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60年以上新規参入を阻む壁を越えたい――秋田で新たな酒造りに挑む九州男児の挑戦

Yahoo!ニュース オリジナル 特集

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撮影:殿村誠士

60年以上にわたり、新規参入が認められていない日本酒醸造の世界。旺盛な海外需要も受けて、輸出用商品の製造は昨年から規制緩和されたが、依然として国内販売向けの製造は事実上不可能な状況が続く。それでも、「酒造り」を諦めない若手起業家が相次いでいるという。そのうちの一人で、秋田に醸造所を立ち上げた男性の挑戦を追った。(撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

「日本酒」だけど日本で「飲めない」

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旧JR男鹿駅舎を活用した醸造所。レストラン「土と風」を併設する

「泣く子はいねぇがー」
2018年11月、「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとしてユネスコの無形文化遺産に登録された、秋田県の「男鹿(おが)のナマハゲ」。この男鹿で、昨年3月に酒造りの会社を創業したのが岡住修兵(33)だ。11月には旧JR男鹿駅舎を活用した醸造所「稲とアガベ」をオープン。醸造所にはレストランを併設、自社醸造の酒と料理のペアリングも提供している。

ただし、ここで醸造した日本酒(酒税法上の清酒)を国内向けには販売できない。「清酒製造免許」を交付されていないからだ。岡住は苦笑いする。

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アガベシロップなど副原料を加えた「クラフトサケ」や「どぶろく」を中心に手がける

「免許はなんとかなると思ってたんですが、想像以上にハードルが高かったです。僕の『日本酒』は、現状日本では飲めません」

現行の酒税法においては、「酒税の保全上酒類の需給の均衡を維持する必要がある」とされ、日本酒製造免許の新規交付も60年以上にわたり認められていない。確かに、国内の日本酒消費量は年々右肩下がりで、1973年をピークに減少を続け、全盛期の3割ほどにまで落ち込んでいる。既存酒蔵の工場新設や研究機関などの試験製造に対し交付されることはあっても、日本酒製造への新規参入には事実上、既存酒蔵の買収か継承しかない。

現在「稲とアガベ」の主力商品は、日本酒とほぼ同じ造りに副原料を加えた「クラフトサケ」と「どぶろく」だ。これらは「その他醸造酒」扱いで、米を原料としながらも清酒製造免許は必要ない。一部の第3のビールも含む「その他醸造酒」の製造免許を岡住は取得済みだ。

酒蔵を取り巻く厳しさと、感じた可能性と

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岡住修兵氏

ただし、「清酒」も諦めてはいない。岡住は醸造所開業に先立ち、「輸出用清酒」の製造免許も取得している。これは、低迷する国内需要とは裏腹に、右肩上がりに伸び続ける海外需要を背景に昨年春から規制緩和で「解禁」となった免許だ。2021年に日本酒の輸出額は400億円を超えており、この10年で4倍以上伸びた計算になる。岡住の「日本酒」は、すでに香港のラグジュアリーホテルや星付きレストランで提供されている。

「海外展開に注力するということではなく、日本で造った酒を日本で買えない、飲めないという現状への問題提起にまずはなればいいと思っています。打ち上げ花火みたいなものですよ(笑)。日本酒を造りたい若者がどんどんこの世界に入ってこられるように、免許取得のルールを動かすきっかけになれば」

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旧駅舎を活用した醸造所には、かつての「駅」の名残りも

そんな岡住だが、実は大学卒業まで男鹿はおろか秋田に縁もゆかりもなかった人間だ。
高校までを北九州市で過ごし、神戸大学経営学部に進学。大学では、アントレプレナーシップとベンチャーファイナンスを扱うゼミに所属した。次第に将来の進路として、企業勤めではなく起業を意識するようになっていく。

神戸には、日本随一の酒どころとして知られる灘地区がある。生来の酒好きだった岡住にとっては天国のような環境。大学の授業で酒蔵がお題になることもあった。一方で、酒蔵を取り巻く厳しさも目の当たりにした。

「どう考えても経営環境は悪いし、このままじゃジリ貧じゃん、っていうのがもう学生ながらにわかるレベルで。ただ、逆にそういうところに入っていったらチャンスあるかもな、とも感じたんです」

「自分で事業をやる場合、日本人として何をやるのかっていうことをすごく考えました。どうせやるなら好きなものをということで、やっぱ日本酒かなって。海外から見たら完全にブルーオーシャンだったし、輸出額も当時から増えてましたからね」

