死にゆく場所ではなく生きる場所。TSURUMIこどもホスピスで幸せな生き方を考える

2016年の春、大阪市鶴見区にオープンした「TSURUMIこどもホスピス」(以下、こどもホスピス)。ここは、生命を脅かす状態(以下、LTC/※)にある子どもたちとその家族を対象にした、日本初の民間のホスピスです。



木材がベースの開放的な建物と緑豊かな庭、一人でも、友だちや家族とも過ごせる部屋や設備の数々。これらはすべて、無料で使うことができる

「こどもホスピス」は、イギリスにある世界初の小児ホスピス「ヘレンハウス」(現在の名称は「ヘレン&ダグラスハウス」)の理念や仕組みを参考に設立されました。

ホスピスを立ち上げたシスター・フランシスは、「ヘレンハウス」をこう説明しています。


「うちは家庭的な〝ホーム〟であることを理想としているんです。ここは死にゆく場ではなく、子供たちが自分の人生を生きるための場なのです。スタッフもそれを大切にしていて、子供に対して友として寄り添うことを心掛けています。子供を患者ではなく、一人の人間として尊重することが重要なのです」

石井光太著『こどもホスピスの奇跡』p67(新潮文庫)


今までの日本の医療現場では、治療を施す以外の選択肢はほぼ皆無。そのため、LTCの子どもたちは限界まで辛い投薬や手術に耐え、友達や家族に満足に会えないまま、家にも帰れず病院のベッドの上で一生を終えるケースが珍しくありません。

明日体調がどうなるか分からないけれど、生きている。いま、ここで「何をしたい?」。そう問われる機会さえ、子どもたちには無かったのかもしれません。子どもたちの家族や医療従事者自身も、病気を治すことで頭がいっぱいになり、子どもたちの希望に耳を傾ける発想が、そもそもなかったのかもしれません。

なぜ、日本では重病の子どもたちに対するケアが不足しているのでしょうか。「TSURUMIこどもホスピス」が、現在の医療現場のどのようなニーズや課題と向き合っているのか、立ち上げから運営の中核を担う3名の方々にお伺いしました。


高場秀樹

高場秀樹

公益社団法人 こどものホスピスプロジェクト代表理事。株式会社ワントゥーテン取締役。重い病気をもつ子どもの親として、病気をもつこどもや家族が気軽に集い安らげる場の必要性を感じ、当法人を結成し、代表理事に就任。経営ノウハウを活かし、こどもホスピスの経営面を担当。

原純一

原純一

こどものホスピスプロジェクト副理事長。2008年、大阪市立総合医療センター副院長に就任。 2010年には子ども向けのホスピス一般社団法人こどものホスピスプロジェクトを立ち上げる。TSURUMIこどもホスピス副理事長に就任。2022年に大阪市立総合医療センターの顧問に就任。

西出由実

西出由実

看護師。TSURUMIこどもホスピスでは広報も担当。2009年に実施された、シスター・フランシスのシンポジウムに参加し、こどものホスピスプロジェクトにボランティアとして参加。TSURUMIこどもホスピスには2016年の設立準備時からスタッフの一員として携わる。

「最初は鼻で笑われました」

日中の2時間ほど利用するデイユースやホスピスへの宿泊、年齢や疾患別のプログラムなど、子どもや家族の状況・希望に応じてさまざまな利用方法がある(詳細はHPを)

── 最初に、簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。

高場

じゃあ、僕から。高場です。代表理事として、「こどもホスピス」がこうなったらいいなという理想やイメージを、現場の方々にお伝えし、運営を支えている立場です。よろしくお願いします。

原です。小児科医として、このプロジェクトに関わっています。高場さんの指示も仰ぎつつ現場で子どもたちと日々過ごしています。

西出

西出です。看護師ですが「こどもホスピス」ではケアスタッフとして働きつつ、広報の窓口もしています。

── ありがとうございます。日本初の子どもホスピスということで、多くのメディアにも注目されてきたと思いますが、設立当初と運営して数年経った今とで、どんな変化があったのか教えていただけますか。

高場

創設前は、鼻で笑われたこともありました。すべて寄付金で運営するやり方が、日本ではなかなかメジャーではないこともあって。

鼻で笑われたって、初めて聞いた。知らんかった。

西出

どこかのシンポジウムの会場で開設に6億円必要と発表したら、失笑やったんですよね。

高場

めっちゃ鼻で笑われました(笑)。

西出

2009年に、大阪の中之島中央公会堂でシンポジウムが開催されました。この時、シスター・フランシスさんの講演を聞きましたが、私も正直、日本でやるなら30年はかかるだろうなと思いました。チャリティーで運営なんて想像もつかなかった。

