「自然を回復すれば、投資を得られる」時代に、企業に求められる地域とのつながり
いま企業には、失われつつある自然資源を回復させるための活動=ネイチャーポジティブ経営が求められはじめています。
ネイチャーポジティブとは、自然と生物多様性の損失を食い止め、回復軌道へと変えること。人間が収奪してきてしまった自然を、人間社会の営みを続けながらも守るための考え方です。
近年、SDGsの認知やESG投資の盛り上がりによって、世界中の企業の目が自然資本へと向きはじめています。企業が自然資源を回復させるためにできることとは一体なんなのでしょうか?
かつて林野庁に所属し、現在も森林の課題解決に取り組む株式会社モリアゲ代表・長野麻子さんと、東北大学教授で『日経ESG』シニアエディターとして自然資本に関わる企業活動を取材してきた藤田香さんの二人の対談を開催。「森林と自然資源を回復するため、いま企業にできること」というテーマでお話をしてもらいました。
対談のなかでわかったのは、「企業が自然資源のある地域と正しく関わるためには、地域との対話が必要不可欠である」ということ。全ての企業が取り組むべき"ネイチャーポジティブ"の基本を取材しました。
株式会社モリアゲ 代表・長野麻子さん
愛知県安城市生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒、1994年に農林水産省に入省。2018年から3年間林野庁木材利用課長として「ウッド・チェンジ」を各地で叫び続ける。豊かな森を次代につなぐことを勝手に天命と感じ、2022年6月に早期退職。同年8月に日本の森を盛り上げる 株式会社モリアゲ を設立。
東北大学/日経ESG 藤田香さん
富山県魚津市生まれ。東京大学理学部物理学科卒。日経BPに入社し、「日経エレクトロニクス」記者、「ナショナルジオグラフィック日本版」副編集長、「日経エコロジー」編集委員などを経て、日経ESGシニアエディター。東北大学グリーン未来創造機構と大学院生命科学研究科の教授も兼任する。生物多様性や自然資本、持続可能な調達、ビジネスと人権、ESG投資、SDGs、地方創生などを追っている。著書に『 ESGとTNFD時代のイチから分かる生物多様性・ネイチャーポジティブ経営 』など。
ネイチャーポジティブの取り組みが、投資に直結する
── いま、自然環境保全について語る上で企業の「ネイチャーポジティブ経営」が大きく注目を集めていると思います。この「ネイチャーポジティブ」とは何か?というところからお話ししていただけますか?
藤田
ネイチャーポジティブを端的に説明するなら、「自然を回復軌道に乗せるために生物多様性の損失を止め、反転させること」です。噛み砕いて言えば、「自然がすごく減ってきているから、自然の損失を止めて、上向きに回復していく道筋を取り戻しましょう」ということですね。
── その背景には、どのような世の中の流れがあるのでしょうか?
藤田
背景として大きいのは、2022年にモントリオールで開催された生物多様性条約のための国連会議で「昆明・モントリオール生物多様性枠組」という世界目標が定められたことです。
2030年までを目標に、自然を回復軌道に乗せるための具体的な行動目標が定められました。
気候変動でいうところのパリ協定とも言えるのですが、特徴的だったのは企業の行動に焦点を当てた目標が多かったこと。自然資源の回復は、企業も取り組むべき課題だと強調されたんです。
── 世界基準で、自然の損失を食い止めるための動きが求められはじめた。
藤田
ただ、企業が活動すればどうしても自然の損失は起こるはずなんですよね。建物を建てるには木材などの自然資源が必要だし、食品を製造するにも自然の恵みを調達するわけですから。そんな資源を目減りさせないように、大切に使うことが重要になっています。
さらに、企業がなぜこんなにも保全や再生へ動き出したかというと、ネイチャーポジティブの取り組みが、金融や投資の文脈と繋がってきているからなんです。
特に日本では2015年以降、投資家たちのなかで、環境配慮や人権配慮をしている企業に投資をする流れが活発になってきました。
── ESG投資の流れですね。過去にこのメディアでも取材をして、記事を作りました。
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藤田
たとえば、社有林を持つ企業がそこで生態系に配慮した森づくりをすれば、地域全体の生物多様性が向上するかもしれない。その森が水を育むなど飲料会社の本業に結びつけば、投資家からの評価が上がり、企業価値に繋がる訳です。
さらに、企業がインセンティブを得られる仕組みも、いま整備されつつあります。
── 具体的に、どのように企業はインセンティブを得るのでしょう?
