LINEヤフー サストモ

知る、つながる、はじまる。

知る、つながる、はじまる。

指導や演出の名の下に多発するハラスメントーー美術業界の体質に一石を、女性作家たちの挑戦

アートコレクティブ「ひととひと」。左から神谷絢栄さん、工藤春香さん、高橋ひかりさん

近年、美術業界でセクハラや性被害を訴える声が上がっている。美術作家にはフリーランスで活動する人が多く、地位や権力が上の人による嫌がらせから守られにくい。また、作家の卵である美大生が受ける被害も深刻だ。一方、その状況に対して働きかける動きもある。女性アートコレクティブ「ひととひと」、そして「表現の現場調査団」に話を聞いた。(文:長瀬千雅/写真:後藤勝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

「社会への不信感が強まりました」

神谷さんの作品「わたしの話を語るあなたを聞く」の一部

美術作家の神谷絢栄さん(24)は、今年5~6月、都内で開かれたグループ展に、ある映像作品を出展した。タイトルは「わたしの話を語るあなたを聞く」。各4~7分の3つの映像からなる。映像から一部引用する。

「事件について話すのは辛くないですか? 大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

「事件の前と後で一番変わってしまったことはなんですか?」

「社会への不信感が強まりました 事件化はできたけど 結局不起訴になって罪にも問えなかったし 被害にあっても必ず法律が守ってくれるわけではないのだと思いました また 検察官から私の過去の恋愛について いろいろと聞かれ 私が同意してしたことと 同意していないにもかかわらずされたことと 2つは全く違うことなのに 同列に語られているように感じて傷つきました」

展示風景

「事件後現在までの生活で 支えとなったものはありますか?」

「まずはママが 弁護士事務所とか警察署とか 検察庁とか被害者支援センターとか とにかくいろんなところに付き添ってくれたことが今思えばすごく助かったし 支えになったと思っています」

答えているのは性被害にあった女性、聞き手は母だ。声色はあくまでも淡々としている。紙を持つ女性の手と、オレンジ色のマニキュアが印象に残る。

残りの2つの映像で女性が話す相手は、友人と恋人だ。友人は女性に、事件後に男性に警戒心を抱くようになったか、などと尋ねる。恋人は、自分と2人きりになることに負担を感じることがあるか、と問いかける。

神谷絢栄さん

映像に顔は映らないが、オレンジのマニキュアの女性は神谷さんだ。

神谷さんは美大1年のとき、美術業界で働く年上の男性に性的行為を強要された。19歳の神谷さんはその人のことを、展示の相談にのってくれる親切な人だと思っていた。ある日、展示に使えそうな資料があると言われ、男性の自宅に同行した。

「いちばん苦しかったのは、自分が被害にあっているときに強く抵抗ができなくて、そんなことをしてもお互いにいいことがないですよとか、やめましょうよって笑いながら言ったりすることしかできなくて、そういう自分の対応に自己嫌悪があって。それがすごくつらかったです」

その日の夜、警察へ行って被害を訴えた。参考人として取り調べを受け、その後実況見分に立ち会った。人形を相手にできごとを再現する男性の警察官がはずかしそうにしていたことを覚えている。

「担当の刑事さんはよくしてくれて今でも感謝しています。でも、実況見分は証拠として必要なんだろうけど、とてもつらくて。つらすぎてむしろ笑えてくるみたいな、あべこべな感情でした」

展示会場のギャラリーBUoY(東京・北千住)併設のカフェで

事件を検察官に送る前、女性の警察官に「起訴されたら絶対に裁判をやらなきゃいけない。(性犯罪の裁判は)非常にきついが大丈夫か」と念押しされた。

「大丈夫かどうかなんてわからないけど、ここで告訴しないのは嫌だから告訴しますみたいな感じで、(告訴状を)出すことに決めました」(注:当時は強制わいせつ罪や強姦罪などの性犯罪は親告罪。2017年の刑法改正で非親告罪になった)

被害届を出したのも、「この人を野放しにしておくことで同じように被害にあう人がいる」と思ったからだ。大学にも、加害者の名前とともに被害を届け出た。教員が5美大(都内にある主だった私立の美術大学)に注意喚起を通達してくれた。

