生きるスピードをゆるめる小さな一歩。無理しない「スローフード的選択」のススメ

どうにも世の中のスピードが速過ぎる。そう感じたことはないだろうか。

SNSのタイムラインはどんどん騒がしくなっていて、数日前に話題になっていたあのニュースのことを、今日はもはや誰も話していない。満員電車にも仕事に追われる日々にも疲れているけれど、どうやってこの速すぎる流れから降りればいいのかがわからない――。

そんな迷いを抱えていたとき、とある方との出会いがあった。


その人物とは、小野寺愛さん。20代の頃からピースボートのスタッフとして世界中をまわっていた小野寺さんは、第三子の出産を機に神奈川県の逗子に移住。一般社団法人「そっか」共同代表として、自然学校や保育園の運営に取り組んでいる。

きっかけは、小野寺さんが翻訳した一冊の本だった。タイトルは『スローフード宣言』。「オーガニックの母」とも呼ばれ、世界に「スローフード」という概念を広めたアリス・ウォータースの思想をまとめた一冊だ。


ここで書かれている「スローフード」とは、単なる食事の話ではなく、私たちの生きる価値観についての話だ。

家族や同僚とランチを一緒に食べること。自然の美しさに感動すること。地域の作り手にお金を落とし、小さな地域経済を循環させること。

「スローフード的価値観」として挙げられるのは、例えば上のようなことだ。そして、小野寺さん自身が20代の頃からアリスの思想に強く影響を受け、現在は逗子での暮らしを通じて「スローフード的価値観」を実践しているという。

現代の日本を生きる我々が、どのようにしてスローフード的価値観を取り入れていけばいいのか。そのヒントが小野寺さんの暮らしにあると感じて、逗子を訪ねた。

逗子で実践する、スローな暮らしとは

駅から逗子の街を歩くこと、約15分。小野寺さんとの約束の場所が近づくと、なにやら甘いような、どこかで嗅いだことのある香りがしてきた。これは......醤油???


保育園の前に到着すると、大人と子どもが一緒になって何やら活動している真っ最中。筆者に気づいた小野寺さんが、にこやかに声をかけてくれた。

「今日は、みんなで2年かけて仕込んだ醤油を搾っているんです。各家庭で醸した大豆と麹を集めて、千葉から醤油搾り師さんに来ていただいて」

ここは、小野寺さんが地域の方たちと一緒に立ち上げた保育施設「うみのこ」。海と山に囲まれた逗子で、「野外で遊ぶ時間」を真ん中に置いた子育てが行われている。


春は野草を天ぷらに、夏には海に入り、秋はカヌーで沖へ出て、冬には地元の漁師さんとワカメを育てる。どんな活動をするかは子ども自身が選択でき、3〜5歳の異なる年齢の子どもたちが一緒に活動する。父母の保育参加も歓迎し、保護者も一緒に日々の活動やイベント、施設の運営に関わるのが「うみのこ」だ。


現在「うみのこ」に通う園児は28名

「元々は、逗子で活動する小学生のための自然学校『黒門とびうおクラブ』という団体がきっかけなんです。週一回集まって、季節ごとに変わる逗子の海や山で遊ぶのが活動内容。私も逗子に移住してから、自分の子どもと一緒に『とびうお』に参加するようになって。

そのうち、小学生だけじゃなく、その弟や妹が集まる場所も作りたいね、と親子サークル的にはじまったのが『うみのこ』の前身です。3年目には50組くらい親子が集まって規模も大きくなり、ちょうど信頼できる先生との出会いもあったので、思い切って皆で先生を雇用し、認可外の保育施設になりました」

自分たちで保育園が作れるなんて思ってもなかったですね、と小野寺さんは笑いながら話す。


『黒門とびうおクラブ』では、毎日16時ごろになると逗子の海岸に小学生の子どもたちが集まり、皆で活動内容を決める。「今日は海岸でドッヂボールする組と、山の開拓に行く組に分かれます。みんなどっちがいい?」というコーチの声へ子どもたちが思い思いに反応しながら、遊びの輪が生まれていく。

