カブトムシが世界のゴミ&食料問題を解決!? ''好き''の追及は必ず誰かの役に立つ #豊かな未来を創る人
緑豊かな自然に囲まれた秋田県大館市。ここに今、世界から注目を集める昆虫バイオスタートアップTOMUSHIがあります。立ち上げたのは、大館市で生まれ育った双子の兄弟、石田健佑さん(兄)と石田陽佑さん(弟)です。
幼い頃から、故郷でカブトムシ採集に明け暮れていた二人。カブトムシへのたゆまぬ偏愛が、カブトムシの知られざる能力を引き出す、新たなバイオ技術を生み出しました。そのビジネスを通して対峙するのは、ゴミ問題や食料問題などの社会課題。カブトムシを通して、地球にも人にも優しい循環型のビジネスを目指します。
「自分の"好き"が、誰かに感謝され応援される。そこには、これまでの人生で体感したことのない大きな喜びがあった」と語る二人。どのように"好き"を突き詰めて、そこからどのように社会との接点を見出してきたのか、話を聞きました。
石田健佑(いしだ・けんすけ)
(株)TOMUSHI代表取締役COO。1997年、秋田県大館市生まれ。双子の兄。2016年、青森県青森工業高校卒業。同年、東京地下鉄株式会社に入社。2017年、一般社団法人DMMアカデミー DMM.com経営企画室に所属。2018年に退職をして、弟とともに株式会社La Tier創業。WEB・SNSマーケティング事業を立ち上げるもうまくいかず、祖父の体調不良を機に大館に帰郷。あまりにも未来が見えず、大学受験を決意。慶應義塾大学に合格するも、入学金が払えず断念。カブトムシに熱中。2019年、株式会社TOMUSHIを設立。(株)TOMUSHI(カブトムシ)の社名を発案。主に経営面を担当。2022年、秋田県大館市地球温暖化対策実行計画委員、福島県田村市アドバイザリー昆虫サポーターに任命。2023年4月、全国統一地方選挙で、25歳新人として大館市市議会議員にトップ当選。
石田陽佑(いしだ・ようすけ)
(株)TOMUSHI代表取締役CEO。1997年、秋田県大館市生まれ。双子の弟。2011年、中学2年生で家出。2014年、高校を中退。17歳で木村タイル工業入社。タイルに含まれる物質によって、アレルギーを引き起こし退職。海外製品の輸入販売事業を行うも、事業の難しさを痛感し、大学受験を決意。約半年で偏差値を30アップさせ、2017年に青山学院大学経済学部に入学。株式会社カケコムでインターン。2018年、兄と起業を決意して、大学を中退。同年、株式会社La Tier創業。WEB・SNSマーケティング事業を立ち上げるもうまくいかず、祖父の体調不良を機に大館に帰郷。カブトムシに熱中。2019年、株式会社TOMUSHIを設立。カブトムシの研究や協業の交渉などを担当してきた。
カブトムシがゴミを資源に変える
── カブトムシといえば、今も昔も観賞用として人気の高い昆虫です。そんなカブトムシが、ゴミ問題や食料問題につながるビジネスとは? 改めて教えてください。
陽佑
すごく簡単に言うと、農家などで処分に困っている有機性廃棄物をカブトムシに食べさせる。そうしてたくさん育てたカブトムシを、僕たちが運営するECサイトでペットとして販売するだけでなく、昆虫食や魚・鶏のエサに加工するなど、タンパク質として活用するための研究開発を行っています。
つまり、カブトムシを介することで、ゴミとなるはずだったものを資源に変えて活用できるというわけです。この循環を通して、環境負荷が少ない形でゴミを処理でき、今後世界で不足が危惧されているタンパク質も効率的に生み出すことができるのです。
── カブトムシに食べさせるゴミというのは、具体的にどんなものでしょうか。
健佑
例えば、きのこの収穫後に出る廃菌床(はいきんしょう)や、ワインの絞りかす、日本酒を作った後の酒粕などですね。通常、これらの有機性廃棄物といわれるゴミは、お金を払って焼却処分する事業者さんが多いのです。
僕たちは、そうした事業者さんから、廃棄物のサンプルをもらい、まずはカブトムシのエサに加工できるか試します。そこで加工できれば、事業者さんにプラントを販売して、交尾後カブトムシのメスの成虫を提供します。そこから僕たちがノウハウをアドバイスしながら、事業者さんに廃棄物の加工からカブトムシの成育までを担ってもらう。そしてカブトムシが育ったら、僕たちがそれを買い取って、販売もしくは加工するといった流れです。
事業者さんにとっては、プラントを建てる初期費用を負担すれば、それまでゴミ処分にかかっていたコストがゼロになる。そして、エサ代などの経費がほとんどかからずに、利益を生み出せる仕組みです。
── 実際、事業者からの反応はどうでしたか。
陽佑
当初250件もの問い合わせをいただきました。現在はその中から条件の合致した事業者さんと一緒に取り組み、全国約40か所のプラントで、年間約6万匹のカブトムシを育てています。それによって処理する年間の有機性廃棄物は、約1,200トンです。
── ものすごい量......。
健佑
それでも人口増加にともなって、この先も世界の有機性廃棄物は大きく増え続けていくこと、そしてその焼却処分で出るCO2の問題を考えると、まだまだこの事業を地球規模で広げていく必要があると強く感じています。
── 次に、カブトムシをタンパク質に変えるというのは?
