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知る、つながる、はじまる。

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早期閉経、乳がん、不妊治療の実体験をお話しします~どう気づき、乗り越えたか。若い女性に伝えたいこと~

画像の説明

F check アンバサダー/株式会社ninpath 顧問 太田 可奈
東京理科大IDMアドバイザリーボード、SLJ取締役、法人&キッズプログラミングスクールAIチャットボット/システム開発・担当役員、乳がん闘病中、渋30・スポンサーシップコミュニティ
Fcheck: https://fcheck.famione.com/
株式会社ninpath: https://ninpath.com/

視聴URL: https://online-event.dmm.com/main/page/femtech2210/venue/schedule_detail.php?uid=63226910b412c

自己紹介

皆さんこんにちは。
私、太田可奈と申します。コンサルとして関わっていた株式会社スピードリンクジャパンの取締役に就任し、現在11年目を迎えております。人事採用責任者を経て、新規スタートアップ4事業と広報の責任者に従事しております。

また渋谷区の後援事業から誕生した株式会社まなぶやの取締役に、今年就任しております。

私は36歳の時に早発閉経と診断され、不妊治療をスタートしております。

働く女性に卵子の在庫について検査をする啓蒙活動として、AMH(卵巣予備能検査)の自宅用のキットを開発されている「F check(エフチェック)」さんのアンバサダーだったり、不妊治療のビッグデータを扱っているninpathの顧問をやらせていただいております。

そして、私は不妊治療の後に乳がんが発覚しまして、不妊治療を断念している経験も持っています。

子育て参画の形というのは人それぞれかなと、私の中でも考えがありまして、いろいろ模索をさせていただきました。

現在は、親会社の子会社にアントレキッズという子会社があるのですが、そちらで責任者をさせていただきながら、子供たちと日々戯れる機会を頂戴しております。また、東京理科大IDM(経営学部国際デザイン経営学科)のアドバイザリーボードなどもさせて頂きながら、子供たちが自分の未来の選択肢を増やすことを掲げて日々奔走しております。

今回は、私のこれまでの経験を2つほどお話しできたらなと思います。

まず1つ目は「早発閉経からの不妊治療について」「乳がんの闘病中どうだったのか?」などを、赤裸々にお話しできたらなと思っています。

ライフプランが崩れるまで

34歳の時、流行りの妊活というものをスタートさせます。

その後、35歳の時に、レディースクリニックで相談しながら、タイミング療法というものをスタートさせます。36歳、いよいよ妊娠しないので、不妊専門のクリニックへ招待状を書いていただき、検査を受け、ここ早発閉経と診断されます。

そして37歳。不妊治療を開始したものの、卵を採卵することができずに、クリニックから「ちょっとうちだと厳しいかもね」と言われて卒業させられてしまいます。

その後、38歳、ステージIの乳がんが見つかり、一昨年手術、昨年抗がん剤、放射線治療と走り切ることが出来ました。しかし、子供を授かることをあきらめる決断も合わせてすることになりました。

私のライフプランは、いったいどこでしくじったんだろう。自分自身で振り返って考えた時に、しくじりポイントが2つありました。

しくじりポイント

しくじりポイント1は「妊活の準備」というポイントです。

当時テレビでは「妊活」というワードが流行っていました。森三中の大島さんが妊活で休暇に入ったり、芸能人が不妊治療で40歳過ぎても産めるということを大々的にアピールしていました。

私もまだ34歳だし、全然大丈夫かなと思っていたし、仕事が楽しかった年齢でもありました。バリバリ働いている女性たちは、仕事に油が乗ってきて、仕事をもっとやりたいなって感じる年齢なのかなと思います。

