学校や社会で感じるモヤモヤを晴らすには。校則を変えた上野我唯が語るアプローチと考え方
会社や学校、仲のいいグループや家族の中にも、暗黙の了解のごとく擦り込まれている不文律のルールがある。
上司より早く帰っちゃいけないとか、飲み会の会計は先輩がするものだとか、就活でのリクルートスーツとか......。
そういったものに対して、なんとなくモヤモヤしながらも、「まあいっか」と日々をやり過ごしている人は少なくないだろう。
筆者もそのひとりだ。でも時折、そうやってモヤモヤを無視し続けていいのだろうかと、自分の心に対して後ろめたい感情を抱くこともある。
自分の中のモヤモヤ=違和感に気づいたとき、それを乗り越えるために何を考え、どんなアクションをすればいいのか?
そんな疑問を、都内の大学に通いながら、企業や行政とSDGsに関連するアクションを実装していく団体「アースデイ東京ユース」の代表も務める、上野我唯さんにぶつけた。
上野さんは高校時代、通っていた学校の校則に違和感を持ったことから周囲に対してアクションを起こしていき、校則の改正を実現させた。
上野さんが校則を変えるためのアクションの中で大切にしてきたのは、「違和感を理解してくれない相手を敵対視せず、自分もみんなも喜ぶような視点を持って対話をはじめていく」ということ。
中高大学生向けにアクティブラーニングの授業もするなど、学外でも人と社会と広く関わる上野さん。未だ多くの困難が続く能登半島でも、地震発生後すぐにボランティア活動に動き、長期的に必要であろう学生ボランティア受け入れの準備を進めている。
そんな彼に、違和感を乗り越えるための対話のプロセスや考え方を聞いた。
正当な理由がないルールは学校にも社会にもある
── 自分を取り巻くルールに対して「理不尽だな」と違和感を覚えた経験は誰にでもあると思います。上野さんは高校時代に校則という学校のルールを変えた経験がありますが、どういった校則に違和感を感じたのでしょうか。
違和感を覚えたのは、男子だけにあった髪型の校則です。僕の通っていた学校では、ツーブロックのようなヘアスタイルはOKだったのですが、男子の前髪は眉まで短くしないといけないという校則があって。当時の僕はマッシュヘアで、前髪は眉毛あたりまでだったのであまり指摘されませんでしたが、周りに注意されている生徒はいました。
別の学校の友だちからも、眉を剃ったり髪が肩についたりしたらダメとか、女子だけ指定靴下を履かないといけないといった校則があることを聞き、彼らがそういった校則に対して「理不尽と感じる」という声を聞いていましたね。
── 上野さん自身はそういった校則をどう思っていましたか?
前髪の校則に対しては、破った場合の罰則があるわけでもなかったので、この校則ってルールとして成り立っているのか?と当時は思っていました。僕は、父の仕事の関係で中学生までマレーシアに住んでいたんです。そこで通っていた日本人学校でも校則はありましたが、理不尽と感じるルールはなかったですし違和感を覚えることもありませんでした。
また、僕が日本で高校生になった2020年は、コロナが流行した年です。3年間ずっとコロナ禍で高校生活を送りました。みんなはお昼の時間、教室で机をシールドで囲って黙食。でも僕は、学校の屋上庭園でお昼を食べたりしていたんです。庭園なら外だし、教室より感染リスクは下がるだろうと思ってのことでしたが、いつも先生に怒られていました。「なんで外で食べるとダメなんですか?」と聞いても、「ルールだから」の一点張りだったのが、しんどかったですね。みんなが携帯でYouTube見ながらシールドの中で無言で昼ごはんを食べる光景から、高校生活が廃れていくような気持ちを抱いていました。
そんなふうに世の中の風潮に従い続けた世代ですが、校則をはじめルールを変えようとする人は自分の周りにはほとんどいなかったです。どうせ先生に言っても意味がない、自分だけが声を挙げても変えることはできないと、多くの生徒は諦めている空気を感じてました。
── 上野さんはそういう思いにはならなかったんですか?
