「心豊かな暮らし」を目指して。沖永良部島から考える脱炭素型ライフスタイル
鹿児島市から南に550km、奄美群島に属する沖永良部島(おきのえらぶじま)。
年間平均気温22度という温暖な気候に恵まれ、サトウキビやばれいしょ、花卉(かき/観賞用の植物)などの栽培が盛んな地域です。また、近年は洞窟の中を探検する自然体験ツアー「ケイビング」でも注目を浴びています。
豊かな自然が多い沖永良部島は近年、気温の上昇や台風の接近個数の増加、異常気象による農産物の生産量減少など、地球温暖化による島の生活への影響が観測され始めています。
そこで沖永良部島では「ずっと住み続けられる島」を目指し、行政と住民からの2つのアプローチによる島全体での脱炭素化を進めています。島の人たちの脱炭素化に対する意識は高く、それぞれ違ったアプローチにより脱炭素化対策を行っているのも特徴的です。
行政側の施策の一つとして、昨年、沖永良部島は2030年までにカーボンニュートラルを実現する全国のモデル地域「脱炭素先行地域」に環境省から選定されました。
そして、住民側の取り組みのキーワードとなっているのが「心豊かな暮らし」。一見、脱炭素化とは関係がなさそうな言葉に感じますが、住民の人たちは温暖化を防ぐために大切なのは「自分の手の届く範囲を幸せにすること」だと言います。
なぜ、「心豊かな暮らし」が脱炭素化に必要なのか。
そして、島の人々は脱炭素化に向けてどんなことに取り組んでいるのか?
まずは行政側の視点として、沖永良部島の知名(ちな)町役場で地球温暖化対策を担当する乾大樹さんに、島の脱炭素化に向けた取り組みについてお話を伺いました。
乾大樹さん(いぬい・だいき)
1984年生まれ。高知県出身。大学卒業後にNTT西日本、高知県馬路村役場を経て、2019年より一般社団法人サステナブル経営推進機構の研究員として勤務。2022年から内閣府の「地方創生人材支援制度」を活用し知名町役場に出向。
離島ゆえに直面する地球温暖化の影響
── 沖永良部島ではどういった経緯から、脱炭素化に向けた取り組みを始めたのでしょうか?
乾
沖永良部島は台風常襲地帯にあるため、シーズンになると年に4〜5回以上の台風がやって来ます。台風の前後1週間は船が入港しないため食料やエネルギー資源が到着しなかったり、スーパーではインスタント食品や水などを買い込む人が殺到したりと島民の生活に大きな影響を与えます。
また台風が島を直撃し、ひどい時は停電が1週間以上も続くので、停電時に島の人たちは各家庭で常備しているクーラーボックスに氷を入れ、そこで食べ物を保管するなど工夫をしています。
乾
また、近年では台風直後に海岸へ打ち上げられる大量のゴミも問題となっています。ゴミの中には医療廃棄物など危険物も含まれているので、子どもを素足で遊ばせられなくなってしまった海岸もあるんです。
乾
さらに、昔から観光業よりも農業が盛んな島のため、農業を営む方たちは環境に対してとても敏感です。住民の方とお話をすると「昔と比べて島みかんの成熟が半月早まっている」といった声が聞かれ、肌感覚で地球温暖化が進んでいるのを実感されています。今まで通りの生活が脅かされているだけではなく、暮らしを支える産業にも影響が及んでいるんです。
── 海に囲まれた離島は都市部よりも地球温暖化の現状が現れやすい。そんな島の危機意識と脱炭素化がフィットしたんですね。
乾
はい。地球温暖化という世界的な課題にコミットしないと、将来島で暮らすことが難しくなってしまうかもしれない。そうならないためにも、この島でずっと住み続けられるような仕組みを考える必要がありました。
そこで、2020年9月に町が温暖化対策に取り組む決意を示す「知名町気候非常事態宣言」を出し、2022年に環境省による脱炭素先行地域の募集に応募したんです。
── 脱炭素化に向け、沖永良部島では具体的にどんな取り組みが行われているのでしょうか。
乾
まず、知名町のメントマリ公園に小型風力発電機を導入しました。これは島内で風力発電がどの程度利用可能かといった風況調査と、風力で発電した電気を充電池に蓄電し、電気自動車やEVバイクなどに使用することで、島の主要な交通手段である自動車からのCO2排出量削減を行っています。
乾
今後の目標としては、2030年までに脱炭素先行地域に選定したエリア内の電力について100%を再生可能エネルギーに切り替えることです。現在の島における主力電源はディーゼル発電機などの内燃機関ですが、温室効果ガスを排出し、台風で船路が途絶えると燃料の輸送が困難になることが課題となっています。
そのため京セラ株式会社・株式会社DGキャピタルグループの協力の元、太陽光を中心とする再生可能エネルギーを活用しエネルギーの地産地消を目指す「マイクログリッド構築」を計画しています。
また、2023年12月に完成予定の知名町役場新庁舎では太陽光や自然通風など自然エネルギーを導入し、一次エネルギーの消費量の削減を目指しています。
── ちなみに、デンマーク南部に位置するロラン島では風力発電で島のエネルギーを支えており、「エネルギー自給率500%の島」としても知られています。同じ島国として、日本でこの取り組みは難しいのでしょうか?
