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SDGsのゴールはうんこ色!? キレイゴトにモヤモヤする人たちへ「変人」のススメ

    

サストモ編集部

17色のカラフルなバッジ、街中やCMで繰り返される「持続可能」「サステナブル」の言葉......。それが正しいことは間違いないけれど、どこか「キレイゴト」を感じてモヤモヤしてしまっている人もいるのではないでしょうか。

今回、『サストモ』では『カオスなSDGs ぐるっと回せばうんこ色』の著者・酒井敏先生に取材。SDGsにどこか感じるモヤモヤの正体と、SDGsとの上手な付き合い方について伺うと、先の見えない世の中をサステナブルに生きていくコツが見えてきました。

酒井敏

酒井敏(さかい さとし)

1957年、静岡県生まれ。元京都大学大学院人間・環境学研究科教授。静岡県立大学副学長。専門は地球流体力学。大学の未来に危機感を抱き「京大変人講座」を開講し、話題を呼ぶ。著書に『野蛮な大学論』(光文社新書)、『京大的アホがなぜ必要か 』、『カオスな世界の生存戦略』(集英社新書)、『都市を冷やすフラクタル日除け』(成山堂書店)。共著に『京大変人講座』、『もっと! 京大変人講座』(ともに三笠書房)。

SDGsに対するモヤモヤから生まれた『カオスなSDGs ぐるっと回せばうんこ色』

SDGsに対するモヤモヤを表現したイラスト

── 最初に、SDGsをテーマに本を執筆された経緯を教えてください。

もともと、僕自身がSDGsに対して斜に構えている部分がありました。でも、静岡県立大学に赴任したらSDGs推進担当になってしまったんですよね。

立場的にはSDGsを推進していかなくてはならないのだけど、ストレートにやるのもどこか気持ちが悪い。ただし反対する姿勢を取ると、それはそれで「温暖化懐疑派」のような意図と反するラベルを貼られかねない。

でも、世の中には僕と同じようにSDGsに対してモヤモヤしている人がいるはずで、モヤモヤの理由について、まとまった説明が必要だと思ったんです。そんなことを、前著『京大的アホがなぜ必要か』と『野蛮な大学論』のライターさんに話したら「それはおもしろい」と興味を持っていただいて。編集者さんとも話がついて、本に書いてみることになりました。

酒井先生執筆本

── 酒井先生がSDGsに感じるモヤモヤの理由とは、どういうものなのでしょう。

SDGsにおける17の目標は、いずれもごくまっとうなものだと思っています。ただし難しいのは、一つひとつは正しくても、SDGsのある目標を達成しようとすると別の目標の達成を邪魔してしまう"トレードオフ"の恐れがあることなんですね。

たとえば、SDGsの二番目にある目標「飢餓をゼロに」を達成するには、農業の効率化による生産増大が必要。そのためには農薬をいまよりも多く使うことも必要かもしれませんが、これは三番目の目標「すべての人に健康と福祉を」と矛盾しかねない。

それぞれの目標は「その通りだよね」という内容ですが、トレードオフを含め、現実の世界ではそう簡単にいかない「大人の事情」もある。そんなSDGsの「キレイすぎる」部分に、正面から「賛成!」とは言いづらいモヤモヤを感じていました。

── ただの理想論になりかねない、というモヤモヤだったのですね。

だからこそ、SDGsはゴールではなく、スタートラインだと考えています。

17のうち1つを達成したからOKというわけではなく、17の目標が矛盾もはらみつつ、相乗効果を生みながら循環してぐるぐる回っていくのが本来の姿なはず。そして、最終的に17色の全部が混ざると結果的に"うんこ色"になる、というのが本に書いたことです。だから、スタートラインはきれいな17色で、ゴールはうんこ色だと僕は思っています。

SDGsイラスト

── 気候変動などの問題も、地球規模の循環を意識しないとなかなか理解しづらく、解決も難しいですからね。

例えば大学の学生さんを見ていると、SDGsを無条件に信じている人がいるんですよ。純粋に「こうあるべき」というキレイゴトをそのまま信じてしまう。正直なところ、そっちの方が怖いんですよね。

誰も正しい答えなんてわかっていないということを、まずは伝えなくてはならないと思ったのが本の大きな動機です。

絶対的な"正しさ"なんてどこにもない

── 正しい答えなどない、という話は、まさに『カオスなSDGs』のキーワードでもある「カオス論」ですよね。

カオスという概念自体は半世紀ほど前からあるものなのですが、世界は基本的にカオスであり、予測不能であるということがちゃんと知られていないんです。僕はカオス論が理解されていないことがあらゆる問題の根源のような気がしています。

