「竹の、箸だけ」を貫く会社の挑戦。食卓を支え、地域を支え、環境を支える
食卓になくてはならない存在の「箸」。日々使うものだからこそ、丈夫で使いやすく、軽いものがいい。そんな願いを叶えているのが、熊本県の県北・南関町にある「ヤマチク」のお箸です。ヤマチクの創業は1963年。創業当時は建築材料として竹を扱ってきましたが、外国産の建築材の需要が増えると共に、箸の生産にシフトチェンジ。そこから国産の竹のみを使い、箸を製造しています。
市場に多く出回るプラスチック製や、輸入木材でつくる箸とは違い、竹の箸は特有の「しなり」によって子どもやお年寄りでも物を掴みやすいという特長があります。
しかし、国内での竹箸の生産は減少の一途を辿っています。そんな中でも、ヤマチクは国産の竹だけにこだわり、半世紀以上、竹の箸だけをつくり続けてきました。なぜそこまで竹の箸にこだわるのでしょうか。3代目で専務の山崎彰悟さんにお話を聞きました。
今回ご紹介する現場
ヤマチク
熊本県の県北・南関町にある、国産の竹のみを使った箸を製造する会社。
資源の少ない日本の中で、生育が早く循環性の高い竹は、資源の有効利用やリサイクルという観点からも重要な素材であることに着目。1963年の創業以来、一貫して「竹」の素材を生かす製品づくりに取り組んでいます。
ヤマチクの箸
竹と関わることで救われる人がいること
「箸は別に竹でなければいけないこともないんです。ただ、竹の代替素材や輸入品が出回り、もっと安く大量に、という風潮が強くなっていった結果、製品そのものをつくる場所がなくなってしまったんです。日本のメーカーも最初は頑張っていたんですけどね。
竹の製品をつくる人がいなくなれば、当然材料も必要とされなくなる。材料が必要なければ、竹を切る人たちも減る。そもそも竹を伐採できる職人の数自体、高齢化と共に少なくなっています。そうして適切な間伐が行われなくなった山は荒れ、やがて放置竹林となってしまう。それってものすごく悲しい事だと思うんですよ」
竹が暮らしに身近な道具だった時代が終わり、大量生産ができるもの、少しでも効率的な材料やつくり方にシフトチェンジしてしまった裏側には、多くの課題が残されたままでした。
「日本の国土の6割以上は山なんです。だったらそれを活かさない手はないし、事実、竹はすごく余っている自然素材です。僕らはお箸に特化しているので製造が一本化できるし、廃材を極力出さず、効率的に竹を生かすことができます。なにより、お箸って暮らしに取り入れやすいじゃないですか。日本で使わない人はいないでしょうし、文化的なルーツもある」
2019年3月に自社ブランド「okaeri(おかえり)」を発表したのをきっかけに、原材料費を4割ほど上げているというヤマチク。利益をすこしずつ、職人たちに還元しているのだといいます。
「微力ですが、これによって職人の士気も上がるんです」と山崎さん。山と竹、そこに携わる人、そしてそれを暮らしに取り入れるお客さん。この4つの橋渡しをするのが自分たちの仕事なのだと、語ります。
「竹の箸しかつくれませんが、竹の箸が広まることで、竹に関わる人たちの仕事が増えるし、竹を切る人が増えれば山が綺麗になる。暮らしの中で消費される物に竹を取り入れられたほうが、いい循環を生むと思っています。サステナブルな商材というのは、無理と無駄がないのが前提だと思うんです。その仕事が稼げるかどうか、魅力的か、面白いかどうかが大事。そこが満たされていると、いい物は自然と人に伝わるし、そのおかげで地元から人も離れないと思うんですよ」
つくる物のよさは言うまでもなく、その仕事に関わる人や地域、その先の未来までもを考えた上で「竹の箸だけ」を貫くヤマチク。
「今まではいい物をつくっているだけでよかったんですけど、つくることにだけ集中する時代は終わったと思っています。思い描く理想は声を大にして伝え、思いを形にして見せる。これがすごく大変なんですよね。ものづくりをする企業としての半永久的な課題です」
数々の賞の獲得の先に得た、「感覚」という財産
たしかな品質でものづくりを続けていたヤマチクに転機がやってきたのは、自社ブランド「okaeri(おかえり)」を発表した2019年3月のこと。「竹のお箸が食卓に帰ってきてほしい」という願いを込めたブランド名や、竹から生まれたかぐや姫をモチーフとしたパッケージ。そして、重さわずか10gという軽さと箸先の細さが「食事の邪魔をしない使い心地」だと、話題に。熊本県内のみならず、首都圏の大型雑貨店やセレクトショップでも取り扱いが始まったことで、ヤマチクの箸が日本中に広がるきっかけになりました。
