一度知るともう戻れない? ぬま田海苔に聞く「初摘み海苔」の世界
音質のいいヘッドフォン、快適な下着、新鮮な果物......。この世には「知ってしまったが最後、知る前の自分には戻れなくなる逸品」というものが存在します。
今回ご紹介する「ぬま田海苔」の海苔も、そういう品です。
筆者は、今回の取材を境に、どんな海苔を食べても「『ぬま田海苔』さんの味と比べてどうか」という思考が頭をよぎる人生を送ることになってしまいました。ああ、まだ食べていないみなさんにも、早くこの体験を知ってほしい......!
数多くの海苔が出回っているなかで、「ぬま田海苔」の海苔は他とはどう違うのか。お話を聞いてきました。
今回ご紹介する現場
ぬま田海苔
浅草・かっぱ橋に店舗を構える海苔専門店。有明海産の初摘み海苔にこだわり、漁場によって異なる個性をもった海苔の味を丁寧に紹介。海苔のおいしさを、より楽しめる食べ方や組み合わせなどの提案・発信も行っています。
見た目は服屋、中は有明海産の初摘み海苔を取り扱う専門店
東京・浅草、かっぱ橋。調理器具から食器類、食材サンプルまで、料理に関するあらゆる道具が揃う問屋街、その一角に、「ぬま田海苔」のお店があります。
開放感のある店内は海苔屋さんの雰囲気ではありません。雑貨や洋服を取り扱うショップのような佇まいですが、それもそのはず。4代目当主である沼田晶一朗さんは、アパレル業界から転身してこのショップを立ち上げた人物です。
「海苔って、みなさんが思っている以上に個性豊かでおいしいんですよ!」と話す、沼田さん。
「うちで取り扱うのは九州・有明海で採れる、いわゆる有明海苔です。ぬま田海苔では、その有明海苔のなかでも『初摘み』のみを専門にしています」
有明海苔といえば、日本一の生産高をほこる上質な海苔としてご存じの方もいるでしょう。一方で、「初摘み」とは聞いたことがない人も多いかもしれません。
「海苔は海藻の仲間で、正式名称は『スサビノリ』といいます。海に網を張って、畑のようにしてこの『スサビノリ』を養殖するんです。
海苔の収穫期は冬。ワンシーズンで10回以上収穫できるんですが、僕たちはそのシーズンの最初に取れる海苔だけを商品にしています。人によっては、味のしっかりした4摘みめくらいが好きという場合もあるんですが......。初摘みは柔らかくて食べやすく、なにより漁場ごとの個性がはっきりわかるんですよ」
初摘み海苔は、お茶でいうところの「一番茶」にあたります。お茶の世界では二番茶・三番茶よりも、その年のはじめに詰む新芽である一番茶のほうが、お茶の甘い味わいや香りが強いとされています。それが、海苔にも同じような考え方があったのです。
では、沼田さんのいう「漁場の個性」とは一体......?
取れる場所が数100m違うと味が違う!「漁場」と「等級」ごとに海苔を詳しく分類
この表を見てください、と取り出されたのは、有明海の佐賀県と福岡県にまたがるエリア図。海にせり出すように、格子状に漁場が区切られていて、住所のように名前が割り振られています。
「海苔の生産地となるのは有明海でも北部、佐賀県と福岡県にまたがる奥まった湾のエリアがもっとも大きな産地。この地図のように、格子状に区切られ名前のついた一つひとつが漁場です」
有明海北部には複数の川が流入していて、海苔の産地となるエリアはいわゆる汽水域。川から流れる淡水と、海の海水が混ざり合った海域で海苔は育ちやすいそう。そして、大きく離れていないはずの漁場ごとでも、海苔の味は変わってくると沼田さんは言います。
「福岡と佐賀の県境には筑後川が走っていますよね。長崎県に近い佐賀の湾のほうには、火山である多良岳の伏流水が有明海へと流れ込んでいる。川によって水の中のミネラル分が違うので、育てる場所ごとに味が違ってくるのは当たり前なんです。それこそ、漁場が100m離れただけで味が大きく変わるなんてこともザラにあるんですよ」
「そしてうちでは、漁場ごとだけではなく等級も分けて販売しています。等級というのは、色が黒くて艶があるとか、海苔に穴が開いていないとか。簡単にいえば海苔の見た目なので、特級だから他の海苔に比べて優れているというわけではありません。等級によって口どけやおいしさが変わってくるので、食事によっては特級が合う場合もあれば、一等のほうがベストな場合もあります」
巻き寿司に合う海苔、おにぎりに合う海苔......バターに合う海苔も!
