の教室の集合場所。すぐ下には秋川渓谷が流れている

何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により不登校の小中学生は現在24万人強、そのうち小学生は8万1498人。何かしらの理由で学校へ行けなくなった、あるいは行かなくなった子どもたちが家庭外の場として利用するのが、フリースクールという民間教育施設である。

「フリースクール」と一口に言っても、全国に約500ヶ所あり、一括りにするには難しい。各教室によって活動内容は多種多様であり、相談やカウンセリング、学習支援を中心に、さまざまな体制で子どもたちの支援に特化している。今回取材をした「いもいもデイスクール」も、そのうちの一つだ。


いもいもデイスクール公式ホームページ

「いもいもデイスクール」では小中学生を対象に、室内で行う身体・言語表現や数理・論理思考に取り組む「いもいも教室」、四ツ谷の教室から目的地まで歩きながら話す「歩く教室」、そして野外体験の「森の教室」を平日に開設。生徒はこれらの教室を自由に組み合わせて通うことができる。

今回取材した森の教室が開設されているのは武蔵野エリアの公園や高尾、あきる野、そして檜原村。どれも東京の西側ではあるが、檜原村は特に奥まった場所にある。こんな場所に一体どんな子どもたちが、それもこんな朝から集まっているのだろう。


まだ眠たい頭のまま都心部を早朝に出発し、集合場所へ到着。雪が残り、おまけに雨も降る山中で、代表の井本陽久さんと土屋敦さん、そして「いもいもデイスクール」に通う子どもたちの活動を見学しながら、ときに遊びに参加しつつ、お話を伺った。


いもいもデイスクールを運営する合同会社いもいもの井本陽久さん

時間割のない5時間

目印のバス停から徒歩で数分、秋川渓谷のそば。緑色の橋の下には秋川渓谷が流れている。それ以外に教室のような建物や、遊具のようなものは一切ない。到着した子どもたちは「おはようございまーす」と挨拶をすると、荷物を背負ったまま川辺に下り、一目散に雪へ向かっていく。土屋さんと井本さんもそれに続き、私たちも急いで後を追う。


段ボールで斜面滑りをするため意気揚々と向かう子どもたち。川を渡ると開けた場所に出る

「この教室が開くのは午前十時から午後三時前まで。ここには決まった時間割も、その日の活動内容もありません。子どもたちはお弁当を持ってきていますが、お昼の時間も各々が食べたいときに食べる。到着したらあとは子どもたちの自由。

活動中の保護者の付き添いや見学もご遠慮いただいています。子どもたちが全部決めてスタッフはそれを見守る。よっぽど危険なことがない限りは、彼らは屋外で何をしてもいいんです


斜面をお尻から滑るのが流行っていた

「こんなに雪が残ってるなら、子どもたちは外で思う存分遊んだほうがいいですよね。今の子たちは雪の中で遊ぶ暇もないことが多いけれど、学校の授業なんてやってる場合じゃないですよね」

そう話す井本さんは、東京大学への進学者を多数輩出する栄光学園の卒業生であり、その母校で数学教師として勤務していた。1990年代後半からアクティブラーニング型授業(※)の先駆者として全国から教育者が授業の見学に集まり、独自の教材・授業方法はテレビや雑誌にも取り上げられた人物だ。

2019年からは栄光学園の非常勤講師となり、現在の「いもいも」での活動に軸足を移行。森の教室を担当する土屋敦さんは井本さんの栄光学園の同級生で、元編集者で、書評家や料理家を経ていもいもに参画した不思議な経歴の持主だ。

いもいもが開設する教室のひとつ「森の教室」は、2016年に栄光学園以外の中学生を対象とした数理思考の学習会が発端となっており、現在は「いもいも教室」として運営されている。土屋さんは枝を集めながら「森の教室」の普段の様子を話してくれた。


森の教室を担当する土屋敦さん。子どもたちからはつっちーと呼ばれていた

「檜原村での教室は平日かつ山中での開講なので、学校へ行っていない子がほとんどです。とはいえここは不登校児童のために生まれた、というわけではありません。平日に開講していたら、自然と不登校の子どもたちが集まりました。

彼らに学年ごとに上下関係はなく、それぞれ通っている期間もバラバラです。お互いの年齢や名前を知るよりも先に一緒に遊び始めますね。そのうちに『そういえば初めてだっけ?』とか『名前なんていうの?』という会話が生まれて。ちょっと喧嘩になってもスタッフが間に入ることはありません。
今日も見学で初めてくる子がいるんですけど、ほらあの子。川で遊び始めて、さっき魚を捕まえてみんなに見せてました。素手で捕まえたんですって。すごいですよね」