「保護者と運営スタッフの線引きは、明確でない方が面白い。大人も子どもと一緒に遊ぶ感覚。子どもの主体性を大事にすると同時に、親も主体的に関わる文化が『とびうお』と『うみのこ』にはあります。

逗子って、意外と都会です。東京の会社まで通勤したり、テレワークしながら住むような人も多いんですね。だけど、『とびうお』や『うみのこ』で『あなたはあなたのままでいいんだよ』と言われながらのびのび育つ子どもたちを見ていると、親の側も、ありのままを肯定されてる気分になってくる(笑)。だから親自身のやりたいことを応援したり、助け合ったりするコミュニティにもなっています」

そして、こうした逗子での実践のルーツにはアリスからの影響も大きい、と小野寺さんは語る。

「実践者」としてのアリス・ウォータース

2000年から2016年まで、毎年のように地球一周しながら、平和教育・環境教育に携わった小野寺さん。写真はコロンビアにて

小野寺さんがアリス・ウォータースを知ったのは、20代後半の頃。当時はピースボートのスタッフとして、サンフランシスコを担当していた。3ヶ月間かけて地球を一周しながら、寄港する土地のこと、そして地球環境や平和について学ぶ洋上大学のような側面も持つピースボート。寄港地のひとつだったサンフランシスコでのツアーを作る中で、エディブル・スクールヤードを知ったのがきっかけだった。

「アリスが28年前に地元の公立中学校で始めたプロジェクトがエディブル・スクールヤード。もう、出会った時に人生がひっくり返るくらいの驚きがあって。

当時のアメリカでは、日本よりもずっと早く『格差』や『孤食』が社会問題になっていました。家族で食事をしても、レンジでチンするファストな食べ物が増えていた。そこで、旬の野菜をみんなで料理して、みんなで食卓を囲むことを学校で教えましょうと提唱したのがエディブル・スクールヤードなんです。

大事なのは、料理の仕方や野菜の栽培方法を教えるのは目的ではなく、手段であること。手を動かし、よく見て、香りをかいで、味わって...と、五感をフルに使った『体験』の授業を通じて、国語・算数・理科・社会などの教科を学ぶことができる、というのがエディブル・スクールヤードの醍醐味なんです」


校庭には1エーカーの畑と、輪になって集まることができる美しい屋外教室。すべての学校の敷地内に、こんな居場所があったらと願わずにいられない
(写真提供:The Edible Schoolyard Project)

コンクリートを剥がして作られたガーデンを畑に、使われていなかった食堂を改修して居心地のいいキッチンに。教室を飛び出し、そうしたガーデンとキッチンで授業を始めると、教室ではじっとしていられなかったり、学校をサボりがちだった子どもたちも不思議と出席しはじめた。

「例えば歴史の授業でシルクロードについて学ぶ時は、キッチンでライスプティングを作るんです。『ローマ』『インド』『中国』と3つのテーブルに分かれて、それぞれのテーブルには当時その土地にしかなかった材料と道具が置いてある。ローマにはオレンジがあって、インドにはスパイス、中国には米が、という風に。

どこか一つの国の材料だけじゃ作れないから、貿易をして、材料を揃えながら作りましょう。そんな風に、エディブル・スクールヤードでは授業をはじめます。もちろん最後には、みんなでテーブルを整えて、ライスプディングを味わいます。

ただ座学で一方的に学ぶより、五感から得る情報量のほうがずっと大きい。教室よりもずっと美しくて、居心地のいいガーデンとキッチンで、五感をフルに使いながら皆でテーブルを囲む。それがエディブル・スクールヤードの実践なんです。季節ごとのガーデンとキッチンで行うことができる授業が学習指導要領に沿う形でカリキュラム化されていて、それを実践する学校は、世界6200箇所に広がっています。もちろん『うみのこ』も、大きな影響を受けています」