二酸化炭素が温暖化を引き起こす物質であることは明らかになっています。でも「二酸化炭素が増えれば温暖化が進む」というのは、理屈では正しいですが、本当にそうなのかを立証するのは、相当難しい話なんです。

この地球に人間がいなかったとしても、温暖化は進んでいたかもしれない。つまり今の状態が絶対とは誰にも言えないんですよね。「正しいものがある」という前提で話をしていること自体を一度見直してほしい。それが、私がカオス論を用いる最大の理由です。

今の正しさが通用しなくなった時に、そこに適応していかなくてはならないんですよね。人は生き延びるために予測能力を身につけたわけですが、すべてを予測できるわけではないんです。

── 予測できない社会、つまりカオスな世界に適応していくためには何が必要なのでしょうか。

そこで必要になるのが「変人=非常識なアホ」だと思っています。

例えば、太古の地球では大気に酸素がほとんど含まれておらず、二酸化炭素で満たされていました。そんな時に、効率よく光合成を行なうことができるシアノバクテリアが登場します。当時の生物にとって、酸素は強力な「毒」。シアノバクテリアが光合成によってどんどん酸素をまき散らした結果、多くの生物種が絶滅したと考えられています。

イラスト

しかし、そんな時に、多くの生物にとって「毒」だった酸素を「うまい、うまい」と摂取して生きるアホが次々と現れたんですね。当時の生物から見れば「非常識なアホ」だった酸素を食って生きる奴らの子孫が、今の私たち。ここに大きなヒントがあると思うんです。

生態系というのは、裏側に価値観がひっくり返ったヤツ......つまり、毒やうんこを食うヤツがいるんです。常識とは正反対なんだけれど、彼らは彼らでそれを喜んでやるわけですよね。だから生態系の循環が成立するんです。

── つまり、常識と違うことを喜んでやる人、価値観がひっくり返っている人が「変人」。

そうです。でも変人というのは、ただ動物的な本能に従って生きた結果、社会からだんだんずれていってしまった存在だというのも重要なんです。

カオスな世界を生きるコツは"野生の思考"を取り戻すこと

── 狙って「変人」である必要はなくて、ただ本能に従った結果「変人」になっている。

そもそも、人間も動物も元来、好奇心を持っていて、変なことをやるものなんです。今までうまくいっていることを続けるのではなく、あえて違うことをやるというのは生物の本能です。太古の昔から生物はそうやって生き延びてきた。だから、好奇心というのは生存に必要な能力と言えるでしょう。

でも、一方で理性を持ち、予測能力をつけたのが人間です。それはそれで、人間として重要なポイント。予測能力があるから、天気を予測して台風から身を守ったりすることができます。

ただ、すべてを予測できるわけではないから、予測能力が通用しなくなった時に必要になってくるのが「本能」です。本能を忘れてしまうと、いつか正しさが変わった時に、適応できなくなってしまう。理性を失くすと野蛮な生き物になってしまいますが、本能を失くすと生物ですらないんですよ。

── とても納得がいきます。だた、最近の社会を見ていると、特に若者を中心に正しさを求めたり、失敗を恐れる傾向にあると思うのですが。

生物というのは失敗するようにできているんですよね。ただし、そもそも僕はそれを失敗とは呼ばないと考えています。

最近、イノベーションという言葉をよく耳にするようになりましたね。イノベーションを起こした起業家がどんな特性を持っているのかという研究から提唱された「エフェクチュエーション」という理論があるんです。

「手中の鳥の原則:手持ちのものから新しいものを生み出す能力」「クレイジーキルトの原則:あるものを繋ぎ合わせてなんとかする」 「レモネードの原則:欠陥品に手を加えて使えるようにする」などといった5つの原則からなるものなのですが、実は50年ほど前に、レヴィ=ストロースという文化人類学者が同様のことを唱えているんです。

彼はブリコラージュといって、目標や目的から逆算してそこに到達するのではなく、手元にあるものを寄せ集めて、できることをやっていくというアプローチの仕方が、当時は西洋より遅れていると考えられていた未開社会の中にあることを発見しました。そして、それが西洋的アプローチのエンジニアリングと同等の価値があると主張したんです。「エフェクチュエーション」は、この「ブリコラージュ」の再発見だと思うんですよね。

イラスト

目の前にあるものによってできることが変わってくるので、最初の目標に到達しないかもしれないけれど、それはやりながら考えていく。レヴィ=ストロースは、文化人類学的にはそうした発想のほうが本能的で本質的だとし、"野生の思考"と呼びました。僕はカオスな世界を生きていくには、この"野生の思考"を取り戻すことが大切で、目標を置いた時点で不幸が起きてしまうと思うんですよね。

