培養肉、昆虫食、3Dフードプリンター......50年後の食卓はどうなる?「おいしい」が選べる食の未来について考えよう
「50年後の食卓って、どうなっているんだろう?」
培養肉、植物肉、昆虫食、完全栄養食......。いま「フードテック」の名のもとに、新たな食のあり方が模索されています。
これは決して"最先端"の話ではありません。「ソイミート(大豆肉)」を使ったハンバーガーを提供するチェーン店が登場するなど、「未来の食」はすでに、私たちの暮らしの中に入り込みつつあります。半世紀後には、想像もつかないような食事のあり方が当たり前になっているかもしれません。
......こうした「フードテック」のトレンドに対して、正直に言えば、筆者である僕はいまいち乗り切れないと感じていました。
もちろん、環境負荷やサステナビリティの観点から、必要な動きであることは明白。そこに取り組んでいる方々のことは深く尊敬していますし、もっと普及していくべきだとは思っています。
でも、そうして何でもかんでも"代替"していくことで、本来あった食の豊かさが失われてしまわないか──素人ながら、そんな懸念を抱いていました。
私たちの食卓は一体、これからどのような変化を遂げていくのでしょうか。
そんな素朴な疑問をぶつけるために取材を打診したのが、国内のフードテック研究の第一人者、分子調理学者の石川伸一さん。
石川さんは「食」をサイエンス、アート、デザイン、エンジニアリングと掛け合わせ、食品・調理・料理への理解を深めながら、食の未来を多角的に考える研究を行っています。
人類にとっての「食」の起源から、培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタといった最新のフードテック事情まで幅広く解説した『「食べること」の進化史』を刊行したほか、最近では「食の未来」をプロトタイピングした短編SF小説「2050年、お肉の未来はどうなっているか」も執筆。植物肉や培養肉と比較した"天然肉"が高級品として重宝される、"20XX年の未来"を物語として描かれています。
「食の未来を考えるのは、大好物なんですよ」。やさしく微笑みながら快く取材に応じてくれた石川さんと一緒に、「50年後の食卓」を考えていきます。
食の「当たり前」はいつの時代にも変わり続けてきた
──ソイミートや昆虫食など、最近は「肉食」の新たな可能性が、さまざまな形で模索されていますよね。50年後には、「肉食」はどうなっているのでしょうか?
ちょうど最近、「2050年、お肉の未来はどうなっているか」という短編SFを書いたんですよ。現代の一般的な家畜の肉が"天然肉"として、植物肉や培養肉と比較すると高級品として重宝されている、"20XX年の未来"を書いてみました。
──なんだか、今の日本社会での国産和牛の扱いのようで、とてもリアルですね......!
そうそう。SF小説ではありますが、突飛なアイデアを書いたつもりはないんです。例えば、培養肉にしても、アイデア自体は約90年前からあったものなんです。
──そんな前から!
はい。ただ、一気に広まったのはここ最近のこと。2013年に、オランダのマーストリヒト大学教授であるマーク・ポストさんが培養肉でハンバーガーのパテを作って、そこから一気にさまざまなスタートアップが出てくるようになりました。
もっとも、当時はパテ1枚で約3,000万円かかったんですけどね(笑)。でも、現在では100グラム2,000円〜3,000円くらいでしょうか。高級なお肉くらいの価格にはなっていますね。シンガポールでは、ベンチャー企業がニワトリの羽根の細胞から培養した肉と、植物由来の材料を使った「卵」製品を開発して2020年に一般向けの販売がスタートしました。技術発展とともにコストが下がり、恐ろしいスピードで実用化が進んでいる印象ですね。
──食の「当たり前」が、どんどん変わっているのですね。
そもそも、今の日本の食文化だって、国や時代によっては決して「当たり前」ではないところがたくさんあります。例えば、昔からこんにゃくを食べてきたのは、世界的に見るととても珍しいんですよ。時間をかけて芋を育て、そこからさらに粉にして、アルカリ性の成分を混ぜて、茹でて......そんな手間のかかることをしようと思う人は多くありません。
──よく考えれば、日本国内でも地域差がありますね。イナゴやハチノコ、ザザムシなどを昔から食べる習慣があった地域もありますし、豚肉や牛肉を食べ始めた時期や食べ方も、地域によってかなり違います。逆にいえば、培養肉だって地域や時代が変われば「当たり前」になる可能性は十分ありえると。
はい。ただ、培養肉がここから本当に世間一般に広がっていくかどうかは、まだまだ不透明な感じがします。細胞培養は要するに横に増えていくことなので、お肉のような立体的な形を作るためにはまだまだ技術開発が必要です。
──石川さんは、培養肉を食べたことはあるんですか?
