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全肯定してくれる子どもに依存してしまう――漫画家が描く「ヤングケアラー」の実態

    

サストモ編集部

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近年、「ヤングケアラー」が社会問題として注目されている。2021年には、世相を反映した言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされ、メディアで取り上げられる機会は後を絶たない。

ヤングケアラーとは、「介護や病気、障がいや依存症など、ケアを要する家族がいる場合に大人が担うような責任を引き受け、家事や看病、感情面のサポートなどを行っている18歳未満の子供」のこと。

ヤングケアラーになると、「子ども」としての時間がなくなり、自分よりも家族を優先するようになる。そんな状況が続いていくと、自分の感情がわからなくなってしまったり、他者との人間関係を築きづらくなったり、断ることが極端に苦手になってトラブルに巻き込まれたりと、さまざまな問題を引き起こす。

「ヤングケアラー」とまでは言わなくても、子どもの頃に「親の顔色をうかがって生きていた」という方は少なくないのではないだろうか。親の期待に応えなければと無理をして頑張ったり、怒らせないようにと毎日怯えながら過ごしていたり......。このような状態にある子どもたちも、「親の都合で子どもの時間を奪われている」という意味ではヤングケアラーと共通する部分がある。そもそもヤングケアラーという言葉自体、定義が広く範囲が曖昧だ。

子どもがひとりの「子ども」として、その権利を使える世の中になるためには何が必要なのだろう。どうしたら、周囲を適切に頼り、自分の人生を歩めるのだろうか?

ヤングケアラーを題材としたマンガ『私だけ年を取っているみたいだ。』(文藝春秋)作者の水谷緑さん、そして、かつてヤングケアラーの当事者であり、現在、精神疾患の親を持つ子どもや若者を支援するNPO法人「CoCoTELI(ココテリ)」の代表をつとめる平井登威さんに、ヤングケアラーになる要因や解決の糸口を聞いた。

「家族で最も弱い人」がヤングケアラーに

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水谷さんが2022年10月に出版された『私だけ年を取っているみたいだ。』は、ヤングケアラーを題材としたマンガである。主人公であるゆいちゃんは統合失調症の母親を持ち、弟と父親もいるけれど父親は家事にノータッチ、弟はなぜか免れていて、ゆいちゃんがすべての家事を担っている。

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水谷さんは、膨大な取材をもとに描くことが特徴のマンガ家だ。普段は精神疾患を持つ方をテーマに作品を作ることが多く、今回ヤングケアラーを題材にマンガを描いたのは、「精神疾患を持つ方の"子ども"はどうしているんだろう?」と感じたことがきっかけだったという。本作を描くにあたって、15人ほどの当事者の方への取材を行った。

なぜ、マンガの中では父親も弟もいるのにゆいちゃんだけがヤングケアラーになっているのか。ヤングケアラーが生まれる要因とは、なんなのだろう?

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水谷緑(みずたに・みどり)

神奈川県生まれ。2014年『あたふた研修医やってます。』(KADOKAWA)でデビュー。『精神科ナースになったわけ』(イースト・プレス)『大切な人が死ぬとき』(竹書房)『こころのナース夜野さん』全6巻(小学館)『私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記』(文藝春秋)など丁寧な取材に基づく作風で著者多数。「パルシィ」(講談社)で「僕は春をひさぐ〜女風セラピストの日常」を連載中。

水谷さん

「私が聞いた方々のお話では、家族でもっとも"弱い立場"の人がヤングケアラーになる傾向がありました。きょうだいがいてもなぜか女の子が多かった(*1)ですね。他の家族ができないことをすべて一番弱い子どもに任せてしまう。子どもは全肯定してくれる存在なので、依存しやすいのだと思います。実際に家事をやる人がいないから、家族のために自分がやるしかない状況になってしまう」

片方の親が家事に非協力的だったり、夫婦仲が悪かったり、周囲に頼れる人がいなかったり......。頼る人がいなくなった結果、一番立場が弱い人に依存の矛先が向いてしまう。

大人が子どもに依存しなければいけなくなる問題には、大家族から核家族への家族構成の変化、離婚率の上昇などが関係している。うつ病などの精神疾患にかかる人への偏見も、親が周囲に相談できず孤立してしまう問題の背景にある。さまざまな社会問題が絡み合ってヤングケアラーという問題が表出するため、ヤングケアラーが生まれる要因を「これ」と、ひとつに限定して指摘することはできない。

