田嶋陽子「らしさとは、人を支配するための道具」自分そのものを生きる提言

国立国会図書館のオンライン検索ツールで「自分らしく」と打ち込むと、戦後からバブル崩壊までそのタイトルがついた図書は50冊もないのに、バブル崩壊後から現在までは2,500冊ほどもある。
平成になって、「自分らしく」「あなたらしく」がタイトルについた書籍、歌詞に組み込まれた歌は一気に増え、自分らしく生きることは「理想の生き方」と言われるようになった。
一方で、「自分らしく生きる」という風潮に苦しさを感じている人も少なくない。
現在29歳の筆者も、20代前半まで「自分らしさを体現して働くことが正しい」という風潮を内面化し、「わたしはこれが好き」「わたしはこういう性格」と周囲にわかってもらうおうと、"らしい自分"になり切ろうとしてきた。と同時に、それはどこか本当の自分じゃないと感じてきた。
「『自分らしく』もやめよう」と語るのは女性学の第一人者・田嶋陽子さん。
「女らしさ」という社会規範に46歳まで苦しみ、そこから解放されて自分を取り戻していった過程を『わたしリセット』で綴る田嶋さんは、著書の中で「『らしさ』を脱いで、『自分』を、『自分そのもの』を目一杯生きるのです」と訴える。

社会や文化によってつくられた性別観念に基づいて、男女それぞれに画一的な振る舞いを期待するジェンダーロール(性役割)が、問題視されて久しい。
男らしさや女らしさだけでなく、自分らしさも含め、あらゆる"らしさ"に苦しさを感じるのは一体なぜか? そして、「自分を目一杯生きるために」どんなアクションを起こせばいいのか。
女性、次世代へのエンパワーメントをテーマに掲げる2025年の国際女性デーに際して、令和の若い世代が生きづらさから解放されるヒントを得たいと、田嶋さんの元を訪ねた。

「らしさ」とは、支配者が人を都合よく動かすためにつくった規範
── 自分らしく生きることに憧れる人は多い一方、いざそれを実践しようとすると「これだと言える自分らしさがわからない」と悩んだり、「自分らしくあろうと振る舞うと自分じゃない気がする」と違和感を覚えたりしてしまうのは、なぜでしょうか。
"らしい"というのは、本物じゃないって意味もあるよね。らしさを追求していくのは、たまねぎの皮を剥くのと同じようなことで、剝いたって剝いたって(求めているものは)出てこない。出てこないどころか、何もなくなっちゃう。だから、「自分らしく生きよう」とか「自分らしさを見つけなさい」と提言するのはズルいっていうか、無責任かもしれない。
かといって、自分を生きろって言われても、これもまたピンとこないけど。でもたとえば、「お腹がすいたから何か食べたい」とか「疲れたから寝たい」とか。「あの人に会いたい」「もっと遊びたい」とか、そうやって自分の中から湧き出る気持ちは嘘じゃないよね。その気持ちのとおりに、食べたり、遊んだりすれば、そっちのほうがよっぽど、本物の自分を生きていることになるんじゃない?
そういう意味で、もう結論を言っちゃうけど、私が「自分らしくではなく自分を生きよう」と言っているのは、「らしさ」というのは人を都合よく動かすために支配者がつくった規範だと思うから。

── 支配者がつくった規範。ここで言う支配者とは、どういう人を指すのでしょうか。
立場の強い人のこと。たとえば、お父さんとか、学校の先生、上司、社長とか。女らしく、男らしく、で考えるとわかりやすいんじゃない? 「男らしくしろ」というのは、男たちには天下、国家、会社のために働いてくれと言っていることだろうし。「女らしくしろ」というのは、女にはそういう男たちを会社や家庭で支えてくれ、すなわち、二級市民になってほしいと言っている。
上司が言う「お前らしさ」も、親が言う「子どもらしさ」も同じで、らしさを提言する人たちは、相手に対して、何かしらの権力を持っている立場の人たち。その人たちにとって、らしさは、「そんなのはお前らしくない」と叱る材料にもなるし、「あなたらしくていいね」と褒める材料にもなる。いずれにしても、悪いほうに考えれば、らしさというのは人をマインド・コントロールするための道具だと言えるよね。
本来、誰もが「いくつもの自分」を生きている
── 田嶋さんがなぜ、「らしさとは、支配者が人をコントロールするためにつくった規範」という考えに行き着いたのか気になります。
自分がそれで苦しんだせいじゃない? 私は4月生まれだから、同級生に比べて体は大きかったし、活発でお転婆、口は達者で態度もデカくて、先生が言っていることが変だと感じたら、変だって言っていたし。その分、先生たちは憎たらしかったと思うよ。だからよく、「もっと女らしくしろ」と叱られていたし、それは親にも言われてきた。
年を重ねて、外見だけでも女らしくしようかと妥協して、化粧をしたりパーマをかけたりしてはいるけど、それでもたまに男言葉になっちゃう。教師らしくしろって言われたら最初は教師らしくもするんだけど、そのうち、べらんめえ口調になって「お前ら何してる」と怒ったり(笑)。
私の中にはいろんな人間がいて、動物みたいな自分もいるし、仮想の人格もある。だから、「じゃあ田嶋陽子って何?」と聞かれても、本人もよくわからないってことなんだよね。その時々の気持ちで動いているわけだからさ。要するに、私は自由な自分でいたいのに、「らしさ」を押しつけられると、自分の一部でしか生きられなくなる。不自由で抑圧的。