健佑
先ほども言った、人口増加などにともなう食料問題。特にタンパク質は、今後需要に対して供給が追いつかなくなっていくことが、世界全体で喫緊の課題となっています。
これに対して、僕たちは有機性廃棄物をエサにして育てたカブトムシを、タンパク質として活用できると考えています。実際に大手コンビニ企業と共同で、カブトムシを使ったお菓子の開発販売を行いました。さらに今力を入れているのは、カブトムシを魚の養殖や養鶏のエサに加工する取り組み。これは既に大学や大手企業とともに、商用化に向けて確実に進めているところです。
陽佑
それ以外にも、例えばカブトムシが出すフンは、野菜などの肥料にもなる。さらに飼料に加工する段階で出る油には、オメガ3が豊富に含まれているので、今後は創薬の分野でも研究開発を進めていく予定です。こうしてカブトムシがあらゆる分野で活躍するのは、カブトムシ好きにとって、これ以上ないロマンを感じますね。
35万円のカブトムシを買ったニート時代
── カブトムシにハマったのはいつからですか。
陽佑
物心ついた頃からですね。秋田県大館市に母方の祖父母の家があって、毎年夏になるとそこでカブトムシを採るのに夢中でした。僕たち、カブトムシがヒーローとして登場するカードゲーム「ムシキング」のど真ん中世代なので。
── 今は、その大館市にTOMUSHIの本社があるのですね。
陽佑
はい、僕たちは小学校に入るまで、大館で生まれ育ったんです。その後、家族で青森に移ったんですが、中学のとき僕が父と大ゲンカをして家出しました。そこから、僕だけ大館の祖父母の家で暮らすようになりました。
── その後、一緒にビジネスをするようになるまで、それぞれどんな道を辿ってきたのですか?
陽佑
僕は中学を卒業して青森の高校に進学したのですが、一学期で退学になってしまったんです。授業中にふざけたり、朝遅刻ギリギリでフェンスをよじ登ったりしていたのが見つかって......。それから地元のタイル会社で働いた時期もあったのですが、持病のために退職。通信制の学校に通い、東京の青山学院大学経済学部に進学しました。
健佑
僕は青森で両親と暮らしていたのですが、高校卒業後、東京メトロに就職して上京したんです。でも、単調な日々に疑問がわいて、1年半後に退職。その後、 大手企業が若手人材育成のために運営する一般社団法人で働くことに。そこは給料をもらいながら、さまざまなビジネススキルを学ぶ機会が提供される場所だったので、起業や経営についていちから勉強しました。
── 高校卒業後に、東京で再び兄弟が集結したと。
陽佑
はい。それまで「もし二人とも東京に行ったら、一緒に何かしようぜ」という話をしていたんです。それで20歳のときに、一緒に渋谷でITベンチャーを立ち上げました。そのときは稼げそうという理由で、WEBやSNSマーケティングの会社を作ったんです。でも蓋をあけてみると、事業は惨敗。そこへ、おじいちゃんが体を壊したという連絡が入ったんです。兄も僕も、起業と同時に仕事と大学を辞めていたので、二人で祖父母のいる大館に帰ることにしました。
── 地元でゼロからのスタート。焦りなどはなかったですか。
陽佑
当時、僕たちはもう成人していたわけですが、それでもおじいちゃんたちは、子どもの頃と変わらず、孫として可愛がってくれて。お金に苦労させないようにと面倒を見てくれていました。なので、正直焦りはなかったですね。兄は分からないですけど(笑)。
健佑
いや、僕は漠然とした将来の不安が常にありましたね。大館には働き口もなかったので。この先どう生きていこうかと毎日考えながら、おじいちゃんとおばあちゃんにご飯を食べさせてもらうという、そんな生活でしたね(笑)。
── そこからカブトムシのビジネスにどうつながっていったのですか。
陽佑
細々とIT系の仕事をしてはいたものの、ほぼニートみたいな生活を送っていたんです。それで毎日暇つぶしに、カブトムシを採りに行くようになりました。そうしたら全然採れないので、悔しくなっちゃって。二人で、カブトムシを購入して育ててみようという話になりました。どうせ買うなら、立派なものを買おうと、カブトムシの王様といわれるヘラクレスオオカブトを買ったんです、35万円で!
