気候変動にどう備える? 研究と社会をつなぐ「適応」の最前線 #豊かな未来を創る人

「気候変動対策」と聞くと、二酸化炭素を減らすことを思い浮かべる人が多いかもしれません。でも、変化する気候にどう向き合い、どう暮らしを守っていくかも、同じくらい大事なこと。それが「適応」です。
とはいえ、この「適応」という考え方、実はまだあまり知られていません。そこで、最前線で研究を行い、社会に広める活動をしているのが気候変動適応センター。センター長の肱岡靖明さんと広報チームの根本緑さんは、それぞれの専門を生かしながら、科学と社会をつなぐ役割を担っています。
最新の研究で何が分かってきたのか? そして、私たちはこれからどう適応していけばよいのか? 適応の現状と未来について、お二人にお話を伺いました。
肱岡 靖明
気候変動適応センター長。1971年鹿児島県生まれ。2001年東京大学大学院工学系研究科博士課程(都市工学専攻)を修了。博士(工学)。同年国立環境研究所入所。社会環境システム研究センター 環境都市システム研究室室長などを経て23年より現職。専門は気候変動の影響と適応。著書に『気候変動への「適応」を考える』。IPCC第二作業部会第五次評価報告書の統括執筆責任者及び1.5℃特別報告書の代表執筆者。
根本 緑
気候変動適応センター 気候変動適応専門員。2018年4月入所。CCCA設立時の現役メンバーとして国内の適応推進に従事。地方公共団体の適応計画の策定及び地域気候変動適応センターの支援業務を経て、2022年から広報戦略チームを発足。適応の認知向上のため、幅広い分野の現場インタビューから、SNS運用、漫画コンテンツを活用した冊子制作などを担う。センター長との共著「ADAPTATION アダプテーション[適応]気候危機をサバイバルするための100の戦略」を2024年4月16日発売(山と渓谷社)。
国として「適応」を推進する唯一の研究機関
── 気候変動適応センターとは、どのような活動をしている組織なのでしょうか。
肱岡
当センターは、国の研究機関として科学的知見を活かした「適応」の推進を行っている唯一の機関です。そもそも、気候変動の対策には「緩和」と「適応」の2つの方法があり、どちらも重要であるとされています。温室効果ガスの排出を減らし気候変動の原因をできるだけ抑えることを「緩和」、緩和を最大限実施しても避けられない気候変動の影響に対して、その被害を軽減しよりよい生活ができるようにしていくことを「適応」といいます。例えば、大雨が降った際に土砂災害による被害を受けないようにしたり、熱中症で倒れて亡くなる人を減らしたりするための取り組みが適応の例です。
今ほど温暖化が進んでいなかった15年ほど前は「2100年にはシロクマが氷の上に住めなくなるかもしれない」といわれても、すごく遠い未来のことで想像しづらいような話でした。しかし、今や世界中で膨大な量の温室効果ガスが排出され、気候変動が進むことは避けられず、その影響も世界中で顕在化してきています。そんな現代においては、緩和の努力によって温暖化を止めることが難しくなってきており、適応にも取り組まなければならない時代になっているのです。
そこで日本では、2018年に気候変動適応法が制定され、それと同時に国立環境研究所において気候変動適応センターが設立されました。いくら気候変動に関する研究が進んでも、実際に行動をしなければならないのは個人や自治体、企業です。そういう方々にしっかりと情報を提供して、適応について知り行動してもらうための取り組みをしています。
例えば、日本中で行われている研究の成果の集約や発信に加え、全国各地に66カ所ある地域の気候変動適応センターや自治体への技術的な助言やサポート、普及啓発の講演など、さまざまな形で活動しています。
根本
情報に溢れる現代社会において、研究機関として信頼できる科学的知見をわかりやすく、皆さんの日常生活になじむ言葉に置き換えながら伝えていくことが私の役割です。
緩和と適応という2つの対策がある中で、緩和はスケールの大きい話ですが、適応は非常にローカルな取り組みなんです。そのため地方公共団体の役割が大きく、地域の実情にあった気候変動適応を推進するためには、各地域の気候や地勢、産業や伝統文化などを考慮することが求められます。また、行政に限らず、地元の企業や大学、市民の方々と連携しながら、それぞれの立場で取り組むことも重要で、分野も関係者も幅広いことが特徴です。
ただ、気候変動だけでなく、様々な社会課題が浮き彫りになっている今日、気候変動という長い時間軸で将来について考える余裕がないという方もいらっしゃいます。また、適応という概念自体の認知が低く、無関心な方も多いのが現状です。そのため、さまざまな手法で適応に取り組む価値を伝え、適切に行動していただくための広報活動を戦略的に展開していく必要があると感じています。

