元研究者の異色漁師は、海流を読み、生き物を学び、貝を大きく育てて高く売る
海の環境を守りながら漁業で儲けていくーー。
環境資源と稼ぎのバランス調整は時折難しく、漁業の課題のひとつと言える。そのバランスをうまく保つ術のひとつに「より高い価値が出る大きさに育つまでは獲らない」というものがある。
京都府北部・宮津のトリ貝養殖漁師の本藤 靖(ほんどう やすし)さんが実践するのはまさに、獲りすぎを防ぎながら、少ない数で利益を出す養殖法だ。
「トリ貝は養殖方法が確立されていますが、おいしく育てるためには丁寧に世話をしてあげないといけないんです。海の生き物たちを学んで、海流を学んで、じっくり育ててはじめて本当の価値をつくりだすことができる」
本藤さんは学校卒業後すぐに跡を継がず、日本栽培漁業センター、水産総合研究所でアマダイ・クエなどの種苗生産研究に25年ほど携わったのちに、Uターン就職をした異色の経歴の持ち主。長崎県の五島列島など全国さまざまな海の現場で経験を積んだエキスパートだ。学者目線で海の環境を調べ上げ、その研究結果を漁師業に活かしている。
日本海に抜ける湾を有した京都北部の漁師町・宮津は、外洋に比べて非常に穏やかな海であることが特徴。日本三景のひとつである天橋立を有しており、年間を通じて美しい海に恵まれている。
この美しい海で、元学者の漁師が育てる海産物とはいったいどんな特徴をもっているのか。そして、研究者目線で見た海の課題とは何かをうかがった。
水産研究所出身の漁師が育てる超巨大な肉厚トリ貝
── トリ貝養殖をメインにされているということですが......めちゃくちゃデカい! トリ貝ってこんな大きさになるんですね。(上記画像の)右が稚貝ですよね?
そうですよ。おいしくなるように手をかけてじっくり育ててあげると、ここまで大きくなります。もちろん味も超一級品。他のトリ貝と比べて高価にはなりますが、全国の料理屋さんがこのトリ貝を心待ちにしてくれています。
── トリ貝って、そもそもどうやって育てるんでしょう。
無煙炭を粉砕し粒状にした素材「アンスラサイト」を寝床に、稚貝たちを海中に沈めたコンテナ内で育てるんです。もともとトリ貝の名産地であった宮津周辺では、かねてより養殖への挑戦が盛んな土地でした。2010年頃、京都府立海洋センターが考案した養殖法によって安定供給が可能になったんです。
コンテナは魚を防ぐ網で蓋してあるので、放っておくだけでトリ貝は育ちます。でも一級品に育てるためには簡単にはいかない。
資源を守り、じっくり育てることで高く売る
── トリ貝の養殖で、本藤さんが力をいれていることはなんでしょう?
とにかく僕は人の手をかけて育てることに注力しているんですが、具体的に見てもらいましょうか。
コンテナの上には網がかけられていて魚などの外敵から身を守れるので、実際にはある程度放っておいても育つんですけれど、網をかいくぐって小さな生き物が入り込むんですよ。それがいるとトリ貝の飼料を横取りしてしまうんです。
── めちゃくちゃいっぱいいる! なんですかこれは。
ゴカイやカニ、トリ貝以外の別種の貝などですね。目を離すとすぐにこういう生き物がコンテナ内に入り込んで飼料を横取りしたり、トリ貝自体を食べたりするんです。大きく育てるためには、海のエサを無駄なく貝に与えていかなければいけません。こまめにこれらを取り除く作業が必要になります。
── すごく手をかけて育てるんですね。コンテナを海から上げて掃除して......ものすごく重労働だと思うんですが。
そうですね。やっぱり腰に負担がかかるので、ここまで丁寧にやっている養殖漁師はそんなにいないです。僕の場合は、30日に1回くらいの頻度で、こうしてコンテナを海上にあげて掃除していますね。コンテナの数が多いので、イカダ全部を掃除し終わる頃には、はじめのほうのコンテナがもう掃除してから30日近く経っている......なんてこともあります。
── そこまで手をかけるからこそ大きく育つんですね。
さらに、貝が大きくなるたびにコンテナ内の貝を間引く作業もあります。最初はコンテナに50個の稚貝を入れ、貝が大きくなるたびに20、15、最終的には7、8個くらいになるように数を調整します。広い空間で海の栄養をたくさん摂取できたほうがいいので。
── 間引いた貝はどうするんですか?
もちろん育てますよ。間引きをしながら特別大きい貝のコンテナ、普通サイズの貝のコンテナ......と大きさに分けて割り振りをするんですね。特別大きい貝のコンテナは、より栄養が豊富なポイントに沈めます。海流を読むんですよ。
同じ湾内でも、少し場所が違うだけでかなり生育に差が出ます。栄養豊富な水の流れがきている場所を調査・研究して、そこで高い価値の出る貝を育てるんです。
── 精鋭の育て方だ......。特別大きな貝は、どれくらいの価値がつくんでしょう?
トリガイは生の重量により3段階の規格でしたが、近年は6段階に分類されました。より大きなトリガイのほうが肉厚で甘くおいしいのです。丁寧に、また薄い密度で飼育するほうが大きな貝が育ちます。コンテナの数が増えて育てるのは大変ですが、海の餌料を余すところなく摂餌させて育った貝には価値がつくんです。
誰も海のことを知らないから、魚価が上がらないし生体数も減る
── トリ貝のほかに、じっくり育てることで価値を産んだものってありますか?