── 35万円......!?
陽佑
おじいちゃんおばあちゃんにおねだりをして、一番高いやつを買ってもらいました(笑)。
健佑
育てたカブトムシをWEBにアップしたら、買いたいという人が出てきて。そこからカブトムシを飼育・販売する、ビジネスを始めたんです。すると想像以上に需要があり、事業を拡大することに。合計400万円を祖父母から借りました。最初は「バカを言うんじゃない」と怒られましたが、毎日思いを伝え続けたら、本気だと理解して出資してくれることに。それで、カブトムシの種類を増やし、農作業小屋を飼育スペースとして改装しました。地元でも注目してもらい、銀行から1,500万円出資してもらえるようになりました。
2年間の試行錯誤で生まれた独自技術
── ペット販売が順調だったところ、ゴミを紐づけた事業が生まれたきっかけは?
健佑
ある日、重大な事件が起きたんです。カブトムシに与えるエサに害虫が発生して、エサ代がとんでもない額に。会社存続の危機でした。
陽佑
もちろん僕たちもそうですが、一番焦っていたのは、銀行の貸付担当の人ですよね......。みんなで頭を抱えていたときに、あるキノコ農家の方が処分する廃菌床がエサに使えるかもしれないと教えてくれたんです。そうしたらその銀行の方がツテを使って、農家や畜産業者などの有機性廃棄物を出すあらゆる事業者を紹介してくれました。
── そこで有機性廃棄物をエサにするという発想が生まれたんですね。
健佑
そうですね。でも、そこから実現に至るまでが、長い道のりでした。というのも、有機性廃棄物はそのままの状態では、カブトムシは食べられない。微生物の力で分解して無害化する必要があるんです。そのために発酵菌と、米ぬかや酒粕を加えるなど、自分たちで実験をして、温度や配合のデータを何度も取りました。失敗を繰り返しながら、なんとかエサの加工技術を見つけていったんです。
陽佑
もう一つ独自に研究したのは、有機性廃棄物の処理に特化したカブトムシの開発です。これはある日、山で有機性廃棄物が不法投棄されている場所を見つけて、興味本位でそこの土を掘ってみたんです。すると、カブトムシの幼虫が出てきました。これを持ち帰って交配させ、ゴミをたくさん食べられるカブトムシを作っていったんです。試行錯誤に2年を費やした結果、僕たちが育てるカブトムシは、通常より3~4倍早いスピードで成長するようになりました。
── ゴミの処理だけではなく、カブトムシをタンパク質にする取り組みは、どんな経緯で生まれたのでしょうか。
健佑
有機性廃棄物がエサとして使えるとわかった段階で思いついたんです。ゴミ問題と同時に、食料問題にもアプローチできたらめちゃくちゃすごいのではと。それで昆虫食の開発から着手しました。
陽佑
でも、カブトムシ好きとしては、彼らを直接食べるのは、正直ちょっと難しくて。それで、水産養殖の飼料にするのはどうかという話になって。魚やチョウザメを買ってきて、カブトムシを粉末にしたものを与えてみたんです。
健佑
これが魚粉よりも食いつきが良くて、手ごたえを感じました。現状ほとんど輸入に頼っている飼料を、国内の資源で賄えたらすごいなと。さらに最近では陸上養殖が盛んになっていますが、魚粉を使うとなると、結局海から資源を持ってくるわけで。そこにカブトムシを使えたら、陸で出たゴミを元に、すべて陸の幸だけで海の幸を作ることが可能になる。カブトムシにはそんなポテンシャルもあることが分かって興奮しましたね。
"好き"を追及すれば必ず仕事になる
── 好きなことをビジネスにつなげて、社会に大きく貢献する。お二人の在り方は、まさに多くの人が憧れる形なのではと感じます。
陽佑
僕はとにかくずっとカブトムシが好きで、自分で会社をやってみたいという夢もあった。今はどちらも叶えることができているので、本当に楽しいですよね。カブトムシボードゲームをずっとしているような感覚です。
健佑
僕は、好きなものを追及していけば、基本的にはどんなことでも仕事につながっていくんじゃないかと感じています。当初は、きっと近所の人たちも僕たちのこと、カブトムシ好きの変な双子だと思っていたはず(笑)。でも、なりふり構わず、カブトムシの面白さを突き詰めていくことで、ゴミ処理や飼料・創薬の開発、大学や企業、行政とのコラボなど、産業をまたいだあらゆる仕事につながっていきました。ですから、好きなことを本気で突き詰めれば、誰かの役に立つ方法は必ず見つけられると感じています。
── とはいえ、"好き"をやり抜くことは、容易くはないようにも感じます。
健佑