結局、その男性は嫌疑不十分で不起訴になった。民事訴訟も考えたが、これ以上大学生活に差し障りが出てはいけないと思い、見送った。

「何かを語ることは、聞き手がいないとできないんです。だけど性被害の場合、話す人ばかり注目されます。聞き手側にフォーカスが向くような構成にしたいと考えました」(神谷さん)

これからもっともっとたくさん絵を描こう。そう思って入学した矢先に被害にあい、絵を描くのが苦しくなった。

「その人がいる場所にはいたくない、じゃあもう美術はやれないのかな、死にたいという気持ちになりました。でも、事件のせいで生活が変わってしまった、とはなりたくなかった。ふつうの生活を送るために大学に行く、みたいな感じになっていました。そのころは、事件のことを直接的に人に語ることはできませんでした」

あるとき、美術館に展覧会を見に行くと、偶然その男性がいた。それ以来、美術館に行けなくなった。似た人を見ただけで気分が悪くなり、その日の予定がこなせなくなることもあった。不眠にも悩まされた。神谷さんは、すでに「ふつうの生活」が送れなくなっていることに気づき、PTSDの治療を受ける。事件から3年後のことだ。

撮影:後藤勝

治療によってようやく自分の経験と向き合えるようになったが、「うまく人に話せない」という感覚は消えなかった。どこからか噂が広まって「あの子メンヘラだからねって言われてたよ」とも聞いた。

「とにかく疑われるんですよね。性暴力の被害者は、『ほんとうのことなのかな』とか『この人も悪かったんじゃないか』とかって、常にジャッジする視線にさらされているんです。かわいそうとか弱々しいとか、いわゆる被害者像から離れた行動をとると、『やっぱ嘘なんじゃないの』と思われたりもします。そういうまなざしによって、自分の言葉がうまくつむげない感じがありました」

「表現」という言葉が都合よく使われている

「表現の現場調査団」のホームページに掲げられた発足宣言

2017年以降のMeTooムーブメントの流れを受けて、美術業界でも少しずつ性暴力やセクハラ被害を告発する声が上がるようになっているが、実態をつかむのは難しい。神谷さんのように警察に被害届を出すのはレアケースだ。

昨年、有志による団体「表現の現場調査団」が立ち上がった。メンバーはアーティストやライターら十数人で、美術だけでなく、写真、映像、文芸、報道、演劇、漫画、ゲームなど「表現」にかかわるすべてのジャンルを対象に、ハラスメント被害の実態を調査し、ハラスメントの起きにくい社会へと改善することを目的とする。

「表現の現場調査団」は昨年12月から今年1月にかけて、SNSを通じてアンケート調査を行った。スノーボールサンプリング(調査対象者のネットワークを介して調査対象者を抽出していく方法)のため、全体の傾向を忠実に表すわけではないが、回答した1449人のうち約8割がなんらかのハラスメントを受けた経験を持っていた。中には、深刻な性暴力被害の告白もあった。(出典:https://www.hyogen-genba.com/surveys/

寺田衣里さん

「調査団」メンバーの寺田衣里さん(33)は「こういった調査が行われること自体、意味のあることだと思う」と話す。

「これだけ事例があるのに表面に出てきていないということは、やはり語りにくいんだと思います。例えば、話す相手によっては、セクハラすらもモテ自慢と受け取られかねない。相手の言葉にもう一度傷つけられるということが起きてしまう。表現にかかわる場から身を引いたという回答が多かったことにも、衝撃を受けました」

「調査団」の事例分析によれば、セクハラはパワハラやアカハラなどと混在して起こる場合が多い。また、ハラスメント行為者は年上かつ立場が上位(教師、上司、取引先、顧客など)の男性が多い。要求を断ると、被害者は、仕事や発表の機会がなくなったり、業界での立場が悪くなったりする。断れずに応じてしまった場合、被害者の多くは自責の念に苦しみ、告発に至らないことが多い。少数だが男性の被害者もいる。(調査結果報告書58ページ)

こういった構造は他の領域で起きているハラスメントと同型だが、「演技指導のため」とか「より美しい表現のため」といった、指導や演出の言葉にすり替えられることが、表現分野の特徴だと指摘する。(同5ページ、58ページ)

