乳牛にとっての''あたりまえ''。『ワイルドミルク』が生む循環型酪農
農薬や化学肥料を使わずに育てられた牧草を食べ、搾乳の時間以外は昼夜問わず外で生活をしている養老牛山本牧場の牛たち。冬にはマイナス30度近くなる過酷な環境で育つ彼女たちの姿はとてもたくましく、簡単には人を寄せ付けないような迫力があります。
この牧場を経営する山本照二さんは東京のご出身で、自然に近い暮らしを追い求めて北海道東部の中標津町に移り住みました。健康な牛を育てるために完全放牧に取り組み、生命力にあふれるワイルドな味わいの『養老牛放牧牛乳』、通称『ワイルドミルク』を生産しています。
四半世紀にわたって酪農に携わり、SDGsという言葉がなかった頃から環境問題と向き合ってきた山本さん。自分の手が届く範囲での生産や循環を意識してきたという取り組みには、今の時代にこそ必要な視点が詰まっていました。
完全放牧までの道のり
── 山本さんが完全放牧の酪農を始めたきっかけを教えてください。
山本
僕は1999年に家族で北海道に移住してきて、最初は隣の別海町にある研修牧場で酪農の勉強をしていました。その期間にBSE問題が起きたんですよね。国内初の狂牛病ということで大騒ぎになって、酪農業界も含めて食の安全が問われる事態となりました。
それが「自分はどんな酪農をしていくのか」を考える大きなきっかけになったんです。健康な牛を育てるためには、やっぱり草だけで飼育するのがいいのではないかと考え、放牧酪農をやってみることにしました。
── 「牛を健康に育てる」というのがスタート地点だったんですね。
山本
そうですね。それと同時に、お金がかからない酪農の在り方も模索していて、外から買う餌をいかに減らすかということも考えていました。今の酪農って、草だけでなく穀物の配合飼料をたくさん牛に与えているんですよ。それらはほとんど外国産で、船便で輸入されるから防カビ剤がかけられています。人間だったら直接口にできないようなものが、牛なら許されるなんておかしな話じゃないですか。それはまずいよなと思って、配合飼料をゼロにすることを目指しました。
ただ、今の牛は配合飼料を食べないと乳量が出ないように改良されちゃっているんですよ。1年間で1頭からどれくらい乳を搾るかの目標を定めて、そこに向けてデザインされているので。
── より多くの乳を出すように品種改良されていて、それは配合飼料を与えることが前提になっていると。
山本
交配に関しても、継続的に乳を搾るためにメスしか生まれない遺伝子の種をつけるんですよ。冷凍精子を使って人工授精させるのが当たり前の世界なので。そういった酪農の実情が、自分を完全放牧に向かわせたんです。
── 配合飼料をやめた結果、乳量にはどんな変化がありましたか?
山本
いきなり配合飼料をゼロにするのは無理なので、徐々に減らしていきました。最初は1年に8キロあげていたんですけど、毎年1キロずつ減らしていって、2009年には配合飼料ゼロを実現できたんです。その結果、搾れる乳量は減りました。もともとは1頭が1年間に9500キロくらいの乳を出していたのが、今は3500キロくらいです。
配合飼料を買わなくなった分の費用は浮くようになりましたけど、従来のように搾った分を農協に買ってもらうというスタイルの酪農では生活ができないので、自分で売っていくために『養老牛放牧牛乳(ワイルドミルク)』というブランドを作りました。そこからマーケティングの勉強や営業活動をして、販路を広げてきたという流れです。
── 完全放牧にしてからは、牛乳の質的な変化もありましたか?
山本
牛乳って、実はまだ知られていないことが多くて。僕が新規就農した頃は、不飽和脂肪酸(※1)が多い牛乳が健康にいいとされていたんですけど、ここ10年くらいで不飽和脂肪酸にはオメガ3(※2)が豊富に含まれていることがわかってきて、それが健康にいいという見方に変わってきました。グラスフェッドミルク(放牧で育てた牛の牛乳)は、オメガ3が豊富なんですよね。
うちは牛に余計なものを与えていないので、なんとなく健康にはいいだろうなとは思っていましたが、エビデンスはありませんでした。自分で「きっとこっちのほうがいいだろう」と思ってやってきたことが、あとから科学的な分析を経て確信に変わったという感じです。
家畜化された牛の野生を取り戻す
── 先ほど冷凍精子による種付けのお話がありましたが、山本牧場では牛を自然繁殖させているそうですね。
山本
はい。種牛としてオスを置いておいて、交配も自然に任せています。それによって何が起きるかというと、親子関係ができるんですよ。普通は出産すると母牛と子牛を離すんですけど、うちでは一緒に過ごさせていて、おっぱいも飲ませています。
当然、子牛におっばいを飲ませると、搾れる乳量は減ります。だけど、母牛が元気になるんですよ。たぶん「私がこの子を育てる」という気持ちになるんじゃないですかね。モチベーションが全然違うのがわかります。
── 「いっぱい食べて、いいお乳を出そう」という母のメンタリティになるんですかね。
山本
きっとそうなんでしょうね。牛乳って、本来は子牛のために出しているものですから。そうやって親子で過ごしている姿を見ていると、牛にも当たり前に感情があるし、豊かな生き物なんだと思いますね。そういうことを感じられるのが、この仕事のいいところです。ちょっと困るときもあるんですけどね。「乳量が全然足りてないから、そんなに飲むなよ」って(笑)。
── 自然繁殖ということは、産まれてくるのがオスかメスかもわからないということですよね?
