「学童がないから、働けない」どう防ぐ? 日本一小さな村の''保育料ゼロ''学童
放課後や長期休みなどの間、保護者の代わりに小学生を預かり、遊びや生活の場を提供する「学童保育」。共働きやひとり親の家庭にとって心強い存在であるものの、その数はまだまだ足りておらず、2023年には全国の学童における待機児童数は1万6000人を超えました。
特に近年では、共働き家庭やフルタイムで働く母親が増えたことにより、「小1の壁」という言葉も出てきました。小1の壁とは、子どもが小学校へ入学するタイミングで、保育園に預けていた時は可能だった子育てと仕事の両立が難しくなること。その大きな原因の一つとして、放課後の子どもの預け先がない=学童の待機児童が存在するのです。
学童は義務教育ではないため行政側の把握も難しく、子どもに充分なケアが行き届いていなかったり、自治体によっては予算削減などにより公立の学童が廃止されるところも。子どものために夫婦どちらかがフルタイムで働くことを諦めざるを得ないなど、「学童がないから、働けない」が子育て家庭の大きな問題となっているのです。
そもそも、 どうして全国で学童保育が足りなくなっているのでしょうか? 学童の歴史と現場が抱える課題について、保育・教育政策を研究する池本美香さんに伺いました。
池本美香
日本総合研究所調査部上席主任研究員。1989年日本女子大学卒業。2000年千葉大大学院博士課程修了、博士(学術)。専門は子ども・女性政策。編著に『子どもの放課後を考える』、共著に『保育の質を考える』など。
少子化なのに、学童が不足しているジレンマ
── 日本では、いつ頃から学童保育が始まったのでしょうか?
池本
既婚女性の雇用率が上昇し始めた1950年代、保護者らが仕事中に安心して子どもを預ける場所を自ら作った、自主的な保育活動が最初だと言われています。その後、1960年代には東京都や文部省の補助事業などによって、次第に学童は全国へと広がり、1967年には学童保育制度の確立のため、「全国学童保育連絡協議会」が生まれます。
そして1997年、児童福祉法改正により、学童保育が「放課後児童健全育成事業」として法制化され、全国で学童保育の施設が整えられるようになりました。
── 学童を制度化する法律ができるまで、約40年もの年月がかかったんですね。
池本
昔の家庭では近所の人や祖父母などの親戚との関わりも多く、いわば地域のコミュニティで子どもを見守っていたため、学童の必要性があまりなかったんです。しかし、現代では核家族化や地域の人々とのつながりが減少し、以前はあった地域で子どもを見守る仕組みが崩れつつあります。
そして、共働きの家庭が当たり前になったことで、年々、学童保育の需要が高まっています。2023年の待機児童数は全国で約1万6000人と、近年は増加し続けており、学童に入れず悩んでいる家庭が多いのが現状です。
── 学童保育の待機児童が問題視され始めたのは、ここ最近の話なのでしょうか。
池本
学童の待機児童問題は過去にもありました。共働き家庭が専業主婦の世帯数を追い越した1990年代の初め頃から、保育園の待機児童が問題になり、2001年、政府が待機児童ゼロ作戦を掲げたあたりから、学童の待機児童も増え始めました。2015年に学童の対象年齢が3年生までから6年生までに変わった時にも、学童の待機児童が増えました。
そして最近、また増えています。2016年に「保育園落ちた、日本死ね」と題したブログが話題になり、国会でも取り上げられたことで社会的な関心が高まりましたよね。
当時は女性の就業率が急激に上がり、これまで以上に保育園のニーズが高まっていました。その「保育園落ちた」ブログ世代の子どもたちが小学生に上がる年齢になったことで、学童が必要な子どもの数も増えているんです。その結果、少子化のなか、多くの子どもが学童に入れないというジレンマが起きているんですね。
ただ、女性の就業率上昇は、あくまで学童不足の背景のひとつに過ぎません。
── 他にどんな問題があるのでしょうか?