── 研究と社会をつなげる役割を担っておられると。先ほどおっしゃった地域の気候変動適応センターや自治体への技術的な助言やサポートとは、具体的にどのようなことでしょうか。
肱岡
地域ごとに気候変動への適応計画を作るのですが、例えば北海道と東京と鹿児島ではそれぞれ注力したいところが違うじゃないですか。農業や酪農を守りたい地域、大雨が降った際の洪水の対策が気になる地域とさまざまです。そこで、各地域に合った計画を作るために必要な情報を提供したり、計画の内容をチェックしたりしています。
また、地域の気候変動適応センターは母体となる大学の先生たちが運営するところや、博士号を持った研究者が数人で運営するところ、ほかの業務と兼務しながらほぼ一人で取り組んでいるところなどさまざまあります。その中で、研究ができるセンターとは共同研究をしたり、人手が足りないセンターへは支援をしたりもしています。
── 情報発信の一環として「気候変動適応情報プラットフォーム(以下、A-PLAT)」での情報発信をされていますが、これはどのような目的や経緯で立ち上げたのですか?
肱岡
「A-PLAT」は、気候変動による悪影響をできるだけ抑制・回避し、正の影響を活用した社会構築を目指す施策を進める、すなわち適応を推進するための情報基盤です。気候変動と適応に関するデータや国の取り組み、全国の適応策インタビュー、日常での実践アイデアなど、地域・事業者・個人に向けたさまざまなコンテンツを発信しています。
もともとは2016年に私が立ち上げたのですが、当初は日本における将来の気候変動の影響についての研究成果を公開するために作ったんです。それ以前、研究結果はPDFにしていただけで、新聞に載るなどはしたものの、それで喜んで終わりになっていました。
ある時、地方の自治体から「ここの地域に関する情報だけ切り出してほしい」という要望が来まして。少し手間がかかりますし、当時は「なんでこんなものが必要なんだ」と思いました。でも、ほかの自治体からも同じ要望が来るようになったんですよ。その時に、自分たちの研究成果が世の中で必要とされるのだとようやく気がついたんです。
そこで、ホームページに研究結果を全て掲載し、欲しい人が欲しい時にダウンロードできるようにすれば良いのではないかと考えました。また、国の適応計画が出ていた頃だったので、ここでの情報も役に立つだろうと思いました。そして、研究者全員に相談して資料掲載許可をもらい、情報をまとめて作り上げていったのが「A-PLAT」です。

「ひっそり世の中の役に立ちたい」活動を続ける思い
── お二人が現在取り組まれている業務と、その中で抱いている思いを教えてください。
肱岡
僕は研究に加えて、おもに自治体や企業を支援するチームの統括をしています。ほかにも、アジア太平洋地域の国(アジアパシフィック)と協働して情報共有の場を作り、アジアでも適応に取り組むための活動をしています。
僕は昔から「世の中に役立つ仕事をしたい」という思いを持っていて。それは警察官でも教師でも何でも良かったのですが、偶然行きついたのが環境問題を解決するという手段でした。
幼い頃、鹿児島にある長島町という小さな島に住んでいたのですが、そこは水俣市のすぐ近くなんです。目の前に広がる海は透き通っていて綺麗で、水俣病のことを教科書で知った時は「すぐ近くでこんなことが起きたんだ」と驚いたのを覚えています。
その時は何も考えていなかったのですが、大学受験を控えて学校を探していた頃に「衛生工学」という学問を知って。その中には下水道も含まれているのですが、下水道によって生活排水を綺麗な水にして海や川に出していて、人から見えないところで役に立っているのがすごく刺さったんですよね。それで、衛生工学を学ぶことに決め、下水道の分野で博士号を取りました。
就職する際は国土交通省に行こうと思っていたのですが、その年は採用がなく、偶然紹介された国立環境研究所に入所することができました。入所後は、温暖化によって将来どのような影響が生じるかを研究するチームに所属しました。でも、僕の専門は下水道でローカルな領域でしたから、急にグローバルな領域になって、何を研究すればいいのか分からなくて。人がやっていることを見たり、言われたことをしたりしつつ、悩みながら研究を続けました。
そんな中、100名を超える研究者とともに実施した研究成果が2008年に複数の全国紙の一面に載りまして。こういう情報はまだレアで求められているのだと感じて、その後も研究を続けてきたんです。それまでは気候変動による影響をメインに研究していたのですが、適応が必要だという話題が少しずつ出てくるようになってきて。それから適応の研究も少しずつ始め、研究成果を「A-PLAT」に出していたら、結果として世の中に適応を広めることに繋がってきたんです。
だから、ベースにあるのは「ひっそりと世の中に役立ちたい」という思いで、巡り巡って、気がついたら適応の分野でそれができるようになっていたという感じです。

