競争をやめたら、生活も魚も守られた。30年前から続く「漁師の約束」
2015年に国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)。
「貧困をなくそう」「住み続けられる街づくりを」「気候変動に具体的な対策を」など、この先のずっと未来まで健やかに住み続けられる地球を守るために、国際的に取り組んでいくべき17の目標が掲げられています。
そのうちの14番目が「海の豊かさを守ろう」。Gyoppy!(ギョッピー)が掲げるテーマでもあります。
海は、水や魚などの食べ物を与えてくれる、私たちの生活の源です。ですが今、プラスチックゴミが流れ海が汚染されていたり、漁業の技術の進歩もあり魚が必要以上に獲られ、絶滅の危機にある種もいたりするのです。
普段、何気なく食べている魚が、少し先の未来に、食べられなくなるかもしれないーー。
世界はようやくその事実に対して正面から向き合い、今では各国が漁獲量を制限。これを「資源管理」と言います。
しかし、キビナゴ漁で有名な鹿児島県の北西にある離島・甑島(こしきじま)では、漁師たちの自治により、およそ30年も前からこの資源管理を行っていました。それも誰かに指示されたわけではなく自然と。
どうして、そんなことができたのでしょうか?
そこにあったのは「なんとなくキビナゴが減ってきている気がする」という漁師の直感と、それを解決するための「漁師の約束」でした。彼らは禁漁の時期や使用する網の目の大きさまでを自分たちで定めたのです。
「漁師の約束」はどのようにして生まれたのか。甑島で、代々キビナゴ漁を行っている日笠山水産の日笠山誠(ひがさやま・まこと)さんにお話を伺いました。
30年ほど前、キビナゴが少なくなった実感があった
── 最初にキビナゴ自体のことを聞いていきたいのですが、キビナゴはいつが旬なんですか?
基本、通年ですよ。ここらへんは遠浅でサンゴがいるし、島がポコポコってあるでしょ。キビナゴが住みやすい環境なんです。
── このあたりでは身近な魚なんでしょうか。
そうそう。関西だと和歌山あたりでも獲れたりするんだよ。甑島だと昔はね、竿先を海に入れるとキビナゴに当たるって言われて。バブル時代は、1週間で700万稼いだ人もいたなんて聞くけど。
── 当たり前に身近にいる魚なのに、自主的に漁を控えたんですよね。何かきっかけはあったんですか?
きっかけというより、昔よりキビナゴが少なくなってる実感があったんですよ。というのも、キビナゴは光に集まるから夜に漁へ出るんです。今は2時に電気を出して3時に網を入れるんだけど、ルールがなかったころは早い者勝ちレースみたいになっちゃっていました。
── それだと魚は少なくなってしまいそうですよね。
今は合併したんだけど、甑島ってもともとは里村、上甑村、鹿島村、下甑村と4つの村に分かれていたんです。だからもちろん、漁協も別々だった。当時、漁協はひとつではなくて漁業権も別々だから、ルールが統一されておらず乱獲に近いものがあった。
場所とりのために弁当を持って夕方から海に出たりしてね。それでみんな体力を消耗してたし、電気や燃料も無駄にして......。「こりゃいかん、生活がなりたたん」となって、資源管理協議会ができたんです。
── なるほど。キビナゴを守ることは、同時に漁師の生活を守ることでもあったと。
そうですね。そのためにいろんなルールを決めました。たとえば、今日ある場所で「獲れました」とみんなに無線で報告すると、次の日もそこで漁をしてもいい権利が与えられるとか。こうやってできたルールを「漁師の約束」としてまとめて、みんなで守っていくことにしたんです。
── それは何年くらい前の話ですか?
何年前だろう。30年は経ってると思うよ。最初はうちら上甑島の里漁協で始めて。今はもう甑島が合併したから、全体でやってるんだけど。
(※「里」は、日笠山さんが住んでいる上甑島の地域の名)
── 「漁師の約束」にはほかにどんなことが書いてあるんですか?