僕もあのとき「(こどもホスピスのような場所は)永遠にできない」と思ってた。高場さんみたいなスーパースターが突然降臨してくれるなんて予想していなかったから。

── 本当にお恥ずかしい話、寄付金で運営されていると聞いて「大変そうだな」と、浅はかにも思ってしまいました。

もちろん、大変な部分はありますよ。ただ、我々が参考にしたイギリスの場合、ホスピスや病院は、すべて教会から始まっている。だから民間セクターがケアや医療に関わるのが普通なんですよ。日本も、かつては私塾があって識字率が向上した歴史があります。民間主体で課題を解決したり仕組みを作ったりする発想が、だんだん失われてしまったのではと思います。

僕たちみたいに、純然たる寄付金だけで運営されている団体は特別視されがちですが、こういう民間セクターが日本でももっと成熟・発展していくべきだと思いますね。

高場

イギリスのこどもホスピスは、地域に不足してるものやニーズから、次の支援や仕組みが生まれていくのが特徴的です。「今、何が必要だろう」という意識が働いてる。けれど行政の制度に組み込まれてしまうと、そういう視点は働きにくくなってしまう気がして。

私達の取り組みは、子どもたちや家族に選ばれないといけません。選ばれるにはどうあるべきかを考え続けなければいけない。すべては子どもたちや家族に「『こどもホスピス』があってよかった」と思ってもらえない限り、成立しようがないからです。

日本の医療は制度化されて、治せる病気が増えました。ただ、その周辺にある取り組みまで制度化されてしまうと、その枠を超えにくくなってしまう。利用者に選ばれるという意識が生まれづらくなり、言われたことだけをやり続けるような場所になってしまうと思います。だからこそ、民間でやる意味があるんです。

── 最近は、国内のいろいろな地域でも「こどもホスピス」のような場所を作りたいという動きが増えていると聞きますが、新しく作る際の一番のハードルは何だと思いますか?

高場

予算だと思います。行政の取り組みとして支援してほしいと考えられる方もいますが、私達は最初から寄付で運営しているため、「私もできる」と思ってもらえるような情報発信や活動をしていきたいですね。

「こどもホスピス」が立ち上がる上で、一番大事なのは病院との繋がりです。なぜなら、病院側に「こどもホスピス」のニーズがあるから。我々は、病院と一体になる必要があるわけです。

当時の医者には「こどもホスピス」のような選択肢が存在しませんでした。とにかく最後まで治療を続けることが最優先。だからこそ僕は医師として「こどものホスピスプロジェクト」を立ち上げましたし、大阪市立総合医療センターが小児がん拠点病院になり、そこに通っている家族や子どもたちが「こどもホスピス」を知って来てくれるような流れを作ることができました。

施設がポツンと存在しているだけでは利用者は来ません。「うちの子の病気はこれ以上の治療や快復がむずかしい。だったらこどもホスピスで過ごさせてもらおう」という発想には、なかなかならない。医師が「こどもホスピスっていう場所があってね」とご家族や子どもたちに紹介して初めて、彼らの選択肢に入ります。我々のような施設を誰が必要としてるのか、顔が見えていることが重要です。

高場

全国には、大阪市立総合医療センターのような小児がん拠点病院が15ヶ所あります。そこに重い病気を持った子どもたちが集まります。そのため子どもたちはもちろんその家族、学校、医者......様々な立場の人たちの課題が、病院に集約されます。事件は現場で起きているって言いますけど、この場合の「現場」は、病院なんです。

だから例えば、子どもたちのQOL(クオリティオブライフ)を上げるために外部との連携を支援する仕組みが、より充実すると良いなと思います。そうすると病院側も、僕たちのような地域の団体と積極的にリレーション作りができる。病院のニーズや課題を、内部でなんとかしようとするのではなく外に出しやすい構造を作ってほしいなと感じます。

子どもの意思は置いてけぼり

季節のイベントやマルシェなども不定期で開催されている

── 「TSURUMIこどもホスピス」は日本初の民間ホスピスですが、なぜLTCの子どもたちのケアに、なかなか光が当たらなかったのでしょうか。

病気の子に限らず、日本の社会で置いてきぼりになっているのは「子ども」だろうと思います。高齢者の方は、医療や福祉の分野で非常に手厚い体制が作られている。だけど子どもに対しては、なかなか関心が向かない。

なぜなのかを昔からずっと考えていたんですが......例えば親である間は、子どもに対する大人の関心は強いです。ただ子どもが成長していくと、極端な話、親としての意識はだんだん薄れていくのではないでしょうか。逆に、自分の老後の方がイメージしやすくなってくる。政治家もすでに老人の人が多いし、社会的な仕組み作りは、ますます高齢者向けに進んでいきます。