3月の檜原村は小雨が降り、気温は一ケタ台。それでも躊躇なく冷たい川に入り、魚とカエルを捕まえていた

新宿駅から電車・バスを乗り継ぎ2時間半かかる、決してアクセスが便利とは言えない檜原村。子どもたちに「遠くないの?」と聞くと「遠いよ!!」と笑いながら返事が返って来て、よくよく聞くと平均して片道1時間〜3時間かけてこの檜原村まで毎週通っていることを知る。近くに暮らす子どももいるが、多くは23区内から通っているようだ。しかし彼らは「保護者に連れてこられたから」とは決して言わず、「来たいから来ている」のだという。

自分の感覚を信じて試行錯誤する時間

「しょうがないなあ」と言いながら手頃な枝を集め並べ始めた子ども

この日は寒さ対策として納屋で焚き火を行っていた。普段は河原で子どもたちが枝を拾い、火打ち石で火を起こしているという。火を怖がることなく近くまで寄り、川や雪で冷えた指先を温めている。

子どもたちに続いて暖をとりに火の回りへ行くと、井本さんが組んだ焚き火がうまく燃えないのを見かねて、一人が木を組み直していた。不完全燃焼で煙を出していた火がみるみるうちに安定し出す。井本さんが「すごいなあ」と褒める。


みるみるうちに火が安定。子ども達曰く、彼は火を起こすのが一番うまい

「僕はうまく燃えないとすぐ調べようとしちゃうし、全然できなかったりする。けれど彼は何度も自分の手で火を起こしてきたから、感覚でこれができるんです。組み上げ方も綺麗ですよね、燃えることが形でわかる。自分の感覚でやること、習ってないことって強みなんです」

「だって調べたら、楽しくないじゃん。まったく楽しくない!」と枝を膝で折りながら井本さんの言葉に男の子が続く。ここでは火起こしだけでなく、子どもたちは遊びの中で必要になったことを都度トライアンドエラーし、試しながら身につけ、「これができないとだめ」という外的な強制力を感じることはない。失敗したり手こずっていても、それに口出しする大人はいない。

「大人の側は『これをやろう』とか活動を促すことはせず、一緒に遊んでますね。危険がないかを見守りはしますが、山で遊んでる中でちょっと転んだり滑ったり......それくらいのことは普通です。山の中は危険もあるから、制限はたくさんあるじゃないですか。その制限があるから自由に遊べて、遊びのために工夫を発揮できるんです」


一人の子どもがお昼ごはんに持ってきたというナン。各々が火にくべたら美味しそうな食べ物を持ち寄り集まっていた

子どもの内側から生まれた『やってみたい』を思う存分に試せるのは、スケジュールがないというのが一番大きいんだと思います。平日に学校へ通い、放課後は宿題があると、自由に使える時間は本当に少ない。その少ない時間で教わった以外の解き方で宿題をしたり、新しい方法を試す時間ってないですよね。教員も膨大な業務を効率的に進めたいという気持ちと、生徒をしっかり見てあげたい思いで葛藤しています。

けどここは、帰る時間しか決まっていない。そもそも勉強をする場じゃない。効率よく遊べとか、こういう遊びをしようとか、大人が口を出すことじゃない。だから自由に試行錯誤する時間がたっぷりあるんです」

学校側も、限られた教員数で子どもの安全や学習をするためには、ルールを設けざるをえない。加えて、2020年から続いた3年間のコロナ禍では行動を制限され、公園で遊ぶことすら憚られた時期もあった。社会が設けた制限がどれだけ子どもたちに影響があったか、想像は難しくない。

焚き火を調整する子どもを見ながら「この子は入学5日で学校行くのやめたんですよ」と井本さんは続ける。子どもの前でその話題を出すことに内心ビックリしつつ、話を聞くと「お姉ちゃんに『入学式は行きなよ〜』って言われたから入学式行って。そのあと『5日くらいは行きなよ〜』って言われたから5日間は行って。そのあと、やめた!」と変わらないテンションで話してくれる。ほかの子どもたちも「私も行ってないよ」「俺は週1でここに来てる」など、それぞれの状況を教えてくれる。

彼らの話を聞いていて気付けたのは、「学校へ行かない」という表現に含まれる数えきれないバリエーションだ。子ども自身が「行かない」という選択をとっている場合もあるし、「必要ない」と思っている場合もある。「行けなくなった」という子もいるだろう。そんな子どもたちに驚きながら、学校へ行っていないと聞いて後ろめたさを感じていたのは、他でもない大人である筆者だと気付く。


子どもの"いいところ"は大人の価値観がつくっている

みんなで遊ぶ子もいれば、黙々と一人で遊ぶ子もいる

「『いもいも教室』は自分の中から生まれた『やってみたい』を思う存分試せて、失敗したり方法を考えたりするんです。学校に行っていないから代わりにここで学ぶ、という場所じゃありません。そもそも学校に通わないといけない、勉強ができないといけない、と考えて仕組みをつくっているのも大人ですよね。
いもいもの創立当初から、子どもを変えることは目的にしていません。そうじゃなくて、子どもと向き合う大人の目線が変わることを目標にしています」


