「おっちゃんの話は聞くな」CO2を出せない時代に、横浜から始まる変革
突然ですが、みなさん「ブルーカーボン」という言葉を聞いたことがありますか?
たぶん......ないですよね?
では、地球温暖化対策として、森に木を植えようという話はどうでしょう? これは多くの人があるんじゃないでしょうか。
実は、海の中にある海藻も、森の木と同じように、二酸化炭素(以下CO2)を吸収して酸素を出す光合成をして大きくなります。そのときに、海藻が大気中から吸収し、固定されるCO2のことを「ブルーカーボン」と呼ぶのです。
つまり、森に木を植えるのと同じように、海で海藻をたくさん育てることができれば、地球温暖化の原因となるCO2の削減につながるというわけ。温暖化対策というと、森を守ることに意識が向きがちだけど、考えてみてください。地球って陸より海のほうが断然面積が大きいんです。
この可能性に日本国内でいち早く気づき、ブルーカーボンの取り組みを始めたのが神奈川県・横浜市。横浜市は国が定める「環境未来都市」「SDGs未来都市」にも選ばれていて、環境を守りながら経済的にも発展し、みんなの生活の質を向上させる街づくりに力を入れているのです。
海に海藻を植えるって、温暖化だけでなく海の環境にもいいことがありそう......ぜひ詳しく話を聞きたい!ということで、Gyoppy!編集部が伺ったのが、横浜市の「元環境未来都市推進担当理事」「ヨコハマSDGsデザインセンター長」の信時正人(のぶとき・まさと)さん。ブルーカーボン事業を含めた、横浜市の環境先進都市を進めてきた中心人物です。
横浜市では具体的にどんな取り組みをしているのか、ブルーカーボンについて聞いていくと、話は「未来の日本の街づくりとは」というテーマにまで発展。卵が先か鶏が先か......今後のブルーカーボン事業の広がりの鍵を握るのは、どうやらわたしたちの働き方・暮らし方に対する意識の変化のようです。
この記事のあらすじ
- 横浜市は昆布を育てて地元で食べることでCO2の削減に成功
- ブルーカーボン事業、今後の普及のカギは人々が地方に分散すること
- おっちゃんには何も聞くな。30代、40代が引っ張る新しい時代へ
ある朝、気づいた。「なんだ目の前は海じゃないか!」
── 「ブルーカーボン」という言葉を初めて知りました。森の木と同じように、海藻もCO2を吸収するんですね。
そうです。海藻も光合成していますからね。ほかには湿地帯やマングローブでの吸収量もブルーカーボンに含まれます。CO2と酸素の出し入れはあるんですが、CO2を固定することで海藻の重量はどんどん重くなっていきます。だから重さを量ると、CO2を吸収している量が数値としてわかるわけです。
── Gyoppy!でいろんな取材先に行きますが、CO2対策の話になると「横浜市が一番進んでいる」という声をよく聞きます。
そうやって言ってもらえるのはありがたいのですが、それでも、世界的に見たら日本はそんなに先進的ではないのですよ。
── そうなんですね......! 横浜市がブルーカーボン事業を始めたきっかけは何だったんですか?
まず、ブルーカーボンの前に。横浜市は山の森林に注目したCO2対策は2007年頃から行なってきたんです。山梨県の道志村に2800ha、村の約3分の1を占める広さの水源林を持っていて。そこを「かんよう」することで森林によるCO2の吸収を活かす施策展開をしてきました。
── かん......よう......?
涵養(かんよう)。要するに水源林のお世話をすることです。
── この漢字、初めて見ました。
本当に!? 覚えた方がいいですよ(笑)。
ところで、京都議定書って知ってますか?
これを受けて、日本がいうところの6%のうち、3.8%が森林吸収による削減だったんです。森林吸収の割合が高いのは、それまでの日本の森林経営施策が認められて、他国より大きな森林吸収量を削減実績に含めて良いとされたからでもあります。
── そうなんですか。
だから道志村で森林クレジットの施策を展開していたわけですが、ある朝、起きて気づいたんです。「僕たちの目の前には海があるじゃないか」って。
それで、海で何かできないか、という話を職場でしていたら、若いスタッフが「ブルーカーボンという話があります」と教えてくれたんです。
── たしかに、横浜市の東側は海に面していますもんね。
ただ......横浜ってほとんどが物流の港湾地帯になっていて。市内には140kmもの海岸線があるんですが、そのうち市民が自由にアクセスできる海岸はたったの1.4kmしかなかったんです。
── えっ、140kmもあるのに!?