親自身が健全な人間関係を築き、依存できる関係を複数つくることが、大人が子どもに依存し切ってしまうことを解決する糸口になる。しかし、子ども側が、そういった親の問題解決にまでアプローチするのは現実的ではないだろう。

感情がわからない、頼るのが苦手......。ヤングケアラーが持つ生きづらさ

子どもなのに膨大な量の家事をはじめとした作業をこなさなければいけなかったり、親から日常的に怒鳴られたり、必要以上に理不尽な状況に追い込まれてしまうと、状況に耐えるために乖離症状が起きたり、最悪の場合、自殺に至ることもある。「ヤングケアラー」という状態が生み出す問題は深刻だ。

ゆいちゃんも、状況に耐えるために「自分はロボットだ」と言い聞かせ、自分の感情のスイッチを切ることで、なんとか子ども時代を生き抜いてきた。

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そうやって自分の気持ちに蓋をして子ども時代を過ごすと、大人になってからも「生きづらさ」を抱えることになる。実際にヤングケアラーは、どういった困難を抱えるのだろうか。

水谷さん:「自分の感情や、好きなものがわからないと言う方が多いですね。子ども時代は、いろんなことを感じて、自分が何が好きか、何に感動するかといった人生の土台を育む時間です。ヤングケアラーの方々にはそれがない。大人になってから探すのはとても大変で、感じられない自分に引け目を感じてしまうそうです」

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ほかにも、対人関係で人との距離感がわからなくなったり、人に頼ることが極端に苦手になってしまったり。「嫌われたくない」「必要ないと言われたくない」という思いに苛まれ、自己否定と劣等感に悩まされることが少なくないという。

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もちろん、ヤングケアラーだったからこそ身に付く特性もあり、それを活かして生きる方も存在すると水谷さんは言う。

水谷さん

「自分自身の感情をコントロールすることに長けているが故に、主観を入れないで冷静に観察する力に長けている方は多いです。観察眼や分析力を生かし、大人になってから本を出版されている方もいらっしゃいました。ヤングケアラーだからといって不幸とは一概には言えない。順応してきたからこその強さを持つ方もたくさんいます

ヤングケアラーという言葉はあれど、ひとりひとりの人生は違うので、抱える問題の種類も大きさも人それぞれだ。一概に「ヤングケアラー=不幸な人」と決めつけてしまうこともまた誤った認識だろう。

だからこそ、すべての当事者を十把一絡げに支援するのではなく、当事者が困ったとき、辛いときに救いの手が差し伸べられる場所、「助けて」と言いたくなる場所をそれぞれの置かれている状況に応じてつくる努力が大切なのだ。

家族の問題は、他人に話しづらい

現在各所にサポートセンターなどが設置されているが、実際のところ、なかなか当事者が支援所を頼ることは厳しいという。マンガの中でも、ゆいちゃんが学校の先生に気にかけてもらうけれど、うまく話すことができないシーンがあった。

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苦しい環境に置かれている子どもは、どうしてまわりの人を頼れないのだろうか?

ひとつは、ゆいちゃんがそうであるように、幼い頃は自分の家族が常識であり、周囲と比べることが難しく、そもそも自分の置かれている環境を「問題」だと思えないことが挙げられる。もうひとつは、「家族の問題を大人に話すと自分の居場所を奪われる」と考える人も多い、と水谷さんは言う。

水谷さん:「自分がいるおかげで家族みんなが生活できているといった自負、役割を感じている方も多いんです。それが誰かを頼ることで、自分の居場所がなくなってしまうという恐怖感を抱える方もいます。必死に頑張って立っているのに、『あなたの家族はおかしい』と言われてしまったら、自分を支えるものがなくなって、立っていられなくなってしまう」

家族の問題を他者に開いていくハードルは高い。「自分の居場所が奪われない」という安心感、サポートする人とのそもそもの信頼関係が築けないと、プライベートな事情を他者に開いていくことはむずかしい。

直接的なケアよりも、身近な人間関係に糸口がある

ヤングケアラーが生まれる要因だけでなく、解決までの道のりも複雑で、サポートの場所を用意してもなかなかそこを頼ることができない──。こう聞くと、子どもたちにとっての「光」がどこにあるのかがわからなくなってくる。そこで今回、当事者の方にも話を聞くことにした。