山本
性別も、いつ産まれるかもわかりません。人工授精だと種付けをしてから約280日で産まれるので先の予測ができるんですけど、うちは計画が立てられないんですよ。
オスが産まれても母牛の乳は出るけど、その牛自身は搾乳ができません。だから、うちではオスが産まれたら、毎年1頭か2頭を種牛にしています。最初の種牛はイチローと名付けて、それからジロー、サブローと続き、今いるのはジュウイチローです。ただし、血筋が近いと近親交配になってしまうので、種牛として1年間活躍してもらったら、申し訳ないけれど売りに出しています。
── 牛は家畜化された動物というイメージがありますが、山本さんがやられている酪農は牛を野生に戻そうとしているようにも見えますね。
山本
だから、ワイルドミルクなんですよ。牛を本来ある姿に近づけていくという意識は強く持っていますね。そうやって作った牛乳を飲んでくれた年配のお客さんからは、「懐かしい味だね」とか「これは古い牛乳だね」という感想をいただくこともあります。
── えー、それは面白いですね。今のように大量生産される前の牛乳を知っている人からすると、山本さんが完全放牧で作っている牛乳は懐かしいものに感じられるんですね。
── 山本さんにとっての牛って、どんな存在なんですか?
山本
昔はね、家族だったんですよ。僕がお父さんであり、お母さんでもありという感じで牛と接していました。だけど、自由にやらせすぎた結果、もう僕の言うことは聞かないんですよ(笑)。
前は牛舎から呼ぶと歩いてきたけど、今は後ろに回って行くぞって言わないと動きませんから。それはちょっと寂しくもあるんですけど、しょうがないですね。だから、今の関係性はアパートの同居人って感じかな。
── それはまさに野生化しているってことなのかもしれないですね。
山本
そうですね。厳しい環境のなかでも自分たちで生きようとしているし、そういう牛たちのエネルギーや生命力が、そのまま牛乳に返ってきているんだと思います。
ものづくりとしての酪農
── 長く仕事を続けてこられて、酪農を取り巻く環境意識に変化を感じることはありますか?
山本
ありますね。今では考えられないですけど、昔は牛のおしっこを川に流す農家さんもいましたから。だけど、それが原因で漁業関係者の方とぶつかって、やっぱりこのままじゃまずいよねという話になっていきました。それが20年くらい前ですかね。そのあたりから徐々に環境に対する意識は変わっていったと思います。
── 酪農における環境負荷といえば、牛のゲップに含まれるメタンガスによる地球温暖化という問題もあります。この課題については、どのように捉えていますか?
山本
メタンガスについては、やっぱり減らしていかなきゃいけませんよね。そのために今行われているのは餌の研究です。カシューナッツの殻に含まれるエキスを食べさせると、胃で作られるメタンガスが少なくなるということで餌として実用もされています。ただし、カシューナッツをアフリカから輸入するとなると、それはそれで環境負荷がかかるんですよね。
僕が1番問題だと思っているのは密飼いです。やっぱり飼いすぎはよくないなと。土地に対する草のキャパシティがあるので、うちは1ヘクタールにつき牛1頭を飼うという割合を基準にしています。
草だけでなく配合飼料を餌として与えることで、農家は倍の頭数を飼えることになります。草の量には限りがありますが、配合飼料は海外から運んでくることができる。ただし、牛が増える分、メタンガスをはじめとする大量の温室効果ガスは出るし、農業人口減による地方の衰退も進む。だから頭数を増やすことには、どこかで制限をかけるべきかなと思いますね。
── そう考えるとシンプルな話なのかもしれないですね。狭いエリアで、たくさんの牛を飼うのは無理があると。
山本
人間も一緒じゃないですか。狭いところに大人数で入れられたらつらいし、空気も汚れていきますから。
── 最近は、供給過多によって牛乳が余っているというニュースを目にすることも増えました。
山本
牛乳って、作りすぎて余ってしまうとダメなんです。ナマモノなので。だから、メーカーは年間の生産計画を作って、その範囲の量しか受け入れないということにしています。つまり、自分の意思でやりたいことができるわけではなく、仕組みのなかでやるしかないというのが酪農の実情なんですよ。
── 「言われた量を作る」という感じなんですね。
山本
言われた以上の量を出しちゃうと、怒られるんですよ。「計画通りにやってください」って。うちで作っている牛乳は、93%が『養老牛放牧牛乳』という自社ブランドとして出していて、残りの7%は農協さんに卸しています。なぜかと言うと、牛ってお客さんが求める量の乳を出してくれるわけではないんですよ。足りないか余るのどちらかなので、余った場合には農協さんに持っていってもらってます。
特にうちの場合は自然繁殖で完全放牧だから、種がつけば子牛が産まれて乳を出してくれるし、草の仕上がりが悪ければ乳量が減ることもあります。だから、雪が溶けて青草を食べ始める6、7、8月は乳量が多くて、それ以外はカツカツという状態なんです。冬は注文に対して牛乳が足りなくなることもあるので、その都度お客さんには謝っています。
── そういう大変さを背負ってでも、自分の納得のいく酪農を選びたかったんですか?