さらに2020年9月には世界的なパッケージデザイン賞「ペントアワード(Pentawards)」、2021年2月にはソーシャルプロダクツアワード2021「ソーシャルプロダクツ賞」を受賞。そして2021年6月には、世界で最も歴史のある広告・デザイン賞である「ニューヨークADC」のパッケージデザイン部門でmerit賞を受賞しました。
これまでOEMという、メーカーなどから要望されたデザインや価格帯に合わせて製品をつくるスタイルを貫いてきた会社が、自社ブランドを生み出し、世界の賞を獲る。夢物語にも近いエピソードは果たしてどのようにして実現したのでしょう。
「OEM自体が悪ではないんです。しかし、仲卸業者(問屋)の要望に合わせてばかりだと、どんどん価格帯を下げていくことになります。そうすると、竹を切る人たちが生活していけるだけの報酬をお支払いするのも難しくなってしまいます。一方で、OEMでは価格の決定権がないんです」
OEMでは、どうしても価格競争の波に乗らざるを得ないこと、必然的に原材料の仕入れにかけられる予算も減るため、最終的には竹を伐採する職人たちに皺寄せがいってしまうこと。さらに、消費者との距離が遠すぎることにも課題意識があった山崎さんは、自社ブランドの立ち上げに至ります。
「自分たちの生産背景を伝えた上で、やりがいのある仕事にしていくには、消費者との距離は近いほうがいい。そこで、自分たちで商品や竹の魅力を発信していかないと、と思ったんです」
ヤマチクの3代目として、常に会社の存在を危ぶんでいたという山崎さん。OEMのみを続けていけば、いつか必ず歪みが出るという恐怖心を常に抱えながら、次の道を探った結果が、「自分たちで値段を決められる商品をつくる」という選択だったのです。
山崎さんの考えるブランドとは、商品そのもののよさや会社の業績ももちろんのこと、なによりも「社員にとってのブランド」になること。「経営者とデザイナーが物事を決め、それを社員につくるように指示するのでは、社員にとってはOEMと変わらない」そう考えた山崎さんは、プロジェクトメンバーを社内公募で集めたといいます。
「関わりたい人を募ってゼロから勉強会をしたり、展示会に視察に行ったりと、まずは社員の意識改革から行いました。クリエイティブディレクターを筆頭に、デザイナー、印刷会社、カメラマン、ライターとメンバーを募り、コンセプト、プロダクト、パッケージデザイン、ロゴやリーフレットまで作り込んで、発表したのが『okaeri』でした」
「箸ひとつにここまでやる? と思われる方も多いと思うんですが、このパッケージがきっかけでヤマチクを知ってもらえたり、竹の箸という存在を再認識してもらえたりしています。前述したパッケージデザインで獲得した世界の賞の数々、プロダクトで獲得した日本の賞の数々。パッケージデザインや使い心地もそうですが、つくっている制作背景を含めて評価いただいてるのは、本当に嬉しいことです」
賞の数々を得たヤマチクですが、山崎さん曰く、もっと大きなものを得たと言います。
「本気で取り組めば、自分がいいと思う物をしっかりお客さんに届けることができると知れました。うちで働く人たちは、今まで箸を使う人のことまで意識する必要はなかったんです。しかし今は箸を使ってくださるユーザーが物をつくるときの主語になる。この感覚こそが財産だと思っています」
さまざまな賞の受賞や、それに伴うメディア露出、また、2020年コロナ禍には社内で商品のデザインコンペを行ったことで、社員の意識改革は加速。「自分たちの仕事が褒められると、自信と責任感に直結し、精神的なやりがいになる」という山崎さんの言葉通り、働く人たちにとっても「okaeri」の誕生は大きな転機になりました。
「僕の抱える問題意識はこの会社の存続と、関わる人たちの報酬の低さなんですよ。そこに対してどうアプローチしていくかを常に頭に置いています。ヤマチクに関わるすべての人が豊かになること、地域が豊かになること、環境が豊かになること。たかが箸、されど箸という精神で、これからも熊本の南関から世界に通用する竹の箸をつくっていきます」
ローカルでものづくりや発信を行う難しさもありながら、挑戦することの楽しさと希望を教えてくれた山崎さん。ヤマチクの挑戦を知ると、物がつくられる意味やその場所でつくられる意義が伝わってくるような気がします。
「いろいろ言いましたが、最終的には自分の半径100メートルの人が幸せならいいんです。『いい仕事したね』と思えて、家に帰ったらおいしいご飯が食べられて、給料日になったらちょっと贅沢ができて、子どもがやりたい事をさせてあげられるような営みをつくる。社員も竹材屋さんも、委託しているデザイナーたちも、みんな一緒。関わった人たちが幸せになれるよう日々頑張りたいです」
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取材・文・撮影大塚淑子