撮影:後藤勝

教育機関に目を移すと、芸術系大学の場合、実社会のハラスメント構造が大学に持ち込まれやすい。作家を目指して活動する人が多く、大学での人間関係が卒業後の進路に影響しやすいからだ。「調査団」は「権力勾配の強い師弟関係が、伝統的工房から教育機関に受け継がれた歴史的背景を考察する必要がある」と分析する。(同71ページ)

寺田さんは、多摩美術大学大学院博士後期課程に在籍していた2017年、同大彫刻学科の学生有志として、学科の状況を改善するように大学当局に働きかけたことがある。学生が教員から、指導の範疇を超えた強い言葉で作品を否定されたり、講評会など公開の場で叱責されたりすることが頻発していた。大学にこのような事実があったかどうかを問い合わせたが「回答は差し控えさせていただきます」という回答だった。

「先生は無自覚なことが多いんです。例えば、講評で言ったことがハラスメントに当たるようなことだったとしても、君のためを思ってとか、表現の世界ではこういうものだからとか、『表現』という言葉が都合よく使われて、正当化されてしまう。言われた側もそうなんだと思ってしまう。その結果どうなるかというと、大学に来なくなってしまう人もいるんです」

森山晴香さん

森山晴香さん(27)は当時、彫刻学科の修士課程に在籍していて、学生有志に名を連ねた。現在は「調査団」のメンバーとして、アンケート調査の作成・集計に携わる。

「(回答を見て)今まで自分は見ないようにしていたんじゃないかとか、あの人のあの発言はSOSだったんじゃないかとか、そういう記憶が思い出されて、すごく自分に刺さりました。ハラスメントをしたとか、ハラスメントを受けていたと気づくのには、時間がかかるんだと思いました」

個人的な体験を表に出すだけでは説得力がない

「ひととひと」のメンバー

神谷さんはなぜつくることを手放さずにいられたのか。一義的には母の理解と支援があり、適切な治療につながれたからだが、それに加えて、大切な出会いがあった。

冒頭で紹介したグループ展は「女が5人集まれば皿が割れる」という。女性作家によるコレクティブ「ひととひと」の主催で、神谷さんを含むメンバー4人がそれぞれ作品を展示した。

結成は2017年。「ひととひと」の始まりは、美術業界に絶望していた神谷さんに、「連帯できる人がいるんだ」と体で感じさせるできごとだった。

神谷さんは大学2年のある日、少し年上の女性の美術作家と知り合った。彼女は、神谷さんが性被害にあったことを打ち明けても、一切疑わなかった。

「私が何もできない状態でいることを否定せず『しょうがないよ』と言ってくれたり、『ごはん食べれてる? つくりに行こうか?』と声をかけてくれたり、私が欲しかった言葉をいっぱいくれたんです。100パーセント信じて聞いてくれた。救われました」

工藤春香さん

2人は、美術業界の内部で起こる性暴力やセクハラについて、どうしたら改善できるか、世の中に知ってもらうことはできないかと考えた。そこで、美術作家の工藤春香さん(43)に声をかけた。工藤さんはこう振り返る。

「はじめは明確な目標があったわけではないんです。ただ、何かできないかと。単に自分たちの個人的な体験を表に出すだけでは説得力がない。私たち自身がもっと、なぜそういうことが起こるのか、なぜ女性の被害が圧倒的に多いのか、その背景や構造を知っていこう、というところから始めました」

高橋ひかりさん

リサーチャーで、大学では美術史やアートマネジメントを専攻した高橋ひかりさん(26)は、工藤さんに誘われて参加した。

「そのへんのカフェに集まって、最近どう?みたいな、ほんとに世間話から始まるんです。そのうちに、それぞれが日々生きていく中で感じたちょっとした疑問や、はっきりとは言葉にならない鬱屈を、少しずつ話すようになって。例えば、美大の学生は女性が多いにもかかわらず、教員が男性ばかりだとか、ジェンダーやフェミニズムに関する講義がほとんどないとか、そういうことがだんだん見えてくるんですね」

神谷さんの友人で、韓国から留学していた画家のジン・ヨウルさん(30)も加わり、5人で活動を開始。2019年に入ってからは、メンバーそれぞれが発表者となって勉強会を開いたり、性犯罪被害者支援を行う弁護士や、フェミニストとしても活動するアーティストを招いて公開勉強会を行ったりした。