そうですね。僕は自分の違和感をそのままにしたくない思いが強くて。先生には、「なんで女子の前髪は眉より長くてもOKで、男子はダメなんですか?」と何度も聞きました。だって、前髪を眉より長くしてはいけないルールを破ったとしても誰も困らないじゃないですか。でも、その質問に対する先生方の返事もコロナ禍の教室での黙食と同じく、「ルールだから」がほとんどで。「じゃあ、どんな背景でルール化されたんですか?」と聞いても返答がないことが多かったです。
正当な理由が説明できないルールって、ルールとして成り立っているのか?とすごくモヤモヤします。
対話を重ね見つけたアプローチ方法は、「自分もみんなも喜ぶ提案」
── 直接、校則を変えてほしいと伝えても先生たちは受け入れてくれなかったわけじゃないですか。そこで「ダメだった」と諦めてしまう人も多いと思いますが、上野さんはどうしたらいいと考えたんですか?
先生たちとの対話の中で、「男子も前髪を伸ばしたい!」とそのまま伝えるだけでは納得してくれないと気づいたので、受け入れてもらえるような別のアプローチが必要だと考えるようになりました。
他校の生徒にも話を聞いたりしてみたりしたんですが、こういう方法で理解を得ることができたといういい事例はなくて。どうしようかと考えていたちょうどその頃、「ジェンダーレス」という概念が世の中で広く認知されるようになっていたんです。この「ジェンダーレス」の考え方を校則にも当てはめて、男女間の校則差を無くした方がいいんじゃないかという提案にすれば、耳を傾けてくれるんじゃないかと思い至りました。
そこから、校長先生に直接話してみようとアポを取りました。話し合いの場では、少し世間話をしたあと、そもそも校則とは何か、ということから話しました。僕が伝えたのは、「本来の校則は生徒を縛るものじゃなくて守るものなんじゃないか」ということ。歴史的には、校則は軍事教育のなかで生まれた背景があるので、昔は縛るものだった。でも今の学校教育は軍事教育ではないし、先生と生徒の関係は、片方がもう片方を押さえつけるのではなく互いを尊重し合う関係であるべきだと考えていたんです。
そういったことを伝えた上で、校長先生には、「男子の前髪の長さの校則は生徒をどう守っていると思いますか? 僕は、何も守ってないと思うんです」と言いました。
── そこから、ジェンダーの話にもつなげていったのでしょうか。
はい。「生徒を尊重する校則にするとしたら、男女差がある校則は違うんじゃないか」と。世間ではジェンダーレスの価値観が広がっているし、学校の校則もそれに合わせて見直していけば、もっとみんながいい関係性になれるのではないかと提案しました。すると、「それならいいかもね」とスムーズに受け入れてくれたんです。
アプローチを変えて伝えようと思い至ってから、2、3カ月後くらいでの出来事です。ちょうどその頃、先生たちの間でも校則を見直そうという話が出ていたようで、高2の夏に男女差がない校則に変わりました。髪の長さ以外に、制服も男子は女子のを、女子は男子のを着れるようになったんです。
── 上野さんは、「男女差をなくすこと」を訴えるアプローチに変えたり、校則は縛るものではなく守るものという捉え直しをしたりなど、そのアプローチの仕方によって物事をよい方向に前進させてきたのだと思います。どんな考え方だといいアプローチを見つけられるのでしょうか?
自分だけじゃなく、みんなが喜ぶような視点を持って考えることが大切だと思います。考えはじめる最初のきっかけは自分の欲求でもいいけれど、それが通らなかったら、なぜ通らなかったのかを振り返る。振り返りから通らなかった理由を探して、そこに自分だけじゃなくみんなも喜ぶような提案を取り入れてアプローチすれば、周りも受け入れやすいマインドになってくれるんじゃないかな。
「敵対視」しないマインドから、対話が生まれる
── 実際、男女差がない校則に変わってみて、周りになにか変化はありましたか?
