「海が好きなだけでもいい」水産業の未来に触れられる学び場、水産大学校とは?
「大学校」というものをご存じでしょうか。
いわゆる一般の大学や専門学校とは異なり、省庁など国の行政機関の付属機関として運営されるものが多く、広く知られているところだと自衛官を訓練する防衛大学校があります。
今回取材した、山口県下関市にある「水産大学校」もそのひとつ。
先ほどの防衛大学校の知名度から類推すると、多くの人にはなじみがなさそうなイメージ......。
ですが、校長の酒井治己さんの言葉から伺えたのは、想像と少し違う実情でした。
「とにかく海が好き、魚が好き、釣りが好き。そういうモチベーションで来る学生さんがたくさんいます」
最終的には学生の8割以上が水産業界へ進むこの学校。未来の水産人材を育むためにどのような教育が行われているのでしょうか。酒井校長にお話を聞きました。
創立の地は、日本ではない!?
── 「大学校」は省庁の管轄が多いとのことですが、水産大学校の管轄は?
農林水産省です。日本の水産業や水産政策における課題を解決する人材を輩出すべく、運営されています。
創立は78年前です。最初は日本ではなく、韓国の釜山に校舎がありました。
── えっ、韓国なんですか!?
第二次世界大戦中、日本が朝鮮半島を統治していましたよね。そのときに、特にイワシ資源を中心として、半島の水産業を振興しようということになったんです。でも当時は現地にそのための教育機関がなかった。じゃあつくろうということで1941年に朝鮮総督府釜山高等水産学校が創立されたんです。それが本校の始まり。
でも4年後に終戦を迎え、職員のほとんどと学生の7割を占めた日本人は、本国に引き上げることになりました。行き場のなくなった彼らを受け入れるためにつくられたのが、この学校だったんです。東京にあった農林省水産講習所の分所として始まっていて、場所は下関にありました。
でもまあ、その人たちが卒業したあと、形として水産講習所分所を廃止して、新たに「第二水産講習所」を設置することになるんですけど。
── 廃止に。どうして復活できたのでしょうか。
地元の行政や水産業界からの需要が高かったんです。下関は水産関連の企業と縁の深い土地ですから。たとえば漁網で有名なニチモウの創業は下関ですし、マルハニチロのマルハの部分(大洋漁業)の創業も下関、「おさかなのソーセージ」などで知られるニッスイ(日本水産)も下関から北九州の小倉へ拠点を移した会社。そういった山口県内外の水産業界全体による呼びかけのおかげで、間を置かず再スタートすることができたんです。
ちなみに東京の水産講習所は第一水産講習所に、その後1949年の学制改革によって東京水産大学と名を変え、文科省の管轄に移りました。本校だけが農水省の管轄であるのは、そういった経緯によるものです。
「スマート」な学生が増えている
── 現在まで、紆余曲折を経ているんですね。
はい。ですが、「水産業界へ優れた人材を輩出する」という教育機関としての目的は変わりません。特に、再スタートした頃は遠洋漁業や捕鯨といった分野への人材を盛んに輩出していました。
現在は8割を超える学生が、水産業界に進んでいます。残念ながら漁師になる卒業生は多くないのですが。
── 水産業界ではどういった分野で活躍されている方が多いですか?
築地の卸業者の社長など、中堅どころのリーダーが多いです。民間でも行政でも、現場に密着しながら活躍している方がたくさんいらっしゃいます。
── やはり学生の方々も、水産業界を志して入学するのでしょうか。
水産業界への意欲は、変わらず高いと思います。ただ、時代の流れでしょうかね、最近の学生たちは男女ともに、スマートな子が増えてきている印象です。
── スマート、と言いますと?
柔軟に職種を選んでいる印象があります。かつては特定の企業や業界に就職することを目指して、がむしゃらにがんばっていた子たちが多かったので。
生物生産学科であれば「とにかく海が好き、魚が好き、釣りが好き」というモチベーションで来る学生さんが多いです。中には、獣医学科の試験に落ちて、もともと魚も好きだったから、第二志望で本校に来たという学生もいます。
8割を超える学生が水産業界へ進むことを考えると、職種や業界より、そのときの自分の興味関心に対してまっすぐな様子に、時代の流れを感じますね。
逆に、航海士・機関士になるための学科には、それを目標に来る方が多いです。特に本科卒業後、国家資格(海技士)を取るために入る専攻科コースは、定員を超えるほどの希望者が集まります。就職後の給与待遇がいいので、人気なんですよ。
ちなみに水産系の大学で漁船その他のエンジンの教育をしているのは、日本で本校だけです。さらには、国による漁業取締船や漁業調査船の航海士・機関士のうち、大卒者の8割は本校の卒業生です。特に機関士は多いですね、他に学べる教育機関がないんです。
── ひとくちに「水産」といっても、みなさんさまざまなモチベーションで入学されるんですね。
いろんな方がいますよ。時代との関連でいうと、最近は女性が増えています。特に食品科学科には女性が多く、みなさん研究に興味がある印象です。
さらに本校の学生は腰が座っていて、卒業後3年間での離職率が2割程度と低い。全国平均が3割であることを考えると、みなさん多様なバックグラウンドがある中で、水産業を好きになっていただけているのかなと感じています。
酒井校長は「新種を報告したこともある」
── 酒井校長ご自身は、どういった研究をされているんしょうか。
淡水魚の生態が主な専門分野です。淡水魚は海水魚と違い移動が少ないので、地方色が豊かなんですよ。だからフィールドワークに行くと、新種が見つかることもあります。僕が新種報告したのは、今までに5種類くらいかな......。
── 5種類も!