活動を重ねるうちに、自然に「展覧会を開こう」という話になった。途中、呼びかけ人になった女性作家が脱退し4人になったが、活動継続の意思は変わらなかった。

神谷さんは当初、女性画家の歴史と社会構造をリサーチして、何かつくろうと思っていたという。

「でも、いろいろ考えていくうちに、違うかなと思いました。自分の話をする自信がなくて、避けているだけだって。結局、自分の被害が根本にある。そこにまっすぐ向き合ったほうが、いい作品になるんじゃないかと思うようになりました。『ひととひと』の活動で、個人的な話が社会的な問題と結びつけられていくプロセスを踏んだことが、刺激になったと思います」

関係のない人は誰もいない

工藤春香さんの作品。奥に、日本茜で染めた日の丸。中国・西湖の風景が印刷されている。西湖は戦争中に祖母が暮らした町だ。夫と死に別れた祖母は、昭和19年、幼子を抱えて帰国船に乗った

神谷さん以外の3人もそれぞれ、女性として生きていく上で直面する問題に、正面から取り組んだ。

工藤さんは、祖母・母・私の3世代の女性の人生を、歴史的な視点で映し出すインスタレーション作品を出した。

手前の台には、祖母・母・娘それぞれの時代に実際に使われていた3つの教科書が、ホウセンカで染めた絹糸で縫い合わされて立っている。工藤さんはこの作品のために繭から糸をつむぎ、ホウセンカを育てた

映像の中で、娘である私が母に「子どもがいなかったら仕事をしていた?」と聞く。母は「仕事は続けたかったけど、今は子育ての楽しさを知ってるから」と答える。時代の制約の中で精いっぱい、人生を生きてきた女性の姿が浮かび上がる。

ジン・ヨウルさんの作品。「Rings of Earth 地球の環」(左)と「Jogging and Seaweed Soup ジョギングとワカメスープ」。家族や友人、恋人といった親密圏の中で女性に与えられた役割を見つめ直す

ジンさんは縦2メートル近い一対の油絵を、高橋さんは4つの掌編からなるエッセイを出展した。

高橋ひかりさんのエッセイ。フェミニズムを知ることで見えてきた景色を、自らの言葉で編み直す。「語らいから思想を生むことの重要性」を指摘し、フェミニズムを忌避する空気にも疑問を投げかける

美術史・ジェンダー史を研究する吉良智子さん(46)は、女性作家たちがこれほどまでに率直に、女である自分の経験を語る作品をつくったことが、この展覧会の特徴だという。

「女の作品だと見られることを恐れていないんだと思います。ジェンダーやフェミニズムをテーマに作品をつくるのは、すごく勇気がいることなんです。なぜなら、男性主流のアート業界から『フェミニストの作家』と括弧にくくられて端に追いやられたり、大学であれば講師から『個人の体験にすぎず、普遍性がない』などと低く評価されたりするからです」

展覧会は好評を博した。来場者は男女およそ半々。神谷さんの作品でも、当事者の語りに耳を傾ける男性の姿がいくつも見られた。ハラスメントが生じる環境は一朝一夕には変わらないが、彼女たちの勇気を受け取る人たちがいることは間違いない。

吉良さんに、この先どんな美術業界になってほしいと思うか、尋ねた。

「まずは、安心して作品をつくって、安心して発表できるようになってほしい。そのためにフェミニズムやジェンダーの考え方が必要で、ここに関係のない人は誰もいないんです」

安心して制作できる環境は女性だけではつくれないし、女性だけが恩恵を受けるものでもない。彼女たちが投じた一石は、次の誰かの勇気になるだろう。

長瀬千雅(ながせ・ちか)

1972年、名古屋市生まれ。編集者、ライター。

  • 文:長瀬千雅(ながせ・ちか)
  • 写真:後藤勝

\ さっそくアクションしよう /

ひとりでも多くの人に、地球環境や持続可能性について知ってもらうことが、豊かな未来をつくることにつながります。

  • facebookでシェアする
  • X(旧Twitter)でポストする
  • LINEで送る
  • noteに書く

ABOUT US

サストモは、未来に関心を持つすべての人へ、サステナビリティに関するニュースやアイデアを届けるプロジェクトです。メディア、ビジネス、テクノロジーなどを通じて、だれかの声を社会の力に変えていきます。

TOP