根本
私は、研究者の方々の成果に基づき、気候変動による影響と適応について、一般の方々に分かりやすくお伝えし、必要な時に適切な行動を取っていただけるよう、皆さんの生活に役立つ情報の発信を担っています。
前職では、都内のメディア会社に勤めていたのですが、子育てをきっかけに家族のルーツがある茨城にUターンしてきました。その頃に気候変動適応センターで雇って頂いたんですが、ちょうど気候変動適応法が整備され、気候変動適応センターが国立環境研究所に位置付けられるタイミングでした。今でこそ全国に66ある地域気候変動適応センターも、当時はゼロからのスタートでしたので、まずは地方に出向き、挨拶回りとニーズの洗い出しなど、本当にスタートアップのような気持ちで取り組んでいました。それから、2022年に適応の認知向上や発信強化のために広報戦略チームを立ち上げ、現在に至ります。
世界経済フォーラムが公表する「グローバルリスク報告書2024年版」によると、今後2年の短期的リスクとしてAIなどによる「誤報と偽情報」を指摘しており、異常気象を抜いて最上位にランクインする結果となりました。こうした不安定な情勢下において、研究機関として信頼できる科学的知見をわかりやすく、皆さんの日常生活になじむような言葉で伝えていくことに、大きな使命感を持って働いています。

── 自ら広報戦略チームを立ち上げるモチベーションはどこから?
根本
2つあって、ひとつ目は適応を通じた新たな出会いですね。A-PLATに掲載するインタビューコンテンツでは90以上もの記事を担当させて頂いたのですが、国内外のさまざまな地域を訪れ、気候変動影響に適応する人々との出会いがありました。インタビュー記事は国の報告書や公式資料等からは読み取れない、行間のコミュニケーションだと考えていて、現場の方々が直面する課題やそれに対する工夫、努力、そして想いなどを言語化(情報化)し、A-PLATから丁寧に伝えることが大きな役割だと思っています。効果を定量的に示すことも重要ですが、こうした定性的な情報もバランスよく掲載することで、人間味のあるプラットフォームとして、皆さんに親しみを感じていただけたらと思います。
ふたつ目は月並みですが、気候変動に適応することで、救える命があると本気で信じているんです。いまや災害級とも言われる夏の酷暑に伴う熱中症リスクや、頻発化する気象災害に対して、適切に備えることで確実にリスクを軽減することができるはずです。こうしたサイエンスに基づく知恵と工夫を丁寧に伝えていく必要がありますし、それが我々センターの大きな役割だと思っています。
3つの段階で適応する社会
── 適応には、具体的にどんな取り組みがあるのでしょうか?
肱岡
適応には3段階あります。1段階目は、今できることに取り組む「脆弱性・暴露低減型適応」です。例えば、注意報や警報を出したり、水門を上げ下げしたり、熱中症予防のために暑い時は外を出歩かないようにしたりすることがこれにあたります。
2段階目は今ある技術を使って今後の影響に備える「増分型適応」です。例えば、海水温が3℃上がったら雨量が2倍になることがわかっていれば、堤防が溢れることが予測できますよね。そうなれば、空いている土地に水が流れるようにして、堤防を作らなくても大丈夫なように準備をする。影響を予測し、いかに備えるかの取り組みがこれにあたります。
3段階目は、場所や商いなど根本から変える「変革的適応」です。例えば、海水温が3℃上がってしまったら何をしても今の漁業は続けられないから、別の地域に移って漁業をするか廃業して違う商いをするかを考える、といった取り組みです。
まずは1段階目から始め、今できることを考えて目いっぱい取り組むことが重要です。急に適応を一気に進めようと思っても設備も知識もない状態では困難ですし、今なら海も山も川も土地もまだあって、考えるだけならタダですから。
それから段階が上がっていきますが、2段階目からは変化が求められ、場合によっては時間がかかりますし、各所から合意を取る必要もあるために実現するのが容易ではなくなります。そのため、日本ではそこまで想定して動けている人はごくわずかです。でも、大打撃を受けて稼げなくなってからでは遅い。手遅れになる前にできることを考えておかなければなりません。私たちは、誰もがそれをもっと当たり前に考えられるように、世の中に情報を手渡していきたいと考えています。

