「義足で人類最速」へ挑むわけ。義足エンジニア・遠藤謙さんが実現したい、誰もが走れる社会

2021年、東京パラリンピック開催をきっかけに、一気に身近になったパラスポーツ。メディアでもさまざまな競技が中継され、楽しみに観ていた人も多かったのではないでしょうか。
パラスポーツの中で、先天的な理由や何らかの事情で足を失ったパラアスリートが使用するのが競技用義足です。そして、競技用義足の開発とトップパラアスリートの育成・強化、加えて競技用義足の一般への普及に努めてきたのが、株式会社Xiborg(サイボーグ)の代表取締役で、義足エンジニアの遠藤謙さんです。
「誰もが走れる社会の実現」と「"義足で人類最速"の達成」を目指す遠藤さんが、その先に描く「多様で、公平で、包括的な社会づくり」とは――。
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義足ランナーの走る姿に衝撃を受けて
現在の男子陸上100mの世界記録は、ウサイン・ボルトの9秒58。一方、義足ランナーの男子陸上100mの世界記録は、ヨハネス・フロアスの10秒54と、すでにその差は1秒まで迫っています。
「今後、テクノロジーの進化やパラアスリートの努力によって、健常者よりも足が速くなる未来が必ず来ます。その先に待っているのは、社会の価値観の大きな転換です」と、遠藤さんは話します。

遠藤さんが指摘する"価値観の転換"。それは「障がい者」が速く走れること以上の可能性を秘めています。
「一つの物事の発明によって、人間の生活や考え方を大きく変えた例は多くありますよね。義足でいえば、それまでは障がい者と言われて、健常者よりも身体能力の面で劣るとされていた人たちが、競技用義足によって速く走れるようになる。すると『障がい者はこうだよね』という、既存の概念や価値観がガラッと変わると思います」。

もともとヒューマノイドロボットの研究をしていた遠藤さんは、高校のバスケットボール部の後輩が骨肉腫となって下肢切断したことをきっかけに、ロボットと義足の技術を結びつける研究をしたいと、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学しました。そこで、義足でありながらオリンピックに出場しようとしているパラアスリートの存在を知ります。
「彼が競技用義足で走る姿がめちゃくちゃかっこよくて、衝撃を受けたんです。足がない人がかっこよく走るということを、僕はそれまでまったく想像していなかった。と同時に、いずれは健常者よりも速く走れるのではないか、とも感じたんです」。
競技用義足の可能性に魅せられた遠藤さんは、2012年に帰国後、共通の知人を介して、元陸上選手の為末大さんと出会います。意気投合したふたりは、2014年5月、株式会社Xiborgを創業。為末さんの尽力もあり、義足製作にあたり3名のパラアスリートが協力を申し出てくれました。
ものづくりを極めるために、事業をあえてスケールさせない
ところが、最初につくったプロトタイプは柔らかすぎて「これでは走れない」と言われてしまいます。遠藤さんは、大手素材メーカーである東レの協力を取り付け、競技用義足の素材であるカーボンとその成型技術について、一から勉強しました。2014年から6回ほどの試作を繰り返し、2年後の2016年3月、パラリンピックで使用できる競技用義足「Xiborg Genesis」がようやく完成。ひとつの義足の重さは2kgほどで、見た目の重厚さとは違い、片手でひょいと持ち上げられる軽さに仕上がりました。その後もデータ解析や研究を重ね、2018年には「Xiborg Genesis」の後継モデル「Xiborg ν」が完成しました。

「足の欠損位置は人によって違うので、一般的な競技用義足では高さの調整が必要になります。そのため、ブレードは上部からまっすぐに下に伸ばし、途中で横に湾曲させる形をとります。ですがXiborgは、選手一人ひとりに合わせてオーダーメイドで義足を製作するため、高さの調節が不要で、ブレードの上部から直接的に湾曲をつくることが可能です。すると使用するカーボンの量も減り、さらに軽くすることができる。重心も上に移動するため、扱いやすく跳ねやすい義足になるんです」。