池本
学童保育の人手不足ですね。学童保育支援員は保育士と違い、稼働するのは放課後がメインとなるため平日の勤務時間はフルタイムになりません。ただし、土曜日や夏休みなどの長期休暇中は朝から夜まで8時間以上働くことになり、勤務時間が不規則なんです。その反面、給料が低く、体力も必要とされるんですね。
── シーズンによって勤務時間が変わるのは、大きな働きづらさになりますね。
池本
また、認可保育園の場合、国の配置基準によって保育士1人がみる子どもの人数が決まっています。しかし、学童の場合は「1つの支援の単位(おおむね40人以下)につき、支援員を2人以上配置すること」というガイドラインがあるだけで、強制力もありません。
人手不足によって業務負担が増えている状況もあって、こうした労働条件で支援員を確保することが難しく、退職する人も多いのが実情なんです。
── 学童支援員の労働環境における課題が多いことがわかります。
池本
また、学童は学校と同様、さまざまなタイプの子どもが集まるので、本来であれば、その子の性格や特性に合った環境を用意するのが理想です。しかし、支援員も大人数を相手にしなければならず、そこまで手が回らない状態となっています。学童の人手不足は、保育や教育における質の低下につながり、子どもの成長にとって悪い影響を与える可能性もあるんです。
やっぱり学童保育の質を底上げするためにも、行政が学童施設と人に予算をかけることが必要です。そして、もっと学童と小学校の間のコミュニケーションを深め、子どもの性格や特性を共有することで、よりよい支援になるはずです。
学校の職員と学童の支援員を一つのチームと考えることで、業務が効率化されてスタッフ一人あたりの仕事量が軽減できたり、より専門的な対応も可能になるはず。縦割りの壁を超えて、お互いに協力できる関係性を築いていけたらいいですよね。
子どもの放課後の過ごし方は教育格差につながる
── 学童保育には自治体の制度に則った学童と「民間学童」などと言われるものの2種類があります。具体的に何が違うのでしょうか?
池本
料金とサービス内容が大きく異なります。自治体の制度に則った学童には、公営と民営がありますが、いずれも補助が入るので月数千円程度で、自治体によっては無料で利用できるところもあります。一方、「民間学童」は自治体の補助を受けていないので、月3〜5万円程度が相場で、夏休みなどの長期休暇では8万円以上と高額なケースもあります。
── 同じ学童なのに、そんなにかかるお金が違うんですね!
池本
民間学童のほうが料金は高い傾向にありますが、手厚いケアが受けられるところもあります。例えば、塾や各種習い事の機能を兼ね備えているところもあるんです。
他にも、民間では22時頃まで預けることができたり、夕食の提供や送迎サービス付きのところもあります。ただし最近では、自治体の学童でも6割以上が18時半以降まで対応しています。
池本
また、たとえ「小1の壁」を乗り越えることができても、その後まもなくして「小4の壁」に直面するケースが増えています。
── 「小4の壁」ですか?
池本
小学3年生までしか学童保育を利用できない自治体もあるのです。また、4年生以上が通えるところでも、学童の活動が低学年の子ども向けだったりして、学年が上がると学童に行くのを嫌がる子もいるのです。
そうして学童をやめてしまうと、子どもの放課後の居場所がなくなってしまうんですね。また、学童の代わりに塾や習い事をする子どもが増える年齢でもありますが、その費用を払うことが難しい家庭もあるわけで、学校外の体験に触れる機会に格差が生まれます。
── 放課後の過ごし方による子どもの教育格差をなくすため、できることはあるのでしょうか?
