鎌倉・鶴岡八幡宮の背後に建物が建つのを市民が防いだ。鎌倉風致保存会に聞く、古都の緑を守る活動のこれまでとこれから
私たちが暮らす場所には、長い時間をかけて積み重ねられてきた歴史があります。土地を整え、家を建てる営みは生活に欠かせません。ですが、もし森を切り開き、山を削ることが歯止めなく続くと、気づけば風景は変化し、"その土地らしさ"も失われていきます。
森を守ること、暮らしや経済を支える開発の両立は、常に繊細なバランスの上にあります。
開発ブームに沸いた昭和の時代。市民の力で守られた鎌倉の森は、そんな歴史を静かに物語っています。
当時は景観を守る制度がまだ整備されてないにもかかわらず、鎌倉の住民たちは資金を出し合い歴史ある土地を購入し、森を開発から守り、保全を続けてきました。その活動は日本におけるナショナル・トラスト運動(※)の第一号と位置付けられ、後の法律や制度づくりにも強い影響を与えています。
そうした想いは「公益財団法人 鎌倉風致保存会」へと受け継がれ、現在は森の手入れや下草刈りを中心とした、鎌倉に根差した幅広い環境保全活動へと広がっています。会員やボランティアとして参加する人たちの表情は、自然と触れ合う喜びにあふれた、どこか晴れやかなもの。
都市と自然が離れがちな今の時代に、歴史と緑に触れ、そのつながりを結び直す鎌倉風致保存会の活動を取材しました。
人で賑わう鎌倉の、奥に息づく緑を守る
神奈川県に位置する古都・鎌倉。深い歴史や趣ある街並みに惹かれ、国内外から人が訪れる観光地であるとともに、首都圏からアクセスの良い居住地としても人気のある街です。
その中心に鎮座する鶴岡八幡宮は、鎌倉時代に「鎌倉の守り神」「武士の守り神」として信仰され、武家社会の精神的支柱となった場所。ここを起点に武士の都が栄え、多くの歴史や文化が生まれました。鎮座八百年を超えた今も、鎌倉を象徴する存在として多くの参拝客でにぎわっています。
そして、そのすぐ背後には緑豊かな景観が広がっています。歴史ある建造物と人の往来、その奥に息づく自然のコントラストは、まさに鎌倉らしい景観。そんな鶴岡八幡宮の脇道を抜け、さらに10分ほど歩けば、古い住宅が点在し、木々の緑に包まれたエリアへとたどり着きます。
取材チームが訪れたのは9月中旬、土曜日の午前10時頃。この日は鎌倉風致保存会が主催する活動「みどりのボランティア」が行われていました。現場には20名ほどが集まり、和やかに会話を交わしながら準備を進めています。
ストレッチで体をほぐしたあと、作業の段取りが伝えられ、国指定史跡である平地やフェンス沿いに伸びた草を、2時間ほどかけて刈っていきます。
活動はそれぞれのペースで、休憩や会話を挟みながら進み、終始穏やかな雰囲気に満ちていました。参加したボランティアの一人、代表幹事の中村さんは14年前に初めて参加し、隣の藤沢市から毎週土曜日に通いながら、活動を続けているそうです。
「いろんな人とざっくばらんに話しながら、緑の中で作業してリフレッシュできるんです。緑を守る活動のはずなのに、自分が緑に大切にされているような感覚がありますね」
そう語る表情からは、活動を心から楽しみながら続けていることが感じられます。
歴史ある「御谷の森」に訪れた危機
鎌倉の自然と文化財を守り伝えるため、1960年代に始まった鎌倉風致保存会の活動。その発端となったのは、鶴岡八幡宮の北西に広がる「御谷(おやつ)の森」をめぐる宅地開発計画だったそう。常務理事兼事務局長の石山由夫さんに、その経緯を伺いました。
── 緑に囲まれた、気持ちのいい場所ですね。このエリアについて教えていただけますか?