西出

私も少し補足していいですか。高齢者施設でも働いていたことがありますが、高齢者向けのサービスは充実していつつも、一人ひとりの幸せが考えられているかというと、そういう印象はありませんでした。結局、自分の生き方や死に方を選べるのは、元気に動けている世代だけなんやなって。生活に他者のお世話が必要な子どもや高齢者向けの制度には、死生観とか人生観みたいなものがなかなか反映されてない気がしています。

大人の患者さんから「私はもう治療を続けたくないです」と言われたら、本人の希望として受け止められる。子どもの場合は親の希望を聞くことになる。でも、親とはいえ、それは本人の希望ではない。そこが一番悩ましい。小児科特有のむずかしさだと思います。

── まだ幼い子どもが患者の場合、本人の意思を治療に反映することができない。

本人は「もう苦しい思いをしたくない」と思ってるかもしれない。でも、親の願望が先に来ます。「ここで諦めたら後悔します」って言うけど、後悔するのは誰かというと、親自身でしょう。子ども本人が「後悔します」とは言わない。主語は全部、親なんです。もちろんご家族の思いは尊重すべきだけど、それがそのまま子ども本人の意思ではない。

親御さんたちは「この子のことは私が一番よく分かっています」とおっしゃいます。日本だと子どもは親の附属物で、子どものことは全部、親の責任だと捉えられがちです。でも、親の意思はどうしても客観性に乏しくなってしまう。だからこそ子どもの幸せは、親や医者、地域の人たちも含んだ"大人"が責任を持つべきだと思うんです。

西出

病院には、子どもたちにとっての「最善」だけを考えるような役割は置かれていません。病気を治すことが病院の役割ですから。子どもたちの周囲にいる大人が、どんな思いを持っているかで、その子の生き方が変わってしまう。病院によっても思想があるし、主治医によってもスタンスがあります。治療を諦めたくない親御さんや、最後まで治療を提示し続けることが一番の正義だと心から思っていらっしゃるお医者さんもいます。

でも、治療だけが子どもの幸せに直結しているかというと、必ずしもそうではない。そういう中で、私達はどこまで踏み込むべきか、いつも悩ましいです。

誰とでも正直な会話を諦めない

子どもが入院中の病院とつなぎ、ゲームをしたり、同年代の子どもや親御さん同士のコミュニケーションの機会をつくったりと、オンラインを活用して外出が難しい際も楽しめるよう工夫している

── 日々、子どもたちと接する中でどんなことを意識されていますか?

西出

「こどもホスピス」のケアにかかわる姿勢は「友として寄り添う」と謳っています。「友としてって、どういうことなんやろう」と、ずいぶん考えました。

TSURUMIこどもホスピスHP「ケアにかかわる姿勢」より

西出

私自身、今も完全に理解できているわけではないですが、サポーターではなく、子どもと同じ風景を見れる人になりたいなとは思っていて。

ホスピスで働く前から、子どもたちの本当の願いを聞きたいとは、ずっと思っているんです。病院で看護師として働いていたとき、地元を離れて、ただただきつい治療を受けて、諦めた目をして亡くなっていく子をたくさん見てきました。「この子、ほんまは何を思っていたんやろう」って想像するまでもないというか。でも、子どもたちの本音を聞けるすべがなかった。「聞いたら聞いたで、私どうするの?」って。親御さんだって、最後の希望を求めて病院に来ているのに、子どもから「もう治療を受けたくない」と聞いてしまったら、職員として、ほんまにどうしたらいいか分からない。

でも、ここでは「どうしたい?」って子どもたちに聞ける存在になりたいし、子どもの希望を聞いたら親御さんにもフィードバックできる人になりたい。そこが最終ゴールだとは思ってます。

子どもは親や周りの大人に気をつかって、本当に思ってることを口に出さないことが多いです。例えば体があちこち動かなくなって、だんだん寝たきりになれば「自分はそのうち死んじゃうんじゃないか」って分かるんです。だけど、そういう子が「怖い」と口にすることはほとんどない。だから僕は「こどもホスピス」では、それを聞き出してもらいたいと思っています。でも西出さん的にも「もし本音を聞いちゃったら、どうしたらいいんや」っていう思いがあるわけよね。

西出

若いときは特に思っていましたね。

子どもたちって、原先生がおっしゃったみたいに空気を読んで(本音を)言わないんです。「自分はもうすぐ死ぬんかな」とか「死んだらどうなるんかな」とか、思ってもなかなか口に出せない。しかも、その思いには悲壮感だけではなくて純粋な興味みたいな部分もあると思うんです。「天国ってほんまにあるんかな」とか。恐怖や好奇心をいだいても誰にも言えないって、すごい孤独やと思います。

