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豊かな未来のきっかけを届ける

豊かな未来のきっかけを届ける

「都会では贅沢なものが、ここにはある」元塾講師の漁師が発信する浜の豊かさ

TRITON JOB

豊嶋純さん

石巻市牡鹿半島の西側、ちょうど中間辺りに位置する荻浜は、穏やかな内湾で山からの沢水が豊富、世界の牡蠣の近代養殖の祖・宮城新昌さんが、大正時代、石巻の地ではじめて「垂下式養殖法」という、生産量を飛躍的に伸ばす養殖法を実用化した浜として知られています。そんな荻浜生まれの荻浜育ち。根っからの「おだづもっこ(お調子者)」でありながら、東日本大震災を機に一大決心をし、塾の講師を辞めて家業の漁師の世界に飛び込んだ豊嶋純さんに、海で働くことの魅力について語っていただきました。

塾講師を辞めて、漁師になろうと決めたキッカケ。

ボク、震災前まで漁師じゃなかったんです。だから良い意味でその強みを活かして新しい感覚を取り入れた漁師になっていきたいと思っています。でも、昔からある漁師文化の良いところや技術はもっともっと活きるようにしたいですね。漁師9年目でそんなことを思っています。

漁師になる前は、市内で塾の講師をしていて子どもたちに勉強を教えていました。楽しかったですし、やりがいも感じていたんですが、東日本大震災で、生まれ育った浜や生活がめちゃくちゃになっちゃって。弟は漁師を辞めるし、親父は漁師を続けるかどうか迷っていて、生まれたころから当たり前過ぎたんでしょうけど、いざ無くなってしまうと居ても立っても居られなくなったんです。それで「よし! 漁師になってやろう!」と。それまではそんな気は無かったんですけど、心の奥の方から沸々と情熱のようなものが湧いてきました。

実際やってみると正直キツい時期もありました。特に最初の1年は葛藤の連続でした。やったこと無い作業でも「なんでそんなこともできねーんだ!」と怒鳴られるし、休みだと言っていたのに突然「5時間後に出航するぞ!」なんてこともあります。それが漁師の仕事だと言われればそれまでなのですが、体力的にも精神的にもキツくて、最初は「なんで漁師になっちゃったんだろう? もう辞めよう。」と何度も落ち込みました。

豊嶋純さん

先輩漁師のかっこ良さ、浜の文化のありがたさに気付く

それでも何とか自分で決めたことだからと、意地になって続けていくうちに、少しずつ仕事も覚え、波のあまり無い内湾では船も自分で回すようになりました。そんな時、大切な牡蠣のイカダを自分の不注意で海に沈めてしまう大失敗をしてしまったんです。一人ではどうすることも出来ずに、恐る恐るある先輩漁師に電話をしたら、あっちこっちからどんどん船が集まってきて、先輩漁師たちが「あーしろこーしろ」と言いながら手伝ってくれて、あっという間に直してくれました。

「バカヤロー!」って、もっと酷く怒られるかと思ったんですけど、「次から気をつけろよ!」と言ってさっさと自分の仕事に戻って行ったんですよ。あの時ほど先輩漁師たちがかっこ良く見えたことはなかったです。

先輩漁師と共に船にのる

あとから聞いたんですけど、先輩たちも若いときに大きな失敗をしてしまって、同じように助けられた経験があったそうなんです。どんなに普段はライバル関係であろうと、本当にピンチなときには浜の人間は助け合うのが当たり前、と教えられました。それ以来、もっとこの人たちから技術も経験も教えて貰いたいと思うようになりましたね。いつもはイジられてばっかりですけど、隣にちゃんと海の上の先輩たちがいるのってホントに安心感があります。

一人でテンパっていたけれど、今はそんな先輩漁師たちの姿を見て、それを真似して、盗んで、もっと仕事が出来るようになろうと思っています。あのとき感じた、先輩たちの海の技術の凄さ、ぶっきらぼうな漁師の優しさ、浜の文化のありがたさ。自分が生まれ育った環境の素晴らしさに、この年になって改めて気付かされた出来事でした。