日本酒に関わる仕事で起業を、そう目標に定めた。

「地方で雇用創出する起業家になりたいというのもありました。東京とか、生まれ故郷の福岡とかだと他にも起業家がいっぱいいるから、僕がやる意味はないなって。酒蔵は全国にある。まずは造るところから始めようと。造ることを経験したら何かしら、酒を売ることや教えることにつながるかもしれない。お酒を軸にした仕事って、なんぼでもあると思うんです。その中で向いたものを探せばいいかな、まずは造ろうっていう感じでした」

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日本酒Dining KUROを営む目黒貴志・良江夫妻。貴志氏は男鹿出身

そんな折、日本酒の人気ブランド「新政」と出会う。懇意にしていた神戸の居酒屋・ぼでがで、店主に薦められるままに飲んだ新政の酒は、五臓六腑に染み渡った。どれを飲んでもうまかった。
「ここで働きたいな、ってピンときました」

ちょうど、新政酒造が蔵人を募集していたという運もあった。SNS経由で社長に直談判して採用に。大学を卒業した2014年の春、入社とともに初めて秋田に足を踏み入れた。

新政酒造は、秋田県随一の繁華街・川反通りの目と鼻の先にある。昼は蔵で酒造りに邁進し、夜はひたすら飲み歩く日々。稼ぎの大半は酒代に消えていった。店へのツケで飲むこともしばしばだったという。

岡住が顔なじみとなっていた店のひとつ、日本酒Dining KUROの目黒貴志は、当時を笑いながら話す。

「とにかく飲んでた印象です。今の若い子にはないような酒の強さでした。新政には、いまフランスで日本酒(WAKAZE)を造っている子も修業にきていて、彼とよく酒造りの夢を語っていたのを覚えています」

「商品力」で得た2億円超の融資

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使用する米はすべて、秋田県産の自然栽培米だ

製造と消費の現場を行き来する日々は、気づけば4年半に。すっかり酒造りに魅せられていた岡住。2018年秋、醸造所起業を目指し新政を卒業する。

「酒造りをイチから学んだ秋田で起業したいなと。4年半でお世話になったたくさんの人たちに恩返ししたい思いも強かったです」

醸造所の候補地を探すかたわら、最初に着手したのは原料となる米探しから。

「まずは農業、米作りから関わろうと思いました。酒造りは学びましたが、その原料となる米作りのことは何もわかっていなかったので。1、2年目はそうして見つけた酒米を使った委託醸造でお酒を造り、3年目に法人化して自社醸造しようと」

委託醸造は、新政時代から付き合いのあった群馬の土田酒造が引き受けてくれた。2年目には新政時代の飲み仲間と組み、「自社田」も確保。酒米は自然栽培米にこだわった。

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ひっきりなしに注文が入る

委託醸造には、「岡住の酒」が本当に売り物になるのか証明する狙いもあった。3年後の醸造所開業に向け、金融機関から融資を得る必要があったからだ。

「担保も実績もないなかで、こいつらの商品が本当に売れるのか、そこを金融機関は見てくるわけです。そこに説得力を持たせることができるか。ここは学生時代にベンチャーファイナンスを学んでいたのが生きました」

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地元男鹿市の居酒屋「あつまれ大漁や」でも岡住の酒をあつかう。店主の菊地賢人も岡住とその酒に魅せられた一人だ

2020年3月に直販限定で出した第1弾の委託醸造酒(720ml、3300円)は、800本が即完売した。この反響に全国の酒販店から問い合わせが殺到。岡住は、このうち30店舗ほどと通年での販売協力をうたう「誓約書」を交わす。同年7月の委託醸造酒第2弾800本、翌年3月の第3弾2000本も完売。これが、「商品力」として金融機関へのプレゼンテーションで威力を発揮する。

「最初は3000万円くらいかな」と思っていた岡住に対し、秋田銀行と日本政策金融公庫は無担保で2億1100万円の融資を決定。これで醸造所開設への道筋ができた。

「商品力が評価されたこともありますが、『地域を活性化してほしい』という期待も強く感じました」

シャッターの下りた街で決意した起業

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醸造所から臨む旧駅舎前の街並み

秋田県の人口は2013年以降、毎年1万3000人超のペースで減り続け、2017年には100万人を割り込んだ。最盛期には人口6万人ほどだった男鹿市も例に漏れず、いまや人口は2万5000人ほどだ(22年3月末時点)。