ないですよ(笑)。シンガポールやイスラエルでは一般の人でも食べられますが、日本ではまだ認められていません。そうした法的な規制の面も、今後の課題だと思います。でも、食べてみたいですねぇ......。
────食べてみたいです......。
技術革新がいくら進もうと「結局、おいしいかどうか」が大事
──培養肉はまだまだですが、植物肉はかなり日本人の暮らしの中にも入り込んでいますよね。チェーンのバーガーショップで大豆バーガーがメニューに加わるなど、今おっしゃっていた培養肉の状況とはかなり違っている印象を受けます。
日本人はもともと、豆腐や納豆などを食べてきたので、植物性タンパク質には慣れ親しんでいます。そのため、植物肉のハンバーガーなども受け入れやすいのだと思います。それに今から50年前は、家畜の肉が今よりもっと希少だったので、タンパク質は豆類や魚から摂取するほうが主流だったはずです。
でも、ソイミート(大豆肉)のハンバーガーを開発しているメーカーさんからは「なかなかリピート購入してくれない」という悩みもよく聞きまして。食べたことありますか?
──はい。思っていたよりもおいしくて、「全然食べられるな」とは思ったのですが、やっぱり本物の肉のおいしさとは別物だなと感じました。価格も高いですし、正直、積極的にまた食べようという気持ちにはならなかったです......。
そうですよね。満足感が低かったり、特に安いわけでもなかったりして、「植物肉に関するアンケートの結果を見ても、わざわざ植物性の肉を食べる意味がわからない」というのが現状なのかなと思います。
結局、おいしくないと食べ続けないんですよ。ものすごく安ければ別かもしれませんが、基本的にはどんなに「環境にいい」「健康にいい」と言われても、おいしくないとその後も手が伸びるようにはならない。宗教上の理由やベジタリアン・ヴィーガンなど、強い信念を持っている人の場合は別かもしれませんが、そうでなければおいしさや快楽系に突き動かされてしまうでしょう。それは決して悪いことではなく、自然なことだと思います。
もちろん、環境負荷が低減されたり、動物愛護になったりと、植物肉や培養肉が与えるメリットに対する意識も、私たちの中にもっと浸透していかなければいけません。しかし何より、多くの人々が実際に食べてみて、「おいしかった」と感じる体験を重ねていくことが不可欠でしょう。
栄養素、食文化、コミュニケーションの媒介......「おいしさ」は何からできている?
──「正しさ」だけでは食卓を変えることは難しい、とも言えるかもしれません。ただ、「おいしさ」の中にも、砂糖や塩、油やスパイス、だしなど、さまざまな種類があると思います。そもそも「おいしさ」って、何によって生み出されるのでしょうか?
ベースとしては、人が生きていくうえで必要な栄養素が入っている、ということでしょう。糖や脂質は身体そのものや、それを動かすエネルギーを作っていきます。そうした成分が多く含まれる食べ物をおいしく感じるのは、生き物として理にかなっていますよね。
──それは納得感がありますね。でも、そんなにシンプルなものなのでしょうか?