山本
そうですね。もともとは、ものづくりに関心があったんですよ。木工のさかんな旭川の大学に通っていたこともあり、30歳を過ぎたあたりで木工の勉強をして家具職人になるのもいいなと思っていた時期もありました。だけど、それで家族を食べさせていくには、何十年もかかるなと思って。
それでも北海道で、ものづくりをして生きていきたくて酪農にたどり着きました。最初から酪農をやりたかったわけじゃなくて、北海道の自然のなかで暮らしたいのと、ものづくりをしたいという両方を実現できるのが酪農だったんです。そういう気持ちで始めたので、やっぱり他の人と同じことはやりたくなかったんですよ。だから、主流ではない放牧の道を選んだというのもあったと思います。
── 酪農をものづくりと捉えるのは面白いですね。確かに山本さんのお話をうかがっていると、牛乳を作るのはひとつの表現なんだなと感じます。
山本
牛乳って、メーカーに卸すと全部同じ値段での買い取りになるんですよ。放牧かどうかは関係なく。ものづくりをする立場からすると、それはちょっと嫌だったんですよね。
草も牛も人間も循環していく未来を目指して
── 完全放牧、自然交配など、自分の理想とする酪農を次々と形にしてきた山本さんですが、次にやろうと思っている取り組みがあれば聞かせてください。
山本
今は、山本牧場のなかにあるものは他所に持ち出さず、自分のところで作ったものは自分のところで処理することにこだわっています。それが循環型農業だと思うので。
例えば、夏は外で青草を食べますけど、雪が降ってからは餌場で干し草をあげるんです。それを、今年からは放牧地であげるようにしました。そうすると放牧地で糞(ふん)を落としてくれるし、食い散らかした草があっても大地に戻るという循環が生まれます。そうやって、自分のところで出たものは自分のところに返す取り組みを真面目にやっていきたいですね。
── まずは山本牧場の中での循環をつくっていく。
山本
あとは土壌の改良をやりたいと思っています。今まで牧草は自然に生えてくるのに任せていたんですけど、次の春には種を撒こうかなと。地面って草が生えている表面があって、その下には20〜30センチくらいの土壌の層があって、さらに下は硬盤層というカチカチの土になっているんですよ。土壌は本来20センチくらいあるのに、うちの牧草地ではちょっと薄くなってきていて。要するに土地が痩せてきているんですよね。
そうなったときに、普通は機械を使って土地を起こすんですけど、それだと土壌のなかの微生物が死んでしまうんです。だから、いろんな植物を植えて、下に伸びる根で硬盤層を掘っていこうかなと考えています。
── 植物の根で、土をほぐすということですか?
山本
そうです。今までは横に根が伸びる草を選んでいたんですけど、だんだん土地が痩せていくから、別の植物によって土地を耕してみようかなと。根っこによる開墾(かいこん)ですね。そういうやり方があることを知って、これは面白そうだと思ったんです。
山本
酪農の仕事って、大地や天候などから自分なりに情報を仕入れて、足りていないことを補ったり、ダメなところを手直しすることの繰り返しなんですよ。だから、まだまだやれることがあるし、いつまでも飽きることはないですね。
── そういう繰り返しによって理想を追求してきた結果、今の時代に必要とされるものづくりの姿勢に近づき、こだわっている部分の付加価値もちゃんとお客さんに伝わるようになったんですね。
山本
そうだと思います。今よりも規模を大きくしたいとは考えていないので、これからも自分が納得できる酪農を続けていきたいですね。
今は息子も一緒に仕事をやってくれているんですよ。彼には彼のビジョンもあるから意見がぶつかることもありますが、うまく折り合いをつけながらやっていきたいなと。草も循環しているし、牛も循環しているから、人間も循環していけたらいいなと思っています。
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取材・文阿部光平
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