全盛期には年間180万人ほどの乗降者を数えた男鹿駅も、いまや年間10万人、1日平均は300人に満たない規模に。周辺はシャッターの下りたままの店舗が目立つ。

岡住も、必ずしも男鹿で起業しようとは考えていなかった。県内を巡り、理想の場所を探し続けていた。

「最初は『ほかの市町村でやろうかなとも思ってる、悩んでる』と話してました」

そう振り返るのは、男鹿市役所男鹿まるごと売込課の池田徹也だ。池田は迷える岡住とともに男鹿市全域を巡り、空き店舗や廃校になった小学校の校舎などを案内して回った。そんななか、JR男鹿駅の旧駅舎が利用できるかもしれないという話が舞い込む。岡住は言う。

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醸造所のすぐ裏を線路が走る

「目の前は確かに『シャッター商店街』でしたが、逆に醸造所を起点に街づくりできたら面白い、チャンスだと思いましたね。『シムシティ』みたいでしょ」

男鹿市長の菅原広二(70)も、岡住に期待を寄せる一人だ。

「彼がやろうとしてることは地域づくり。男鹿に骨を埋めて、男鹿を元気にしたいんだと。行政としても、やる気のある企業を支援していけば、地域にそのいい気が伝わってくる。そういう流れだと思ってますから、市役所のネットワークも駆使して、できることは支援していきたい。岡住さんには、お金以外でできることは何でもサポートすると伝えています。何か相談があればすぐ直接LINEが来ますよ」

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菅原広二・男鹿市長。岡住とはLINEでもやりとりする

実際、醸造所を皮切りに、酒粕など廃棄される食材を使った食品加工場を年内にオープン予定のほか、宿泊可能なオーベルジュ施設、男鹿の産品を使ったラーメン開発など、岡住の構想は広がっている。醸造所単体でも、すでに社員は10人を超えた。

「たいしたことない数字と思うかもしれませんが、この短期間で新規雇用を10人というのは、男鹿市にとってはインパクトがあります」

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男鹿市観光文化スポーツ部男鹿まるごと売込課にて。左から、池田徹也氏、沼田弘史氏、浅井和将氏

清酒製造免許についても、菅原はバックアップを惜しまないつもりだ。

「日本酒(醸造を可能にする)特区という考え方もある。男鹿市単独では小さな力かもしれませんが、全国の意欲ある自治体と連携して国と交渉するようなことはやっていいと思っています」

免許取得は諦めず、男鹿を「酒シティー」に

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蔵人たちとともに。雇用した社員は10人を超えた

「新規に日本酒造りに挑もうとする、岡住さんのような人は増えています」

国内外の日本酒事情に精通する、今田周三・日本の酒情報館館長は言う。

「ただ製造免許の縛りがありますから、フランスのWAKAZEのように海外で醸造したり、岡住さんや福島のhaccoba(ハッコウバ)、新潟のラグーンブルワリーのように『その他醸造酒』として展開するかたちが多いと思います」

日本酒の「定義」にこだわらない海外、特にアメリカでも数多くの「クラフト酒ブルワリー」が既に誕生し、人気を博しているという。

「自由に思い思いにやっている。ホップを入れたりバニラを入れたり......。飲んでみるとこれはこれでおいしいんですよ。お米が主体のお酒を飲んでもらうという意味では、消費者が「おいしい」と思っていただける新しいジャンルのお酒が生まれることは、むしろ日本酒消費が低迷したままの日本にとって一つの可能性でさえあると思います」

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秋田で結婚し、息子も生まれた

岡住の酒の人気ぶりも、そうした現状を裏づけているのかもしれない。

「岡住さんのどぶろくはとてもおいしかった。あの技術で清酒を造ったらどうなるか。それは楽しみですよね」

岡住の蔵は、酒類販売だけで初年度1億円を超える売り上げを見込んでいる。岡住は言う。

「絶対に免許を取得して、男鹿に酒造りが軸の『酒シティー』をつくって人をもっと呼び込みたい。それこそブルゴーニュのような、ね」

地域と酒好きの期待を背負いながら、岡住の挑戦は続いていく。

元記事は こちら

岡住修兵(おかずみ・しゅうへい)

1988年福岡県出身。神戸大学経営学部卒業後、秋田の新政酒造で4年半、日本酒醸造に従事。2021年秋田県男鹿市にて「稲とアガベ」を創業。同年11月に醸造所をスタート。酒粕等を活用する食品加工場「SANABURI FACTORY」など、男鹿を拠点とした酒造り以外の事業も複数準備中。醸造過程で出る酒粕を使う「発酵マヨネーズ」の事業展開に向け、クラウドファンディングも実施している。

  • 取材・文安藤智彦
    撮影殿村誠士

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