もちろん、それは"ベース"にすぎません。その上に、それぞれ個人がこれまで何を食べてきたか、つまり食文化や食の経験が上乗せされてくるのだと思います。突然新しい食べ物がバンと出てくるわけではなくて、私たちの食は人が紡いできた歴史の上に成り立っている。中にはタピオカとかマリトッツォみたいに、異国の食文化が急速に入ってきては急速に消えていく、ファッション的な食べ物も一方ではありますが。
だから昆虫食の広まりで言えば、私の同世代で、もともと虫を食べる習慣がなかった人たちがいきなり昆虫食をメインのタンパク質としておいしく食べはじめるような未来は、たぶん考えづらい。最初は「虫なんて食べたくない」という気持ちから始まる人が多いのが、おそらく日本では自然ではないかと思います。
──正直、自分もそうだと思います......。
昆虫食が普及するとしたら、スナックのようにその姿が見えないものから少しずつ広まってゆき、そのおいしさが理解されたらだんだん料理のバリエーションが増えていく......そんな形で発展していく可能性が高いです。未来は唐突に現れるものではなく、過去・現在・未来という時間軸上に必ず乗ってくるんです。
──なるほど。
さらに言えば、人とのコミュニケーションとして食べられる、それを通じて人とつながりあえるという要素も「おいしさ」を左右するでしょう。お菓子などはまさにそうだと思います。生命維持のためではなく、より人間らしい、高次のおいしさですよね。
「選べる未来があること」は幸せ。培養肉や植物肉ならではのおいしさを
──「おいしさ」はさまざまな要因が積み重なって階層構造のように作り上げられる、複雑なものなのですね。だからこそ、何を「おいしい」と感じるのかも、常に少しずつ変わり続けていくと。
人間ってやっぱり、同じものをずっと食べ続けられない。同じものばかり食べていると飽きるから、新しいものをどんどん求めていき、結果としていろいろな食文化が生まれてきた。
そう考えると、50年後の食卓を考えるときも、なにか決まった一つの「おいしさの未来」があるわけではないのだと思います。どんどん変化し、バリュエーションが増えていき、多極化していくのではないでしょうか。より本物志向で「お肉は従来の畜肉しか食べません」という人もいれば、動物愛護や環境保全の観点から「培養肉のほうがおいしく感じる」という人もいる。食べ物の種類が増えれば、それに応じておいしさの価値観もどんどん広がっていくはずです。
──冒頭でお話されていた、短編SF「2050年、お肉の未来はどうなっているか」でも、まさに植物肉・培養肉・天然肉という選択肢がある世界を描いていたとおっしゃっていましたよね。すべての肉が代替肉に取って代わるのではなく、そうした選択肢が生活の中に増えていくというのは、とてもリアリティがありますし、より多くの人々の幸せにつながる気がします。
選べる未来って幸せですよね。培養肉だけという世界は何だか不自然ですし、植物肉だけという世界も寂しい。新しい食の話をしていると、既存の畜産農家さんから「私たちの仕事がなくなってしまうのか?」といった不安の声をいただくことも多いのですが、決してそんなことはなく、むしろ従来の畜産の価値は上がっていく。いろいろな肉が出てきて、それを自分たちの好みで選べる世界は、決してディストピアではなく、むしろユートピアだと思います。
──だからこそ、さっき先生も「おいしくなければ食べない」という、ある意味人間の真理をお話されてましたが、培養肉や植物肉"ならでは"のおいしさを追求していくことが大切になるんですね。「天然肉は高いから仕方なく......」だと、わびしいじゃないですか。こう言ってはなんですが、大豆ミートを「本物の肉みたい!」と思っている時点で、肉のおいしさを無理して我慢しているような気がして、個人的にモヤモヤします。それだといずれまた、肉に戻ってしまいそうだなと。
そうですね。最初は既存のお肉を模倣したものでもいいと思うのですが、いずれは植物肉や培養肉だから作ることができる食べ物、「肉を超えるような肉」が出てきてほしいですね。模倣からその先へと踏み出したほうが、食文化としては花開いていくはずです。
「分子調理」の発展で料理は「作る」ものではなくなる? 料理の価値はどうなる?
──そうした新しい「おいしさ」を見つけていくために、私たちはどうすればよいのでしょうか?
難しい問いですね......でも私が専門にしている「分子調理」は、新しい食文化を生み出すことに寄与するのではないかと思っています。
──「分子調理」?
