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土砂災害がたびたび起こる広島 建設された砂防ダム106基と、とどまる住民の思い

Yahoo!ニュース オリジナル 特集

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土砂災害防止の砂防ダムを案内する地域の防災士

局所的な豪雨によって、たびたび土砂災害に見舞われている広島市。多くの犠牲者が出た地域では、次の土砂災害を防ごうと106基もの砂防ダムが建設されている。一方で、市は補助金を出すなどして移転も促進しているが、多くの住民はとどまって暮らすことを選んでいる。リスクのある土地になぜ暮らし続けるのか。現地を取材した。(文・写真:ノンフィクションライター・中原一歩/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

「なぜ移転しないのか」という問い

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土石流の直撃を受け、跡形もなく消えた住宅(安佐南区八木地区)

広島市安佐南区の八木・緑井地区は、標高586メートルの阿武山の裾野に広がる住宅地だ。山の斜面に張り付くように多くの戸建て住宅、アパートが並ぶ。同地区に暮らす男性(71)は、まさか自分が土砂災害の被害者になるとは夢にも思っていなかったと語る。

「私が30代でマイホームを建てた場所は、山の急斜面でした。広島市の中心部には車の通勤圏で、立地は文句ありませんでした。昔から雨が降るたびに水路を泥水が勢いよく下ってゆく光景を見てきましたが、裏の山が崩れて多数の犠牲者を出すとは誰も想像していなかったと思います」

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土石流によってむき出しになった赤土の斜面。安佐南区八木地区の空撮(写真:国土地理院)

2014年8月19日夜から20日未明にかけて降った大雨によって、広島市では市内107カ所で土石流が発生し、関連死3人を含む77人が犠牲となった。とくに八木・緑井地区は、1時間に87ミリという記録的豪雨に見舞われ、死者66人と被害が集中した。

あの日、土石流は阿武山の山裾を流れる複数の渓流沿いで発生した。男性の家は決壊した渓流から、直線距離で500メートルほど下流にあった。土石流は家の玄関を突き破り、土砂や巨礫(きょれき)、流木がリビングまで流れ込んだ。高さ1メートルほどの浸水の痕跡が今も確認できる。

男性の家から十数メートル離れた住宅は、土石流に流され跡形もなくなった。高齢の夫婦が亡くなり、今は住宅の基礎部分だけを残して荒れ地になっている。

豪雨被害は安佐南区だけで全壊145件、半壊122件、一部損壊106件。床上と床下の浸水は3074件にのぼった。

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土石流で大きな被害が出た安佐南区(2014年8月23日 写真:ロイター/アフロ)

同区の八木・緑井地区には、行政関係者、ボランティア、研究者らが視察にやってくる。男性は災害後、自宅を再建してそのまま暮らしているが、決まって同じ質問をされるという。

「なぜ今も危険な場所に暮らしているのですか」
「雨が降ったら怖くないですか」
「なぜ安全な土地に移転しないのですか」

そのたびに自分が責められているように感じてきた。自宅は広島県が定める「土砂災害特別警戒区域」の内側にある。しかし、安全な土地に引っ越す選択肢はなかった。

「全壊したならともかく、再建できる状態でした。だったら、住み慣れたこの場所を離れたくない。サラリーマンとして四十数年、住宅ローンを返済してきました。そんな"自分の城"をおいそれと手放すわけにはいかないです」

人口増加で進んだ開発

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(図版:ラチカ)

広島県は日本有数の土砂災害の多発地域だ。死者・行方不明者2012人を出した1945年9月の枕崎台風以後、たびたび被害が出ている。近年はとくに「局地的短時間」という豪雨が被害を拡大させてきた。前述の2014年「平成26年8月豪雨」、2018年「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)」(災害関連死42人を含む死者151人、家屋全壊1155棟)、2021年「令和3年8月豪雨」(死者3人、家屋全壊9戸)。

広島でたびたび局地的豪雨が発生するのは地理的な面が大きい。瀬戸内海からの暖かく湿った空気が中国山地の南斜面にぶつかる。すると、その空気が上昇気流を発生させ、積乱雲が途切れることなく発達し、停滞する「線状降水帯」を生む。

広島県土木建築局砂防課の森下淳課長は、「県の約7割が山林で、その48%が花崗岩類の雨に弱い土壌」とした上でこう続ける。

「高度経済成長期以降、人口増加に伴い、山の裾野を切り崩すようにして宅地開発が進みました。その結果、土砂災害の危険にさらされる箇所が拡大したのです。人間が災害に接近していったといえるかもしれません」

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広島県内の大学生らが防災教育の一環で砂防ダムの見学に来ていた

こうした大規模災害が発生すると一時的に人口は流出する。とくに災害がひどかった安佐南区の八木3丁目では、災害発生の前月(2014年7月)に2443人だった人口は、2016年1月には1964人と約2割も減少した。その後、被災した地域周辺では、自宅が土砂災害警戒区域に指定されると、災害の再発を恐れて転出する人もいた。自主的に転出していった人の多くが、子育て・現役世代だったという。

