「今だったらセクハラで大問題」均等法第一世代の女性たちが振り返る40年 #令和の人権

2025年で男女雇用機会均等法成立から40年となり、1986年の施行から1990年頃までに新卒入社した均等法第一世代の女性たちが定年を迎えはじめている。均等法は段階的に改正され、直近の2019年にはセクシュアルハラスメント防止対策の強化が盛り込まれた。「働く女性」を取り巻く環境が大きく動いた40年間、彼女たちは会社の中でどのような変化を感じ、社会の変化をどのように受け止めてきたのか。(取材・文:宮島麻衣/編集:小山内彩希、Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
女性の就活は短大が有利。大卒女性は"門前払い"も

「え、女子ですか? ほな結構です」
面接担当者は、渡辺さん(仮名)を見て、開口一番こう言った。
均等法が施行されて間もない1987年、四年制大学に進学する女性は少なく、就職においても短大を卒業して一般職で採用されるルートが主流だった。
「関西の大学に進学したのですが、学部には男子しかいないもんですから、私への就職案内もほとんど男子と間違えて届くんですよ。面接に行くと、女子なのか!と驚かれ、断られる。じゃあ一般職ならどうかというと、ライバルは"男性社員のお嫁さん候補"として魅力的な20歳の女性たちばかり。女性の総合職採用も募集人数が少なく狭き門だったので、応募できる企業には片っ端からエントリーしました。100社は超えたと思います」(渡辺さん)
その努力が実り、関西の住宅メーカーに営業として入社。
「同期は全国に数百人いましたが、女性総合職はたったの4人。社内では『女子営業』と呼ばれて珍しがられていました。『すぐに辞めるだろ』なんて揶揄する先輩もいましたね。女性総合職の採用は私の代で2期目だったので、会社の設備も追いついておらず、社員研修のときは研修所に女子部屋も女子風呂もありませんでした。男子が入る前のわずかな時間をもらって、急いでお風呂を済ませていましたね」(同)
新卒入社した会社は30歳手前で退職。転職を重ねたあと住宅系のベンチャー企業に25年勤め、今年、定年を迎えた。社会人生活を振り返って「働く女性の意識が最も変化したと感じたのは、新卒入社した会社での数年間」と渡辺さん。
当時の気持ちをこのように振り返る。
「私は就活でも、就職後も、"男性とは区別されて当然"と捉えていて、それを理不尽だと思ったこともありませんでした。『"そういうもん"だから、それを突破していかなきゃしゃあないねん!』と思っていたし、同期の女性もみんな同じように捉えていたんじゃないかな。意識が変わっていったのは、ふたつくらい下の世代からだったように思います。営業の仕事においても、男だから女だからではなく、いかに数字を上げられるかが大事だという価値観で入社してくる女性が多かったですね」(同)
月に2、3人の同僚が寿退社。男女ともにセクハラの意識がなかった時代

1985年成立時の均等法は、募集・採用、配置・昇進について、男女均等に取り扱うことは「努力義務」とされており、法律が施行されてもすぐに男女の雇用条件が平等になったわけではなかった。
1989年に運輸会社に一般職採用された松本さん(仮名)は、入社時は男性は総合職、女性は一般職と、性別で完全に職種が分けられていたと言う。
「仕事内容は主に、アシスタント業務、コピー、お茶出し、電話番でしたが、それについては不満などはいっさいなく、こんなことでお給料がもらえるならラクでいいなと思っていたくらい。男性と同じように働くなんて考えたこともありませんでした」(松本さん)
今でこそ、結婚後に働き続ける女性は珍しくないが、1990年代は入社数年で寿退社していくのが定番ルートだった。
「きれいなワンピースを職場に着てきて、指には婚約指輪がキラキラ。花束を渡され、『おめでとう!』と祝福されて送り出される......そういった光景が茶飯事で、寿退社はステータスでした。毎月2、3人は辞めていくので、会社もそれを前提に採用をしていたと思います」(同)
家庭に入ることが女性にとっての理想とされた時代、飲み会においても"気が利く女性"として男性社員から気に入られることが大切だったという。
「お酌や食事の取り分けはもちろん、男性がタバコをくわえるとサッとライターを取り出して火をつける女性の先輩がいたり、宴会場のカラオケでは、上司から腰に手をまわされて密着しながらデュエットをしたり。役員が女性社員の膝に手を添えているなんてことも......。今だったらセクハラで大問題になりますね」(同)
女性労働者を対象に、事業主に対するセクシュアルハラスメント防止の配慮義務が盛り込まれたのは、1997年の均等法改正時のこと。松本さんも「2000年代に入った頃からさまざまな意識が変わってきたように思う」と話す。
「うちの会社も2000年代初頭に職種区分が廃止されて、私も総合職になりました。育休を取ったり、子育てしながら時短勤務したりする女性が出はじめたのもこの頃です。現在は女性の海外勤務も珍しくないですし、女性の管理職・役員も15%ほどいます」(同)
入社十数年後に突然のマネジメント育成研修・海外駐在。"女性活躍"を肌身で感じた

