明るく軽やかに社会課題に触れる。『笑える革命』小国士朗が考える企画の力

社会問題に向き合おう――。

そうした呼びかけがなされたとき、「正義感」や「義務感」といった言葉が思い浮かぶ人もいるのではないでしょうか。実際に、社会問題に関心を持ってもらうために、警鐘を鳴らそうとする人は少なくありません。

しかし、そうしたシリアスなスタンスとは違うやり方で、社会問題に向き合っている人がいます。その人の名前は、小国士朗(おぐにしろう)さん。

彼がこれまで手がけた企画は、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」や、みんなの力でがんを治せる病気にすることをめざし、世の中の様々なものからCancer(がん)の頭文字の"C"を消すプロジェクト「delete C」など、一般の方を数多く巻き込みながら、自然と「笑えるシーン」が起きるところに特徴がありました。


「まちがえちゃったけど、まあ、いいか」をコンセプトに、認知症の方がウェイターとして働くイベント型のレストラン「注文をまちがえる料理店」
「C」が消された商品を購入すると、売り上げの一部ががんの治療研究への寄付につながるプロジェクト「deleteC」

社会問題の解決に明るく向き合うための「企画の力」はどのように生まれているのか?

その手がかりの一つは、「大喜利」にありました。


小国士朗(おぐに・しろう)

株式会社小国士朗事務所 代表取締役/プロデューサー。 2003年NHK入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』『クローズアップ現代』などのドキュメンタリー番組を中心に制作。その後、番組のプロモーションやブランディング、デジタル施策を企画立案する部署で、ディレクターなのに番組を作らない"一人広告代理店"的な働き方を始める。150万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の他、個人的なプロジェクトとして、世界150カ国に配信された、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」なども手がける。2018年6月をもってNHKを退局し、現職。携わるプロジェクトは「deleteC」「Be Supporters!」「丸の内15丁目プロジェクト」をはじめ他多数。

問いが良ければ、みんなが大喜利できるようになる

── 小国さんの企画には、著名な方や発言力のある方ではなく、市井の方を巻き込もうとする意識が一貫して感じられます。それはやはりご自身でも大切にされていることなのでしょうか。

そうですね。世の中において数が多いのは、いわゆる"ふつう"の人なので、その人たちがどうやったら思わず動き出したくなるかを常に考えています。

これは元々、僕がNHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀』をつくりながら感じていたことでした。この番組に登場する人たちは経営者をはじめとして本当にストイックに生きていて、その姿勢があまりにもすごいから「尊敬」はするんだけれども、あまりにもすごすぎて遠い存在に感じてしまうことがある。番組を作っている僕自身が「自分には真似できない...」と引いてしまう瞬間があるくらいなので、ものすごく意識の高い人以外には「共感」はなかなか得られにくいかもしれないよなぁと。

それで、僕を含めた「一般の視聴者に思い入れを持ってもらえるプロ」ってどんな人かなって考えたときに、子どもにとって一番身近な仕事人=プロでもある親に登場してもらう「『パパ・ママの流儀』をやりたい」と提案したことがあったんです。それは企画化できなかったのですが、それと同じ発想をベースに、その人の肩書きと名前を入力し、キラキラしているシーンを動画で撮影し、最後に流儀を一言添えるだけで、誰でも「プロフェッショナル」風の動画が作成できるようになるアプリ『プロフェッショナル 私の流儀』をリリースしました。

「誰もが、プロフェッショナルになれる」をコンセプトにしたアプリだったのですが、あっという間に150万ダウンロードを突破して、その年のベストヒットアプリの一つに選ばれました。その様子を見ていて思ったのは、「自分だってプロフェッショナルになれる」という実感をみんなが持てるかどうかが勝負なんだなということでした。

そういう実感を持ってもらえる機会や舞台を用意できれば、遠かったはずのプロフェッショナルがグッと身近になって、本当にたくさんの人たちに参加してもらえる。大事なのは「自分もなれる」「自分にもできる」という実感なんですよね。

── あまりに遠すぎる"スーパーマン"に、自分自身が共感できないという体験があったからこそ、「共感できること」を重視しはじめたのですね。

たとえば、認知症の方がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」のコンセプトも、「認知症の方もイキイキできる社会に」だと、指に止まってくれる人が福祉の専門職の方に限られてしまうかもしれませんよね。

だから、コンセプトを「間違えちゃったけど、まあ、いいか」というふうにして、たとえ間違いが起きても、笑って受け入れてしまいましょうよという世界観にした。そうすることで、たとえ認知症のことに詳しくない人でも「あ、それなら私にもできるかも」と思ってもらえるようなかたちにしました。

── 確かに、認知症についてもともと強い関心を持っていたという人のほうが少ないかもしれません。

世の中の多くの人は、24時間365日社会課題について考えて、行動しているわけじゃない。むしろそういうことができる人はものすごくレアだと思います。「認知症の方もイキイキできる社会に」って言われても、何から始めればいいの?」と戸惑ってしまって動けない人の方が多いんじゃないかなと思うんですね。

だから、僕は解決策を提示するということを目指すより、どこでも誰でも参加できる、シンプルな「問い」を用意することを意識してきました。要するに、お題を出して、みんなで大喜利をやりたいんですよね。

── 大喜利、ですか?