まぁ実際、男女間の校則が変わっても大半の人がいつも通りの日常を送っていたわけなんですけど(笑)。うちのクラスにいた髪の毛が短い女子生徒が、すごくうれしそうにズボンを履いてきていたのを見た時は、なんだか僕もうれしくなりましたね。
校則ができたころと比べて時代はどんどん変化しているので、時代に合わせて校則も見直さなきゃいけないと思います。僕は、校則に限らずルールというものは組織づくりにおいて、必要な場合が多いと思っているんです。一人ひとりが何がよくて何がダメかを考えながら生きていけるんだったら、もしかしたらルールがなくてもいいのかもしれないけれど、現実はそうじゃない。組織をまとめたり一貫性を持たせるものでもあるので、悪いものとは感じないですね。集団の中の大半の人が納得できないルールになっていたり、ルールの管理や見直しをしていなかったりするケースが多いところが問題なだけなんです。
── 上野さんは、自分が理不尽に感じることをそのまま伝えても理解してもらえなかったことから、自分のアプローチ方法や考え方を変えました。これは会社の中で「理解してくれない上司を説得する」とか「プロジェクトを通す」といった時にも使える考え方じゃないかなと思います。
アプローチの仕方次第でOKが出る企画書やアイディアはたくさんあるんじゃないかな。自分の意見が通らないと、理解してくれない相手と対立してしまうのは、あらゆる人間関係で起こりうること。
そうじゃなくて、どうしたら協力してくれるか?というスタンスで接した方がいいと思うんです。僕の場合、学校が発言しやすい環境だったし、いい先生が多かったこともあって、普段から多くの対話を重ねていました。でも実際、みんなそれぞれの仕事があって一人ひとりと常にコミュニケーションを取ることって難しい。だからこそ、敵対心を持たない姿勢が大切で、そのマインドから対話はスタートすると思います。
「変わらなかった」=「失敗」じゃない
── 高校時代に先生や生徒と対話をする機会が多くあったと話していましたが、そのことで身についたと思うことはありますか?
対話を重ねることで客観性は身についたと思います。たとえば友だちに、「自分はこう思っているよ」と話すと、相手はそれを聞いて「そういう風に思ってるんだね。私にはこう聞こえたよ」と教えてくれる。対話することで、自分のことや伝えたい話を相手がどう受け取っているのかを知ることができます。それに、話していく過程で自分自身の気持ちが整理されて、今まで感じていた違和感の本質がわかったりする。
それから、対話というところにもつながるかもしれませんが、違和感を乗り越えるためには意見を言い合える仲間づくりが大事だなと感じます。「モヤモヤした気持ちを解消するためにアクションを起こしたいけど。仲間がいなくて動けない」という人は、自分の周りにも本当に多い。
── もし失敗したらとか、自分が動いても誰も話を聞いてくれなかったら嫌だなとか、そういう不安な感情に陥って足踏みしてしまうことって、よくありますよね。
そこが壁になって動けないのは本当にもったいないことですよね。アースデイ東京ユースでは、そういった学生たちをオンラインでつないで、みんなでやりたいことを共有しあって、「社会の新しい当たり前」をつくっていく活動をしています。2024年3月には、僕がプロデューサーとして関わっている「環境・社会活動」をテーマに学生の挑戦や活動を形にしていくマルイとのコラボイベント 「NEOアワード」を開催する予定です。自分の思いに対するアクションを起こしていくことが楽しいと思える環境づくりって本当に大切で、その一歩が、仲間づくりから始まるんじゃないかと思います。
── ここまでお話を聞いて、最後に改めて、違和感を乗り越えるためにまずはどんな考え方を大切にするのがいいのか、上野さんに聞いてみたくなりました。
校則を変えようとした時もそうでしたが、僕が常に高いモチベーションで行動していたかといったら、そうでもないんです。もし校則が変わらなかったとしても、先生と生徒の間で見直すきっかけになればいいな、くらいの思いでした。過剰に意気込むのではなく、カジュアルな気持ちで動いてみることが大切です。だって、行動して変わらなくても、それがイコール失敗ではないから。
僕は高校生の時から、他校の学生にアクティブラーニングの授業をしてきましたが「今やっていることがすぐに結果として現れなくても、チャレンジしていくことで叶えられる人に近づいている」と伝えてきました。どんなプロジェクトにおいても、もっとポジティブなエネルギーで物事を動かしていくことが、自分や周囲の人、社会にとっても、いい方向に前進するきっかけになると思います。
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取材・文 岡田みわ
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取材・編集 小山内彩希
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編集 くいしん
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撮影 安永明日香
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