均等法第一世代で、管理職まで務めた女性にも話を聞いた。
山口さん(仮名)は高校時代に留学を経験。大学も帰国子女が多く、男女の差を感じずに育ったという。
1990年、女性総合職として金融会社に入社。同期のうち女性総合職はわずか10人だった。
「業務は男性中心にあうんの呼吸で進み、知らないうちに喫煙所で話がまとまっている。そんな仕事の進め方に圧倒されていました」(山口さん)
潮目が変わったのは、入社から十数年が経った頃。1997年の均等法改正で、女性の採用比率が低い職種や職位に女性を積極的に登用するなど「男女格差の解消への積極的な措置(ポジティブ・アクション)」に取り組む事業主を国が支援することが盛り込まれ、社会的に女性活躍の機運が高まった。
その影響を受け、山口さんにも、マネジメント育成研修の声がかかったのだ。
「研修後、女性としては数少ない海外駐在の機会もいただき、社会がいい方向に流れていると感じましたね。その半面、下駄を履かせてもらっているような感覚もありました。キャリアの前半はずっと語学を生かした専門的な部署でしたが、駐在後は管理職を任されるようになり、経営の基礎的スキルが足りていないと実感することも。昇進して管理職として厳しい経験もしましたが、数多くの新しい機会にチャレンジし、やりがいもあり、会社に貢献できたと思います」(同)
社会人人生を振り返ると同時に、時代の変化に思いを馳せる。
「5年ほど前、近所でベビーカーを押している男性を見たときに、『価値観が変わったなぁ』と思いましたね。私は結婚していませんが、それは親世代から受け継いだ、"家のことはすべて女性がやるべき"という価値観を長らく持っていたからだと思います。"仕事か結婚か"の二者択一を迫られたのは、時代の中のわずかな世代特有のものなんでしょうね」(同)
2006年の改正を契機に、男女平等意識が高まった

男女雇用機会均等法成立から40年。働く女性たちの環境や意識は、どのように変化したと言えるのだろうか。
昭和女子大学現代ビジネス研究所の研究員であり、定年前後の女性たちにセカンドキャリア研修を行う株式会社Next Storyの代表取締役・西村美奈子さんに見解を聞いた。

「1980年代後半〜90年代は、会社によって平等意識にかなりグラデーションがありました。私より下の世代にインタビューをしても、女性は名刺を持たせてもらえなかったとか、男性と同じ立場でも海外出張に行かせてもらえなかったとかは、珍しくなかった。現代もそうだと思いますが、制度ができて会社の上層部の意識は変わっても、それが現場に浸透するまでには時間がかかるということですよね」
西村さん自身は、均等法制定前の1983年に富士通株式会社にエンジニアとして入社。「女性保護の観点から、女性の残業時間は一日2時間、週6時間までと制限されており、上司から『早く帰れ!』と追い出されていた」と、当時を振り返る。
1991年には育児・介護休業法も制定されたが、80年代後半に出産を経験した西村さんは、ライフイベントのキャリアへの影響も大きかったと話す。
「私は1987年に長男を出産していますが、『世の中に子どもがいても働く女性がいるって聞いてたけど、本当にいるんだね』と驚かれたものです。1990年の次男出産時には、社内制度として育休があったものの、取得すると長男が保育園を退園しなければならなかったため、仕方なく自己都合の欠勤という形で2週間の休みを取りました。のちに『その欠勤が昇進に大きく響いた』と聞かされたときは、やるせない気持ちになりました」(同)
働く女性を取り巻く環境が明らかに変わったのは、2000年代に入ってからだと続ける。
「2006年の均等法改正では、男性労働者も含めたセクハラ防止措置の義務化が盛り込まれました。"セクハラ"という言葉が広まり、男女差別に対する世の中の捉え方も大きく変わりました。女性側も『女だからこういうふうに扱われても仕方ない』という意識がなくなってきたのが、この頃だと思います」(同)
"管理職女性3割"の数値目標が必要な理由「多様な声が反映される職場」に

ポジティブ・アクションが均等法に規定されて以降、男女格差を解消する動きも求められてきたが、依然として、管理職や役員などの要職につく女性比率は低い。
女性の積極登用を含むポジティブ・アクションに対しては、「男性への逆差別」「女性に下駄を履かせている」などと指摘する声もあるが、西村さんは現状を踏まえて政府目標でもある「女性3割登用は必要」と訴える。
「本来であれば、管理職は男女対等に能力を基準に選ばれることが望ましいと思いますが、女性の数が少ないままだと女性たちが声を上げることが難しく、また勇気を出して声を上げても、その声が打ち消されてしまう可能性も高いです。男女問わず多様な声が反映される職場環境をつくっていくためにも、まずは女性管理職の割合を上げることが必要ではないでしょうか」
こういった課題はありつつ、「確実に世の中は女性が働き続けられる方向に進んでいる」とエールをおくる。
「だれもが働き続けられる職場づくりのためには、女性自身の意識も大切です。女性のキャリア研究をしていて感じるのは、『どんな経験も最終的に何かにつながる』ということ。子育て中の女性は、タイムマネジメントやマルチタスク、リスク管理に長けているという話もあります。人生は思いもかけなかった経験が、のちのち役に立ったりするもの。だから、メンタルがキツくなったりして一度立ち止まったとしても、キャリア自体を諦めたりする必要はないんです。女性たちにはそういう意識を持って、興味のあることは小さくても行動に移してみてほしいなと思います」(同)