誰でも同じルールの中で参加できるような「問い」を用意して、興味を持ってくれた人のそれぞれに「これならできる」を持ち寄って実行してもらう。お笑いの大喜利ですと、お題に対して"ボケ"が生まれますが、僕の企画するプロジェクトでいうと、お題を出したらたくさんのアクションが生まれるという感じです。

たとえば、みんなの力でがんを治せる病気にすることをめざすプロジェクト「delete C」は、世の中の様々なものからCancer(がん)の頭文字である"C"を消すというアクションを展開しています。

参加企業の皆様には、Cを消した商品をつくって販売していただき、それをユーザーが購入することで、売り上げの一部が「がん治療研究」に寄付されるというのが基本的な流れです。「Cを消すだけ」というアクションのシンプルさゆえに、プロジェクトを立ち上げて5年で150を超える企業が参加してくれただけでなく、中学生も高校生も、医療者もアスリートもアーティストも、癌の経験者もそうじゃない人も本当にたくさんの市民が「"C"を消す」取り組みに参加してくれるようになってきました。

もし、用意されたものが解決策だと、「その解決策を使うか、使わないか」という2択になってくると思うんです。でも、用意されたものがみんなが思わず解きたくなるような問いだったら可能性は無限に広がります。deleteCでいえば、「自分だったらどんな風にCを消そうかな」とみんなが考え始める。

たとえば、東京都・墨田区にある新日本フィルハーモニー交響楽団はおもしろかった。「delete Cに参加したい」と自ら名乗り出てくれて、「え、でもどうやってCを消すんですか」と聞いたら「ドの音は英語の音階でCに当たるので、ドの音を消します」と言ってくれました。これって、立派な大喜利ですよね。

それから先日は、高校生の方が「delete C 応援ラップ」をつくって歌った動画を送ってくれたこともありました。これは「Cを消す」という大喜利のルールからは外れていますし、寄付にもならないので、社会的な意義は大きくはないかもしれない。でも、僕はめちゃくちゃうれしかったんですよ。

「自分たちにできることってなんだろう?」って考えた末に、「ラップでdeleteCのアクションを啓発しよう!」って思ったわけですよね。どんな形でもいいから「自分にもできることがあった!」っていう答えを見つけられたら、人ってものすごい力が湧いてくると思うんですよね。まずはそういうところからでも関われたらいいじゃないってすごく思うんです。

僕が考えている企画は、コント

小国さんの著書『笑える革命』では、これまでのプロジェクトの舞台裏が解説されている

── 小国さんの企画に共通する要素の一つに「笑える」こともありますよね。企画を通して生まれる風景に、どこかおかしさがある。

それで言うと、僕がやっていることってどこか「コント」っぽいなぁと思っているんですよ。

「注文をまちがえる料理店」も、言ってみれば「もしもレストランのウェイターが認知症のおばあちゃんだったら」という設定なわけで、志村けんさんのコントにもありそうなタイトルじゃないですか?

── 企画をコントのように考えるようになったのは、なぜなのでしょうか?

原体験として、中学生・高校生の頃に、コントを毎日のように見ていたからでしょうね。なかでも印象的なコントがあって。そのコントでは、途中である1つの設定が明かされただけで、起きていた出来事の意味や見え方がぐるりと変わってしまう。

そこで、モノの"見方"一つで見ている景色がガラッと変わってしまうことのカタルシスを知ったんですよね。

「注文をまちがえる料理店」を思いついたのも、あるグループホームで取材をしていたときのことでした。そこは、認知症の状態にあるじいちゃん、ばあちゃんが暮らしているんですけど、基本的に自分でできることはなんでも自分でやりましょうっていう施設だったんですね。だから、料理も掃除も洗濯も、時にはお買い物だってやれる人は自分でやる。で、ある日の昼食のことです。その日の献立は「ハンバーグ」だと聞いていたのに、「餃子」が出てきて。