2017年には、日本からの研修生としてカリフォルニア州バークレーのエディブル・スクールヤードが開催する教育者研修に参加

そこからアリスの本を読むようになり、日本スローフード協会での活動も始めた小野寺さん。知れば知るほど、アリスの思想に惹かれていったという。


「『五感で自然を感じる』というのは、アリスの実践におけるキーワードです。アリスが1971年にカリフォルニアのバークレーで立ち上げたレストラン『シェ・パニーズ』では、開店当初からメニューは一つだけ。地元で顔が見える作り手さんが作った、旬で完熟、オーガニックの食材のみを使ったコースです。

その日の生産現場で一番おいしい旬を表現するためにメニューは一つだけで、季節や天候に合わせて内容は変わっていくんですね。料理を通じて、自然の『旬』をフルに味わってもらうために。

効率を追い、どうしてもブラックになりがちなレストラン業界で、シェ・パニーズではずっと前から働き方改革にも取り組んできた。料理長でも皿洗い担当でも、スタッフは皆で家族のように食卓を囲み、お客さんに出すのと同じメニューを食べます。誰の勤務時間にも無理がないよう、工夫もなされています。人間らしい職場作りを半世紀の間、ずっと実践し続けているのがアリスだと思います」


ピースボートに乗って世界を巡っていた小野寺さんだが、子どもが生まれたのを機に「実践」の現場へと、少しずつ関心が高まっていった。グローバルの課題を解決するヒントは、ローカルでの実践にこそあるのではないか、と。

「大きな問題に対して答えを提示して、世界中から注目されているような場所を訪れてみると、そこにいる人は、地元に根ざして毎日、現場で手を動かしているんですよね。まさにアリスがそうでした。そして、そのローカルの現場での成功をスケール化しようとすると、どこかで歪みも生まれてきてしまう、ということも同時にわかってきました。

だからこそ、私自身も自分の子どもを育てている土地で、地に足をつけて手を動かさないといけない。そんな気づきが、『とびうおクラブ』や『うみのこ』の活動に繋がっているんです」

社会性と経済性を、いかに両立するか

その後、アリス本人との交流も始まった小野寺さん。2021年に『スローフード宣言〜食べることは生きること』の原著("We Are What We Eat - A Slow Food Manifesto")が出た際には、書籍の翻訳経験もないなか、悩みながらも手を上げた。

「アリスのレシピ本はたくさん出てたんですけど、スローフードの思想について語った本は初めて。『こんな人に翻訳してほしい』も最初は浮かんだんですが、皆さんお忙しいだろうし、いっそ自分がやってみよう、と」

『スローフード宣言』の中では、「ファストフード/スローフード」という二つの価値観が登場する。


ファストフード的価値観

スローフード的価値観

スローフード的価値観にも惹かれつつ、ファストフード的価値観も、私たちの中に根強く巣食っているのを感じる。そう小野寺さんに伝えると、「私自身もそうですし、みんなあると思います。だからこそ、アリスの言葉にはハッとさせられますよね」と返ってきた。


「出版から約1年経って、いろんな感想をいただいています。その中で、ビジネススクールの代表をしている方からの印象深いものがあって。

『ビジネスにおいては経済性と社会性を天秤にかけているようなところがある。経済人としての自分の選択に、社会人としての自分が泣いてるような場面があるんです。だけど、社会人としての誇りを持ちながら、経済性も追求できるということを、アリスさんはシェ・パニーズで教えてくれたんじゃないか』と。

まさにアリスはシェ・パニーズでスローフード的価値観を実践しながら、今も人気のレストランとして営業し続けています。そして多くの有名シェフがシェ・パニーズから出て、彼女の思想を実践しながら、ちゃんと経済性とも両立している。そんな姿が、すごく励みになったそうなんですね」

経済性はファストフード的、社会性はスローフード的と言えるだろう。そのどちらかを犠牲にするのではなく、両立するために必要なことを尋ねてみると、小野寺さんは『ゼロから出口までのつながりを考える』ことを教えてくれた。