孤独だし、深い闇でもある。そこから救い出してあげるのが僕たちの仕事だと思いますね。

高場

ちょっとミーティングっぽくなってきましたね(笑)。

日本でこどもホスピスが生まれてまだまだ日が浅いですから。我々は日々、こういう会話をしながら進んでいっているということを、知っていただけたら。

高場

お医者さんと患者さんの間でも、僕らと子どもたちとの間でも、こういう正直な会話が不足しているなと感じます。正直にコミュニケーションする勇気みたいなものが、日本の社会全般的に不足しているんじゃないでしょうか。「これを言ったら嫌われるかもしれない」って不安になったり、医者としての誇りを傷つけたくなかったり。いろんな立場から、みんなが同じ目線になれる努力を、私達は続けていかなくちゃいけないなと思います。

子どもが楽しく遊んで帰ったから我々の役目は果たされているかというと、それだけではない。答えがない世界です。

"どう死ぬか"は"どう生きるか"

西出

例えば、ホスピスで一緒に遊んでいた子が、突然来なくなることもあります。私たちとしては、他の子に対してもそういうことをなるべく隠さないようにしています。すると、ちょっと死が身近になるかもしれない。これから看取りに入ろうとする親御さんが、病院ではなく家で看取る選択肢もあるんやって気づいたり。今でも死に関する話題を口に出すのは、めちゃくちゃ怖いですけどね。

みんな、なんとなく避けるもんな。

西出

もし子どもたちに伝えて、嫌われたらどうしようってやっぱり思ってしまうし、ホスピスに来てもらえなったら元も子もないっていう恐怖心はあります。薄れてはいますが。

言い方次第やと思う。どういうシチュエーションで、どういう言葉で伝えるか、ね。

高場

死が悪いこと、もしくは負けみたいな感覚が、医療現場でも親御さんの間でもあるなと思います。そこに常に抗おうとして、子どもの意思や幸せに目を向けずに治療を続けてしまう。

死ぬことは、とても悲しいことだけれど本当に悪いことなのでしょうか。勝ち負けで考えるべきことでしょうか。死生観を考える機会がないまま、ある日突然に遭遇する不遇さが、子どものQOLを考える視点を奪っている気がします。

── 日本は、死に関する話はタブー視されがちで、腫れ物扱いされているのではという話は聞いたことがあります。

そのタブーを打ち破りたくて、あえて施設の名前に「ホスピス」という言葉を入れました。最初「ホスピスと名乗ったら、嫌がって誰も来ないんじゃないか」と懸念もしましたけどね。

でも死ぬということは、生きることなんですよ。我々は、死ぬまで生きるんだから。死ぬまでどう生きるかを考えたい。それが「こどもホスピス」の伝えたいことなんです。

だから極端な話、ホスピスの建物がなくてもいいと思うんです。終末期の子どもたちの幸せを考えたケアができれば、その場所は病院でもどこでもいい。「こどもホスピス」の前身となる取り組みを「こどもホスピスプロジェクト」と名付けたのも、そういう理由です。我々はこの思想、というか子どもホスピス主義みたいなものを、どんどん広げていきたい。ここは日本で一番、子どもたちのケアや死に向き合っている先駆者ですから。君たちはそういう自覚がある?

西出

あんまりなかったかもしれないです、すみません(笑)。

ただ、子どもたちが自分に起きたことを反芻するとき、大切にしたい記憶の中に私たちとの関係性も入っているといいなと思っています。そのためにも、病気だからではなく「あなたに会えて嬉しい」「あなたのことが好きだよ」って伝え続けたいなって。

これだけ真摯に子どもたちと向き合ってるところは他にないもん。責任重大ですよ。

おわりに

3名の方々の取材を通じ、いかに子どもの人権が軽んじられてきたのか、考えこんでしまいました。原先生がおっしゃった「『ここで治療をやめたら後悔する』と言うのは親や医者で、子どもの意思ではない」という言葉から、どれだけ子どもたちが周りの大人の都合に巻き込まれてきたのかを思い知りました。

「子どもの意思を尊重する」という姿勢は、字面だけ見れば美談に終始してしまうでしょう。しかし、その裏には地道なコミュニケーションと、真実から逃げない胆力と勇気が不可欠であることを、西出さんのお話から感じました。「こどもホスピス」で働く方々の、明日どうなるか分からない子どもたちとの一分一秒への集中力は、千言万語を費やしても表現し得ません。

また、今回の取材では詳しく触れていませんが、代表理事の高場さんには重度の脳性まひを持つ息子さんがいらっしゃいます。その高場さんの「ホスピスは選ばれなければならない」という言葉からも、既存の医療の概念や価値観を変えていきたいという祈りのようなものを感じました。

「こどもホスピス」は、今まで見て見ぬふりをされてきた子どもたちの意思を、尊重する場所です。同時に、子どもたちの家族や医療従事者に対しても、残された命と向き合う勇気が求められます。「こどもホスピス」はつまり、子どもだけではなく生きる人々すべてに「どう生きるか」を問う場所でもあると思うのです。


取材協力:TSURUMIこどもホスピス



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