ほかには、たとえば禁漁の時期とか。
昔のキビナゴ漁は今みたいに電気で獲るんじゃなくて、磯建網(いそだてあみ)みたいにおよそ200メートルの網を産卵場所の砂地に仕掛けて、そこに産卵にきたやつを獲ってたんですよ。子持ち漁って言って。
漁の規制にもいろいろ意見は出るんだけど、一番いいのは子持ちを獲らないことなんじゃないのっていう考え方に行き着いて、7~8年前からその漁法自体をやめたんです。
さらに、5月が一番子持ちのキビナゴが多いので、特に産卵場となる西側の海は禁漁にしたの。
キビナゴを守るため、自分たちで定めた「漁師の約束」
── 産卵期によって漁ができない地域を定めたんですね。
そうそう。なので、なるべく負荷をかけないように「キビナゴ漁だけをするべからず」みたいなのを「漁師の約束」の中で定めてる。
漁師の約束
一、産卵期の五月、六月は主要な産卵場は禁猟区とすべし
一、小型のきびなごは獲らぬよう小さな目合いの網は使うべからず
一、灯火時間は午前二時以降。過剰な漁獲圧力を低減すべし
一、日曜祝日は休漁とし、漁獲圧力を低減すべし
一、稚魚育成のための保護区を設けるべし
一、年中きびなごばかり取り続けるべからず
── この「漁師の約束」ってどんなふうに決まっていったんですか。「変えてやろう!」みたいな気持ちが漁師さんたちの中にあった?
はじめは何もないと思いますよ。さっき言ったように、漁の場所取りで漁師の体がもたなくなって。みんなそんな生活をやりたくてやってるわけじゃないから「ルールを決めようや」ってなって。
で、まずは申請した漁場に戻ってこれる権利を作った。そうすると、競争がなくなるわけです。電気を出す時間を決めてしまえばこうやって守っていけるなっていうので始まったと思うんだよね。
それがきっかけで徐々にルールができていって。そもそも昔は、もっとキビナゴもデカかったし、大きいのは高く売れたから、わざわざ小さいキビナゴまで獲る必要ないと考えたんです。
そうやって自分たちの生活を守るためにいろいろやったことが、たまたま今で言う資源管理になってしまった(笑)。
── すごい。
産卵の時期の禁漁を決めたのも、僕ら若い者の提案です。10年前くらいの提案かな。昔は「子持ち網」が島の風物詩にもなっていて、200メートルくらいの長い網を持って、7人くらいで船に乗ったりしよったんですよ。
でも今は船に乗る人材も少ないし、たとえ子持ち網でたくさんキビナゴが獲れても、船に7人も乗ってるんで、ひとりあたりで考えたら普通にそれぞれがキビナゴ漁をしたほうが割りがいいっていうのもあるし。
人材的な問題もあるし、逆にその時期の漁を止めてしまったほうが少なくなったキビナゴが戻ってくるんじゃないかってのもあったんで。もう全部ひっくるめてやめようやと。
── 掟を守る漁師さんは所属で何人くらいいるんですか?
特にこれを徹底してるのは里集落だけ。14漁家くらいかな。各地域で話し合って決めるんで。
── 漁師の数は減っていますか?
減ってますよ。後継者がいない感じですね。でも言ってしまえば、昔がいすぎたんですよ。だからちょうど今がバランスいいかもしれんね。漁獲量はそんなに上がらないけど、飯を食うにはちょうどいいっていう。
「魚は切らないと売れない」自然と始まった六次産業化
── 日笠山水産では六次産業化やブランディングにも力を入れていて、近辺の漁師さんを引っ張ってるって伺ったんですけど。それはいつから、どういう理由ではじめたんですか?
養殖は、うちの親父が獲る漁業だけでなく育てる漁業も組み込みたいって言って、20年以上前に始めたんですよね。だけどバブル崩壊のときだったんで売れなくて。単価は下がっているのに、エサ代もかかるし。
だから、捌いて売るようにしたんですよ。キビナゴとカンパチの半身をセットにしたり、干物にして売っていったんです。
── 養殖を始めるタイミングで加工も始めたんですね。
そうですね。魚は切らないと売れないんですよね。当時、組合員が養殖を始めたことで漁協が次第に養殖をやめて、うちに加工が流れてきた。で、今に至るっていう。
── 気付くのが早いですよね。魚は切ったほうがいいよねって話でも「なんで俺らがそんなのやらなきゃいけないんだ!」と感じる漁師さんもいると思うんです。じゃあもう、20年くらい前から六次産業化も含めて自然とやっていたんですね。
たまたまやったのが六次産業化と呼ばれるもので。そんな言葉ができる前ですけど。
── ブランド化はどうやっていったんですか?