傘のバリケードで井本さんからの雪玉をガードする様子

子どもの未来を考えるが故に、社会で能力として測られやすい学力や社会性を身につけてほしいという保護者の思いは当然だ。しかし一方で、それは大人の安心のためでもあって、子どものためなのか?と井本さんは問う。

規律がしっかりした学校もあるなら、それと正反対の場所だってあっていいと思うんですよ。人は結果的な答えやルールにのっとらなくても事象を受け止める感性や感覚を持ち合わせています。本来は身体性や試行錯誤しながら工夫をし、自分でやり方を見つけていくのが学びだと思うんですよね。

そういう時間がなかなか割けず、子どもたちからも失われつつある現代だから、感覚を信じられる場が必要なんです。学校へ行ってない子たちの場所ではなく、子どもが試行錯誤して自分で答えを見つける過程に大人が口を出さない場所が、ここなんです


そして学校へもう一度行く、という選択肢

取材そっちのけで子どもと遊び、全身雪まみれになった午後。子どもたちより少し早めに檜原村を後にした。たった数時間しか遊んでいないのに「また来る?」と声を掛けてくれる子どもたちと話していると、「俺はもうそのときにはいないからなー」と教えてくれた子がいた。

話を聞くと、中学から学校に通うことを決め、自由な校風に定評のある学校を受験し、合格したそうだ。取材中も他の子どもたちのことを色々教えてくれた彼と一緒に、橋まで一緒に歩きながら「そっか、また学校行きたくなったんだ。楽しみ?」と聞くと「まあね! 行ってもいいかなと思って」と答えが返ってきた。それを聞き、自分から「学校に通うこと」「教室で学ぶこと」を自分の人生の選択肢の一つとして考えられている小学生は、日本にどれだけいるのだろうと立ち止まる。


学校へ行かないことだけが正しいわけではない。そして、学校へ行くことだけが正しいわけではない。大切なのは、子どもたちが大人の作ったレールに乗っていないかということ。そして感覚を頼りに活動できる場が、身の回りにあるかということ。森の教室で身体と心をいっぱい使いながら、「正解」の存在を気にせずに試みる姿がそれを教えてくれる。


取材の後日、「森の教室」に通っている子どもの保護者にもお話をお伺いした。小学校入学から母親の付き添いと共に登校していたが、二年生に進学してからは登校をやめ、いもいもの森の教室に通っているそうだ。

「井本先生に出会う前も何個か違うフリースクールへ行っていたんですが、何か月かすると『もうここはいいや』と言い始めて、なかなか続きませんでした。けれどいもいもに通うようになってから、少しずつ『ここは絶対安心』と自分の中で整って、感覚が鈍くなっていったというか。そうして段々と慣れていき、今年の初めから、森へ一人で行けるようになったんです。

学校という枠が、感覚が敏感な彼女にとってはすごい怖かったみたいで。母子分離がまだまだで、同学年で考えると発達が少しゆっくりなので、幼いところもすごく多いし、まだまだ語彙力も少ないです。そうすると、学校では否定される場面が本当に多くて。教室のみんなを同じレベルに持っていこうとしますから。例えば、言われた意味が理解できなかったら『どうして意味がわからないの?』と否定されるし、『なんで?』と積極的に聞かれる。周りの環境や先生の支援を隣で見ていて、もうここで頑張らせる必要はないなと思いました。

井本先生や土屋先生は、彼女が緊張してても声をかけずにいてくれたり、自分から喋り出せる空気を作ってくれる。そうしてポロッと出てきた言葉がどんなに小さな声でも、聞き逃さず拾ってくれるんですよね。

去年までは、まだまだ感覚が鋭く『自分は生きていちゃいけない』という言葉が出たり、自己否定が強く出る子でした。けれど最近は、そういう言葉も出てこなくなって、安心できている。彼女の中に、"生きる"っていうことの軸が立ってきたように見えます」


子どもたちが真に学び、生きていくための試行錯誤をたくさん繰り返せる場所として、いま大人が考えるべきことは何なのだろう。子どもたちのために整えるべきは「言うことを守れば絶対に大丈夫」「こうしておけば間違いがない」「この正解に辿り着こう」という、点検不要の整備されたルートなのだろうか。

少なくとも、檜原村の渓谷に広がる真っ白な雪を駆け回る子どもたちは、そうではない環境にいた。遊具もなければ道もない、口を出す大人もいない渓谷で、自らの手で魚を捕まえる方法を編み出し、燃えやすい木を覚え、転んだ友達の手を引っ張り、また木々のあいだを走り周っていた。


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