そうですね......事例として言えるのはナマコですね。宮津湾では昔から天然のナマコがとれるんです。ただ、昔からの慣習で、小さい個体を漁獲していたんですよ。それを僕は、5年育つまでナマコをとらないように先輩漁師を説得して規則を変えました。
ナマコは乾物にして「干しナマコ」として出荷するんですが、5年以上育ったものは干しナマコになった時に約10gになります。10g以上の干ナマコは桐の箱に入れて超高級なキンコ(干ナマコ)として販売されるんです。
また獲りかた、泥の吐かせ方など丁寧に漁獲するように改善してきた結果、㎏単価も数年前の2倍の1500円まで向上しています。関西では最も高価なナマコになりました。
── ほおっておくだけなのに!
以前はナマコが育ちきらない状態でとっていたので、ナマコ自体の数も減っていたんですね。高級食材としての基準に乗るようにじっくり育てることで高く売れるし、なにより生態系を守ることにもつながります。
宮津の海は栄養豊富なので、肉厚のナマコが育つ。小さなものをたくさん獲るよりも、大きく育ってから資源に影響を与えない数量を科学的に調査してから漁獲することの大切さを説得してきた。その結果、減少の一途を辿っていたナマコの生体数が増えてきています。
── なるほど......。ナマコがどれくらい大きくなるか、それがどれくらいの価値が出るのか、今までの漁師さんたちは知らなかったということなんでしょうか。
僕が水産総合研究所を辞めて宮津に漁師として戻ってきたときに感じたのは「漁師が海のことや魚介類の生態、資源量などを知らない」ということでした。
この海にはどんな生き物がいて、何を食べてどんなスピードで育っているのか。栄養豊富な海流が流れてくる場所はどこか。重要な魚介類の漁獲高が減り続けているいま、海のこと、魚などの生態を学んだうえで漁業に取り組む必要があると僕は感じています。
魚を大量に漁獲しても、駄目なんです。1番美味しい季節に、1番良いサイズの魚をどこの誰が獲ったかなど、履歴をつけて丁寧に出荷する。これがこれからの漁業のあり方だと考えています。
宮津の海にはたくさんの魚がいるんです。故郷ということを差し引いてもここはすごく魅力的な海。
近年、魚価が上がらないので、宮津湾で魚を獲る漁師が減ってきています。そのかわり都会では高級魚と言われるマゴチやオニオコゼなどが増えてきているんです。また、地元では見向きもされないアカエイをおいしく食べられるように処置したところ人気が出てきました。
コナガニシという巻貝も他県では高級食材ですが、宮津湾にはたくさん生息しています。要は、もう少し漁師や市場が連携して旨い食材を伝える努力をしていく必要が大切なんです。宮津湾には魅力ある魚介類がいっぱい残っています。
宮津の海を守るために学びを他人に共有する
── いま、SDGs(持続可能な開発目標)という言葉がさまざまな場面で言われていますが、本藤さんの活動はまさにそれを体現しているように感じます。
SDGsというと大仰に聞こえますが、取りすぎず、人の手でサポートしながら海に任せてじっくり海産資源を育てることに尽きると思いますね。でもそのためには漁師側も学ばなければいけないし、漁師以外の海産物を食べる人々にも学んでほしい。
僕は大学の課外授業先として学生たちを受け入れたりもしますし、見学にくる多くのひとにトリ貝の養殖業を体験してもらいます。宮津の海を守るためには、知ってもらうことがいちばんの保全につながるでしょう。
魅力的な宮津の海をもっと広めるために
「将来的には、もっと宮津産の魚の価値をあげたいですね。宮津湾で取れる魚、その環境自体をブランド化することで、魅力ある漁業ができる海にしたい。そうすることで海の環境を守ることにもつながると考えています。生き物をいたずらに減らすことも避けられるし、さまざまな生き物が豊かに暮らすことで、水の循環も改善されます。水産業の振興にも役立てるかなと思います」
本藤さんは今後の目標についてそう話す。
「宮津の海ってほんとうにいろんな魚が取れるんです。その証拠に......」と、掃除が終わったあと、殻が割れて売り物にならないトリ貝を餌に大きな黒鯛を釣って見せてくれた。
掃除をしているとゴカイやプランクトンが海に散らばるので、おこぼれを狙って魚がやってくるのだそう。しかも市場には出回らない魚がたくさん釣れるから、それをヒョイっと釣って食べられる。「贅沢でしょう」と本藤さんの嬉しそうな笑顔。
本藤さんが実践するトリ貝の養殖方法はかなりのハードワークだ。10kg以上あるコンテナをひとつひとつ海から上げる作業は、腰や背中にかなりの負担がかかる。それでも「やっぱり手をかけたほうがいいものが育つから」と取り組む姿は、心から宮津の海を好きでないとできないことだし、この情熱と愛情があるからこそ本藤さんの育てるトリ貝は高い価値がつくのだろう。
学者目線で目の当たりにした現状の海に対する懸念や怒りを、漁師としての確実な結果に変えていく本藤さん。「もっと変えていかないと」と時折、顔をしかめる様子に怖いひとなのかな......と感じた瞬間もあったが、なんのことはない、宮津の海を心の底から愛して楽しんでいて、慈しんでいるからというだけだった。
両手にずっしりと重いコンテナをふたたび海のそこに沈めて顔をあげると、秋晴れの日差しが青い海の表面にきらめいていた。
「トリ貝掃除の合間、このキラキラ光る海を眺めながら奥さんのおにぎりを食べて、イカダに寝そべって昼寝するのが最高なんです」と、最後に少しだけ学者の顔からも漁師の顔からも離れて、純粋に宮津の海を愛するひとりとしての笑顔が浮かんだのがとても印象的だった。
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文平山靖子(おかん)
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撮影古賀亮平
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編集くいしん
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