徐々に、ですよね。僕からすれば、地元のお客さんが広告塔ですね。
── 広告塔?
うちのキビナゴが一番きれいだってわかってもらえたら、広告を出さなくてもお客さんは自分のお金でそれを買って、親戚や知り合いに勧めてくれるんですよ。
「キビナゴといったら甑島」をブランドに
── マーケティングとかコンサルがやってそうなことをしれっとやられていますよね(笑)。地元のお客さんが広告塔というのが金言ですね。
だから、今は魚の処理にすごく気を使ってる。たとえば刺し身にするにも身が真っ直ぐじゃないと切りづらいわけよ。だから、締め方をちょっと工夫するの。
上がったキビナゴは樽に入れるんだけど、みんな上まで満杯に入れちゃう。でもうちは絶対入れない。魚が潰れて、曲がっちゃうから。樽の半分まで魚を入れて、死後硬直がくるまで洗濯機みたいにゆっくり水を回す。そうするとキビナゴが曲がっちゃうことはない。
── 工夫がたくさんあるんですね。
みんなにもやってみろって言うんですけどね。でも、やらない。今はもうないけど、15年前くらいまでは市場側が、仲買人との話し合いの中で魚の値段を決めてたんですよ。だからキビナゴの値段が、例えばキロ5000円って決まれば、5000円にしかならない。
その後、いいものにはちゃんと値段がつくようになったんですけど。たとえばもし、丁寧に処理をしたことで売り値が1000、2000円違ってきたらどうですか?
氷なんて10kgで1300円くらいだから、氷を増やして、ちゃんと処理して、きれいな魚を売れば、たったそのひと手間で1000円変わってくる。それが1年続けばどれだけ違うんだって話ですよ。
── 手間暇かけて質のいい状態で出して高く売れたらすごい量を獲る必要もないし、キビナゴ漁にもいいってことですよね。なるほど......。これからの展望はありますか?
本当は、市場にキビナゴをあげないように止めたいんだけど。
── それは......どうしてなんでしょう?
だって、ここに買いにきてもらえばいいわけでしょう。市場にキビナゴが行かないってことは、他の、たとえば種子島とか、うちらのキビナゴがなければ、魚価が上がりますよね。魚価が上がるってことは、うちらの販売単価もおのずと上がります。
── どんどん自分たちの価値を高めていきたいっていう。
そうしないとね、鹿児島の人は獲る技術があっても販売する力が弱いのよ。天草(熊本)や五島列島(長崎)の人たちは、ビジネスに長けてるんだけどね。ちょっとずつ温暖化が進んで海が暖かくなれば、もっと北の海でも、粒のでかいキビナゴが獲れるようになってくるかもしれない。
だから今のうちにちょっとでも「甑島のキビナゴ」ってブランド価値を作っておかないと。僕の時代でできるのか、息子の時代になるのかわからないけど。
── 次の世代にっていう気持ちもあるんですね。
ありますね。キビナゴを獲り続ける自信があるんですよ。獲って、きちんと加工して、おいしいキビナゴを世の人に食べてもらいたいです。
さいごに
およそ30年前から自然と始まった「漁師の約束」による資源管理。漁師さんたちは、毎日、海と真剣に向き合っていたからこそ、魚の変化に気づけたのでしょう。
「海の豊かさを守ろう」
それを一番に感じ、考えているのは、漁師さんたちなのかもしれません。
漁獲量を減らさなければいけないという、漁師さんにすると逆境のようにも見える状況の中で、「魚は量より質。みんなにおいしい魚を食べてほしい」という言葉を誠さんの口から聞いて思わずハッとしました。海の男は、私たちの食卓の豊かさも守ってくれているんだと。
誠さんたちの活躍で、これからはキビナゴを食べるために甑島を訪れる人も増えるかもしれません。
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取材長谷川琢也
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文宮島麻衣
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撮影小林直博
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イラスト小野一絵
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取材・編集くいしん
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