男になるのは、サッカーに区切りがついた瞬間――トランスジェンダーであることを公表した横山久美選手の目指すもの #性のギモン

「同じように性について悩む女子選手に選択肢を示したかった」。女子サッカー元日本代表選手・横山久美はそう語る。2年前にアメリカで、性自認が男性のトランスジェンダーであることを公表した。今季、女子サッカーなでしこリーグ2部・岡山湯郷Belleに電撃移籍し、キャプテンとしてチームを率いる。公表した背景や自身のサッカー人生について、そしてチームの人たちを取材した。(取材・文:田中有/Yahoo!ニュース オリジナル 特集/文中敬称略)
「女子サッカー選手として、この湯郷でやり切りたい」

午後の日差しが差し込むグラウンドに、カン高い声が響いていた。「止めれるよ、おしい!」「負けないよー」「こだわれ、そこ」。小柄で短髪の選手が、ゲーム形式で練習する女子選手の間を縫って走り回り、全体にたえず目を配っては声をかけ続けた。
「今日はおとなしいほう。普段なら、もっと吠えてますよ」と、練習を撮影していた広報スタッフが教えてくれた。
女子サッカーなでしこリーグ2部・岡山湯郷Belle(岡山県美作市)に所属する元日本代表選手・横山久美(29)。昨年まで所属したアメリカ女子プロサッカーリーグ(NWSL)・ゴッサムFCを退団し、今季から10年ぶりに湯郷に復帰、キャプテンに就任した。横山は2年前、性自認が男性のトランスジェンダーであることを、元日本代表・永里優季選手の動画サイトで公表している。その後ほどなく、パートナーの日本人女性とバージニア州で婚姻届を出した。

「公表したのは、こういうやり方もあるんだよと、同じように性について悩んでいる女子選手に選択肢を示したかったから。そういう子たちに、ひとりでも多くサッカーを続けてほしいんです」
20歳のとき、乳房を切除する施術を受けた。それ以外は男性化のための医療的措置は一切しておらず、ホルモン剤も服用していない。それらは引退後のことだと決めている。男子の中でサッカーを続けることが自分の使命ではない、とも。
「自分の中では、男になるっていうことは、サッカーに区切りがついた瞬間だと思っているので。女子サッカー選手として、この湯郷でやり切りたい」
横山は小学校1年からサッカーを始め、FWとしてずっと一線でプレーしてきた。その中で、自分と同様、生まれたときの性別に違和感を抱き、悩んでいる女子プレーヤーを何人も見ている。
「男になりたいから、とサッカーをやめていく子たちが結構いました。中にはすごくポテンシャルの高い、やる気も実力もある子たちがいて、本当にもったいなかった。男になれたのはうれしいけどサッカーは続けたかった、という声も聞く。自分自身、同じ選択をしようか悩んだ時期があった。でも『おまえはまだ上にいけるから、絶対に続けろ。悔いが残るぞ』って後押しされたこともあって、今まで続けてこられたと思います」
華麗なる経歴から弱小チームへ電撃移籍

女子サッカー選手としての横山のキャリアは華麗なものだ。
中学時代から東京都選抜や関東代表に選ばれ、さらにU-17女子W杯でも活躍した。
サッカーの強豪高校を卒業後、横山は当時トップリーグ(男子リーグのJ1に相当)に属していた湯郷Belleの一員となる。2年を過ごした後、移籍したAC長野パルセイロ・レディースでリーグ得点王となり、日本代表に選出されている。
2017年に1年間、ドイツ・フランクフルトに期限付き移籍。2019年には女子プロサッカーの最高峰と言われるアメリカに渡って3年間プレーし、リーグ優勝も経験した。
その間に湯郷Belle はなでしこリーグ1部から2部へ降格もした。女子リーグの再編を経て、なでしこ2部は男子リーグでいえばJ3に相当する位置付けとなり、昨シーズンはその最下位に。地域リーグとの入れ替え戦を経てギリギリのところで降格をまぬがれている。ここに、アメリカ帰りの横山が入団したのだ。
そのような、まさに"超格下"への電撃移籍が、2022年12月に発表された。
引退を先延ばし"腫れ物扱い"しないクラブへ

アメリカで3シーズンを過ごしたあと、横山は引退するか迷っていた。
「サッカー選手として、アメリカでプレーするというのが目標でした。それがかなって、しかもすごい充実した3年間を過ごして、年も年だしもういいかな、と......」
それを翻意させたのが、湯郷Belleからのオファーだった。
「シーズンが終わった頃に、お世話になった人たちから『まだできるでしょう』『やめる前に湯郷Belleでまた町を元気にしてよ』と言われて。以前からよく知っている湯郷の塚さん(塚本一郎会長)からも電話をいただきました。高橋寿輝GMはすぐに東京まで会いに来られた。帰国してサッカーを続けよう、それなら最後に湯郷でやりたい!と、気持ちが固まりましたね」

パートナーは同じ東京生まれで、地方暮らしの経験がない。もしも彼女がつらくなったら、単身赴任をする覚悟も固めている。
トップリーグのクラブからも移籍話はあった。高いレベルの選手たちと戦うことは魅力的だったが、戦術が固まっている中に、横山のような個性の強い選手が入っていくことは難しくもある。セクシュアリティーに対する先方の受け止め方に引っ掛かりもあった。
「クラブのほうから、自分がトランスジェンダーであることで、『誹謗中傷も絶対来るし、ファン、サポーターがどう受け止めるかも予想できないけれども、そこはどのように考えているんですか』と聞かれました。それで、自分は何も答えなかったです。そういう感じなら、こちらとしても大丈夫です、と。湯郷に来ることを決めたのは、ここはそういう、腫れ物扱いみたいな空気がほぼなかったことも一因です」
「性別に違和感のある選手は、ごく普通にいます」