藤田
簡単にいえば、企業のネイチャーポジティブに関する情報開示が、投資家から投資を得るチャンスに直結していくようになります。
今後、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)というフレームワークに基づいて、企業が自然資源に対して与える影響やリスクなどの情報開示が求められるようになります。
どんな企業も自然に依存し、影響を与えて事業活動をしていますから、どの程度影響を与えているか調べて、把握し、開示するべきだという動きです。開示の情報を読むのは投資家ですから、先程の投資の流れにつながる。
企業はいま、自分達が自然に与えている影響をリサーチし、自然のどの部分に対して優先して取り組んでいくか?を決める段階です。さらに、対策を練って企業戦略に結びつけたり、取り組みを開示したりするフェーズになってきています。
森の課題は「忘れられていること」
── 今回は、自然資源のなかでも「森林」に注目したいと考えています。企業は具体的に森林のネイチャーポジティブをどう進めれば良いと思いますか?
長野
よく同じ質問をされるのですが、私は「森づくりに正解はない」と思うんですよ。森林ごとに植生や自然条件、期待される役割など状況が全く違うので、その森でその時点で正解だと思う方法を実践してみて、観察して、間違っていたらまたやり直す......というのを中長期的なスパンでやり続けるしかない。もっと多様な森づくりが広がるとよいと思っています。
藤田
よくわかります。自然って地域地域で異なるので、その地域で解決策を見出していくしかないのですよね。その地域ごとに、このゴールに向かってこのようにして自然を守る、というストーリーが必要ですよね。ストーリーをつくるステークホルダーの中には、地域の人々に加えて、自治体も、企業も含まれる。
長野
そうなんです。「なんでこの企業が私たちの地域の自然に関わるんだろう?」と疑問をもたれないように、地域の人たちと一緒に森づくりに協力してもらいたいですよね。
そして、自然に関わる人が変われば、その自然を守るためのストーリーも変わってくる。だからこそその土地ごとのやり方が必要になります。森に関わるみんながその土地らしさ(ローカリティ)を理解していて、企業がその森に関わるストーリーがあって、情熱を持って取り組み続ける人がいる。そうしてはじめて、企業のネイチャーポジティブはうまくいくんじゃないかと思います。
── 「自然を守る方法」に、どこにでも当てはまる正解はないと。では、いま森林が抱える一番の課題とはなんだと思いますか?
長野
それは「森林が忘れられていること」です。里山や山林が手入れされず、活用されない森林資源が増えている。先人が苦労して植えてくれたものが400年ぶりにフサフサになっているんですよ。昔は多くの人々が森の恵みで暮らしていたから当たり前に木を使い、手入れをしていたけれど、いまは木が身近ではなくなってしまった。
藤田
世界の状況からみても、日本は珍しいんですよね。ここ数十年で森林の面積自体はほぼ横ばいなのに、人工林を中心に森林蓄積(森林の木々の幹の体積)は50年間ずっと増え続けている。
── つまり森が残りすぎて、うまく活用されていないことが問題?
長野
これだけ経済発展して森が7割も残っているのは奇跡的なことで、先人に感謝です。日本に人の手の入っていない原生林はわずか。日本では昔から、森を手入れし、森とともに生きてきた歴史があります。人の手の入った森は手入れをし続ける必要があり、私たちは次の世代に豊かな森を引き継いでいく責務があります。
藤田
いまの状況の原因は、やっぱり昭和40年代の拡大造林(※)で植えたものが活用されていないからですよね?