── これまで見てきた適応の事例を教えてください。
肱岡
私がまさに適応ビジネスだと思ったのが、北海道の余市で作られているワインです。もともとは寒くてワインを作る地域ではなかったのですが、今は温暖化でワイン作りに適する場所になってきていて。さらには、気候に合わせて品種を3つに分けていて、もっと気温が高くなったらうまく育つ品種も考えて栽培されていた。段階的にブドウの品種を揃えて将来に向けて備えているという。こうした取り組みは、変革的適応のひとつだと思います。
根本
増分型適応の取り組みとして、鶴見川多目的遊水地の中にある新横浜公園の事例があります。平常時は公園として多くの方々に利用されていますが、洪水時には治水施設としての役割を果たします。鶴見川の水位が上昇した時に、一時的に河川の水を引き込み、洪水の一部を溜めることで下流域への洪水被害を低減させることを目的とした施設です。
なお、新横浜公園内にある日産スタジアムは、千本以上の柱の上に乗る形で建設されており、洪水時にはスタジアムの下にも水をためることができる仕組みになっています。2019年台風19号による大雨では鶴見川の水位が上昇し、鶴見川多目的遊水地は約94万立方メートルの洪水を一時的に貯留し、大きな効果を発揮したことで注目されました。
もっと身近な脆弱性・暴露低減型適応の例としては、熱中症対策が挙げられます。毎年、搬送者数も死亡者数も増加しており、国は2030年までに熱中症による死亡者数を半減させることを目指しています。そこで、金銭的な理由から冷房を設置できない方や、さまざまな理由で自宅で涼しい空間を確保できない方に対して、公的施設などを解放し、活用できるようにする「指定暑熱避難施設(クーリングシェルター)」という取り組みが市町村レベルで進んできています。
また、民間企業でも熱中症対策用の商品開発が進んでいます。例えば、大塚製薬では「アイススラリー」という、深部体温を低下させる商品を販売しています。ほかにも、甲子園が2部制になるなど、イベントのあり方も変わってきていますよね。
「暑くてスポーツやイベントができません」という話ではなく、どうしたらこの環境下で適応できるかを、それぞれの立場で考え、試行錯誤しながら前進していくケースが着実に増えていると思います。

いつか「適応」が当たり前となり、必要とされない社会へ
── 今後「適応」を社会に実装するために、どんなことに取り組みたいと考えていますか?
肱岡
今の科学は、研究がいかに社会に役立つかという方向にシフトしてきていると思います。だからこそ、これからは逆に社会の方から研究者を巻き込んで、うまく活用することも重要だと考えているんです。
これまでは、科学を深掘りして真理を求めてきた研究が多くありましたが、それがいかに世の中に役立つかという視点に立った時に、その研究と社会をつなげることは簡単ではないと思います。僕自身その一人として、研究者は研究に一点集中していることが多く、社会実装するという視点をあまり持っていないこともあると感じます。でも、自分の研究成果を知ってもらうことはすごく喜ぶんですよ。であれば、その研究を必要としている世の中の方からうまく使っていけばお互いにwin-winなのではないかと思うんです。
また、適応には農業から都市生活まで7分野あり、取り組まなければならないことが沢山あります。いろいろな方のお力添えが絶対に必要であるという意味でも、専門家や研究者を巻き込んでいくことは大切です。そこをつなぐ役目が、今の僕の仕事だと思っています。
根本
日本は世界と比べて、気候変動対策に取り組むことにマイナスなイメージを持つ方が多いという調査結果があるんです。今の生活の豊かさを諦めたり我慢したりする必要があると思っている方が多いのかもしれません。そうではなく、対策を進めることで生活の質も向上していくというポジティブな視点で、皆さんが前向きに取り組める雰囲気作りや、安心してアイデアを出し合える場作りをさらに推進していきたいと考えています。
肱岡
僕は、適応はみんなが主役になれる取り組みだと思うんです。なぜなら、個人や地域が主体となって、一人ひとりが自分ごととして実践できる取り組みだからです。自分たちの身近な暮らしを守ることだからこそ、互いに協力し合いながら、取り組みの輪も広げていけるものだと感じています。
例えば、緩和というのは、ときに政治的な対立や分断を生むことがありますが、適応はそうではありません。ある自治体が洪水対策に成功しても、他の自治体が損をするわけではないのです。むしろ成功した経験やノウハウを共有することで、各地域の状況に合わせて有効に活用できます。つまり、適応は誰かと戦うことなく、みんなで社会全体に広げられる取り組みなのです。
── 今の取り組みを進めた先で、どのような社会を実現したいですか?
根本
みんなが適応を知っていて、気候変動に当たり前に備えている社会です。気候変動による影響は、私たちの日常生活における非常に広い分野で既に生じています。現在の緩和策の取り組み次第で、将来のリスクはさらに深刻化することも懸念されています。適応策として、それぞれの立場で出来ることを考えるにあたり、まずはA-PLATに掲載する情報を気軽に覗いてみてください。お住まいの地域や学校、職場のハザードマップを確認し、天気の良い日にお散歩してみるのもおすすめです。
肱岡
適応なんて古くなって忘れ去られて、気候変動なんか気づかない社会を実現したいですね。雨が降ろうが暑くなろうが、変わらず楽しく生活ができて、産業も盛んに営まれていてほしいと思います。2050年くらいには「気候変動なんて全然影響ないから大丈夫だよ」とみんなが言えるような未来になっていたらいいなと思います。

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文安藤ショウカ
取材・編集木村和歌菜