石山さん
今日作業している場所は国指定史跡・鶴岡八幡宮境内にあり、かつての「鶴岡八幡宮寺」の宿坊があったともいわれる場所です。また、ここから見える丘陵地と谷戸(丘が侵食されてできた谷状の地形)は「御谷」と呼ばれ、1500年前から修行場として使われるなど、鎌倉の聖地としての歴史も持っています。
── 鎌倉の原風景を支える、歴史的にも意味の深い土地なのですね。
石山さん
そうですね。ここに限らず、鎌倉は緑豊かな地域なのですが、昭和30年代、高度経済成長期に入ると開発ブームが鎌倉にも押し寄せました。
戦災を免れたことや自然環境が豊かであること、都市部へのアクセスの良さからも宅地需要が急増し、市域の約12%にあたる500ヘクタールの緑が失われていったのです。その状況は「昭和の鎌倉攻め」と呼ばれるほどでした。
── 緑に恵まれた土地が、宅地開発の勢いに呑まれようとしていた。
石山さん
開発の対象は、御谷の森も例外ではありませんでした。昭和38年ごろ、業者による測量や調査が入ったことから、開発計画が明るみに出ました。
この一帯を宅地にすることは、鎌倉そのものを壊すことにも等しく、もしこの場所が宅地造成されれば、鶴岡八幡宮の背後に建物が立ち並ぶこととなり、参道や境内からの眺望も損なわれてしまいます。そうした危機感から、住民たちは「自分たちの町は自分たちで守る」と立ち上がったのです。
── 御谷の森の伐採も始まっていたのですね。具体的には、どのような活動が行われたのでしょうか?
石山さん
反対運動や署名活動など、さまざまな取り組みが行われました。婦人会の反対運動が新聞で報じられると「御谷騒動」として全国に広まり、わずか5日間で23000筆もの署名が集まりました。SNSのない時代に、これだけの数が集まったのは驚きですよね。
この動きには鎌倉ゆかりの文化人も加わりました。作家・大佛次郎(おさらぎじろう)氏は神奈川新聞に「怒る権利」と題して寄稿し、景観保全の重要性を訴えました。画家・小倉遊亀(おぐらゆき)氏は開発予定地でのスケッチ中、業者の運転するブルドーザーで追い払われ、その出来事が全国紙で報じられると大きな反響を呼びました。
── 地域住民の声が、文化人や全国へと広がっていったのですね。
石山さん
御谷騒動は、一般市民から学者、僧侶、そして県知事までを巻き込む大きな運動へと発展しました。1年以上にわたる粘り強い交渉の末、土地所有者や事業者の理解も得て、最終的に開発は取りやめとなりました。当時は宅地開発から山の緑を守る法律はなく、一連の活動は「市民の良識と世論が勝ち取った成功例」として、鎌倉の住民運動の原点といえます。
人の心を動かし、国の制度も変えた市民活動
── 御谷騒動で守られた土地は、その後どのように管理されたのでしょうか。
石山さん
昭和39年、有識者を中心とした組織が立ち上がり、鎌倉市も出資という形で支援しました。全国からは寄付が寄せられ、当時の金額で総額1000万円もの寄付が寄せられたそうです。
こうした市民と自治体の後押しを受け、昭和39年12月25日に「財団法人 鎌倉風致保存会」を設立しました。昭和41年6月19日には、鎌倉風致保存会が受け皿となり、集まった寄付金900万円と市の出資600万円をもとに、宅地開発が予定されていた御谷の山林1.5ヘクタールを買い取り、保全への大きな一歩を踏み出したのです。
── 一時の活動で終わらず、組織として管理していく体制ができたのですね。
石山さん
御谷騒動は全国に知られるようになり、京都や奈良でも開発反対や景観保全の運動が広がりました。古都を守ろうとする世論が高まった結果、昭和41年1月13日には超党派による議員立法で「古都保存法」が公布され、法的に歴史的風土を守る枠組みが生まれました。この法律は、その後の「首都圏近郊緑地保全法」や「都市緑地保全法」にもつながり、鎌倉市民の活動が礎となったのです。
── 鎌倉のアクションが全国に広がり、国の制度づくりにも影響したのですね。日本の緑を守る仕組みが、この場所から生まれていたとは驚きです。
石山さん
鎌倉の貴重な自然環境や優れた歴史的遺産は、多くの先人たちの不断の努力によって守られてきました。同時に、土地所有者の理解と協力があって初めて成り立っていることも忘れてはいけません。
保存会の初代理事だった大佛次郎氏は「過去への郷愁ではなく、将来の日本人の美意識と品位のために」と記しました。その言葉は今も活動の指針であり、未来の子どもたちにこの景観を引き継ぐのは、今を生きる私たちの責務だと考えています。
守られた緑を維持するボランティアの力
── 制度や法律ができてからは、鎌倉風致保存会の活動内容に変化はありましたか?