そうですね。僕らも東京で最初に起業したときは、"好き"ではなくて、どちらかというと‟得意"な領域を選んだんです。でも、そうすると、周りが気になってしまうんですよね。「あっちの仕事の方が儲かっている」とか「うちより楽しそうじゃない?」みたいな。それで業績が悪くなると、サラリーマンの時の方が給料も待遇も良かったじゃんと。結局、目の前の事柄に没頭できなかった。だから、次の仕事をするときには、失敗してもいいから"好き"な分野の仕事をしようということだけは、決めていたんです。
みんな、自分の好きな趣味にはお金を使うじゃないですか。それって、見方を変えると、赤字が出ているのと同じこと。だとすると、好きなことを仕事にして、最悪赤字が出たとしても、趣味にちょっとたくさんお金を使いすぎたなと考えることもできるのではと思うんです。少なくとも、好きでもないことで失敗したときとは違って、心の底から「楽しかったね」と言える。僕の場合は、そういうマインドがあったから、続けてこられたのかなとも思います。
陽佑
それとやっぱり好きなことを続けていく中で、やりがいが変わってきたことも大きかったですね。最初は、大好きなカブトムシを育てることが純粋に楽しかった。でも、廃材を資源化することでたくさんの人から感謝や応援をされるようになって、大きな充足感を得られたんです。自分一人で享受していた"好き"が、誰かの役に立つ。そして、喜んでもらえたり期待してもらえたりすると、もっと楽しくなる。それって、とても贅沢なことだなと感じています。
健佑
やっぱり何かを体験すればするほど、好きなことややりたいこと、喜びを感じることって、どんどん見つかるし、どんどん変わっていくものなのではと。だから例え、好きなことややりがいを見失う時期があったとしても、失敗も含めてたくさんの体験をすることが、それらを見つける近道なのかもしれないと感じます。
地方の資源こそが日本を強くする
── この先、注力していきたいことを教えてください。
陽佑
カブトムシを通しての地方創生ですね。地方が発展すれば、日本はもっと良くなる。そう考えて、今は東北や四国など、全国各地の地方自治体との連携を進めています。例えば、カブトムシが好きな人を地方に呼び込んで、カブトムシでビジネスができる仕組みを作り、定住者を増やすといった施策です。我々民間と自治体が一緒に新たなチャレンジを行うことで、地域を活性化させたいと考えています。
健佑
これから日本の人口がどんどん減少していく中、どうすれば世界で日本の価値を発揮できるのか。それにはまさに、地方に眠っている資源がキーになるのではと考えています。水や緑が豊かな島国日本。その資源を使うことで、日本はもっと発展できるはず。だからこそ、地方でビジネスをすることに、僕たちはすごく意義を感じているんです。
── 地方にこだわる想いの原点は?
健佑
やはりこの大館という場所ですね。ここは、自分たちを助けてくれたおじいちゃんとおばあちゃんが暮らす町。だからこそ、大館からビジネスを展開して、この場所をもっと良くしたいという思いがあるんです。
陽佑
実はその昔、僕たちの先祖はこの町で事業を営みながら、政治家として地域を支えてきたのだと聞きました。でも今は、先祖が懸命に遺してくれた財産はほとんどなくなり、おじいちゃんたちは最後に残った土地を全部売却して、僕らに投資してくれたんです。だから、頭を下げてお金を借りたとき、僕たちがそれをきちんと増やして、地域が良くなるよう還元していこうと、二人で決めたんです。
健佑
そして、せっかく双子でやっていくのなら、片方は民間、片方は政治で地域を良くしていこうとも話してきました。それで僕は、被選挙権を得た昨年に出馬して、今は大館市の市議会議員としても働いています。大好きなカブトムシを軸に、ビジネスと政治の両輪でアプローチしていくことで、地方、そして日本、世界を良くしていきたい。そんな使命感があります。
── 地方から世界へ。まさに今、海外からもTOMUSHIの循環型ビジネスが注目されていますね。
陽佑
東南アジアや南アジアを中心とした、海外の政府や企業からお声かけをいただくことが増えました。来月もインド政府のもとに足を運ぶ予定です。大館で生まれた技術で、世界中の地域を豊かにしていけたらうれしいです。
日本と違い、海外では、実はまだまだカブトムシをゴキブリのような存在として捉えている国も多いんです。でも、いやいやそうじゃないよと。こんなにも立派な格好良い角が生えていて、その上地球を救える素晴らしい能力を秘めているんだと!それを引き続き僕たちが、この大館から世界中に伝えていきたいです。
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取材・文木村和歌菜
写真提供TOMUSHI