ここ10年〜20年、料理の世界でも経験や勘だけでなく、しっかり見える化や数値化したうえで科学的に捉えようという動きが、研究者のみならず一般にも広まっています。お鍋の中でどんな現象が起きているのか、肉が柔らかくなるときに何が影響しているのか......エビデンスをしっかり調べ、科学的に評価することで、新しいものやおいしいものを作る一つのきっかけにしたい。
そう考えて、食材の性質の解明、調理中に起こる変化の解明、おいしい料理の要因の解明などを分子レベルで行う「分子調理学」を研究しているんです。さらには、おいしい食材の開発、新たな調理方法の開発、おいしい料理の開発を分子レベルの原理に基づいて行う「分子調理法」も探求しています。こうした新しい技術をしっかり使うことで、食文化の発展につなげられないかなと。
──そんな分野があったのですね! 最近はどんな研究をしているのですか?
一つ注力しているのは、3Dフードプリンターの研究です。捨てられてしまった食材や、あまり使われていない海藻などを食品カートリッジにして、それを機械で出力することで食べ物を形作るということが、より現実化してきています。例えば食感を自在に変えることで、高齢者でも食べやすい食べ物を作ったり、捨てられた食材を粉末化し、食品カートリッジにしてから、別の食品として印刷してみたり。
──えぇ、そんな技術があるのですか!?
これには結構いろいろなメリットがありまして。食品廃棄を減らしたり、未利用資源の有効利用につながったりするのはもちろん、人が作れない造形の食べ物が作れたり、食品工場や飲食店の人手不足を補えたり、個々人に合ったパーソナライズされた食べ物が作れたりする可能性があります。
極端な話、一家に一台3Dフードプリンタがあれば、もうそれで完結してしまうような気がするんですよね。電子レンジも冷蔵庫もいらないし、究極の調理器具みたいな感じになるかもしれない。カートリッジの食材を供給してボタンを押すだけで、その日の気分に応じた料理が出てくるようなイメージです。
──まるでSFのような、すごい世界観ですね......。
もちろん、人がまったく料理しないようになるとは思っていません。80%くらいを3Dフードプリンターで作ったうえで、最後の20%くらいで人が仕上げをしてテーブルに出したりするケースもありえるでしょう。
ただ、これまでの歴史でも人はどんどん食を簡便化してきた流れも踏まえると、だんだんと人が料理する割合が減っていくのは、ほぼ確実な未来なのではないでしょうか。
──料理する人、減ってしまうんですか......?あまりイメージしきれないのですが。
例えば、服だって、昔は家庭で作るのが当たり前でした。これからも趣味として服を作る方はゼロにならないと思いますが、今やほとんどの人にとって、服は作るものではなく買うものとなっています。
それと似たように、ほとんどの人にとって、料理が「買って食べるか、機械に作らせるか」というものとなる世界がやってくるのではないかと思います。そのうえで、自分で料理をした日には「今日はかつ丼つくってみた」「すごいね」ということになるんじゃいかなと(笑)。
──あぁ、服のようになるイメージなのですね!
ただ、何かしらのかたちで創造性を発揮しながら料理を「作る」ことは、人間にとってとても大事な操作だと思います。この要素が減っていくこと自体は、そのまま受け入れていいものなのか、疑問には思っていますね......。
──でも改めて考えてみると、いま「手作り」と言われているような料理でも、昔のように丁寧にだしを取る人ばかりではなく、化学調味料ベースの粉末だしを活用している人も多いですもんね。徐々に省力化や効率化が進んでいって「手作り」の意味するものも変わっていくのかもしれません。
とはいえ、味噌や梅干し、ぬか漬けなどを自分の家でつくるという人は今また増えてきていますし、コロナ禍をきっかけに地方に移住して農業をはじめる人、自炊に目覚める人もいます。効率化の末が3Dフードプリンタなのに対して、非効率だけどそこに意味合いを感じるライフスタイルもまた増えていくような気がしています。そう、モザイク状に発展していくというか。
映画『マトリックス』の世界が現実化しようが、"一人十色"で選べる未来が理想
──分子レベルでおいしさを追い求める段階まで来ると、「来るところまで来たな」という印象を抱いてしまいますね......。この先、「おいしさ」の追求はどうなっていくのでしょうか?