一般市民が触れられる海は100分の1しかない。だからブルーカーボンを実現するなら自然海岸がある金沢区エリアしかないだろうと思いました。
で、場所を探していたら、金沢区の海の一部に敷地を持つ八景島シーパラダイスの社長が「ぜひうちのセンターベイでやってください!」と言ってくれて。
── すごい! 100分の1しかない海岸で奇跡が。
彼は水族館のあり方をずっと考えていたというんです。日本だと水族館はエンターテインメントだけど、海外だと違う。海洋の研究所があって、いろんな研究結果を出す場所が水族館なんですよ。だから、「ブルーカーボンみたいな研究をうちの海域でやってもらって、それを水族館にも活かせたら最高だ!」と。それがターニングポイントですね。
ブルーカーボンに取り組むことで、「いいこと」がたくさん派生する
── 具体的に、横浜市のブルーカーボンはどんなことをやっているんですか?
まず最初にやったのが、ワカメの苗付けです。八景島にはたくさん子どもが来るので、苗付けと刈り取り体験をしました。とったワカメは味噌汁にして。お湯に入れるとワカメの色が茶色から緑に変わるのが面白いって好評でしたね。
せっかく海の近くの町に住んでいるのに、子どもたちはこういうことを知らない。それだけ海と接してないってことです。海の脇に住んではいても、海と生活が切り離されている。それはおかしいだろうと。
── たしかに横浜に海産物のイメージはあまりないです。
今、横浜市では昆布も作っているんですよ。今年は「ブルカーボン昆布」としてブランド化しようという話も出ています。横浜市内でも「ぜひ使いたい」と言ってくれている食品会社やレストランの料理長もいます。
── 料理人さんが声をあげてくれるのはうれしいですね。
ただ、厳密にいうと食べちゃうとダメで......。
── ん? どういうことですか?
これは僕たちもまだ研究中なんですけど、ワカメや昆布を育ててCO2を吸収させて、最初は「そのまま食べてしまえばいい」って思ってたんですが、違うんです。食べたら、人間は排泄しますよね。それによって、CO2が固定されずに排出されてしまう。食べる量と残す量のバランスは考えないといけない。
ただ、CO2削減の観点でいえば、ワカメや昆布を横浜で育てれば少しは違う。なぜなら、ほかの地域から仕入れる必要がなくなり、その輸送時に排出されるCO2が削減できるからです。
── そうか、だから横浜でつくったものは横浜で食べないといけないわけですね。
本来は海藻などを育ててCO2を吸収させることをブルーカーボン事業というのですが、食べようがなにしようが海藻をしっかり育てて地元で消費することで輸送のコストを削減できます。加えて海藻を飼育することで海の生態系を守れるので、海にとってもいいことがある。いなくなった魚が戻ってくるとかね。だからしっかり育てていくことに意味がある。今では大勢の漁師さんが協力してくれて、一緒に昆布を作ってますよ。
── 地元の漁師さんも一緒に取り組んでいるんですね。
もうひとつ、八景島シーパラダイスでの取り組みとして、汲み上げた海水を利用して空調の効率を上げることもできました。これも年間20~30%のCO2削減につながっています。
削減したCO2はクレジット化してお金にすることができる
── 地球のためにCO2を減らすのがよいこと、というのはわかるのですが、新たに市の予算をかけて取り組むことに反対はなかったんですか?
削減できたCO2量は、お金にできるシステムがあります。CO2の重さを測って数値化して、クレジットに換算することで、ほかの企業や自治体に売ることができるんですよ。
── そのクレジットの計算って自分たちでCO2の量を測って、勝手に計算していいものなんですか?