乾
日本列島は南北に長いため、北は亜寒帯から南は亜熱帯までと、さまざまな気候区分に属しています。それゆえ、どの地域でも安定した風量を得ることができません。
それに東日本と西日本では使用されている電源の周波数が異なるので、もしトラブルがあった際に関東から九州への大量の送電は不可能です。そんな環境条件で主要4島(北海道・本州・四国・九州)が風力だけで全ての電気をまかなうのは困難なんです。
ヨーロッパでは約70年前に、今のEUの母体となっているECSC(※欧州石炭鉄鋼共同体)が創立され、石炭・鉄鋼などの資源をヨーロッパの国同士で共同管理することをまとめた声明を出しています。つまり、元々資源に乏しい土地だったからこそ、半世紀をかけてエネルギーシェアのネットワークを作ってきたのがEUだとも言えるのです。
同じことをいきなりアジア各国でしようとしても、エネルギーをアジア全体で共有する仕組みはまだ不十分です。だから、大陸国で資源をシェアできる北欧諸国のロラン島と島国の日本が同じ条件で取り組めるかと言うと、現時点では難しいです。だからこそ日本の特色を考えたエネルギーのアクションが必要になってきます。
脱炭素化は手段で、目的ではない
── 諸外国と比べてエネルギー資源が乏しい日本だからこそ、再生可能エネルギーが必要なんですね。再生可能エネルギーを増やしていく中で、沖永良部島の課題はあるのでしょうか?
乾
再生可能エネルギーの特性を踏まえつつ、既存の内燃力発電と協調した体制を構築することを考えないといけません。
現在、島の電力供給の大部分を九州電力送配電からの内燃力発電に頼っています。内燃力発電は立ち上げると常に一定以上の発電が行われ、出力を調整することで電力の需要に併せた発電が可能です。しかし簡単に止めることはできない仕組みです。
一方で、再生可能エネルギーは風や太陽などの自然エネルギーを活用するので、エネルギーの貯蔵量や燃料コストに左右されることなく発電が可能ですが、自然条件に左右されるため、電力が欲しい時に発電できるとは限りません。
脱炭素化の流れもあり、島内でも家庭用の太陽光発電が普及しています。ただ、天気がよければ一方的に発電してしまう太陽光と島の電力需要にはギャップがあるため、火力発電の発電量を落とすことで調整を図っています。しかしこの調整力にも限界があります。
いきなり全量を内燃力発電から再生可能エネルギーに切り替えるのではなく、九州電力と協力しながら、少しでも良い可能性が広がるようにアプローチする。そして、島民の生活に影響を与えない仕組みを作っていくことが重要です。
── エネルギーの話を聞くと、途方もない大きなテーマに感じます。島の人たちも取り組めることはあるのでしょうか?