── 代表作『愛という名の支配』では、田嶋さんが母を怒らせないため、男社会から弾かれてしまわないために、「小さく、小さく、女になろうとしてきたこと」が綴られていています。自分らしさを追求することに苦しさを感じるのも、本来は多面的な自分を「らしさ」というひとつの枠組みに「小さく折りたたんでいくから」なのかもしれません。
自分らしく生きようとしたら、生きているうちに何回も、自分らしさが変わっていっちゃうよね。食べ物の好みも、洋服の好みも、男や女への好みも、いくつもの自分があるわけだから。
らしさを生きようとすればするほど、インチキの塊になっちゃう。それでも人は、「あなたらしいね」って言われると、安心する部分もあるのかな。でもそのとおりに生き続けるのは、結構、しんどいよね。
「〇〇らしさに押し込める卑怯さ」に迎合すると、悔しさが残る
── 画一的な女らしさを求める風潮も、根強く残っています。以前、日本に理工系分野の女性が少ない理由を取材した際に、大学教授らから「女子は大学院まで行って学ばなくていい」と思っている親は多いと聞きました。取材した横山広美さんは、「女性は優秀でなくていい、とがった優秀さは男性を脅かすものとして嫌われるというジェンダー観を(親世代が)内面化していないか」と指摘しています。
ショックだなあ。(2025年に84歳になる)私なんかは、今の親世代はその意識がいいほうに変わった世代だと思っていたから。だけど、女らしさという規範による抑圧は、今も現実にあるということだよね。女性をきちんと一人前に育てないと、日本が損するだけだね。もったいないねえ。
── 自分を前面に出すと、我が強いとか自己主張が激しいとか、言われたりすることもありますよね。
しかも「我が強い」って、ほとんど女の人にしか言われない言葉じゃない? 女性が自主性を持ったり、強がったりするのをこわがるなんて情けない。それを言うと女が怯むとわかって、言っているんだから。

── 私も学生時代に言われていました。とあるプロジェクトのリーダーだったのですが、運営方針を決める際に一人の男子と意見が割れ、みんなの前で「自己主張が強すぎ。リーダーに向いていない」と言われ、それをきっかけに、周りにいた男子からも「我が強い女」と言われるように。
悔しかったよね。プロジェクトの話や学問の話ではなく、個人的な性格の話にすり替えられて、そこに文句をつけられたんだもの。論じゃ勝てないとわかったから、周りは女らしさの部分で傷つけようとした。それは卑怯なことだよ。
そもそも、我が強いことって男女問わず、仕事をする上でも、自立して生きていくためにもとても大切なこと。我が強くなければ、なんの力も発揮することができない。だから、いい意味なんだよね。それを女にだけ「持つな」っていうのは、二級市民として男の言いなりになれ、ということ。それはおかしいし、ズルい。それで、あなたはどうしたの。そういう場面で、なんて言って反論したの?
── 何も言えませんでした。ただただ打ちのめされて家に帰るばかり。
そこだ。大事なのはそこなんだよね。そんな不平等なことをされて、その場で何も言い返せなかったことが、私は悔しい。
── 私もそうなのかもしれません。何も言えなかったから悔しい。
差別的な発言だと感じたときに、自分の気持ちを「その場で言う」のはすごく大事なこと。そのときにどう伝えるのかを知っておくと、コミュニケーションがスムーズになると思う。アサーションというコミュニケーション方法があるんだけど、相手に自己主張するときは「I(アイ)」から始めることを大切にしているの。

仕事でも親子関係でも、「お前はこれがダメ」「なんであなたはできないの」と、「お前」「あなた」を主語にするのではなく、「私はこう思うんだけど」と「私」を主語にしてコミュニケーションを取ると、衝突が少なくなるとも言われているんだよね。
男社会の規範を代弁する「父の娘」になるカラクリ
── 「女はこうあるべき」という抑圧から解放されるために、今、そのアクションが求められているような気がします。
「我が強い女」と言われて封じ込められそうになったときも、「あっ、ごめんなさい。でも私はこれが言いたいんです」と、相手の立場に配慮しつつ自己主張を続けないといけない。そのまま黙って飲み込んじゃうと、我が強いと言えば女は黙って言うことを聞くんだって、永遠に思われ続けちゃう。私は最近、そういうことに反論しないできた女の人にも、責任があると思う。
── なぜ多くの女性が黙ってきたのか気になります。
私たちの世代もそうだけど、この男社会に生まれてすぐ、黒っぽい洋服を着て仕事に行く人がお父さんで、背中を向けてご飯をつくったり皿を洗ったりしている人がお母さんだって、子どもながらに認識するんだよね。
子どもは段々と、お金を稼いでくる人が偉くて、お母さんはいつもお金を稼いでくる人の言うことを聞いている、というふうに学んでいく。今だってそうだよ。女性の7割が働く時代でも、男女の給与格差があるんだから。お母さんからすると、自分より夫のほうが稼いでいるから......という引け目もあるかもしれないね。
そうすると、子どもは、男の子も女の子も「どっちが得かな?」と考えるようになる。ご飯をつくってくれるのはお母さんだけど、お金を稼いでくる人のほうが家の中でも社会でも重んじられているから、多くの子はそうなろうとしていくの。女の子も、お母さんよりお父さんのほうがエライからとお父さんの価値観を身につけるようになる。そういう人は女性でも女性蔑視の人が多い。これが、私の言う「父の娘」。