でも、実は「準備」なんて悠長なことを言ってられなかったというのがしくじりポイントの1つめになります。

そして、しくじりポイント2は、自分が不妊だという意識がないので、不妊専門ではなくレディースクリニックに相談したというのが、最大のしくじりポイントです。

生理の遅れが相次いで、もしやできたとクリニックに行くたびに、「ホルモンバランスが崩れているから整えましょう」と薬をもらっていました。「私が不妊の原因を持っているはずがない」と自分自身で思いこんでいましたし、医師からも「不妊」という言葉が出てくることは一度もありませんでした。

私は若い時、結構早くに生理が来ました。小学6年生だったかと記憶しています。しかも遅れもなく定期的にしっかり毎月来るタイプでした。毎月ちゃんと来るからといって、それが健康だということにはならないというのを、若いうちから気づいてほしいなと思います。(気づきたかった......!)

そして、34、35歳。卵子が少ない私にとって大切だった2年を無駄に過ごしてしまったわけです。不妊であるはずがないという思い込み、浅はかな薄っぺらい知識で走ってしまった妊活・不妊治療の結果が、今につながっているのかなと後悔はしてもしきれません。

お母さんになれる期間は有限

不妊治療や妊娠したいといざ行動を起こさない限り、私みたいな早発閉経という情報を得ることはできません。先ほどもお話ししましたが、レディースクリニックと不妊専門クリニックは分野が違うんですね。出てくる検査項目だったりも違います。

精子は新たに作られますが、卵子には限りがあるというのを学生時代に知ってる子ってどれくらいいるんだろうなって......。

オギャーって生まれた時が卵子の細胞はマックスで、そこから細胞は減少の一途を辿っていきます。なので、お母さんになれる期間というのは本当に有限なんだなっていうのを早発閉経の診断を受けた時に実感しました。

早発閉経になった私の経験を夫と話をした時に、やはり若い子たちに伝えていってあげた方がいいのではないかと言ってくれて、こういう経験を知らない人たちがすごいいるだろうからと、SNSで公表することにさせて頂いたんです。生理が来なくなった時期に「妊娠した!」とレディースクリニックに意気揚々と勘違いして通院していた時期には、既に車で言うところのガス欠状態でした。卵がないと生理も来なくなる、そういう状態だったわけです。

早発閉経の投稿をさせていただくと、やはり同じような悩みを持っていたりであるとか「生理が最近来ていないんだけど、その可能性があるかも」という悩みや不安に思っている方たちから沢山の連絡をもらいました。

その際には、不安を1人で抱えて悩むより、クリニックへ行ってしっかり検査をすることをお薦めをさせて頂いています。いくらネットで検索しても、悩みは解決しないんですよね。ぜひ専門のクリニックに行ってほしいです。検査は怖くないです。AMHも血液を採るだけなので、恥ずかしがらずに検査に行って頂いて、少しでも早い段階でわかることが大事だと思います。

早い段階で卵子の数が人より少ないんだなとわかることで、人生の選択肢というのが増えると思います。少ないとなったら「卵子凍結」ももちろんありますし、結婚に振り切るという決断もできるかもしれないですし。在庫はまだあるけれど、まだまだ仕事したいし、もうちょっと先に子供を産みたいなって思ったら本当に卵子凍結というのは有効かなと思います。

細胞はどんどん減るというお話をしましたが、細胞が減るということは、オギャーと生まれた時から、自分の中の細胞がどんどん劣化をしていく、卵の質が悪くなってくるというのは、年齢を重ねると如実に出てきます。着床がしにくかったりというのもあるので、若いうちの卵を取っておくという選択肢は有効です。

私も若いうちに卵子凍結出来ていたら、今頃もしかしたら妊娠できていたのかなって思います。

「乳がん」になりました

そして、そんな不妊治療中に、乳がんになりました。SNSで報告することが癖になっていた私は、SNSでこのことも報告させていただきました。

「がん」という言葉を診断で受けると、頭を鈍器で殴られたような感覚になるんですね。ステージIなので、まだまだ治療もできるし根治もする可能性があるものではあったんですが、知識がない私はただただ怖かった。ステージIでも再発だったりもあるんじゃないかと、恐怖心がありました。なので、SNSに投稿した際のタイトルに「人生のエンドロールを感じたことはありますか?」って書きました。私はこの日を境に日々を大切に過ごすようになりました。いつ別れがくるかわからない、いつ再発するかわからない、いつ普通の生活ができなくなるかわからない、そういう気持ちにもなりました。