── それがSDGsにもつながってくるわけですね。ただ、目標を置かずに、目の前にあるものでとりあえずやってみるという考え方は、なかなか今の会社組織などでは許されなくなってしまっているような気がするのですが......。

そうですね。まずやってみることが許されなくなって、余計に何もできなくなり、苦しくなるジレンマが生まれていますよね。

でも、本来は野生の思考の方が生産的なんですよ。新しいことを考える時、無理矢理に考えてもいい発想は生まれません。重要なアイディアが生まれるのは、トイレにいるときや、お風呂に入っているとき、布団に入っているなど、なにかゆるんでいるときでしょう。机に向かって真面目に考えたって浮かびません。

クリエイティブな生産性というのはプレッシャーがないほうがいいんです。でも、社会にその余裕が無くなってしまっている。企業や大学といった社会は効率を持ち込んで遊びを抑制しているんです。

── 「京大変人講座」もそういった問題意識から始めたものなのでしょうか。

イラスト
京大に連綿と受け継がれる「自由の学風」「変人のDNA」を世に広く知ってもらうため発足した公開講座「京大変人講座」。その内容は人気を呼び、書籍化Podcast化もされている

はい。かつては"変人"の巣窟だった京大で、教員も学生もどんどん真面目になっていくことへの危機意識から始めました。入学時点では変人も多いのですが、彼ら彼女らは高校生までは多少変でも、成績の良さで周りからリスペクトされている。

でも、京大に入った途端、頭がいいだけでは通用しなくなって、一気に自信を失ってしまう。そんな学生たちに「変人のままでいい、だけれども変人だからといってリスペクトされると思うな」ということを伝える。それが京大変人講座の狙いです。

とはいえ、就職や社会に出ることを考えると学生たちは不安だと思うんです。だから、講座には企業の方にも声を掛けました。イノベーションには変人が必要だから、京大生を採用してくださいねと。

── "変人"の必要性を企業の側にも理解してもらい、社会と接続するような場だったのですね。

誰だって、変人でいるのは最初はこわい

── SDGsに対するモヤモヤや、社会に対する問題意識を持ちながらも、先生の話しぶりは前向きに感じられました。

僕も最初は他の人と違うことをするのが怖かったんですよ。こう見えても、京大生時代は真面目なほうでしたから(笑)。でも、だからこそ講座や本を通して、理屈で"変人"の価値を説明することができているんです。本能だけの人には理屈で説明はできないはずです。他人とずれるのを怖いと感じていた人間からすると、多少の理屈がないとその怖さを乗り越えられないんですよね。

それに、絶対的な正しさなどないことをわかっているから、目の前に「危機」はあったとしても、それに対する「危機感」はありません。

── どういうことでしょう?

「危機」というのは、今まで使えていたものが使えなくなる時ですよね。逆に言えば、今までガラクタだったものが価値を持つ。つまり、そんな時にガラクタをどれだけ持っていて、それをどううまく使えるかの勝負になる。

義務としてガラクタ集めをしていてはしんどいだけですが、それを楽しめば自然と集まってきます。「危機」が訪れた時、そのガラクタの中から使えそうなものを探しだせばいいんです。つまり、自分がおもしろいと思うことや好奇心、つまり野生の思考に素直に従っていればいいんです。

── 絶対的な正しさも、答えもないから、恐れずに自分の感覚に素直になればいい。なんだか、とても勇気づけられます。

まずは自分の心の底の声を聞いて、それに従ってみることです。もちろん、最初はこわいですが、やってみると意外となんとかなる。

例えうまくいかなくても、違う道で他の価値を見つけられますから。よく京大の学生にも「世の中、何とかなるようになっとるんや」と言ってました。そんなに心配する必要はありません。

── そして、何がサステナブルな社会かということに対しても、正しさや答えはないということですね。

サステナブルというのは循環することですが、何が循環していくのかは、やってみないとわからないということです。全体をコントロールできる存在はおそらくないですから。サステナブルな社会というのは、みんながそれぞれ自分の利益を考えて動いた結果、全体がうまく循環していくというところに結果として辿り着いたというだけなんです。

SDGsの取り組みに限らず、ついつい正しさや、答えを求めてしまいがちで、それに対して最短でアプローチすることが求められる現代社会。SDGsに対するモヤモヤの根源は、そんな社会全体への違和感とも共通するものが、少なからずあるでしょう。

そもそも、その正しさや答えは誰が決めたものなのか。一度、正しさという前提を取り払ってみることで、心のどこかに漂うモヤモヤが少し晴れるかもしれません。生態系や社会全体を無理に捉えようとしたり、答えを探すのではなくて、まずは自分の好奇心や心の声に素直になってみる。そんなシンプルな姿勢が、サステナブルに生きる秘訣なのかもしれません。

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