昨年12月、三つぞろいのスーツに湯郷Belleのクラブカラーであるネイビーのネクタイを締め、横山は入団会見に臨んだ。帰ってきた理由を「自分はここでだけ、結果を残せていません」と切り出した。「地域リーグに降格していたとしても、ここに来ていたと思います」とも。
かつて所属した頃、クラブには2011年女子W杯初優勝チームの主力メンバーだった宮間あや選手らがおり、強豪チームとしのぎを削っていた。高卒新人だった横山は2年間で3ゴールしか決められず、結局ひとつ下のカテゴリーへと移籍する。その間、サッカーをやめて実家に戻ろうと幾度となく思ったという。
「トップのレベルは高校と比べものにならないほど高くて、ついていくのに必死でした。でも何よりも、あの頃の自分が"サッカー中心に生きていなかった"のがすべて。練習や試合はもちろん、普段の食事、睡眠、オフの過ごし方まで全部、サッカーにつながる。それを意識して行動できなかったら、そりゃ何も結果は出ないよなって、今ならわかります。当時は、先輩たちに何でこんなに怒られるんだろうって、マジでつらかった。でも、気にかけて可愛がってもらってたんですよね。今になってみると、ホントにありがたいなと思います」

横山の獲得に動いた高橋GMは、チームにもたらすインパクトを期待している。
「選手たちとよく喋るし、めちゃくちゃ怒るし、全力で褒める。課題があれば監督や僕にもすぐに言いに来る。1部リーグへの昇格、という目標を掲げて、今のところものすごくみんなを引っ張っているキャプテンですね」
遠征も多い団体競技だけに、チームで寝食を共にする機会は少なくない。性自認が男性の選手を迎え入れるという点で、クラブとして意識したことはないのだろうか。
「性別に違和感を抱く選手というのは、女子サッカーの世界では本当によくある話です。僕なんかは慣れてしまって、特別なケースだと身構えたりはしませんでした。横山のように公表も結婚もして振り切れているのは、むしろ気を使わずにすんでありがたいです」

もちろん、設備面での配慮は怠らない。たとえば高橋GMはシーズンに入る前、練習場のシャワーをカーテンでブース状に仕切る仕様に改装している。
「とはいえ、選手は湯郷温泉のほとんどの温泉に入らせてもらえるので、横山を含むほぼ全員、練習後は気の合った同士、行きたいお湯に行くことが多いですね」
横山効果が出始めた? チームに生まれる変化

ひとりだけ別格の選手が加入したことを、クラブの監督や選手たち現場サイドはどう受け止めているのだろうか。
「久美はサッカーが好きで、本気で勝ちたいから、本気で選手たちに向き合っている。だから特に厳しいということではないと思いますね。性別の問題について、世の中で騒がれているほどは、僕はあんまり意識したことはないです。久美はひとりのプレーヤーだし、ひとりの人間としか見ていないので」(谷口博志監督)
「久美のように心の性は男性、っていう選手たちを何人も見てきました。ああいうふうにオープンにしたかっただろう人もいたと思います。久美がオープンにしていることで、逆に周囲の選手たちにも抵抗がないんじゃないのかな、という気がします」(桂木泰子コーチ)

DF・内田好美は横山が新人だった頃、ユースチームからトップの練習に参加していた。
「今は高卒の子や私たちのレベルに下りてきて、問題点やアドバイスが伝わるように話をしてくれます」
練習後やオフでも横山とよく話すのが、FW・岸野早奈だ。
「私はBelleが強かった頃を知っていますが、今季は昔に戻ってきた雰囲気がありますね。ヨコさんは常にサッカーのことを考えている人です。練習のとき話していたことを、温泉で長風呂しながらみんなでまた話すのが日課になりました」
「男になる」以外、将来のことは考えていない

7月2日時点で、湯郷Belleはリーグ戦全18節中14試合を終えて8勝3分け3敗、勝ち点27で全10チーム中3位につけている。横山は20ゴールで得点ランキングトップに立つ。後半戦に入ってからは2度の逆転勝ちを含む5連勝中と、好調を維持している。
「アイツに、とにかく2年で1部に上げろよ、と言いました。ダメだったら契約延長だぞ、とも」
高橋GMはこう言ってニヤリとした。横山も、湯郷に対する恩返しとして「1部昇格を目ざす。自分は得点王を目標にします」と入団会見で宣言している。

では、その高い目標を達成した暁には、どういうビジョンがあるのだろう。
「男になりたい、という以外、セカンドキャリアとしてやりたいことは特にないです。サッカーしかやってこなかったので、次にやりたいことが見つかってから、後悔なく終われたら。子どもを持つかどうかも、まだわかりません。今のところは自分も彼女も考えていません」
「レベルの高くないところにいて、がむしゃらにできない子がいれば怒ります。全部の時間をサッカー基準で考えて、うまくなるために、勝つために、今は遊びに行ってるときじゃないよねとか、試合前にその食生活でいいのとか」
かつて、サッカー意識の低かった自分が言われたことを、今度は口を酸っぱくして伝える側になった。
「自分は、あの強く華々しかった湯郷Belleを取り戻し、湯郷の町を盛り上げるためにここに来ました。今はそのことだけを考えて、一日一日を過ごしています」
「#性のギモン」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人間関係やからだの悩みなど、さまざまな視点から「性」について、そして性教育について取り上げます。子どもから大人まで関わる性のこと、一緒に考えてみませんか。
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