池本
私はもっと学校と地域が連携し、子どもの「放課後の居場所づくり」をするべきだと思います。現状、放課後の教室や校庭を使うことは教員の負担増が懸念されるほか、「学校は文部科学省」「学童はこども家庭庁」と管轄が異なっているため、学校と学童の間に「壁」があります。ですが、公共の施設をもっと子どものために活用すべきだと思います。
例えば、イギリスでは校庭を緑と遊びの場に改造し、学校の休み時間と放課後、休日に活用することを政府が推奨しているんです。子どもが集まっておしゃべりしたりおやつを食べたりできるベンチやテーブル、校庭改造のプランづくりや遊具づくりに子どもが参加しています。また、木登りや自然を使った遊び、音楽やダンスなど、自由で創造的な遊びの保障が重視されています。道路を一定時間遊び場として使う「プレイストリート」の取り組みも広がっていますね。
また、フィンランドには「公園おばさん」と呼ばれるスタッフが常駐する小屋付きの公園がありました。雨が降っても室内で遊べて、食べたい子にはおやつも出していて、小学生の居場所になっていたんです。
フィンランドでは公共図書館も、放課後の居場所として子どもに人気なのですが、それは飲食もおしゃべりも自由で、コンピュータも自由に使え、コンピューターゲームもできるからなのです。司書の見守りもあり、安心感がありますよね。
このように学童以外の居場所を充実させることで、学童の待機児童が減り、手厚いケアが必要な子どもが確実に学童を利用できるようになると思います。すぐに制度を変えるのは難しくても、発想を変えることで、子どもの放課後は変わっていくはずだと信じています。
日本一小さな村で「保育料ゼロ」の学童が生まれたワケ
そんな中、富山県には新しいやり方で学童保育の運営に挑戦している施設があります。その場所は、北陸で唯一の村である「富山県舟橋村(ふなはしむら)」。面積は東京ディズニーランド7個分という全国最小の自治体ですが、人口増加率が24.2%で全国第2位(平成17年度国勢調査)になるなど、近年町全体が盛り上がりをみせています。
そんな村で2023年に誕生したのが、保育料ゼロの学童保育施設「fork toyama(フォーク・トヤマ)」です。fork toyamaでは「子育てをみんなのものに」というコンセプトで、子育て世帯の「働く」と「育てる」の両立をサポートしています。このユニークな施設の運営方法について、 fork toyamaの生みの親であり、代表の岡山さんに話を聞いてみることにしました。
岡山史興
1984年長崎県生まれ。高校時代に高校生平和大使に選出され、ローマ法王に謁見。「高校生1万人署名活動」の立ち上げに参加する。企業・地域のPR/ブランド支援などに取り組む代表取締役として、「次の70年に何をのこす?」をコンセプトにしたウェブメディア「70seeds」の編集長も務める。2022年7月に学童保育施設〈fork toyama〉をスタートさせる。
── 岡山さんが「fork toyama」を立ち上げることになったきっかけは何だったのでしょうか?
岡山
僕は長崎県出身で、もともと富山県には縁もゆかりもありませんでした。ただ、自社で運営していたウェブメディア「70seeds」で、2017年に当時の舟橋村の村長に取材する機会があったんです。舟橋村は昭和・平成の市町村合併ブームのなか、「合併すると、学校の統廃合で子どもたちが遠くまで通わなきゃいけないのはかわいそう」という理由で村を守ることを選んだ経緯があるんですね。
そんな村長の想いに共感したことと、クラウドファンディングで子どもたち自ら公園をつくるといった挑戦を後押しする村の姿勢に惹かれ、2018年から東京と舟橋村の二拠点生活をはじめました。そして移住後、子どもが小学校に上がるタイミングで「小1の壁」に直面したんです。
── まさに自ら学童保育の問題に直面したんですね。
岡山
小学校進学前年の秋に突然、村が学童保育の直営をやめる決定を下したことで、自分の子どもを安心して通わせられる学童がなくなる状況になってしまい。「だったら自分で学童を始めよう!」と思ったのが最初です。
── ないのなら作ろうと。すごい行動力!
岡山
自分自身も周りの保護者さんも、村に学童があるほうが働きやすいのは間違いないですし、失敗しても、死ぬわけじゃないと思って(笑)。それで学童について勉強していると、学童不足は深刻な社会問題だと気付いたんです。
子どもがいる親世代が働くことで社会経済は回っているのに、その親が学童不足を理由に仕事を辞めることは大きな経済損失です。また、学童施設が十分ではない地方では、子育て世代が住みづらく、ますます人口が地方から都会へ流失してしまう恐れもあります。
子育ての問題は、子どもを持たない人にとっては自分ごととして捉えるのは難しいかもしれません。でも、子どもを育てるのは「未来の日本を支えること」です。そこで「学童不足は社会全体の問題なんだから、みんなで子どもの面倒を見たらいいのでは?」と、保育料ゼロの、みんなで学童を支える「みん営」という仕組みを思いつきました。
── どのようにして「保育料ゼロ」を実現させているのでしょうか?