クレジット化するには認証が必要です。でも今は、国内に正式な認証団体がないので自治体同士がお互いに認証しあっています。だから、ちゃんと日本で統一の認証団体を作ろうということで、横浜市や研究機関が中心となって動いているところです。
── 横浜市で認証されたブルーカーボンの量ってどのくらいになるんですか?
海藻を育てることだけではなくて、先ほどお話しした輸送にかかるCO2削減など、ブルーカーボン事業から派生した様々なもので削減できたCO2量として、令和元年度(2019年4月1日~2020年1月まで)でいうと259.6t-CO2(※)です。18,431本の杉の木が1年間に吸収するCO2量と同じくらいです。
※温室効果ガスの発生量を表す単位
ブルーカーボンを広げていく鍵は「頭脳の地産地消」
── 素朴な疑問なんですけど、日本は島国でまわりが海なのに、なぜブルーカーボンにおいて世界に遅れをとってしまったんでしょうか?
海の広さでいうと、日本の排他的経済水域の広さは世界で6位です。今は横浜市が中心になって地方でのブルーカーボン事業を啓発していて、うちでもやりたいという自治体も出てきています。
ただ、日本の海はたくさんの法律が絡んでいて簡単に手が出せないという面があります。港湾エリアと漁業エリアなどでいろんな方々のご理解がないと簡単には進められない。
今の日本の法律体系って、主にすべて右肩上がりの高度成長を想定して作ったものなんです。経済はどんどん伸びて、人口も増える。そういう社会に合わせたものなんです。
エネルギーをどんどん使って、ピカピカと明かりをつけて「楽しく豊かに」。それが20世紀という時代。でも今は違う。21世紀はパリ協定とSDGsが指針となります。
パリ協定は、要するに「もう使うエネルギーは少なくして、できるだけ再生可能エネルギーに」ということ。じゃあSDGsは何かというと「世界中の人々の生活のクオリティを上げていこう」ということです。
── 生活のクオリティとは何ですか?
「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」などです。こういった生活を、これまでのようにふんだんにエネルギーを使うことなく、叶えていこうという指針です。難しいですよね。
── エネルギーを使わずに生活の質を上げるって、真逆のものを同時に叶えるってことですもんね。どうしていったらいいんでしょうか......。
僕がよく若い学生たちに言うのは「おっちゃんたちに何も聞くな」です。
── (笑)。
だって、バブルを経験してきた僕ら世代の経験は通用しないですから。これからどういう社会になっていくのか想像はつかないですけど、よく言われているのは、「エネルギーも食も地産地消に向かう」ということです。CO2削減の観点から見ると、食は地産地消することによって輸送にかかるCO2が削減できます。
また、現在は電力の多くを石炭、石油と液化天然ガス(LNG)による火力発電に頼っていますが、これはCO2排出量が多い方法です。今後は、森・海・川などの自然エネルギーを使う技術を発展させていかなければならない。自然エネルギーを使うことは自然のある地域に労働力が動くということですから、結果、地産地消に向かいます。
エネルギーも食も地産地消。そういう社会になった場合、今までのような土地の利用法でいいのだろうか、という話になります。つまり駅があって、その前に商店街があって、そのまわりに住宅があって、離れたところに工場がある、みたいな。そうじゃなくて、駅前に農地があってもいいんじゃないか?と考えるのですが、それは今の都市計画の枠組みでは無理なんです。
── ブルーカーボンにとっても、法律や利権がハードルなんですね。
港も、昔に比べ、物流量が減ってきています。これからは物流のお仕事をしている人の収入を確保しつつも、海の使い方をブルーカーボンなどを通して食やエネルギーや資源としての利用に切り替えていかないといけない。
海も陸も、これまでとは違う利用法を考えないと新しい世界には合わない。だから、大都市だと難しいと思います。地方から変わっていくんだと思いますよ。
地方創生で有名な徳島県の神山町には十数社のサテライトオフィスがありまして。僕も『神山プロジェクトという可能性』という本を共著で書かせていただいたり、現地には友人もいて、よく行くのですが、そこではオンラインで海外や東京の本社とつながって何不自由なく仕事をしています。モノの調達についても都会にいるのと変わらないサービスが受けられるし、生活は豊富な自然の中で、お互い助け合って、作った野菜をおすそ分けしたり、祭りに参加したりして。そういう地域社会での人間関係ができている。
── そういう拠点が地方にもっとできていくといいですよね。自然があって、生活できて、ちゃんと仕事もある、みたいな。
僕は、食やエネルギーだけじゃなくて、これからは人間の頭脳も地産地消にすべきだと思ってるんですよ。言ってしまえば、これまで多くの地方は東京の下について仕事をしてきました。東京から偉い人がやってきて地元の人はその部下で、出世はできない......という体制だったと思うんです。
でもこれからは違う。自分で考えられる頭脳のある企業を地方発で大事にして育てる・つくることが必要です。
── 人が地方に動くようになって初めて、ブルーカーボンもいろんな地域に広がっていくってことですよね?