長野
そうなんです。戦後造林した木がまだ十分育っていない期間に海外から木材を仕入れるようになって、その間に国産材のサプライチェーンが途切れてしまった。
日本の地域ごとの林業の規模は小さいので、地域同士を繋いでいく人がいないと安定的に国産材が流通できないんです。
藤田
山で木を切っても、日本の急峻な斜面を下ろすのにコストがかかる。下ろしても、製材所も、加工できる人も減っている。サプライチェーンがつながらなくなったんですよね。森林組合に就職しても年収がそれほど高くないから若者にはあまり人気のない仕事になってしまいました。今は少しは改善されたでしょうか。
長野
木材需要を増やし、サプライチェーンを繋ぎ直すことで、地域で森林資源が循環できると思うんです。常日頃から各所とコミュニケーションを取り合って、半年くらい先に必要な木材の量を常に把握するような計画利用、計画生産ができれば、山で在庫ができるようになります。また、森は木材生産だけでなく、年間70兆円を超える様々な環境価値があるので、林業だけでなく森全体で稼ぐ森林業を異業種の人材や技術を取り入れて盛り上げていきたいですね。
ローカリティーへの理解とストーリーが、企業と地域を繋げる
── 先ほど、企業が森林の保全に取り組むためには「ローカリティとストーリーが必要」というお話が出ました。それはほかの自然資源に向き合う時にも同様でしょうか。
長野
もちろん。企業は、自然にアプローチできればどこでもいいというわけではありません。地域のステークホルダーと真摯に関わるためには、「なぜ私たち企業がこの森の保全に取り組むのか」と、説明する必要がありますから。
── なるほど、企業がその地域で活動することの文脈や縁があってはじめて、地域の人たちも納得できる。
藤田
企業側としては、「地域の人々と組みたい」という思いもあります。いま、多くの企業が地域の課題解決に大きなポテンシャルを感じています。自治体や地場産業の方々、地域の生活者や若いZ世代など、そうした方と交流して新しいものが出てくることに大きく期待しているんです。
長野
森林と関わる立場から言えば、地域で自然に関わってきた方々の側も「こういう価値があるから一緒にやってほしい」と主張する必要があるな、と思っています。森を守ってきた人たちはずっとそこにいて客観的な価値の変化に気がつかないので、外の人たちの目で見てもらって、「他の森と比べてここが強みじゃないですか」って見つけてもらうことが必要なんです。
藤田
地域に関わりながらも、客観的な視点を持って、その地域の自然の価値を伝えられるコーディネーターみたいな人が重要になりますね。長野さんも私もそうかもしれません。
── 地域とともに企業が自然のストーリーをつくった良い事例ってあるでしょうか。
藤田
少し関係のある、海の話をしてもいいですか。
藤田
いまから3年前、インド洋のモーリシャス沖で貨物船の座礁と油の流出事故があり、漂着油の一部がマングローブ林に絡みつくなどしました。船主ではなかったんですが、その貨物船をチャーターしていた商船三井が記者会見を開き、10億円規模の支援策を打ち出したんです。
それから3年間、同社は現地の方々や、研究者、NGOなどさまざまなステークホルダーとの話し合いを重ねて、自然の回復や再生、そして地域振興に取り組んでいきました。事故を通して彼ら自身が「大きな転機になった」というんです。
── 転機、というと?
藤田
ESGやSDGsが腹に落ちてしっかり根づいたと話していました。自然の回復・再生の支援活動を行うなど現地の住民やNGOと深く関わるうちに、事故以前からある経済や環境などの課題も見えてきたそうなんです。
そこで、美しい海で水産資源を守りながら漁業を行う持続可能な水産業や、持続可能な観光業など、環境に配慮しながら経済振興も行う活動へと支援を広げていった。
そのうち「海の問題は、農業や森林など陸とも関係がある」として、中小規模農家への有機認証の農業への支援もはじめた。現地の方々の経済的自立がないと問題は解決しないということで、海を起点とした経済振興『ブルーエコノミー』を進めています。
いまでは商船三井が設立した基金を通して色々な人たちが繋がって、現地で地域課題解決に結びつく雇用も生まれているそうです。
藤田
活動をするなかで「自分達は海の道を活用させてもらっている企業なんだ」と気づいたとも話していました。「海の道」という自然資本を利用してビジネスをしてきたわけだから、その自然に対してマイナスをプラスにして返すだけでなく、その自然と関わる地域の人々の暮らしにもコミットするという考え方ですね。
