「聞こえる世界が''普通''ではない」――ろう者の俳優が描く「カラフル」な世界
俳優、ダンサーとして舞台に立つ大橋ひろえさんは、生まれつき耳が聞こえない。「聞こえる世界が普通だと言われると、なんで合わせなきゃいけないのかなと思う」。学生の頃から、「聞こえないから無理」と言われ、さまざまなことをあきらめてきた。しかしある時、舞台のオーディションに合格。新しい扉が開いた。芝居の稽古に励むひろえさんを追った。
「何をやるにも無理って言われる」
「あ、あの、マスク、外してもらってもいいでしょうか?」
「えっ、あなた、しゃべれるの?」
「はい。聞こえないけども、声は出せます。口元を見れば分かります」
渋谷区にあるワハハ本舗の稽古場では、そんなセリフが交わされていた。
「ヒーロー」という愛称で親しまれている大橋ひろえさんは、生まれつき耳が聞こえない。稽古中の舞台は、聞こえない立場のひろえさんと、聞こえる立場である聴者の俳優、大窪みこえさんによる2人芝居。手話と口話の掛け合いで進み、聴者の観客もろう者の観客も、役者が何を言っているのか推測しながら観る。演じる側も観る側もハンデを持つ舞台だ。
これは、ひろえさんの日常でもある。
ひろえさんは母親の熱心な教育で、口話を習得した。音を聞いたことのない子どもが、唇を読み、聞いたことのない音を発音できるように学ぶ。それは非常に困難だ。夕食の時間も、言葉を発すれば修正されるという繰り返しで、ひろえさんはおしゃべりをすることが嫌になった記憶がある。
高校まで「普通」の学校に通った。ひろえさんはこう言う。
「私は生まれつき聞こえないけれど、聞こえる人の世界に入って育っているので、自分でもアイデンティティーが分からなくなるんですよ。聞こえる人の真似をして、聞こえる人と一緒に学ぶけど、やっぱり唇読は理解するのに限界があります」
進路を決める際、担任の先生に「美容師になりたいから専門学校へ進む」と告げると、「コミュニケーションに困るから無理だ」と言われた。それまで幾度となく「無理、危ない」と言われてきたひろえさんは、当時のことを「どうせ何をやるにも無理って言われる。夢が吹っ切れた」と振り返る。そして、障害者雇用枠のある会社に勤めた。
ある日、会社のエレベーターで泣いている同僚を見かけ、話しかけると、手話で返ってきた。ろう者の同僚だった。同僚を慰めたいのに、手話ができない。この体験をきっかけにひろえさんは手話を猛特訓し、3カ月で習得。手話を学んだことで、コミュニケーションが豊かになった。
「自分のボキャブラリーが少なかったことに、ショックを受けました。それくらい言葉に飢えてたんだと思う」
オーディション合格。そしてアメリカへ
ひろえさんは新しい挑戦を始める。
「聞こえない人って、人の真似が得意なんでしょうね。遊びの延長でたまたま受けた、ある舞台のオーディションに受かったんです。『あれ? 私も舞台に立ってるの?』みたいな感覚だった」
さまざまなことをあきらめるように強いられてきたひろえさんにとって、新しい扉が開いた瞬間だった。
「こんなチャンスをいただけた。同じ境遇の若い人のために、何かの道を開きたい。そういう思いもあって、お芝居の世界に入りました」
しかし現実は厳しかった。聞こえない役者が活躍できる舞台は、当時少なかった。そこで芝居とダンスの練習のため、アメリカへ留学をすることを決心する。
入国審査から早くも試練が待ち受けていた。
「身振り手振りで『I'm deaf』って。でも全然通じなくて、別の部屋に連れていかれたんです。怖かったですよ。もし日本に帰されたら、もうアメリカに住めないでしょ。だから一生懸命、全身で『私踊れます、動けます、大丈夫です』ってやったんです。でも、最後はなぜか『車椅子に乗れ』の一点張りで。私歩けるのに」
「その時、車椅子を押してくれたのが大きな黒人の女性だったんだけど、リズムに乗って押してくれる感じで、気持ちよくって。そのうちに楽しくなってきて、気づいたら入国していました」
ひろえさんの暮らしたロサンゼルスでは、多様な人種やさまざまなバックグラウンドを持つ人が混ざり合い、英語が第一言語でない人も多い。
「違って当たり前。すごく居心地がよかった。いろんなお店に行っても、私が聞こえないって伝えると紙に書いてくれるんですよ。こうやって違いを認め合ったうえでコミュニケーションがとれるのはいいなって」
聞こえる世界と、聞こえない世界
ひろえさんは「普通の定義」が分からないと話す。
「聞こえる世界が普通だと言われると、なんで合わせなきゃいけないのかなと思う。日本は、聞こえないというと腫れ物に触るように接する。自分はそうならないと思っているから。いつか自分もなるかもしれないのに」
自分のアイデンティティーについても悩んだ。聞こえない世界に行くと、口話ができるため「あなたは聞こえる世界の人だ」と言われる。聞こえる世界に行っても、自分の居場所がないように感じてきた。
「アメリカで友人に『どっちか決めなきゃいけないの? あなたは誰なの?』って言われたんです。そこで、私には名前がちゃんとある。その生き方をすればいい、受け入れればいい、ってやっと思えたんです」
以前は社会に対する怒りがすごく大きかったという。しかし、ある曲との出会いが心を動かした。
「音楽の授業は大嫌いだった。楽しめないから。(ジョン・レノンの)『イマジン』の映像で、口の動きを見たんですよ。優しい音。ドーン、ドーンと入ってきて、もう涙が止まらなかった。この曲を聞く前までは、自分というものがなかったんです。聞こえる世界と聞こえない世界をさまよっていた。聞こえる人に対して、憎しみみたいな気持ちを持っていた。『イマジン』に出会ってから、二つの世界が一つになる瞬間が生まれた。私は私。相手を許すという気持ちが生まれました」
帰国したひろえさんは、フリーランスの表現者として本格的に活動を開始する。手話を用いたサインミュージカル『CALL ME HERO! もう声なんかいらないと思った』を手掛け、出演した。
ひろえさんは目で"聞く"人だ。人のリズムや歩き方に、色や音符を見るという。
「例えば歩いている足を見ると、『カッカッカ』だったり『ドスンドスン』だったり、吹き出しみたいに見えてくる」
「アメリカでは、街に出ると白人、黒人、ヒスパニックにアジアン、いろんな人がいる。やっぱり歩き方も違って、踊ってるみたいな感じでカラフルなんです。ああ違う、楽しいと思ったんですよ。日本の場合はみんな早歩きで、みんなが同じなのが当たり前。色がないなと思いました。みんな違って当たり前。自分のペンキで色を塗り、アートのように生きている人は、自由に見えますね」
ひろえさんは今日も舞台を通して、「普通」の定義に挑戦している。そんな「ヒーロー」はとってもカラフルだ。
"You are Art"
(一人一人が、アート。そんなヒーローの思いのこもったタイトルは、ヒーローが手書きしてくれたもの。)
本作品は【DOCS for SDGs】にも掲載されております。
【DOCS for SDGs】他作品は下記URLより、ご覧いただけます。
https://documentary.yahoo.co.jp/sdgs/
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元記事は こちら
監督・撮影伊藤詩織
プロデューサー前夷里枝
アニメーション大寳ひとみ
編集天野大地
編集岡村裕太
サウンドミキサー浦真一郎