もう、普通なら絶対にツッコムじゃないですか。ハンバーグが餃子になってるんだから。でも、僕の目の前には、そのことについて誰も突っ込むことなく、めっちゃおいしそうにパクパクと餃子を食べているという風景が広がっていた。その瞬間に、「その場にいる人全員が間違いを受け入れてしまえば、間違いってなくなっちゃうんだ」という新しい見方に気づいて、そこから世界が広がっていきました。

── 一般的に見れば「間違い」でも、見え方が変われば楽しめるアクシデントになってしまうんですね。

だから、僕は企画を生み出すときに、「それでモノの見方が変わるの?」ってことを自らに強烈に求めてしまっている気がします。

僕の中ではたぶん、モノの見方が変わるような企画を企画と呼んでいて、それが生まれた瞬間が僕にとってはマジで至上の喜びで、それがとんでもなく強烈なので、その後も思いついたアイデアを絶対にカタチにしたいと思えるし、カタチになったプロジェクトを続けていこうという原動力にもなっている気がします。

── 小国さんは社会課題に対して解決の糸口を見つけよう!というよりも、社会のありかたや世の中で起きている出来事をじっと見て、楽しみを見つけているように感じます。

僕は、「目的」を重要視しすぎるとイノベーションって生まれづらいのではと思うんです。もちろん目的は大事ですけど、目的に一直線に向かうことだけを重視すると「無駄だよね」と思うことがたくさん出てきてしまう。でも、それってその目的に対しては無駄なだけなんですよね。

「地方創生をやっていきましょう」「売上を上げていきましょう」ということだけが目的になっていたら、「倉庫に眠っているこの変な着ぐるみ、なんか愛おしいよね」って話にはならないじゃないですか。そしたら「ゆるキャラ」なんてムーブメントは生まれなかっただろうなって思うんですよ。

こういう無駄を慈しんで、楽しんじゃうような人って、僕の一回り、二回り上の世代を見ると何人も具体的な名前が浮かぶけど、いまの自分と同世代(40代)にはそういう人が少ないな、とも思います。

「無駄かもしれないけど、なんかいいよね」みたいな気持ちを大切にして、その無駄や余白に光を当てる、抱え込む、慈しむっていう視点が持てると、その企業や組織や地域はイノベーションを生み出すかもしれない、と思うんですよね。

── サントリーウエルネスとJリーグと共同で取り組んだ「Be supporters!(ビーサポーターズ)」も、そうした一見「無駄」に思えることがイノベーションにつながった企画ですよね。

そうですね。「Be supporters!」は、高齢者施設に入居されている方や、認知症の状態にある方などが地元サッカーチームのサポーターになるという企画で、日頃「支えられる」場面の多いじいちゃん、ばあちゃんたちが「支える」側になることで、心身ともに元気になるというものです。

2020年に「注文をまちがえる料理店」をはじめとしたプロジェクトで交流があったサントリーウエルネスの沖中直人社長に構想を話したところ、一緒に取り組んでくれることになりました。「サントリーの社是は『人間の生命の輝きをめざし』。人生100年時代、『予防』だけではなく、『共生』という考え方を大切にしていきたい」という会社の想いが、Be Supporters!の描く世界観と一致したんですね。


プロジェクトが始まって3年余りがたち、今では全国160を超える施設で、延べ6,000人ほどのサポーターが生まれたほか、参加した高齢者だけでなくさまざまな人たちに変化が生まれました。

たとえば、以前は足を動かせなかった方が、カターレ富山の選手が訪問してくれた際に杖を忘れて駆け寄ったり、世界的なスーパースターである元ヴィッセル神戸のイニエスタ選手を応援していた86歳の認知症の状態にあるばあちゃんが、イニエスタを応援したいという一心でスペイン語を覚え始めたり。このプロジェクトに触れた社員の中には「この取り組みを通して企業理念の意味を深く理解できるようになった」「自分の会社を誇りに思えるし、以前よりもっと好きになった」と話している人もいて、結果的に会社への帰属意識を高めることになりました。

この企画は、サントリーウエルネスという企業に、直接的には1円の利益ももたらしません。そういう意味において、普通営利を追い求める企業としては「無駄」ともいえるかもしれないプロジェクトだと思います。ただ、営利と効率性だけを追い求めていては絶対に得られない価値を生み出している。僕が「無駄」や「余白」を大切にしたいと思うようになったひとつのきっかけは、この「Be supporters!」がくれたと思っています。