── 『愛という名の支配』でも解説されている、男社会がつくった規範を正しいと思い込んで、それを代弁する女性のこと。
そう。国会議員もね、日本は女性の衆議院議員が15.7%しかいないでしょう(参議院議員と合わせると19%)。そうするとその人たちは、髪の短い紺色の洋服を着た人の言うことを聞いたほうが得だから、女のための法案を通そうとしないの。選択的夫婦別姓だって、もう30年以上も前から言われていて、とうとう企業からも、優秀な女性が海外で仕事をする際に調査を受けたりしてしまうから法改正してくれと要請が来ているのに、一向に導入へと進まない。古株の女性国会議員が反対していたりするからなの。
自民党の中で力のある保守派の女性議員が男社会が期待することを代弁している場合がある。女性議員からすれば、男社会で生き抜いていくために男の発想方法を身に着けないとやってられなかったということでもあるんだけど、演じているうちに、みんな男社会に過剰適応してしまう。
多くの人に愛されなくていい。自分で自分を愛して
── 女性自身が「男社会の求める女らしさ」を内面化してしまうのは、「得だから」という側面と「生きるために仕方なく」という側面がある。「女らしく」ではなく、自分の人生を生きていくために、田嶋さんが必要だと考えることはなんでしょう?
いろんな考え方があると思うけど、やっぱり私が考えるのは、女性の経済的自立は大事だと思う。そのうえでコツコツと自分の目標に向かって歩む。結婚して男の人に養ってもらうというのはもう、やめたほうがいい。
今、高齢の女性たちは、夫と別れてからやっと自由になれたと思っている。気の毒だけど、そうなってはじめて自分の人生を生きることができる。だけどいざ、自分の人生を歩み直そうとしたら、専業主婦だったから年金の額が少なくて自由に生きられない。今はそういう問題もある。
── 女性が経済的にも自立するために必要なことはなんでしょう?
まずは税制度から見直さないといけないよね。103万円の壁っていうのは国までもが女の人の自立を阻んでいるということでしょう。そういう税制度からして、もうおかしい。
ひとりの人間としてではなく、女としての役割を決めてしまってフルに働かせないところが、この国を貧しくしていると思う。だって、その分だけ税金が集まらないってことだから。国民の半分に相当する女性たちの経済的自立を「壁」で阻んでいると、税収もなくなって、この国は滅亡するよ。冗談ではなく、私は本当にそう思う。一刻も早く専業主婦制度をなくして、女性を一人前扱いすることが大事。
女の人もパートではなく、ちゃんとフルタイムで働いて男の人と同様に稼げるようになるためには、子育てや高齢者介護をきちんと国が支える。働いて収めた税金が子育てや介護に使われるようにみんなで管理する。そうしたらこの国は、ちゃんと立ち直ることができるんだよ。

── 社会によってつくられた〇〇らしさによる抑圧から解放されるためには、精神的にも経済的にも自立することが大切。今はまだ男女ともに、職場や学校、家庭でも、優位な立場の人たちに気に入られるため、あるいは弾かれてしまわないために、相手に合わせる人が多いのかもしれないけれど、今日の田嶋さんのお話を踏まえると、もう脱却するときが来ているのかもしれません。
みんなに、そんなに多くの人から愛されなくてもいいから、「ちゃんと自分で自分を愛してよ」って、思う。
イヤなことを言われたとき、笑ってやり過ごしたり、ただショックを受けて終わりにしたりするのではなくて、「わたしはそう言われるとツラいんだ」って、自分の気持ちを正直に表明することが大事。そうすると相手も、よほど目の前の人間を傷つけたいと思っていない限りは、「こういうことを言ってもウケないんだ」と気づいたり、「悪いこと言っちゃったな」と思ったりするんじゃないかな。
理屈で返すと相手を急に追い詰められちゃうからさ、「理屈」じゃなくて「そんな言い方されるとつらい」とか「さみしい」とか「自分の気持ち」で答えることが大事。自分の気持ちを丁寧に、自分なりに伝える。そこから始まるんじゃないかな。
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取材・文 小山内彩希
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撮影 秋山まどか
取材・編集 大川卓也
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