ええ。ヨロイボウズハゼ、カエルハゼ、マルタ、ニホンイトヨ、イシドンコの5種です。新種が見つかると、それまで知らずに食べていたことがわかったりしておもしろいんです。
たとえばニホンイトヨは、昔は新潟あたりで唐揚げや三杯酢漬けにして食べられていました。それも、ヨーロッパや北極の近くに生息する「イトヨ」と同じものだと思われていたんです。
ただそんなニホンイトヨも、今ではほとんど絶滅危惧種に近く、新潟あたりでは漁獲されません。信濃川河口に港が造られたり、八郎潟が埋められたりした影響で、繁殖する場所がなくなってしまったんです。
── そうなんですか......。やはり水産を学ぶ上で、環境問題は避けられないトピックなんですね。
フィールドワークや実験など手段は人それぞれですが、生態系を維持したり、環境への負荷を軽くしたりする方法を考えることは、研究として大変重要なことです。
その点、本校の実験水槽は、近くの海から引いてきた天然の海水を使っているという強みがあります。しかも掛け流し。より自然に近い環境で、生態系のメカニズムを調べることができるんです。
最新の教育で、水産改革に貢献する
── Gyoppy! では多くの漁師さんに取材させてもらっています。漁師人材の育成については、どのようにお考えでしょうか。
決して多くはないですが、今の卒業生にも漁師はいます。近くの定置網業者に就職して、のちにそこの網元から経営権を買い取った人や、自分で釣り船を始めた人もいますね。
── 資源管理についてはどのようにお考えですか?
日本の漁業は構造的に改善の難しい業界だと考えています。
というのも、日本の漁業は長らく、沿岸の中・小規模漁業者による地域社会、すなわち漁村によって担われてきました。これはつまり、環境保全や資源管理もそれらの漁村に依存するということ。こうした構造のために、国策として漁業を管理しにくい面がありました。
このような状況に対して、政府は2018年6月、水産政策改革を発表しました。これにより漁業権に関する取り決めが改定され、企業による漁業参入がしやすくなっていくと考えられます。
── 改善の兆しは見られるということですね。
ただ私は、楽観視できないと考えています。たとえ企業が既存の漁業者と競合する形で漁業に参入しても、投資を回収できるとは限りません。水産資源は自然によって変動するものですから。仮に何年も投資が回収できなかった場合、撤退するのが企業論理でしょう。
そのあとに、参入を受けた既存の漁業者が元に戻れるかというと、それも簡単な話ではないですし。水産政策改革は大きなスタートではありますが、懸念すべき問題も多くあるんです。
── ますます、人材育成の必要性が大きくなっていると感じます。
そうですね。改革が行われる以上、私たちもその方向を見据えて指導を行っていくつもりです。
教育現場としての本校の強みは、講義の情報の質。農水省の下部組織として、その取り組みによって得られた情報や知見を、講義に生かすことができる。今も水産庁の課長クラスの方や、研究所の現場で活動されている方による授業を提供しています。そうした最新の教育で、漁業界に貢献していきたいんです。
「海が好き」、それだけでもいい
── 水産大学校に興味を持つ方や、御校を志望される学生さんに向けて、何かメッセージはありますか?
知っておいて欲しいのは、日本のタンパク源を支えるのは水産物であること。若い世代の方々は、小さい頃から肉食に親しんできたことでしょう。しかし食肉は肉そのもの、あるいは飼料の面で、海外からの輸入に大きく依存していますよね。
一方、水産物に関しては、日本は本来とても恵まれた環境にあります。世界6位の排他的経済水域と海岸線の長さを誇り、親潮・黒潮が出会う豊かな漁場を有している。そのことを考えれば、自給できるタンパク源として水産物に頼らざるを得ないことは明らかです。
ただしそれも、排他的経済水域外での中国や台湾による漁業活動などで、脅かされつつある。だからこそ国際交渉力をつけて、守っていかなければならない。そういったことをよく認識した上で、日本の水産業に貢献する意気込みを持った方に来て欲しいですね。
── 課題が大きい分、やりがいのある分野ですものね。
とは言ったものの、そういった問題を最初からわかっている方なんて、そうそういないとは思います。
だからこそ、海が好きという、それだけの動機でも構いません。魚でも、釣りでも、動物でも、きっかけはなんでもいい。少しでも興味があったら、本校で学んで欲しいと思います。「魚っておもしろいでしょ?」というところを、僕らも見せていくつもりです。
さいごに
水産大学校......よほどの水産業好きが集まってくる学校かと思いきや、意外にも「海が好き」「魚が好き」「釣りが好き」という純粋な好奇心で入学してくる人が多いようです。
海や魚のことはもちろん、生徒さんのことを楽しそうな表情を浮かべながら語る酒井校長の姿を見ていると、今の学生たちのあり方に誰よりも熱く共感しているのは校長自身なんじゃないかなと感じられました。
社会課題を抱えた産業として深刻に語られることも多い漁業。「魚っておもしろいでしょ?」という酒井校長の言葉からは、何よりもまず海や魚をおもしろがることの大切さを教えてもらったような気がします。
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取材・撮影長谷川琢也
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