一方で、当地に残って暮らし続ける人も多い。行政はそうした住民を守る施策も必要になる。

2014年の災害後、広島県は同地区にとどまった住民を守るため、土石流発生の可能性がある県内のすべての渓流を点検。国土交通省と共に「砂防事業」を推し進めた。その目玉が土砂をせき止める「砂防堰堤(砂防ダム)」と、斜面をコンクリートで固める「急傾斜地崩壊対策」だった。

106基の砂防ダム

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ダムの堰堤から住宅地を眺める。最大傾斜20度強の斜面を土石流が駆け下った

「この山だけで大変な量の土砂が流れて出たのです。東京ドーム10個分らしいですよ」

城壁のような巨大な堰堤を指しながら、地元住民の一人がつぶやいた。

阿武山へと連なる斜面にいくつもの巨大なコンクリートの人工物が造られている。砂防ダムだ。最も大きいものは高さ14.5メートル、幅94メートル。上流からの土砂を受け止め、たまった土砂を安全に下流に流す。崖崩れの発生が予測される山の斜面には、急傾斜地崩壊対策事業としてコンクリートでのり面の補強がされた。

国土交通省中国地方整備局などによると、2014年以降、広島市内に設置された砂防ダムは106基(広島県施工24基、国交省中国地方整備局施工82基)。また、急傾斜地崩壊防止施設が完成したのは65カ所(広島県施工23カ所、広島市施工42カ所)にのぼる。

砂防ダム建設には巨額の費用がかかる。中国地方整備局によると、砂防ダム40基の建設に約230億円がつぎ込まれた。実はこれらの事業の実施には、安佐南区を地盤としていたある国会議員の影響が大きいという。2019年の参院選で公職選挙法違反に問われ、有罪が確定した河井克行・案里夫妻だ。国交省の関係者は言う。

「2014年の災害後、これらの事業をいち早く国に進言し、県と市、そして地元の意向を整理し、国交省の直轄事業決定のお膳立てをしたのが河井氏だったことは地元では有名な話です」

この砂防ダムが、住民の一定の安心材料になったのは間違いない。一方、広島市は崖など傾斜地に近接する住宅に対して、土砂災害防止法に基づく移転の補助金を出すようにしてきた。土砂災害特別警戒区域内などに暮らしている人が、安全な区域に移転する際、住宅の除去費で最大97万5000円、移転先の建設費/購入のための借入金の利子に相当する額が補助される。

広島市は2014年以降の点検で災害リスクがあると認定された3万2000カ所の住民に対し、この制度を活用しての移転を促してきた。だが、2022年春の段階で制度の利用はわずか7件。広島市都市整備局は「制度そのものが周知徹底されていない結果」と釈明するが、大半の住民が動かなかったのは確かだ。なぜ危険性のある地域にとどまるのか。

ここで生活する以外ない

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25人が犠牲となった県営アパートの近くに慰霊碑が建立されている。献花が絶えない

安佐南区は1960年代後半から1980年代にかけて山間部の大規模な宅地開発が進んだ。とくに八木・緑井地区は鉄道も走っていることから、サラリーマン世代がマイホームを求めて流入した。その世代の多くはいま高齢者になっている。

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被災後、防災士の免許を取得した松井憲さん。2023年オープン予定の広島市豪雨災害伝承館の準備に取り組んでいる

同地区に住む70代男性は土砂災害の被災経験はないが、この地にとどまり続ける理由をこう語る。

「津波は一帯をすべて面でさらっていきますね。それと違って土石流は渓流地形からちょっと離れると無傷の家もある。もちろん不安もありますが、ダムもできましたし、生活に支障のない家が残っている以上、ここで生活する以外ないでしょう」

移転できない理由として、経済事情をあげる高齢者も多い。安全な地域で大金をかけて自宅を建てたとしても、あと何年生きられるか分からない。それゆえ、二の足を踏む。

地元にとどまるぶん、地域との関わりを深めようとする人もいる。八木地区で被災し、今もこの地に住む松井憲さん(70)もその一人だ。2014年の災害前は会社員で、平日は働きに出ていたこともあり、地域との関わりはなかった。災害で自宅は床下浸水の被害を受けたが、そこで意識が大きく変わったという。

「ボランティアとして災害復旧に関わりながら、やがて自分がこの地域の一員であることを自覚するようになったのです。ただ、当時は60代前半で、この土地に長く暮らす年配のかたからすれば若者同然。とけ込むにはやや難しい面もありました」

2016年、松井さんは被災した仲間と共に、八木地区に被災体験を語り継ぐ拠点「復興交流館モンドラゴン」を立ち上げた。モンとは「山」、ドラゴンは「竜」。モンドラゴンは「竜のすむ山」という意味だ。松井さんは、古くからの住民と新しい世代の住民が絆を深められるようにここで活動をしている。