「話してばかりだとピンとこないと思うので、実際に海苔を食べ比べてもらいましょう」と沼田さん。手前の海苔が「芦刈壱重1(あしかり いちじゅういち)」、奥の海苔が「鹿島第一壱◯2(かしまだいいち いちまるに)」。頭につく「芦刈」「鹿島第一」が漁場名で、つづく漢数字以下が海苔の等級です。
「『芦刈壱重1』の『重』とは、肉厚で分厚い海苔の等級のこと。歯でパキっと噛むと、しっかりした厚さを感じられます。ここの漁場の海苔は甘みのある旨みが特徴なんですよ。
『鹿島第一壱◯2』も佐賀産。嬉野の茶畑も通る塩田川のミネラルをたっぷり受けて育った海苔です。口に入れると香ばしさがすごく鼻に抜けるんですよ。口の中でほろっとほどけるように柔らかくて、舌に甘みが残ります」
食べ比べてみると、たしかに味わいが違う!「海苔ってこんなに違うものなの!?
」と、驚いてしまうほどに。光に透かすと、見た目にも違います。これが沼田さんのいう「海苔の個性」か......と納得しました。
お店には呪文にも思える名前の海苔がずらりと並んでいるのですが、それぞれに味が違うとなれば、選ぶ楽しさもひとしおです。
「普通の海苔屋さんは、お店独自の銘柄で海苔を販売している場合がほとんどです。漁場で分けずに等級や摘みの回数で大量に買い付けをしているので、年間を通じて実は味が変わっているところも多いんです」と沼田さん。
「もちろん、それでおいしい海苔もたくさんあるので悪いという意味ではないですよ。でも僕たちは、歯ごたえが豊かな『芦刈壱重1』は巻き寿司に合うとか、茶碗の白米に巻いて食べるなら『鹿島第一壱◯2』が合うとか、それぞれの個性をお客さんにもっと知ってほしいと思っています」
漁場ごと、等級ごとに分けて販売する海苔は、年ごとでも味が変わるそう。農場や生産者、年ごとのクオリティが重要視され、またどんな料理に合わせるかでチョイスが異なってくるワインのように海苔を選んでほしいと沼田さん。
海苔といえばお米に合わせるイメージですが、ぬま田海苔では個性を活かしてチーズやバターに合わせる食べ方も提案しています。
「先ほどの『芦刈壱重1』はモッツアレラチーズに合うんですよ! 厚めの海苔がモチッとしたチーズのアクセントになります。『鹿島第一壱◯2』はゴーダチーズなど味わいがしっかりしたチーズにオススメです」
「この『鹿島第三初◯2(かしまだいさん はつまるに)』は、有塩の発酵バターと相性抜群なんです。エシレバターのような、いいバターを合わせてほしいですね......!」
エシレバターに海苔! 贅沢な組み合わせに、話を聞いているだけで試してみたくてウズウズしてきます......。
かつて川崎の名品だった「大師海苔」を受け継ぐ味を
「ぬま田海苔」の前身となるお店は、かつては神奈川県の川崎市にありました。いまでは工業地帯として知られる川崎の海ですが、当時は海苔の一大産地だったそうです。
「昭和12年に、ぬま田海苔の前身にあたる海苔と鰹節のお店『沼田治雄商店』を、創業者である僕の祖父がはじめました。川崎に広がる多摩川の河口から鶴見川の河口一帯の汽水域は、良質な海苔がたくさん採れる場所だったんです。川崎大師から名前を取った『大師海苔』として、一大ブランドになっていた時代もありました」
しかし工業化によって川崎の海は水質の悪化や埋め立てが進み、1972年についに漁業権を放棄。大師海苔は終焉を迎えます。
「川崎の漁場が閉じた後は、3代目である僕の母が昔からの常連さんにだけ個人で海苔を販売していました。しかし、そんな母も歳を重ねて、そろそろ事業をどうしようか......という話になりました。
子どもの頃、当たり前に食べていた海苔が、実はすごくおいしいものだと知ったのは大人になってからです。『大好きな海苔を食べられなくなるのは嫌だ! 僕自身もっとおいしい海苔を食べたいし、みんなに海苔のおいしさを知ってほしい!』そんな思いから、17年間務めたアパレル業界を辞め、後継として新しくお店をはじめることにしたんです」
そうして「沼田治雄商店」から「ぬま田海苔」へ名前を変え、大師海苔から有明の海苔へ。沼田さんいわく、大師海苔と有明海苔は味わいが似ているそうです。