私は乳がんになってから、抗がん剤と放射線の治療をしてきました。

乳がんサバイバーの軌跡―第一章「抜ける前の断髪」

まず、「乳がんサバイバーの軌跡―第一章『抜ける前の断髪』」です。

髪の毛が抗がん剤で抜けるというのを、医師から言われていて、髪が長いとショックが大きいということと、ごっそり抜けるので短いほうが掃除もしやすかろうと、短く断髪し、それを知り合いの方に写真を撮っていただきました。

手術も部分切除だったので、基本的には二泊三日の入院で済みました。

同じ乳がんの手術を控える方たちと病室が一緒だったので、沢山お話する機会があって、結構不妊治療されている方が多かったです。これは何かあるのかなって、思うくらい、不妊治療患者率が高かったです。

里親の制度を使って養子縁組をされている方がいたり、あとは子供はいらない、旦那さんと2人で生きていくという方だったり、色々な考えの方がいらっしゃいました。病室では私は最年少で、人生の先輩たちと、入院そして手術という同じ目的を持った仲間として、すっごく仲良くなりました。コロナというのもあって、入院の時にお見舞いに来てもらえないんですよね。なので患者同士がより仲良くなるというような空間でした。

乳がんサバイバーの軌跡―第二章「医療用カツラの世界」

そして「乳がんサバイバーの軌跡―第二章『医療用カツラの世界』」。

手術が終わってから抗がん剤治療がスタートするんですが、まずやったこととして、髪の毛が抜けていくので、医療用のカツラをご紹介頂いて買いにいきました。

結論から言うと、医療用のカツラ、要らないかもです。

高い!

金額が高いんです。20万くらいしました。ただ高い理由っていうのは、人毛であることと、頭を採寸をしてもらって、髪の毛の厚みを測りながら大きさを調整してもらえること。また生えてくる時にも緩めていくことができるというのが医療用カツラのいいところです。

長時間つける方は医療用カツラもありかもしれないのですが、不幸中の幸いなのか、当時はコロナ禍だったので、基本オンラインで仕事をさせてもらえたので、Amazonにある安いカツラぐらいで全然バレないし、ちょうどよかったかなと思いました。

私、Amazonでカツラたくさん買ったんです。いろんな色のカツラを買って「今日髪型違うね」っていうみんなとのやりとりを楽しみにしてました。

私は「抗がん剤治療の苦しい時こそ笑え」っていうのが自分の中にあったんです。だから髪の毛がなくなっていくという初めての体験を、初体験として楽しみながら抗がん剤治療を走り切ることができたかなと思います。

乳がんサバイバーの軌跡―第三章「不妊治療と乳がん」決断

次に、「乳がんサバイバーの軌跡―第三章『不妊治療と乳がん』決断」です。

病院に通いながら治療をしていると、考えるんです。不妊治療、もうできなくなるのかな、子供はもうできなくなるのかなって。治療しながらすごい考えてました。

私的には、不妊治療を今後どうしていこうかと考えながら、養子縁組で子供を受け入れてもいいのかなとも考えていました。でも私の乳がんが再発して、旦那さん1人で子育てしていくことになったらどうしたらいいのかな......私のわがままで押し付けることになってしまうかもしれない。など考えがまとまらず、乳がんの治療にいったん専念するけど、頭の中でずっと子供のことが引っかかっていました。そんな時、女医の知人から、スポット里親の制度という話を聞く機会がありました。