岡山
fork toyamaの設備費や人件費などの運営費用は、活動に共感する個人や法人からの資金と、同じ敷地内にあるカフェやコワーキングスペース(2024年7月から運用開始)の収益で成り立っています。また、今年から自治体の認可が取れたため、行政からの補助金も加わりました。
現在、fork toyamaには1日平均30名強の子どもたちが通っているのですが、保護者には日々のおやつ代のみを支払ってもらっています。
── 実際にオープンしてみて、地域住民の反応はいかがでしたか?
岡山
保護者の方からは「学童があるおかげで安心して働き続けられる」という声をいただいています。とある方が以前いた自治体では、パートよりもフルタイムの子どもが優先されて学童に入れなかったそうなんですね。だけど、認可外でスタートしたfork toyamaではどんな家庭でも受け入れることを意識して運営を始めました。
子どもが原因で親が働くことが制限されるのは、大人にとっても子どもにとってもよくないじゃないですか。それに、人口の少ない地域でも、学童が一つしかない状態より、複数から通わせたい学童を選べる選択肢があったほうがいい。「選択肢を増やしたい」というのも、fork toyamaを立ち上げた大きな理由でした。
岡山
また、地域の方からは「fork toyamaは舟橋村の魅力のひとつ」と温かく受け入れてもらっています。fork toyamaの物件には、もともと大学教授の方が住んでいて、その家を使って地域の子どもたちを100人近く集めて学習塾を開いていたというストーリーがあるんです。そんな地域の人に馴染み深い場所が空き家になっていたのを、「村の子どものためなら」と今は東京に住んでいる大家さんから貸してもらえることになりました。
昔から地域にとって馴染み深い場所なので、近隣の方が自主的に草刈りを行ってくれたり、ふらっと庭にある木に柿を取りに来たりするのが面白いんですよね(笑)。カフェでは子どもたちが考案した期間限定のドリンクメニューを提供することもあるのですが、それを目当てに来る人もいて。fork toyamaは子どもたちが地域の人と交流できる場所になりつつあると感じています。
子どもから「こんな大人になりたい」と思われるような姿でありたい
── 学童を「みん営化」して感じた難しさはありますか?
岡山
やっぱり、資金面は大きいですね。2024年度は昨年度と比べて子どもの数が20名ほど増えたので、その分、施設の電気代や水道料金、新しいスタッフの人件費も増えます。通いたいと言ってくださる人が増えるのはとても嬉しい反面、子どもが増えるほど、運営コストも上がってしまうジレンマを感じています。
また、まだスタートして3年目の学童なので、教育方針も日々アップデートしているところです。子ども同士のトラブルがあった時、どのように接していくのがベストなのか?など、スタッフのみなさんと一緒に議論していますね。
岡山
課題は山積みなのですが、学童にはいろんな可能性があると感じています。例えば、fork toyamaを企業の人材育成の研修に役立てられないかと思っているんです。
── どのような研修を?
岡山
実は僕自身、子どもがあまり得意じゃないのですが、日々多くの子どもたちと接していると、学ぶことが本当に多くて。子どもって、すごく大人を見ているんですよね。子どもと接するとき、大人が少しでもコントロールしようとすると、子どもはそれを見抜いて反発します。
だから子どもと話す時は、相手を一人の人間として、ちゃんとリスペクトする姿勢を大切にしています。そんな風に、どんな職種の人でも、子どもと接することはすごくいいコミュニケーションの練習になると思うんです。
── 面白いですね。普段は機会がない人が少しでも子どもと接することで、子育てをする人たちが直面している問題を知るきっかけにもなりそうです。
岡山
そうですね。fork toyamaの学童は、子どもにとって貴重な社会勉強の場でもありたいと考えています。いろんな大人と交流することで、子どもたちにとっても大きな学びの機会を生み出すことができる。だからfork toyamaも、地域や社会に開かれていることを大事にしています。
僕は、大人が変われば、子どもも変わると思っています。そのためには別に変わったことをする必要はなく、人を否定しなかったり、子どもならではの視点を褒めたり、どんな些細なことでもいいので、色んな選択肢を子どもに提示するのがいいんじゃないでしょうか。
将来、ここを利用した子どもたちが「通っていて良かった!」と思えるように、これからもfork toyamaを通して、いい大人の姿を子どもたちに見せていきたいです。
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取材・執筆吉野舞
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取材・編集友光だんご(Huuuu)
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