「複数の川が流れ込む遠浅の汽水域で、湾自体が入り組み奥まっている点で、川崎の海と有明の海は共通項が多い。お店を移転するにあたり、全国のいろんな海苔を食べ比べましたが、有明の海苔が一番でした。いまでも、沼田治雄商店からの常連さんが海苔を買いに来てくれるんですよ。『これが本当の海苔の味だね』って」
4代目として一念発起した沼田さんが、新店舗の場所として選んだのは、川崎ではなく東京のかっぱ橋でした。
「かっぱ橋は料理好きやプロの料理人が全国から集まるエリアです。当然、食に対しての好奇心が強い人が多い。『海苔っておいしいんだよ』ということを知ってもらうにはピッタリだと思いました」
新型コロナウイルス感染拡大の前はインバウンドのお客さんも多く、多くの方が「海苔ってこんなにおいしい食べ物だったの!?」と、驚いてくれたと言います。
沼田さんが愛する海苔。しかし、海苔自体は漁獲量が年々減少傾向にあります。一大産地である有明海も、例外ではありません。
「そもそも海苔は生育が難しいんです。養殖にはまず、海苔の胞子を牡蠣殻の内側に付着させて海苔の赤ちゃんを育てます。牡蠣殻でうまく培養しないといけないうえ、川を経由して運ばれてくる山の栄養と海の栄養が海に広がらないとおいしく育たない、冬場の海水温がきちんと冷たいところでないといけない。養殖といっても容易ではないんです」
海苔の収穫は海水温がグッと下がった冬場に行われます。地球温暖化などが影響して、海苔の収穫期が後ろ倒しになり、なおかつ収穫できる期間も短くなっているといいます。
「海水温が温かいと、海苔が発育不良を起こすんです。温かい海では食害や病害も多い。おにぎりやお寿司など、海苔は日本人の食卓のすごく身近にある存在です。だけどいま、おいしい海苔を採るのは大変になってきている。『いつまでもあると思うな』ではないですけど、ぬま田海苔での購買を通じて、海苔を取り巻く環境なんかにも目を向けてもらえると嬉しいなと思います」
初摘み海苔のおいしさを生かした「うまみフレーク」は全部で2種類。「九州うまみブレンド」は九州産の本枯れ節や干しえのき、粗塩を初摘み海苔とブレンドしたもの。フードデザイナーの蓮池陽子さんと考案した商品で「ふりかけにするのはもちろん、トーストやパスタにも合わせられる万能商品です!」と、沼田さん。
おいしい海苔がお客さんと生産者にポジティブな体験をつくる
有明海苔で、しかも初摘みにこだわる。安いか安くないかでいうと、「ぬま田海苔」で販売している海苔は決して安いわけではありません。しかし、そこにこだわりたいと沼田さんは話します。
「新茶や新米が高い値段でやりとりされるように、初摘みの海苔もいい値段で買いつけたい。初摘みの一番海苔は、その年度の出来の基準になるものです。『今年はいい味に育ったなあ』って商品が高く買われると、やっぱり農家さんはうれしいじゃないですか。しかも、自分たちの漁場の海苔だけで売られるということは、生産者のモチベーションアップにもつながります」
また、海苔屋が大量に買って、自社の名前でパッキングして売るというスタイルが普通である流通のなかで、海苔漁師さんたちが「自分たちの海苔がどう評価されたか」を知ることはなかなかないのだそう。
「もちろん、いろんな漁場の海苔をまとめて、お買い得に大量に売る海苔屋も市場のなかには必要です。そこは適材適所だと思いますし、買い方にバリエーションが出ることで市場は発展するのではないでしょうか」
消費者には「こんなにおいしい海苔があるんだ」「個性に合わせて海苔を選ぶって楽しい」という発見と体験を。生産者には「自信作がいい値段で買ってもらえた」「自分たちの育てた海苔がこんな風に人の食卓に渡っていくんだ」という発見と体験を。
「良質な海苔が今後もつくられ、そして食べられる世の中が続くよう、僕たちなりのスタイルで発信を続けたいと思います。海苔って本当においしんですよ!」
取材の最後に、炙りたての海苔を持たせてくれるという最高の体験を取材陣に与えてくれた沼田さんが、笑顔でそう締めくくってくれました。
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取材・文平山靖子
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