乾
もちろんです。島の脱炭素化はあくまで手段であって、目的ではありません。島の人たちが今の暮らしを続けるために進むべき道のひとつが「脱炭素化」であるとの理解が広がると、可能性がより広がるかと思います。
なので、島の人たちが自ら脱炭素化の「主人公」となり、地域の特性を活かしながら、島のあるべき姿に向かって行動いただく。その結果、島の人たち自身が進むべき方向性を認識できていると、役場としても脱炭素を島の暮らしにどう役立てていくか戦略を立てやすいですね。
── 脱炭素化の大きな推進力となるのは「島の人たちの意識」なんですね。
乾
そうなんです。ただありがたいことに、沖永良部島ではすでに多くの方が環境問題に対して、それぞれの方法で向き合ってくれています。そのうちのひとりをご紹介しますね。
島にはすぐに実践できる土地がたくさんある
持続可能な島づくりのために、島で暮らす方々はどんな取り組みをしているのでしょうか? 沖永良部島で生まれ育ち、島内でガイドやツアーオペレーター、観光分野のコンサルティングを行う古村さんに話を聞いてみることにしました。
古村英次郎さん(ふるむら・えいじろう)
沖永良部島出身。国内外でのガイド業や旅行会社勤務を経てUターン。和泊町・知名町の観光協会を統合してできた、おきのえらぶ島観光協会初代事務局長を経て現在は株式会社オールディビレッジ代表取締役。「確かな未来は懐かしき過去にある」を基本理念に観光ガイドや各種コーディネート等を手がける。
── 観光推進アドバイザーとして働く古村さんは、具体的にどのような活動を行っているのでしょうか?
古村
僕は地域住民や環境への配慮を忘れずに観光を行う「サステナブルツーリズム」を行っています。沖永良部発着の飛行機が毎日稼働したとしても、宿のキャパも限られているので、そもそも島へ多くの人は来られないんですよ。だいたい、年間13万人ほどがマックスの観光客数だと思っています。
だからこそ、利益を追求して闇雲に観光客を増やすのではなく、 島の自然環境を守りながらも経済を回す観光モデルが重要だと思っていて。
古村
洞窟探検のアクティビティ「ケイビング」もそのひとつ。元々あった洞窟を生かし、環境を損なうことがないようルールを定めながら運営することで、島を代表する観光資源になっています。
他にも僕個人の活動でいうと、母と一緒に家の近くの浜で毎朝ビーチクリーンを行っています。
古村
浜にはいろんなものが流れ着くんです。まだ使えるものも結構あるので、自分の家で使うちょっとした家具や道具に活用したり、楽しみながらやっていますね。
── 古村さんが環境問題に対する意識が変わったのは、何がきっかけだったのでしょうか。
古村
ネイチャーテクノロジーを研究している石田秀輝先生が島で主催する「酔庵塾(すいあんじゅく)」に参加したことです。石田先生はINAX取締役や大学教授の仕事を経て、2014年から沖永良部島に移住された方です。島内で月に1回開かれている、誰でも参加可能な「心豊かな島づくり」をテーマとした勉強会が「酔庵塾」なんです。
古村
塾には役場で働く20代から農家や自由業を営む60代まで、幅広い年齢層の人が参加しているんです。僕を含め、石田先生の話を聞いて、影響を受けた住民は多いですね。
例えば、家族でビーチクリーンに取り組む「うじじきれい団」の竿(さお)さんも酔庵塾の参加者です。
古村
竿さんの営む美容室『PEACE-CUT』では美容室から出るCO2を測ったり、環境にも配慮した成分のカラー剤などを使ったりと、環境に関する取り組みを生活の中で自然に行っているなと感じますね。
古村
僕自身、石田先生の勉強会へ参加するうちに「心豊かに暮らすって何だろう」と考えるようになって。最近はどこでも当たり前になっているSDGsだけど、国連が2015年にSDGsを発表した翌年の2016年には、先生が島で勉強会を開いていたんですよ。
── そんなに早くからSDGsの考えが島に浸透しはじめていたんですね。
古村
最初はSDGsをやっている感覚はありませんでした。石田先生は「都会で消えかかっている隣人との助け合いの精神やリノベーションを積極的に行って、物質的な豊かさよりも心の豊かさを持って島で暮らしましょう」という話をしてくれて。
それで身近なところから幸せを広げていくことが重要だと思い、家の前にある畑の一部で農薬を使わず野菜を育てることもはじめました。畑はまだまだ面積があるので、これから島内で興味のある人に貸そうと思っていて。せっかくある土地を色んな人とシェアができたらいいなと。
古村
石田先生から学んだことを頭で考えるだけではなく、すぐに行動に起こしてみようと思ったら、島にはすぐに実践できる土地がたくさんあることに気付いたんです。実際に毎日、海岸を清掃してみると「小さい積み重ねで、ビーチってこんなに綺麗になるんだ」と身をもって実感しましたね。
それに、島内で環境の話をしていると「こんな建築材があるよ」って持ってきてくれたり、色んな人が見に来たりして、島民同士がお互いの行動に良い影響を与え合っています。石田先生は以前から「これからはこの島が日本の一歩先を歩む」と言っていて、今本当にそうなってきてるのかなって思いますね。
「FSR(家族の社会的責任)」で社会を変える
── 「豊かな暮らし」を意識することは、衣食住にも直結してきますよね。古村さんの家は立地はもちろんのこと、空間も居心地がいいのですが、どういった経緯で建てられたのでしょうか?