一人ひとりに合わせてつくるからこそ、最良の形状を追求できる。競技用義足のあり方としては理想的ですが、事業として成立させるのは難しいという側面もあります。
「義足メーカーとして事業拡大するには、市場の中で売れるものをつくって、営業や展示会などの販売促進をする必要があります。ですが、僕がやりたいのは研究やn=1のものづくり。経営やビジネスをしてしまったら、事業は続けられないと思いました。だからあえて、事業拡大を諦めたんです」。
スケールはせずに、「誰もが走れる社会の実現」と「"義足で人類最速"の達成」をするためには――。遠藤さんが目指したのは「F1レーシングのチーム」でした。研究開発型で、数名のアスリートや義肢装具士と、小規模なチームで一緒に義足をつくっていく。そして活動に共感してくれる企業にスポンサーになってもらう。小さな規模であれば、"共感"によって事業を確立することはできると考えました。
「誰もが走れる社会」と「人類最速」はつながっている
Xiborgの創業から10年、さまざまな人々の共感を得て、着実に成果を上げてきました。まもなく開催されるパリ2024パラリンピックでは(取材は2024年6月)、出場する3選手の競技用義足の開発をしています。しかしパラリンピックが注目を集める反面、課題も見えてきました。
「パラスポーツはまだ市場が小さく、スポーツにおける普及・育成・強化の『強化』の部分だけが注目されています。もちろん強化は大切ですが、トップアスリートだけが頑張るものでは広がりが生まれません」。
そこで遠藤さんは、競技人口を増やすべく、子どもたちに競技用義足で走る体験を提供する「ギソクの図書館」やランイベントを実施しています。また、ラオスやブータン、フィリピン、シエラレオネなどの競技用義足が浸透していない国に赴き、パラアスリートの義足製作サポートや普及活動にも取り組んでいます。


「日本でも、パラスポーツは一部の特別な人のもの、という認識が根強いです。また発展途上国では、障がい者がスポーツを楽しむこと自体、ハードルがすごく高い。実際、パラスポーツの選手はアメリカやヨーロッパなど、裕福な先進国の選手がほとんどです。逆に言うと、アジア諸国やメダル常連国であるアフリカでパラスポーツが当たり前になれば、記録はさらに伸びていくと思いますよ」。

実際、ギソクの図書館やイベントを介して走る楽しさを知った子どもたちの中には、陸上競技の世界に足を踏み入れた子もいます。また、2024年5月に神戸で開催された世界パラ陸上競技選手権大会では、Xiborgがサポートしたタイの選手が100mで6位入賞を果たしました。
「誰もが走れる社会の実現」と「義足で人類最速」というふたつの目標は両輪であり、まったく違うようで密接なつながりがあるのです。
「もちろん、みんなにパラアスリートになってほしいわけではありません。本来、スポーツはそこまで身構えることなく、楽しみながらすればいいもの。スポーツを気軽に楽しむ中で自然と競技人口が増え、高みを目指すトップアスリートが生まれて競技レベルが高まっていく。これが健全なプロセスではないでしょうか」。
パラスポーツを、スポーツ競技のひとつにする
ふたつの目標を両輪で回していくためにも、遠藤さんは現在、陸上100mにおける世界記録をパラアスリートが塗り替えることを目指しています。

「みなさん、ウサイン・ボルトは知っていますよね。では、ウェイド・バンニーキルクはご存じですか。バンニーキルクは男子陸上400mの世界記録保持者です。多くの人がボルトは知っていてもバンニーキルクは知らない。バンニーキルクもウサイン・ボルトに並ぶくらい本当に素晴らしいアスリートです。ただ一方で、多くの人が注目する陸上競技の花形は、やっぱり100mになってしまうのです。その100m走でパラアスリートが健常者の記録を抜くことの社会的インパクトは大きい。実現したら、社会が変わるトリガーにもなり得ると思っています」。
トリガーが引かれたとき、社会はどのように変わるのでしょうか。
「"障がい者なのに頑張っていてすごい"とか、"義足だから速い"や"最新のテクノロジーを駆使してずるい"といった、今ある見方や議論がなくなると思います。視力が悪い人が、メガネというデバイスをかけてコンプレックスがなくなるように、義足ランナーが人類最速を達成することで、コンプレックスは解消される。むしろ、彼らのことを障がい者とは思わない感覚が社会に生まれるのではないかと思います」。
パラスポーツが「障がい者のスポーツ」ではなく、エンターテインメント性あふれる「スポーツ競技のひとつ」となった瞬間、既存の価値観は大転換を起こし「多様で、公平で、包括的な社会」が実現されていく。そんな未来に向けて、遠藤さんの挑戦は続きます。
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遠藤 謙 Ken Endo
1978年生まれ。慶應義塾大学修士課程修了後、渡米。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボにて博士取得。ロボット技術を用いた身体能力の拡張に関する研究や途上国向けの義肢開発に携わる。 2014年に為末大氏らとともに株式会社Xiborgを創業し、代表取締役に就任。競技用義足の開発を開始する。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所の上級研究員。2012年には、MITが出版する科学雑誌『Technology Review』が選ぶ「35歳以下のイノベーター35人(TR35)」に選出されている。

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