そうですね。いろんな地方で「やりたい!」ってところが出てくると思いますよ。
── 法律が変わるのを待つより、人がまず動く。
東京の一極集中から地方に散って、その土地にあった暮らしや働き方を考える必要があると思います。
── それって、このままみんなが何も意識しないで暮らしていたら、変わっていくのは難しいんでしょうか?
でもね、自然と変わっていく気もするんですよ。というのは、時代がそうさせていて。
SDGsが世界共通の目標として採択されたときも「これまでの延長線上に未来はない」「トランスフォーメーション(変革)、我々の世界を大変革する時代だ」と国連がはっきりと表明しているので。
それでいうと、日本は過去に大きな改革を2回行ってきている。明治維新によって武士の時代から市民の時代へ変わり、第二次世界大戦後も軍国主義から経済社会にバッと変わっている。そのとき指揮をとっていたのはどちらも3、40代、せいぜい50代前半の人たちです。
そういう人たちによって今の社会ができているので、次の時代もあなたたちのような3、40代がリードするべきだと思いますね。
── そう言われると、怖いけど楽しみです!
楽しみですよ! これからはそれぞれの個性を生かす必要があると思うし、違っていて当たり前。違っている人がどうネットワークするか。オーケストラと同じです。楽器は全部ちがうんだけど、ひとつにまとまっている。それは楽譜があるからですよ。その楽譜こそが、SDGsなんだと思います。
ブルーカーボン事業も、そういった新しい時代の中で、多くの地域の方に取り組んでいただけるように、力を尽くしていきたいと思います。
取材後、日本の働き方が大きく変わった
今回の取材でブルーカーボンという言葉を初めて知り、それが海にも人にもよいことだとわかりました。そして、高度経済成長期の法律がはたらく日本の海で、それを広めていくのは一筋縄ではいかないということも。
そんな矢先、社会が大きく動きました。
新型コロナウイルスの流行で、学校は休校になり、リモートワークが推奨され、都心で働く多くの人の生活が瞬く間に変わったのです。
これを書いている時点で、ウイルス問題がどう収束するかはわかりません。ただ、家で過ごす時間が増え、都心に出なくても仕事ができることを実感した人たちの中には、未来の暮らしや働き方について思いを馳せた人が少なくないはずです。
信時さんは、こうも話していました。
「地方のベンチャーを地域の人みんなで育てていくことが大切です。投資する、商品を買ってお客さんになるのもいいですね」
まずは、それぞれが頭を使い、都心への依存から離れ、自分が理想とする暮らしや環境を選ぶこと。次に、横浜でつくった昆布が横浜で消費されているように、地元の産業は地域の住人で育てて、盛り上げていくこと。
人の動きが変われば、社会はあとから変わっていきます。スマホを持つ以前の生活や社会にもう戻れないのと同じように。
SDGsが謳う「トランスフォーメーション」を指針に、新しい世界に突入する日本は、私たち個人の変化からはじまるのではないでしょうか。
私もこの取材の日から、「これから、どこで、どのように暮らしていくか」をずっと考えています。
-
取材長谷川琢也
Twitter: @hasetaku
-
取材・文みやじままい
Twitter: @miyajimai517
-
撮影飯本貴子
Twitter: @tako_i
Instagram: @takoimo
-
編集くいしん
Twitter: @Quishin
Facebook: takuya.ohkawa.9
Web: https://quishin.com/