フォークリフトで牡蠣を運ぶ

素人だったことの強み、街で仕事をして来た経験を活かす。

漁師の経験は無かったかもしれないけれど、街で普通に働いたことがあるというのは強みだなぁと思っています。

ひとつ下の弟は震災後、漁師を辞めて街で仕事をしてましたが、3年経ってやっぱり海の仕事がいい。と戻って来ました。街での仕事のやり方は、合わなかったみたいです。いつも憎まれ口を言い合える仲ですが性格が全然違うんですね。海の上では先輩ですけど、ちゃんと予定を組んで授業を進めたり、報告をしたり、職種の違う人たちと仲良くなったり、オモシロいことを思いついて仲間を集めて試してみたり、そういう部分ではボクは負けてないなって思ってます。

牡蠣の殻をむく

弟のように「漁師の世界はこういうもんだ」という固定観念が無い分、違う視点で漁師の世界を見ている自分がいることに気づきました。僕の思っている当たり前の感覚を、漁師の世界に当てはめたらもっともっと効率化出来たり、良いものをつくることができたりするんじゃないのかな? と思うことがいっぱい出て来たんですよね。

だから、新しいチャレンジへのハードルは個人的には凄く低いと思います。根っからのお調子者だと自分でも思うので、外の世界の僕の持っていないスキルを持った人たちともすぐ仲良くなっていろんなことを教えて貰いたいですし、そういう人脈や知識や方法論みたいなものも、強みとして漁師の世界で活かせるんじゃないか? と思っています。

古きを温めて、新しきを知る。新しいアイディアを小さなカタチに。

漁師になって2年目ぐらいから、ボランティアさんや外部からやって来た人たちとも積極的に交流をしてきました。その中で大きな発見だったのは、漁師にとっては当たり前なことが、実はもの凄く価値のあることなんじゃないか?ってことでした。

船に乗って美しい夕焼けが拝めるし、光に照らされて水面に上がってくるコウナゴの群れが花吹雪のようにキレイです。

夕焼けの海

 

光に照らされて水面に上がってくるコウナゴの群れ

牡蠣を自分で剥いてみて、ペロッと食べるだけでみんな大喜びしてくれるし、獲れたての魚を鼻から出るくらい食べられます。そういう浜の生活での当たり前は、どうやら都会では最高の贅沢だったりするみたいですね。ボクも浜で育ったので当たり前過ぎて気付くことの無かった浜の生活の豊かさを再発見出来ました。

牡蠣を剥く様子

そこで、自分なりの新たなチャレンジが何か出来ないかと思って「牡蠣講習」というのをやってみたんです。牡蠣好きばかりが集まる牡蠣ツアーの受け入れをしたときに、塾の夏期講習と掛けて、ボクが牡蠣の先生になって、美味しい牡蠣が育つまでの授業をしてから、牡蠣をお腹いっぱい食べて貰うという試みです。

塾講師時代を思い出しながら、夜な夜なパワーポイントでプレゼンを作って臨みました。そしたらこれがとっても面白かった! 牡蠣好きのみなさんでさえ、生産の現場のことはまるっきり知らなかったんですよね。「これからは牡蠣をさらに美味しく食べられる気がします。」と言ってくれたり、「うちの子どもたちにも見せたい。」と言ってくれたりしたのは心底嬉しかったです。小さなチャレンジかも知れませんが、これからもタイミングを見て続けていこうと思っています。

初体験、牡蠣漁師たちが代々木公園で自慢の牡蠣を焼く。

個人的なチャレンジだけでなく、浜全体の取り組みとしても小さな一歩を踏み出しました。

今、荻浜には漁師が14軒、その内10軒が牡蠣養殖をやっています。2014年11月、ボクたちの所属する漁協の、石巻地区支所青年部で代々木公園のスペインフェスに出店することになりました。今まで漁師は浜から一歩も外に出ないで、牡蠣を育てることだけに一生懸命。外にわざわざ出向いて行って、自分たちで牡蠣を売るっていう経験をしたことがほとんど無かったんですね。