きっかけは事故の処理だったものが、地域に深く入って関わって、「マイナスになった自然資源をポジティブに持っていくこと」や、自然と経済振興を両立させる重要性に改めて気づいたのだと思います。
── 企業が地域に入って、観察と調査をして、ステークホルダーと繋がったからこそ、その土地でネイチャーポジティブを実践するための道筋が見えたんですね。
長野
そういうことなんです。表面上のネイチャーポジティブであれば、「クレジットを購入して環境へ貢献する」という選択肢も選べてしまうけれど、そんなお金だけのつながりは続きにくい。「寄付をして後は現地に任せる」だけではなく、寄付を期にズブズブと地域に入ってはじめて、その地域で企業が取り組むべきことが見つかる。地域課題の解決はもはや自治体だけでは限界と思います。
── まさに、「地域を知ること、地域の人々と対話すること」で企業の進むべき道が見えた一例。
藤田
地域のステークホルダーとの対話は本当に重要です。
企業が地域の自然資本を活用して事業をはじめるとき、企業側は「環境基準を守って活動する」「自然へのマイナスをできるだけ少なくする」というリスク低減を軸に取り組みを進めますよね。
でも、それだけでは不十分。「貴重な地域の自然資本を使わせていただいている」という視点が欠けているからです。「地域の自然を回復させてむしろプラスにする」、それによって「地域に幸せな暮らしをもたらす」、そこまで踏み込んで、それを地域とともに実現する道筋を考えることがネイチャーポジティブの本質だと思うんです。
── 企業が考える「自然を守る」ことの基準と、地域の方々が思う基準が違うかも知れない。
長野
ネイチャーポジティブって、まだまだ何をやったらいいかわからない、「雲をつかむような話だな」と思う企業さんも多いと思うんですよ。だからこそ何を解決するのかが重要で、そのための指標は何かを各企業が考えないといけない。地域にとって本当に必要な指標と目標を見つけるために、やはり現地のステークホルダーとの対話が必要なんだと思います。
藤田
私もそう思います。ネイチャーポジティブの目標と指標は地域で異なり、それを地域のステークホルダーで話し合って決める。そこには流域の企業も入ります。ステークホルダーみんなで管理する必要があります。それともう1つ、企業が自然を守るためにできることが、典型的なネイチャーポジティブの取り組みだけとは限りません。
たとえば、資源の再利用が進めば、新しい資源の採掘のために自然を破壊することは少なくなっていく。サーキュラーエコノミー的な取り組みが、結果的に自然の保全へと繋がるわけです。
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Yahoo! JAPAN SDGs編集部
こうした意味で、脱炭素(カーボンニュートラル)、サーキュラーエコノミーと、ネイチャーポジティブの3つはすべてリンクしているんです。
── 自然に直接関わることだけが、ネイチャーポジティブを実現する方法ではないと。それなら、自然資源の保全と回復を「自分たちには遠い問題意識だ」と思っている企業にも、できることはあるということですね。
藤田
その通りです。繰り返しますが、ネイチャーポジティブに取り組むこと=自然に配慮した原材料の調達をしたり、森に木を植えることや再生農業をやること、だけではない。サーキュラーエコノミーやカーボンニュートラルの取り組みを行うなかで、自然資源の保全と回復にどう繋がるかをあぶり出していくことも重要なんだと思います。
藤田
こうした視点で見れば、すべての企業はネイチャーポジティブに貢献できるはずです。
天然資源に由来するバージン原料を取ってきて製品をつくるんじゃなく、リユースやリサイクルの原料を使う。メンテナンスビジネスのように壊れても部品の取り替えが可能な製品を設計し、資源の利用や廃棄物を減らす。容易に解体してリサイクルできる製品をつくるとか。もちろん、何でもネイチャーポジティブですと結びつけるような"ウオッシュ"にならないことが重要ですが。
── 自然との関わりを知ることが、企業にとっては新しいビジネスの形を模索するヒントになるかもしれませんね。
藤田
いきなりすべてはできないので、まずはサプライチェーン全体で自然への依存や影響が大きな取り組むべき地域を見つけ、さきほど話したような自然のストーリー、目標、目指すべき姿を地域のステークホルダーとともにつくっていくことが大事だと考えています。
まずは自分達の企業活動と、自然の関連性を知ること、そして、その自然のある土地に行ってみること。地域の自然と関わることは、企業にとっても新しい価値創出の一歩になるように思います。