料理を細かく分解していくのは、おそらく分子レベルで最後かと思うのですが、もしかしたら、作り手の気持ちを伝える技術なんてものも出てくるかもしれません。脳に電極を差し込んで、作り手の気持ちを脳波レベルで追体験することで、感情ごと味わうみたいな。ちょっとディストピアっぽすぎますかね(笑)。
──すごい時代ですね(笑)。映画『マトリックス』で、実際の栄養摂取は現実世界でまずそうなオートミールを通してする一方、「おいしさ」は電脳世界の中でワインを飲んだりステーキを食べたりすることで味わう、という描写があったのを思い出しました。直感的には「それは嫌だな」と思っていましたが、もしかしたら現実世界では環境保全の観点では食べられないものも、電脳世界では思う存分味わえる可能性が広がっているのかもしれません。「仮想現実ウナギ」みたいな(笑)。
一回リアルで食べてみないと刺激できない気がするので、一度食べてそれを記録し、特別なときにポチッと押してまた味わう、といった形になるのかもしれません。
──よく考えてみると、現実でも似たようなことはある気がします。例えば、僕はもともと回転寿司のウニが苦手だったのですが、一度北海道で新鮮でおいしい生ウニを食べて「おいしさ」を知ってから、回転寿司のウニもその記憶を頭の片隅に置きながら楽しめるようになったんです。
おいしい体験を一度アップロードすると、あとはうまくダウンロードできる、ということですね。
......だいぶ話が広がってしまいました(笑)。繰り返しになりますが、私は何もこうした新しいおいしさが全てだとは思っていません。効率化の極みとして3Dフードプリンタや培養肉が普及していく一方で、世界的に人口増加が止まらない中、手作りベースの地産地消的なライフスタイルが増えていく気もします。結局、多極化していくこと、多様性のある食の生産方式や消費方式が理想ではないかと思いますね。
──となると、やはり石川さんの考える理想の「50年後の食卓」は、何か一つのかたちに定まるわけではないと。
はい。十人十色ではなく、"一人十色"が理想だと思うんです。一人の中でも、食の嗜好は本当にいろいろありますよね。食べるのが面倒くさいときもあれば、落ち着いておいしいものを食べたいときもあり、新しいものを食べてみたいこともある。やはり「選べる」未来が本当に幸せだと思っているので、自分で食べたいものを選べる未来が、理想的なのではないでしょうか。
おわりに
石川さんへの取材を終えて、冒頭で書いたような「フードテック」への印象──必要な動きであることは明白だけれど、何でもかんでも"代替"していくことで、本来あった食の豊かさが失われてしまわないか──はだいぶ変わりました。
「選べる」未来が理想だ。石川さんがそう繰り返し強調されていたように、フードテックはあくまでも「選択肢」を増やすためにあったのだと。
いま僕たちが当たり前のように食べている"天然肉"の楽しみは、このまま味わい尽くしていると、享受できなくなってしまうかもしれない。その選択肢を未来に残し続けるためにも、環境負荷の少ない培養肉や植物肉の可能性を模索する必要があると。そしてそれは、決して妥協案を生み出す、ということでは長続きしない。新しい「おいしさ」を追い求めないと、結局人々が「選択肢」に入れ続けるものにはなりません。
フードテックや分子調理は、食の豊かさを残し、広げていくために、新たな「選択肢」を追求するための技術だったのです。
それから、最後にもう一つだけ。
取材の終盤、石川さんに「好きな食べ物はなんですか?」と聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。
「卵かけご飯ですね。毎朝食べているのですが、醤油の種類や量、混ぜ方などをちょこちょこ変えながら、アレンジして食べているので、全然飽きない。毎朝、条件を変えながら、実験しているような感覚です」
──石川さんは、根っからの「研究者」。この人がフードテックや分子調理の研究の果てに見せてくれる新しい「おいしさ」が、ますます楽しみになりました。とりあえず僕は、次に新しい大豆ミートバーガーのメニューが見かけたら、また試してみるところから始めようと思います。
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ライター小池真幸
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編集ヒラヤマヤスコTwitter: @hirayama_okan
撮影ヤマグチナナコTwitter: @nnk_dendoushi