「災害と隣り合わせに暮らす住民として、この地域で暮らすことの意味を次世代につなげたいと思っています。災害後に分かったことなのですが、この地域には土石流の被害を想起させる竜や蛇にまつわる伝説が残っていました。その事実も土地の古い先輩に教えてもらったのです」

弱音を吐ける高齢者の交流拠点

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防災を学ぶ場として県内外から多くの人が訪れる「復興交流館モンドラゴン」

モンドラゴンは白い小さなプレハブで、坂道の途中に立っている。中に入ると、2014年の被災時の航空写真が貼られ、広島名物のお好み焼きを焼く鉄板もしつらえられている。昼になるとワンコインのお好み焼きを求めて客がやってくる。そして、鉄板の前で女性たちがコテを握る。いずれも被災した地元の人たちだ。家族や友人を失った人もいる。

地域の高齢者にとって、ここは貴重な「弱音を吐ける場所」だ。この8年で3度、災害レベルの豪雨に見舞われたが、移転せずにそのまま暮らすことを選んできた。暮らし慣れた土地であり、砂防ダムができた安心感もあり、また長年見知った顔もある。

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モンドラゴンは、焼き台を囲んで被災者同士が語り合う場所となっている

災害から8年。地域住民の生活を見下ろすように存在する砂防ダムは防災の要だ。まだ全ての渓流に設置されたわけではないが、すでに災害時に威力を発揮している。

2021年8月の「令和3年8月豪雨」では、広島県内で116件、安佐南区でも16件の土砂災害が発生し、人家2戸の損壊被害が出たが、八木地区の被害はなかった。2014年以降、新しく作られた砂防ダムのひとつは土砂で満杯となったものの、土石流の発生は寸前で食い止められた。

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花壇にも避難の呼びかけが

しかし、その「防災ダム」の存在に安心し、避難しなかった人もいたという。当時、災害対策本部が再三再四、避難を呼びかけたが、応じなかった住民がいた。ダムの堰堤の川下、直線距離で500メートルほど離れた場所に暮らす70代の女性もその一人だ。

「ダムがあるから大丈夫だと夫が言うのです。確かに外を見ると、テレビが『危険だ』と言うほどは雨が降っていなかった。2014年の記憶があるので、あの時と比べると大丈夫かなと勝手に思って家に残りました」

また、避難所に行ったものの、いつ帰れるか分からないなら自宅で過ごすほうがいいと訴える高齢者もいたという。体力のない高齢者にとって、豪雨の中で避難したり、避難所で過ごしたりすることも難事なのだ。

こうした現状について松井さんは、今後の避難方法を再考すべきだと訴える。

「警報が出たら避難所へというのは間違っていないのですが、局地的豪雨は数時間でやむ場合もあります。だから、いきなり避難所ではなく、まずは山側から離れた幹線道路沿いのホームセンターや映画館で時間をつぶして、様子をみるのはどうかと(住民に)提案しています。それに住民全員が避難場所となっている小学校の体育館に来られても、体を横にする場所の確保すらできないのが現実ですから」

被災後の土地に新築物件が

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市街地から山側を見上げる。八木・緑井地区だけで30基もの砂防ダムが建設されている。

最近、住宅にも大きな変化が見られるようになった。地域の不動産業者は「被害を受けた山側に新築物件が出るようになった」とうれしそうに語る。

「この土地で7代、8代と暮らしてきた名家の豪邸が売りに出されることが多くなりました。高齢の両親が亡くなったタイミングで、近くに住んでいた子どもらが家を売り払います。そして、子どもらも引っ越して他で暮らしている。結果、大きな敷地は分割されて、新たな宅地となっています」

新たな土地に建つのは、働き世代向けのコンパクトな新築一戸建てだ。間取りは平均で4LDK、価格は3500万円前後だという。価格は災害に見舞われていない市内の他地域と変わらないが、販売は順調なのだそうだ。

2020年以降、不動産売買や賃貸契約の際は、土砂崩れや洪水など災害リスクを説明する重要事項説明が業者に必須となった。その住宅が土砂災害警戒区域にある場合、業者は危険性を説明するが、あまり気にしていない人が多いと言う。

「そもそも不動産購入を検討している地区外の人は、災害に対して神経質ではありません。むしろ、市中心部まで20分という利便性を優先します。広島は宅地そのものが非常に少ないので、警戒区域外で一戸建てを探すのは至難の業ですから」

今年も秋口にかけて豪雨災害の季節が到来する。住民は巨大な城壁のような砂防ダムを見上げながら、気象情報とにらめっこする日々が続く。

元記事は こちら

中原一歩(なかはら・いっぽ)

ノンフィクションライター。1977年佐賀県生まれ。社会や政治について雑誌、Webで執筆。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』『マグロの最高峰』『㐂寿司のすべて』『本当に君は総理大臣になれないのか』など。現在、過去のいじめ行為発言について語ったミュージシャンの小山田圭吾氏に関する著作を執筆中。

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