NHKで味わった「伝わらない苦しさ」

── ここまでの話を聞くと、小国さんはずっと明るく楽しい企画を打ち出し続けてきた人にも見えます。しかし、これまでになかった取り組みを実践するパイオニアには、他人からなかなか理解を得られずに苦しむ時期もあるかと思います。小国さんにも、そういった時期はあったのでしょうか。

伝わらない、届かないという経験の方が多かったです。山形放送局に所属していた時代は、視聴率0%をたたき出してしまったこともある。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』でも、本当は30〜40代のいわゆる現役世代をターゲットにしていたのですが、データを見たところ、実際に見てくれていたのは60代の独居男性がメイン層でした。

本当に、伝えることは難しいことです。厳しい言い方をすれば、「伝わらない」ということは「この世に存在しない」のと同じだと思っていた。だから、番組を作っても作っても見てもらえない状況は本当につらかった。勝ち目のない戦いを挑み続けているような感覚です。

「伝え方」をテレビ番組一択から変えないといけないけど、それはとても難しい。テレビ局の仕事はテレビ番組を作ることという強烈な、呪縛のような思い込みがあるから。

僕の場合は、33歳の時に心臓病になって、番組を作れなくなってしまったことがきっかけで、その呪縛から解き放たれることになりました。


そもそも僕が大切にしていたのは、「Tele-Vision(遠くにあるものをー映す)」ということ。これは、テレビの語源です。病気になって、一度立ち止まって自分の仕事ってなんなんだろう?ということに向き合い直した時に、「Tele-Vision」に忠実にやっていくことの方が大事で、「テレビ番組」はその表現方法の一つでしかないんだと気づきました。

アプリも、リアルイベントも、僕からしたら「Tele-Vision」の1つ。それまでテレビ番組一択だと思っていた表現方法が、自由になったんです。

とはいえ、そのことをNHK時代にすぐに理解してもらえたかというと、それもまた難しかった。

「注文をまちがえる料理店」ですら、「いつドキュメンタリーをつくるの?」と言われてずっこけそうになりました。「テレビ番組では届かないから、リアルイベントにしているんだけどな......」と。でも、それくらい呪縛というのは根強いものだと気づいたんです。

── 届けるために、表現方法を自由に選んでもいいんだという気づきが、数々のヒットを生んだんですね。

ただ呪縛というのは本当に根強いから、その呪縛から自分を解き放つには、たくさんのヒットでは全然足りなくて。たくさんの大ホームランをうち続けないといけないと思っていました。そういう気持ちで、あれこれやる内に仲間も増えていって、すごくいいチーム編成もできてきた。

でも、最後は25個くらいのプロジェクトを同時に抱えて進行しているような状況になって、心身がくたくたに疲れてしまった。

NHKのポテンシャルは本当にすごいと確信していたからこそ、その可能性を全部引き出したいと思って動き続けてきました。でも一人でできることには当然限りがあるし、ああいうやり方ではそりゃあ限界が来るよね、と今になっては思います。あの時は、どうすることもできなかったけど。

── それでも、いまもいろんな人に「助けてほしい、相談に乗ってほしい」と言われることがあると思います。動くためのエネルギーやモチベーションって、どこにあるんでしょう。

やっぱり、自分は「モノの見方が変わるアイデア」が生まれる瞬間のカタルシスが大事なんですよね。そのアイデアが世の中の人に届いたとき、どんな反応になるんだろう、笑うだろうな、みたいなことを思う。

笑ってくれたらいい、というのはあるかもしれませんね。

── 小国さんの企画には、「物事の見え方が面白いものに変わる」というものもあれば、deleteCのように、アイデアを通して課題解決への蓄積を生み出しているものもある。社会へのインパクトと、ユーモアを持つこと、どちらがご自身の本質的な部分だと思いますか?

どっちの自分もいるんですよ。いわゆる社会起業家のように"役に立つ"仕組みを社会に実装していこうとする僕もいれば、無駄と余白を慈しんで自由に考えられる自分もいる。

その2つが揃ってこそ、多くの人を巻き込む"笑える"企画をつくり続けられているんじゃないかなと思っています。


そのシンプルさとユニークさゆえに、多くの人を巻き込んできた小国さんの企画。その"笑える"企画の根底には、「ときたくなる問いがあれば、みんなが参加してくれる」という創意工夫と、何年にもわたって感じてきた「伝わらない」つらさがありました。

苦しみを原動力にした過去もあれば、物事の見え方が変わる瞬間のカタルシスも知っている。その上で、世の中にある課題や難しいシチュエーションを、ユーモアに昇華しようとする小国さんのスタンス。

その姿勢があれば、問題の大きさに立ち尽くしてしまうような社会問題にも、より多くの人が向き合える。そんな希望を感じました。


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