受験生になったら集中するために兄弟から話してうちに泊まらせたりとか、ママやパパが子育てから離れてプライベートの時間を持つために子供たちをうちに泊まらせたりなど、スポットでご夫婦やシングルマザーの子育てが楽になる形で預かるというものです。これも子育て参画の形なのかなって徐々に考えがまとまり始めました。

私たちの旅行に子供を一緒に連れて行って子供たちの体験づくりをしたりだとか、親だけだと大変だと思う子育てのシーンを考え始めた時に、子育て参画することにワクワク! 未来がパーっと開けてきたんです。

こんな風に子供たちと関わっていきたいというのが見えてきた瞬間でもありました。

旦那様にそのことを話したら「うちの夫婦っぽくていいんじゃないか」と言ってくれて、夫婦だけで住む間取りを変更して、子供たちが泊まれる場所を作りたいなと現在考えています。

子供ができなかった私たちでも、この形で子育て参画ができるんだと視野が広がったと共に、早発閉経ということもあって、採卵が難しいこと、乳がんの再発リスクがあること、不妊治療も養子縁組というのも決断としてはやめることにしました。

ここで人生の大きな決断ができて、私としてはとてもすっきりしました。

乳がんサバイバーの軌跡―第四章「抗がん剤パクリタキセルと副作用」

そして、「乳がんサバイバーの軌跡―第四章『抗がん剤パクリタキセルと副作用』」です。

そんな決断をした直後ぐらいから、脱毛が始まりました。

お風呂のたびに尋常じゃないほどの量の髪の毛が抜け始めました。友達に写真を撮ってもらうんですが、最終的にはツルツルになって、せっかくツルツルになっているから、寂聴さんのものもねでもするかと、衣装を着て友人に撮影してもらいました。

やはり人を楽しませるだったり笑わせるということが、人生の中でもやってきたことだし、好きなことなので、暗い顔をして周りが暗くなるというのがすごく嫌なんですね。だからこんな形でしか自分を表現できてないんですが、ただ、抗がん剤治療中、つらい時期っていうのはやはり何回かありました。

本当に動けない、だるくなる。

でも仕事が趣味なんで、闘病中はコロナ禍で本当によかったなと思いました。ベッドに横になりながら、イヤホンでミーティングに参加させて頂いたり。みんなも変わらずに明るく声がけしてくれて、本当に励まされました。

放射線治療完走

そして放射線治療も走りきって、私たち結婚11周年になるんですが、結婚記念日には「妻が乳がんになって夫は何を思っていたのか」という本音を聞かせてもらいました。

うちの旦那さんは、どんなことを考えていたかというと「支えなきゃ! 大変だ!」と、私を支えていくという覚悟を決めていてくれてたらしいんです。「でも、びっくりするぐらい元気だったよね」と(笑)。

「入院中も、お見舞いにも行けないし、すごい寂しい思いしてるんじゃないかなってライン電話をすると、周りがガヤガヤしていて、『あら、旦那さん?』」みたいな(笑)。

「入院仲間がたくさんいて、全然寂しそうじゃない」と(笑)。思ってた以上にアグレッシブに活動していて、「へこんでいる時間あったの? つらそうな姿はまあ見てはいるんだけれども......」そんなことを言ってましたね。「拍子抜けしたっというのが一番しっくりくる言葉だ」って言ってました。

実は......

そして、最後に。

締めになりますが、私、実は乳がんよりも早発閉経の診断のほうがつらかったんです。なぜかというと旦那さんとの離婚というのを初めて考えたというのがあります。たくさん涙を流しました。

卵子は有限ではありません。そして、簡単に在庫量がわかります。

本当は子供がほしい。好きな人との間に自分の子供が欲しいという方、たくさんいると思うんですが、ぜひ若い子たちに今日聞いた知見を広めて頂いて、1人でも多く子供を授かりたいと思う人たちが授かれるように、そしてそれが簡単な検査でできるものであると、頭にちょっと入れて頂いて、ぜひ、伝播していただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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