古村
我が家に使われている木材は、東日本大震災の時に福島で建てられた木造仮設住宅のものなんです。役目を終えた後、組み直して別の土地でも再利用できるように設計されたログハウスタイプの仮設住宅 で。昨年、島の建設会社の方から教えてもらい、島まで材を運んで組み直してもらいました。
古村
僕がこの家を建てたのには、二つの理由があります。まず、自分の子どもが帰ってこられる場所を作りたかったこと。もう一つは、島で暮らす先輩として、若い人に「知恵や人脈があれば、こんなに面白い家が安い予算で建てられるんだよ」と伝えたかったから。
離島は都会に比べると平均年収も低いので、どうしてもマイホーム購入のハードルが高いんです。だけどこの家は仮設住宅の材を使っているので、だいぶコストを抑えることができました。
── 震災の仮設住宅がこんな家に生まれ変わるなんて、すごく面白いですね。なによりロケーションが最高で、心から「こんな家に住みたい!」と感じました(笑)。
古村
この家に来た人はよく「いい家ですね!」と言ってくれるんですけど、10〜20年前なら、「仮設住宅の材を再利用しました」という話への反応も、全然違ったと思うんですよ。だから僕が新しいことを実践しているのではなく、時代のほうが変化したから、この家が面白がってもらえるってことだと思うんです。石田先生の言う「心の豊かな暮らし」をいいなと思う人が、着実に増えてきているんじゃないかと。
── 古村さんは、これから沖永良部島でどんな未来を描いていきたいですか?
古村
島の先人たちが作り上げてきた本当に大切な環境や文化を、未来の子どもたちにそのまんま渡していけたらいいですね。元々、この島は仕事や教育、食べ物までもが島内だけで完結していたので。少しずつ、島内で循環できるようなサイクルを取り戻していきたいです。
古村
あとは、島のコミュニティだけでなく、自分の半径5m以内の人間関係も大切にしていきたいですね。美容師の竿さんが「いくら地球や環境にいいことを言っていても、やってる人の家がぐちゃぐちゃだと説得力に欠けるよね」と話していて(笑)。企業が社会的責任として環境問題に取り組む「CSR」をもじって、家族で社会的責任を全うすることが大事だと考える「FSR(ファミリー・フレンド・ソーシャル・レスポンシビリティ/家族の社会的責任)」という言葉を竿さんが使っていて、面白いなと思うんです。
島というサイズ感のなかでは、家族や友人など、自分の手の届く範囲で持続可能なことをするのがより大切なはず。そして島だけではなく、日本中にFSRのような考えが広がればいいなと思いますね。
SDGsという言葉に触れるたび、イメージが壮大すぎて日常生活の中でどう関わっていいのかわかりませんでした。しかし、酔庵塾の石田秀輝さんが「SDGsをやる感覚ではなく、心豊かな暮らしをしましょう」と話すように、自分のできる範囲の豊かな暮らしを行うことで、必然的にSDGsへの取り組みにも繋がっていくのだと気付きました。
ここ近年テクノロジーの発展が目覚ましく、私たちの生活は便利になりましたが、代わりに精神的な不便さを得るようになりました。本土と比べると資源や人口も少ない沖永良部島ですが、不便な部分も楽しみながらも、新しいものを生み出していく島の人たちの存在に、持続可能な地域づくりの可能性を見出したように思います。
-
取材長谷川琢也
Twitter: @hasetaku
Facebook: hasetaku
撮影・編集友光だんご(Huuuu)Twitter: @inutekina
Facebook: tomomitsudango
執筆吉野舞Twitter: @yoshino_cup