石山さん
一度目標を達成したことで活動は停滞しましたが、鎌倉はもともと災害リスクが高い土地です。人が山へ入る頻度が減れば、その営みが途絶えればまた荒廃してしまうかもしれない。せっかく守った緑を維持するためには、新しい取り組みが必要でした。
そこで、1996年からは「みどりのボランティア」が始まりました。市民や企業からボランティアを広く募り、主に鎌倉風致保存会の所有地や国指定史跡を含む緑地などでの下草刈りや枝払いといった山の手入れを行い、崖崩れや倒木の防止に取り組んでいます。災害を防ぐだけでなく、鎌倉の森や歴史的な街並みを次世代に引き継ぐ活動として、地域の中学校とも連携して、多くの方が参加してきました。
さらに1998年には会員制度を整え、会員自らが企画や運営を担う仕組みを導入しました。現在の会員数は約340人にのぼり、会費で活動を支えるだけでなく、自主的に事業を立ち上げることで、活動の幅が広がっています。
── 今日の活動に集まったのも、鎌倉風致保存会の会員さんと「みどりのボランティア」として参加する方々なのですね。
石山さん
そうですね。誰でも気軽に参加できることもあり、2024年度末までに延べ24000人の方に協力いただきました。最近ではSNSを通じて若い世代の参加も増え、東京や千葉など鎌倉以外から来る方も多いです。また、企業ボランティアという形で、活動に共感いただいた企業の社員さんが参加していただくケースもありますね。
活動場所は御谷の森周辺をはじめ、十二所果樹園や寺院境内地など鎌倉各地で年間30回以上。専門のインストラクターに教わりながら、倒木処理などを覚え、少しずつ自分たちの手でできることを増やしてきました。今ではハイキングコースのパトロールも長い歴史があります。
ここで、ボランティアや会員の力で活動の幅を広げていく鎌倉風致保存会に長年関わり続け、現在は副代表幹事をつとめる小澤さんにもお話を伺いました。
── 今日はお疲れ様でした! 鎌倉風致保存会の活動には、どのように参加されているのでしょうか?
小澤さん
参加してもう30年になります。最初は市の広報誌で活動を知り、東京での仕事で体調を崩したこともあって、健康に良さそうだと参加してみたのがきっかけでした。実際に続けてみると気持ちがよく、楽しい出会いもあるので、無理なく続けられています。
鎌倉を地元として育ちましたが、御谷騒動のことは後になって知りました。活動の中で歴史を学ぶこともあれば、植物について詳しくなることもあります。ジムに行かなくても十分健康にいい運動になりますし(笑)、午前中にみどりのボランティアで汗をかいて、午後は鎌倉を観光して帰るなど、自由に過ごす人も多いですね。
今は十二所果樹園での収穫や海岸清掃・マイクロプラスチック採取体験など、保存会ではたくさんの取り組みがありますから、若い人にも観光だけでなく、自然に触れてみてほしいと感じています。
森を通じて歴史に触れ、これからの未来を考える
御谷の森を守った市民運動から60年。鎌倉風致保存会の活動は、鎌倉の歴史や景観を守るだけでなく、気候変動や災害リスクが高まる現代において、私たちの暮らしを守る役割も果たしているようです。
── 多くの方が森に入ることで、歴史ある景観が守られていることがわかりました。
石山さん
近年は地球温暖化の影響で草木の成長が早まり、台風も勢力を保ったまま上陸するようになりました。その結果、鎌倉の山でも倒木や崖崩れによる被害が増えています。また、かつては薪を採ることで自然に枝払いが行われていましたが、生活様式の変化でその営みが失われ、森が荒廃している場所も増えています。森を守ることは、自然を守るだけでなく、人々の暮らしを守ることにもつながっているんです。
森と生活との距離が離れてしまったせいで、適切な付き合い方も忘れられ始めています。ただ緑があれば良いわけではなく、安全のためにも手入れが必要なのに、木を切ることを可哀想と感じてしまう人もいる。実際に森に入り、手を動かしながら話をすることで、そうした誤解を解き、正しい知識を身につけてもらえればと思っています。
── 森を守ることの意味は、時代とともに変化しているのですね。
石山さん
鎌倉は歴史的建造物や遺跡と、背後の丘陵や谷戸、そして海などの自然的環境が一体となって独自の風土をつくってきた土地です。今も市域の約3分の1が樹林地として残っていますが、これは市民が守り抜いてきたからこそ実現したものであり、私たちにとっても大きな財産です。
60年の歴史の中で、御谷騒動の記憶は薄れてきていますが、「森はあって当たり前ではない」ということを伝え続けたい。鎌倉風致保存会の活動で森に入ることは、景観を守るだけでなく、地域や人とのつながりを感じる時間にもなっています。こうした活動を通じて参加者が緑の大切さを体感し、理解が広がるきっかけになればと願っています。鎌倉風致保存会のWebサイトやSNSで情報を発信しているので、どなたでも気軽に参加してくれたら嬉しいです。
公益財団法人 鎌倉風致保存会
WEBサイト:https://userweb.www.fsinet.or.jp/fuhchi/
公式X:https://x.com/kamakura_fuhchi
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取材・執筆淺野義弘
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撮影番正しおり
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編集友光だんご(Huuuu)
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