自分で東京のど真ん中に自慢の牡蠣を持って行って、都会の人に直接「うめぇから食ってみろ!」ってやったら面白いんじゃないかな?って思ってたんですが、都会に慣れてない漁師たちは二の足を踏んでたんですけど、先輩漁師の江刺さんが、「これも何かの縁だ、こんなことはもう二度と無いかもしれねぇから、みんなで一丁やってみっぺ!」と声を上げてくれて、漁師みんなで牡蠣をトラックに積み込んで東京に行くことになりました。

イベント出店の様子

スペインフェスと言うことで、メニューも蒸し牡蠣にスペイン風の3つのソースをかけて食べるという食べ方で提供することにしました。これもボランティアで来ていた料理人が力を貸してくれて一緒に考えたメニューです。

結果はと言うと悪天候にも関わらず大盛況で、目の前で「うまいっ! こんな牡蠣食べたことない!」とたくさんのお客さんが言ってくれました。消費者の声を生で聞けるタイミングって漁師にとって今まで本当に無かったんです。おかげで漁師たちも大いに満足して、今でも「あれは楽しかったなぁ~」と口を揃えて言っています。おかげさまで「もう二度と無いかもしれない」なんて言ってたのに、翌年も漁師みんなでのスペインフェス出店しました。

純さんが目指す新しい漁師のカタチってどんなカタチですか?

石巻市6次産業化・地産地消推進センターの助言の元、市の助成を受けて、浜に小さな加工場をつくりました。本当に小さな加工場なんですが、自分たちで水揚げした魚介類を直売したり、商品開発なんかの実験が出来たりする秘密基地のような場所にしたいと思っています。僕自身、これからなんですけど、震災後に同じ浜で漁師見習いをしてた人が、「純くんこんな商品出来たらおもしろくない? こんなの作ってみようよ!」ってあれこれ自由にやっていて、なんか可能性が膨らんだ気がしたんです。あれをもっと続けてやりたいんですよね。

漁師仲間と

でも、そのアイディアを商品化して受注、発送までするとなると衛生管理や配送の手間などを考えたら、なかなか今の浜じゃ難しいところがあって、それで小さくてもいいから商品を作って売るところまで出来る実験室みたいなのを作ることにしました。

震災後に出会ったいろんなジャンルの面白い人たちと一緒に、目の前で獲れる最高の海産物を使って、小さな部活のように気軽に商品開発が出来たら楽しいと思うし、いっぱい試して、いっぱい失敗して、その中で「これは食べてくれる人が絶対喜んでくれるぞ!」という本物のレシピや加工品を生み出したいですね。夏場は獲った水蛸を使ってタコ飯を販売したり、ワカメの養殖も始めたり。小さな実験室から始まる未来の可能性は絶対にあると思っています。

どんな人と一緒に働きたいと思ってますか?

これからは、海の仕事以外にもやらなきゃならない部分が増えてくるので、ワクワクを一緒に形に出来る仲間との出会いを求めています。自分が雑な性格なので、慎重だったり、几帳面だったりする人と一緒に働けたらいいなと思ってます。海の仕事は豪快なイメージがあるかもしれませんが、実はそういう几帳面さや丁寧さっていうのが品質にとってもの凄く大切です。あと、自分も経験したことなんで分かるんですが、肉体的に辛い部分は根性で乗り切る気持ちのある人がいいですね。やる気が一番大切だと思います。一生懸命やってたら、周りの先輩達もその姿をちゃんと見ててくれますしね。漁師たちの温かさや浜の魅力に気付いて貰えるように、僕も一緒になって汗をかいていくつもりです。

鼻に魚をいれている

\ さっそくアクションしよう /

ひとりでも多くの人に、海のイマを知ってもらうことが、海の豊かさを守ることにつながります。

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Yahoo! JAPAN SDGsは、これからの地球環境や持続可能性について、ひとりでも多くの人に伝え、アクションにつなげていくことで、地球と日本の豊かな未来をつくる、そのきっかけを届けていきます。

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