平井遠威(ひらい・とおい)さんは、子ども時代にヤングケアラーを経験し、うつ病を患っていた父親の情緒的サポートを家にいる間は常に行ってきた。そんな平井さんは現在、大学を休学し、精神疾患の親を持つ子どもや若者を支援するNPO法人「CoCoTELI(ココテリ)」の代表をつとめている。

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平井 登威(ひらい・とおい)

2001年静岡県浜松市生まれ。関西大学を休学し、現在、精神疾患の親を持つ25歳以下の居場所"CoCoTELI"(ココテリ)の代表を務める。自身が幼稚園年長時に父親がうつ病を発症し、虐待や情緒的なケア(ヤングケアラー)を経験。その体験からCoCoTELIでの活動を開始し、現在に至る。

平井さんもまた、子ども時代に「大人に頼れなかった」当事者のひとりである。

平井さん

「ヤングケアラーだった頃、誰にもSOSを出すことができませんでした。学校でうつ病になった先生が馬鹿にされているのを見て、自分の親もそうであることがバレたらヤバいと思ってしまって。だからわざと明るく振る舞っていましたね。学校では元気なやんちゃ坊主だったので、先生にも"あいつは大丈夫だろう"と思われていたと思います」

明るく元気にふるまっているから先生たちにも気づかれない。だからこそ、誰にも家庭環境の話ができず悩み苦しんだという。過去の平井さんのような「問題を表出しづらい子どもたち」は、どうしたら大人を頼れるようになるのだろうか。

平井さん

「他者との"日々の関わり"の中で、自分の声を聞いてもらえる機会が大切だと思っています。ヤングケアラーは、自分を主語にして話す経験がすごく少ない。だから、特別な支援よりも、一緒にゲームをするとか料理をするとか、そういった身近な時間をともに過ごすことでポロッと自分の話が口から出る......というほうがよっぽど話せるのだと思います」

平井さんがCoCoTELIの活動で意識していることは、当事者が「自分を主語」で話す経験を作ることだという。オンラインだとどうしても主体性が必要になるため、「安心・安全を感じ・話しやすい」環境をつくれるよう、オフラインの場所づくりも視野に入れている。

大人が勝手に決めて支援をしようとしても、当事者たちは心を開かない。「本人たちを抜きにした解決策」は意味がないと平井さんは続ける。それよりも、当事者たちの声に耳を澄ませる日常の関係を紡ぐこと。それが本人たちにとって、「自分の話を聴いてもらえた」「自分の話ができた」というひとつの成功体験になっていく。

「頼ってもいいんだ」と思える日々の成功体験を

これまで書いてきたように、ヤングケアラーの問題は複雑で、根本的な解決策を提示することはむずかしい。「スーパーな解決策はないと思います」と平井さんも言う。

ただ、親も子どもも「家族以外の頼れる場所を増やすこと」が大切なことに間違いはないだろう。複数の依存先を持つ。そのためには「この人になら頼ってみようかな」と思えるような日々のつながりが大切だ。小さくてもいい。「頼ってもいいんだ」という、日々の成功体験が必要なのだ。

そのためには、社会に所属するひとりひとりの姿勢も必要になる。他人に無関心な世の中では「他者に頼っていい」とは到底思えないだろう。

水谷さんは、「隣の他者への少しの関心」が、ヤングケアラーの解決の小さな糸口となると言う。

水谷さん

「小さなことでもいいから、もっとひとりひとりが他人に"おせっかい"をすることが必要だと思っています。電車でも、スマホばかり見て困っている人にすら席を譲らない人が多くなっている。周囲を見る。そして、困っている人がいたら声をかけてみる。そんな小さなアクションが、まわりまわって世の中を変えていくと思います」

平井さんも、ヤングケアラーのまわりにいる人たちに意識してみてほしいことは、水谷さんと同じ。

平井さん

「支援者とか支援者じゃないとか、学校の先生だからとかそうじゃないとかではなく、日々、周りの人たちと関わろうとすること。すべての人の姿勢に関わる問題だと思います」

小さなアクションが世界を変えると信じることは難しい。けれど、事実としてその小さなアクションに救われる人は必ずいる。それはかつての、そしていつかの私たち自身のことなのかもしれない。

\ さっそくアクションしよう /

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