「逗子のある三浦半島では、三浦大根という、昔からこの土地で育てられてきた固有の品種があります。一般で流通している青首大根と比べて形も不揃いで出荷しづらいこともあり、今ではこの地域で作られる大根の品種のうち、1%ほどの割合まで減少していて。すごく美味しい大根だし、なくなるのは寂しいということで、みんなで共同購入することにしたんです。『うみのこ』の園児たちは、種まきから関わらせてもらい、間引きも収穫も料理も自分たちで行うことで、三浦大根が大好きになりました。

生産が減っているのは買い手も需要も減っているからじゃないですか。だから、地域の料理人の皆さんに声をかけて、購入先を確保した上で、農家さんに『100本買いますから、作ってください』とお願いしたんです」

誰かが無理をするのではなく、無理をしなくていい形を最初に考えた上で、実践する。『とびうおクラブ』や『うみのこ』に関わる大人たちがあれだけいきいきとした表情だったのも、同じ理由なのかもしれない。

「シェ・パニーズもエディブル・スクールヤードも、『スローフードだから』ではなく、美しさや美味しさに惹かれて人が自然と集まります。『正しいから』じゃなく、通りがかりの人でも『きれい。楽しそう。参加してみたい!』と思ってもらえるような活動をしないといけない。それもアリスに教わったことですね」

ゼロから繋がりのあることを、面白がってやってみる

小野寺さんの話を聞いていて、思い出した言葉がある。以前、サーキュラーエコノミーについて専門家の方に取材した際、「サーキュラーエコノミーをどこから始めればいいか?」という問いへの答えも、「義務感からではなく、『面白そう』から始めてもいい」というものだったのだ。そう小野寺さんに話すと、こんな風に返してくれた。

「スローフードも同じだと思いますね。ひとつでいいからゼロから繋がりのあることを、面白がってやってみるのがスタートなんじゃないでしょうか。

『うみのこ』に通う親御さんたちも、別に元々すごく意識が高い人たちではないんです。ごく普通の人たち。でも、例えば醤油搾りを実際にイチから体験してみると、手作りの醤油の美味しさや、その文化の大切さを自然と実感できる。その感覚は、一回経験しちゃえば、自然とまた次のアクションへと繋がっていくものだと思うんです」


例えば夏に、ファーマーズマーケットで旬のトマトを買ってみるような小さなことも『繋がりのある体験』になりうる。農家さんと会話した上で購入した圧倒的に美味しい完熟のトマトには、近所のスーパーで買ったレタスよりも、今朝採れの新鮮な葉物を合わせてみたくなる。さらに市販のドレッシングより、ちょっといいオリーブオイルと塩のシンプルな味付けのほうがトマトの美味しさが際立つ......そんな風に、何か一つを取り入れてみた先で、スローフード的価値観は連鎖していくのでは、と小野寺さんは言う。

旬のもの、そして完熟の食材を選ぶ。食で何かひとつはじめてみるなら、これが絶対におすすめです。地球の反対側から運ばれてきた食材だと、旬で完熟というのは実現しません。近くの農家さんのところで作られた、収穫したてのもの。その美味しさに気づいちゃったら、あとは戻れないと思いますよ。私がそうだったので」


「新しくて多様な地域経済を草の根から耕すことができる機会は、実は目の前にある」

小野寺さんの話を聞いて、『スローフード宣言』に書かれた一文を改めて思い出した。

新たな価値観を取り入れるために、別に何かを否定する必要はないのだ。何かを否定し、削っていく作業ではなく、無理せず、「楽しそう」「やってみたい」と感じることをひとつ、暮らしに足してみる。そうして徐々に変化が生まれ、気づけば生きるスピードすら変わっている。どんな大きな変化でも、初めは目の前の小さな一歩から始まるのかもしれない。そんな風に感じた取材だった。


『スローフード宣言〜食べることは生きること』(海士の風)の出版1周年を記念して、2023年秋、アリス・ウォータースさんが来日。その来日ツアーを記録したドキュメンタリー映像『We Are What We Eat - 未来につなぐおいしい解決策』が今年、完成。すでに全国48箇所での上映会実施が決まっています。上映会の詳細、自主上映会主催の希望などは、海士の風までご連絡を。https://note.com/amanokaze/n/n085abedfbdc1

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